ブリキの心臓 | ナノ

2


「アルフェッカは頭取・ソルノア=ステュアートを探しているの、また、どこかへ行ってしまったみたい」
「へ、へえ、そうなんですか……」
 なんだか肩透かしを食らったような気分になって、アイジーはぼんやりと池の鳥を眺めた。
 そういえば、《オズ》の頭取・ソルノア=ステュアート――《オズ》からの手紙の差出人はこの男の名前だったというのに、アイジーはここに来てから一度も顔を見たことがない。たしか登録式の日にも出席しておらず、ジオラマ=デッドの腹立たしげな声がとても印象的だったのを覚えている。ソルノア=ステュアートは一応《オズ》のトップらしく、教授や副指揮官よりも地位は上にあたる。そりゃ顔も見れないほど位が高いのかもしれないが、それにしたって不思議なことだ。ずっとそう思っていたのに、なんだ、“またどこかへ行った”とは。脱走癖でもあるのだろうか。国家研究機関のトップともあろう者が。
 呆れかえってものも言えないでいると、ふとアリス=ヘルコニーがどこへとも知れずに呟いた。
「ミス・シフォンドハーゲンは、私とアルフェッカのことを、誰かに聞いたんでしょう?」
 それにアイジーは僅かに目を見開いた。予想外の問いかけに思考を齷齪させる。
「聞いていたら話は早いんだけど……私やアルフェッカは、その昔一緒に住んでいたわ」
「……聞いております。多分全てを」
「そう」あくまで平淡な返しだった。「貴女は、呪われてる身を、どんなふうに感じるの?」
 まるで哲学的な質問だった。一瞬なにを問われているのかわからなかったくらいだ。あんまりにぼんやりとしすぎていて、自分の意識という意識を忘れてしまう。
 アリス=ヘルコニーは白うさぎのように真っ赤な目をアイジーに向ける。呑みこまれそうだと思った。その真っ赤な目は、血のようにもルビーのようにも見える。そこには自分と同い年ぐらいの少女の不満が、湛えるほどに満ちていた。
「私は呪われていないから、わからない。呪われた人間がなにを考えて、どう思って生きているのか。私とアルフェッカの親を殺した人間は、なんの罪悪感もなかったのか。幽霊にでも憑かれてる気分になって自分自身を恐ろしく感じたのか。死にたくなったのか。気持ちよかったのか――殺す相手なんて、誰でもよかったのか」
 最後の響きだけは、とてつもないほど重かった。黒い髪を後ろに流して、池の畔に座りこむ。その姿はどことなく同情を誘うものだった。
「アルフェッカと引き離されてから、ずっとそのことばかり考えていた。とても憎くて、なんでこんな憎らしいことを四六時中も考えなきゃいけないのかとも思った。幸せな想い出だってあったのに、全部思い出せなくなって、気づいたら、犯人を殺すことだけを考えていた」
「……………」
「貴女は、呪われているってどんな気分? どんなふうに感じる?」
 無表情に自分を見上げるその顔に、アイジーはなんと返せばいいのか戸惑った。数度口を開閉し、それから怖ず怖ずと言葉を発する。
「呪われている感覚なんて、私にもわかりかねます。生まれたときから“こう”だったから、呪われてない人の感覚となにが違うのかなんて、推し量れない。でも私はずっと、引け目に感じていました。家族の中で私だけが除け者にされているみたいで……いつも、嫌な気持ちでいっぱいでした」
 エイーゼとの冷えきった年月の数々を思い出して、アイジーはぎゅっと拳を握る。今でも引け目を感じている。エイーゼを殺してしまわないかと不安でいる。全てが孤独で怠惰で絶望だ。諦めた状態で綱渡りをしているようなものだった。
「もしかしたら、あの犯人も、嫌な気持ちでいっぱいだったりするかしら」
「きっと」
「ざまあみろよ」
 冷えきった声でそう吐き捨てたアリス=ヘルコニーは、また一つ餌を池に撒いた。小さく飛沫してそれは池の底の鳥に容易く食べられていった。
「……今でもやっぱり、犯人が憎いですか?」
「憎い。とても。さっさと見つけて殺してやりたい」けど、とアリス=ヘルコニーは小さく続ける。「もしかしたらそれは私だけなのかも」
 そのことに些か驚いて、アイジーは首を傾げた。アリス=ヘルコニーは鳥の泳ぐ様子を食い入るように眺めながら、ぼんやりとアイジーに言う。
「アルフェッカは、私ほどは憎んでいません。むしろ過去として認識している。私に付き合って犯人探しをしてくれている、けれど、きっと私がいなければ、彼女はそんなことしなかった。乗り越えて、忘れて、普通に今を生きていた」
