ブリキの心臓 | ナノ

2


 ジオラマ=デッドは足を組んだ。その様を見てハレルヤは「偉そうに」と小声で呟く。しかしそれをきっちり広いあげた彼は「実際偉いんだ、ここではな」と鼻で笑う。なんだかムカついて、しかし事実そうであることには肩を落とすしかなかった。
「……お前も難儀な奴だな。そんなふうに意地腐れてる暇があるなら自分の呪いについて調べたらどうだ。シフォンドハーゲンを見ろ、まるでそれ以外に生き甲斐がないかのように研究に勤しんでいたぞ」
「そりゃ死ぬんだもん、当たり前じゃんか」
 ゴンッと、テーブルの下から生えた泥臭い靴がハレルヤの足を蹴る。ジオラマ=デッドは「けしからん!」と憤慨した。
「不謹慎なことを言うな。俺もメイリアも、あいつが死ぬだなんて少しも思ってないぞ」
「でも死ぬんでしょ? そういう呪いなんだから」
 ならさっさと死ねばいい――ハレルヤはそう心中で吐き捨てた。ジオラマ=デッドの前では流石にそんなことは言えなかったが、彼女の中にはいつもそんな思いが渦巻いている。憎いアイジー=シフォンドハーゲン、自分から友達を奪った女、頭でっかちの貴族の娘。どうやらジャバウォックの呪い――死の呪いを受けているらしく、だからこそここ《オズ》に足繁く通っている。いい気味だと思った。ざまあみろと思った。
 ハレルヤは唇を噛む。
 ハレルヤ=デッドには、ジオラマ=デッドとユルヒェヨンカ=ヤレイしかいなかったのだ。その二人だけが全てであり世界だった。世界の外は嫌なものばかりだ。自分の言うことを根っこから猜疑し否定し虚偽だと言う人間しかいない。生まれついてから、ずっとそうだった。誰もが正直を踏みにじった、蹴散らした、彼女のなにもかもを鼻で笑った。だから二人しかいなかったのだ。自分を認めてくれた人間は、二人しかいない。

 ――嘘つき。

 ユルヒェヨンカの言葉が胸を打つ。それはまるで雷のようで、ハレルヤの心を軽々と砕いた。彼女から初めて聞く単語。ハレルヤはぎりっと唇を噛んだ。
 ああなってしまったのはアイジー=シフォンドハーゲンのせいなんだ。
 やっぱり、あんな奴、死ねばいい。
 煩悶したくなるような怒りに駆られてハレルヤはソファーに拳を沈める。ヂヂッとスプリングが軋んだ。しかしジオラマ=デッドは素知らぬ顔で自分の珈琲を飲み、「それにしても」と愉快げに呟いた。
「やはり面白いな」
「なにが……」
「呪いだ。俺の呪いはお前の呪いの効果を無効化する。ヤレイのカカシの呪いも同じく。だが、カカシの呪いと質の似た、アンダスタン=シーノウの裸の王様の呪いは無効化を成さない。おかしいと思わないか? 裸の王様の呪いは“騙される”呪いなんだ。お前の呪いと相性がよかろうに」
「ちょっと。私は嘘なんてつかないし騙そうと思ったこともないって。あっちが勝手に嘘つき呼ばわりするだけ」
「……それだ」ジオラマ=デッドは驚きに目を見開く。「お前の呪いはあくまで他者が勝手に疑うだけでお前には“騙す”という心根がない。騙そうとしていない者に騙されることもない――なるほど、いかにもキーナ=ペレトワレの好みそうな題材だな。やるじゃないかルーヤ」
「なにが」
 付き合ってられない、とハレルヤは不貞腐れた表情をした。馬鹿馬鹿しいとすら思っているような表情だった。
 第一ここの人間、特に教授と呼ばれる人間なんかはみんな頭がおかしいのだ。よくもまあそんなメルヘンに無理矢理な解説をくっつけられるものだと常々思っていた。自分とて呪解方法を探りに来た人間のうちの一人に違いないのだが、考えていたものと全然違う実態にハレルヤは茫然とするばかりだった。
 《オズ》へ行けば、全てが上手く行くものだと思っていた。なにもかもが完璧に、まさにシナリオ通りにはたらいて、長年鬱屈でしかなかったこの呪いもまるで魔法のように容易く解けて――なのに、そんな絵本のようなものでは決してなかった。今にも折れそうな木の枝で蟻塚をほじくり返す作業に似ている。《オズ》は魔法の国ではない。そんな簡単に叶いっこない。
「よくやるよ、本当、そんなことばっかしてて空しくならないわけ?」
「ならんな。俺にはお前のほうが空しく感じるぞ。折角こうして《オズ》に来ることが出来るのに、まるでなにもしない、愚の骨頂だな」
「喧嘩売ってる?」
「誰が一回り以上ガキの輩に喧嘩なんぞ売るか馬鹿者め。俺はお前を心配してるんだ」
 ジオラマ=デッドはブラウンに陰するその目でハレルヤを見つめる。小さく縮こまっていた彼女は居心地悪そうに視線を外した。
「ジジくさいことを言うと――俺はお前より先に死ぬ、お前はいつか俺と離れなくてはならない、そんなときにお前はどうやって生きていくつもりだ? 自分を信用してくれる人もなしに、一体どうするつもりなんだ?」
「どうするもなにも」たじろぐようにハレルヤは言う。「生きるよ。それでも。なんとかしてね」
「だからどうやって?」
「その気になれば一人でだって生きていけるだろう? 食べ物も……野菜なら自分で育てたり出来るし、最悪狩りをすればいい。ペローにいたときの要領で……犬や鹿程度の大きさの動物なら私は捕らえることが出来る」
「勇ましいな」ジオラマ=デッドは肩を竦める。「そうだろう、お前は……残念ながら、一人で生きていけるだろう。それだけの、ある程度の能力を、お前は持ってしまっている。まあ、それこそが俺の一番の気掛かりで厄介な面なんだが」
「はあ?」
 意味がわからなくなり、ハレルヤの口からは素っ頓狂な言葉が漏れた。どういうことだろうとジオラマ=デッドの真意を探っているような眼差し。本音か皮肉か判断に苦しむそれにハレルヤは考えを巡らせる。
「お前は、一人で生きていける、そう過信している。いや、していい。お前はきっと俺が死んだあとも生きていける筈だ。だが、お前はいつか自分から死を選ぶ筈だ。賭けてもいいぞ。一人で生きていけるからこそ、絶対にお前は死ぬ。一人きりだからこそ生きる意味もなく、いつか自分から死ぬんだろうな。俺やヤレイと出会って、お前は今まで知らなかった“意思疎通の出来る楽しさ”を知った筈だ。それを知っていては、もう一人で生き続けていくなんて考えはなくなる。お前は一人で生きていける。だが、死ぬのも一人でだ。お前は勝手に自分の意思で死ぬ」
 とても屈辱的なことを言われた気がした。でもそれが何故かよくわからなくて、ハレルヤはなにも言い返せなくなる。そんなことを言って一体どういうつもりだと思った。彼女は生まれて初めて、この育ての親である男から突き放された気がした。
「…………でも、それは……ジオには関係ない」
 せめて傷つけ仕返してやりたくて、まるで子供みたいなことを搾り出すように呟く。
 その反応にジオラマ=デッドは愉快そうに口角を上げた。
「ああ、俺は関係ないな」肩を竦めて続ける。「お前の死は、俺には関係がない。関係がないのに無駄なことを言ってしまったな。悪かった」
 いきなり手の平を返すような物分かりのいい返答にハレルヤは寒気を覚えた。どうしてだろう。切り掛かったのは自分なのに、傷まみれなのは自分のほうな気がした。
「…………私だって、どうにかしたかっただけなのに」
 聞こえた筈の声音だったのに、ハレルヤの目の前で珈琲を飲む彼は少しの返事もしなかった。けれどあしらわれているような気にも冷たくされているような気にもならなくて、脳みその奥に“だろうとも”という囁きがまやかしく広がった。