 今を生きる、とは随分詩的な表現をすると思った。けれどその言葉がどれほど的を射ているのか、次の瞬間にはわかった。
「恨んでいるのも、憎んでいるのも、殺したいのも私だけ。まだ昔のことを引きずっているのも私だけ。私はこんなに忘れられないのに、私以外のものは、私を置いていって先にいってしまった。時間が経ちすぎた。殺すなら、きっと、あの日に殺しておけばよかった。私だけだ。多分、今更見つけて殺したところで」絶望したように、それを紡ぐ。「あの男はきっと、何故殺されたかもわからずに、被害者として死んでいくに違いない」
 これ以上の苦しみはないといった声だった。腹立たしくて苛立たしくて仕方がないと、こんな理不尽はないと思っている声。
 アリス=ヘルコニーの腰にある拳銃に目を遣った。それは丁寧に磨かれていて、いつ引き抜いても最高の状態で発砲できるようになっている。こんな自分とそう歳も変わらない少女が、罪を犯したいと思うほどに憎らしい相手がいる。たったそれだけのことで、アイジーは世界がどれだけ残酷なのかを知った。
 理不尽な環境に憤りを覚える砂のような空しさ。アリス=ヘルコニーが抱くそれには、アイジーも深く共感できた。呪われていない彼女と呪われた自分。もしかしたら、同じなのかもしれない。さっきの彼女の問いかけに、今なら答えられる気がした。
「すみません。碌でもないことを聞かせてしまった」
 アリス=ヘルコニーは小刻みに首を振る。そのたびに背中に流した長い黒髪がまるでオーロラのようにたおやかに揺れた。
「わからなくて。あのときの行き場のなかった思いをどうすればいいのか。ただ殺すことでしか報われないと信じてきたのに、それだけを、十年も考えてきたのに」
 薄い雲の膜から乾いた色をした金色の日差しが不格好に覗いた。池をキラキラと光らせて、それからまたすぐに消えていってしまう。池の水が不自然に揺れた、鳥が中で跳ねた音だった。彼女は餌の袋の縁を折って、木製の挟み具でしっかりととめる。
 きっと彼女はこれからも憎しみ続けるだろう。心はいつも戦場にあって、ずっと戦い続けるだろう。もどかしい思いを振りきるために、雄々しい魂を抱き続けるだろう。それは一体いつまでか。どこが彼女の憎しみの果てで、どうすれば彼女は報われるのか。それは彼女自身にも、アイジーにもわからない。どうにもこうにもならないことで、どうしようもないことだった。
「貴女は、いつも浮かない顔をしている」
「……え?」
 立ち上がったアリス=ヘルコニーはアイジーに向かって言った。
「だから、多分、ギーガ=シェルハイマーやニヴィール=ハルカッタなんかに、構われる。そうでなくとも、貴女は貴族、二人の神経を逆撫でしてしまう」
「……私は悪くないわ」
「知ってる」
 その口調は本当に強かった。アイジーの抱いている感情を、アリス=ヘルコニーは知っている。
「……以前、ペレトワレ教授がおっしゃっていました。貴女は砂糖と綿で、彼らは川の水と北風だと。砂糖は溶けるが綿は重い。綿は温かいが砂糖は寒い」
「……どういうことでしょう?」
「私は聞いただけですから。けれど、こうもおっしゃっていました。暖かさに慣れすぎた人間は涼しさに弱いだけだと。冷たい手で水に触れても温かいだけだと」
 相変わらず、ペレトワレの言うことはよくわからない。言葉を紡ぐアリス=ヘルコニーにしたところで“なにがなにやら”と言いたげな表情だった。アイジーは思わず苦笑する。すると彼女は眉を潜めて「あの二人は」と切り出した。
「今まで、特に暴力沙汰にもならなかったから……それを見て見ぬふりをしてきた」躊躇いがちに、続ける。「次からは、ちゃんと注意するわ」
 そう言って、護衛官アリス=ヘルコニーは去っていく。腰の拳銃を光らせて、餌の袋を持ったまま、《オズ》の構内へと戻っていく。
 その後姿を眺めながら、アイジーはぼんやりと考えた。
 宙ぶらりんでいなければならないのは確かにとても辛いことだ。苦しくて苛立たしくて、今の空模様のような灰色をしている。自分だけがそうだとまるでとてつもない重圧をかけられているようで、やはり心底やるせない。自分の中をすっきりさせないと、行き場なんて永久に見つからないのだ。
 アイジーは池の中を覗きこむ。
 そういえば泳ぐ鳥というのも、随分と中途半端な代物だ。





狂乱戦上のアリス



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