「――違う、マッカイア、こんなスペルはない……それじゃコオロギが踊ってるみたいだろ」
「ああ、そうか、悪い」
「いくら長いとは言え、いい加減に自分の名前くらい書けるようになってくれなきゃ困るんだけど。読むことは出来るんだから書くことぐらいわけないんじゃなかった?」
 例の淡々とした表情でジャレッド=シベラフカは言った。紙とペンを持ってミミズがのたくったような字を綴り続けるブランチェスタは居心地悪そうに「だってペンなんか握ったことねーんだもん」と頬を膨らませていた。
 それを遠目から眺めていたハレルヤは“なんたることだ”と首を左右に振る。離れた席に座っているとはいえ、さきほどの会話は十分に聞き取れた。
 猫と犬が騒ぎ立てているかのような土砂降りの昼下がり。ハレルヤは《オズ》の書架棟にいた。先日ジオラマに言われたことが魚の小骨のように胸に引っかかっていて、恥ずかしいスタンスではあったけれど、呪解方法を調べるために頑張ってますのという態度を示そうと思ったのだ。とは言っても適当な書物を五、六冊ほど見繕っただけで席に着いてから三十分ほど経過した今でもその一冊にも目を通していなかった。
 退屈そうに周囲を眺め回してその様子を傍観することに勤しんでいる。前斜め右のほうの席でなにやら勉強を教えているらしいジャレッド=シベラフカと甘んじてそれを受けているブランチェスタ=マッカイアを見つけたときには、驚愕のあまり心臓が止まるかと思った。話したことはあまりないが、ハレルヤが把握している限りではブランチェスタは貴族が嫌いだ。最近ではあのアイジー=シフォンドハーゲンなんぞと仲良くしているらしいが、春のころなどは完全に無視していたのをハレルヤは知っている。なにか事件がありあの原始の石頭の小娘と親しくなったのは知っていたが、まさかこのジャレッド=シベラフカとも交流があったとは知らなかった。稲妻のように強く閃く緑の目は楽しそうに緩められ、その黒髪の貴族の息子を見つめている。決して色めきたった話などしていなかったが、その空気はどことなく柔らかい。恋するフローラルとはいかなくても、懐かしいライトブルーという色合いを醸し出していた。なんだか少し裏切られたような気分になって、ハレルヤは視線を外す。
 一番奥の窓際の席では自分と同期だった筈の老婦人、その隣には本の山を作って猛勉に励んでいる中肉中背の男がいた。少し離れたところにはアンダスタン=シーノウとシオノエル=ケッテンクラートがいて、机には書物を広げながらもそれらには目もくれず楽しそうに世間話をしている。座ったまま振り返ると、本棚に一番近い席にはリザベラ=クライトとその友人の何人かが、輪を作って真剣な表情でぶつぶつと語り合っていた。どうやら相談事をしているらしく、いつも爽やかに笑うリザベラ=クライトの顔色があまり芳しくないことに気付いた。階段に近い位置のソファーには三十代ぐらいの男女がちらほらと談義しあっていて、窓際ではチャコールグレーの髪の少年がうとうとと舟を漕いでいる。
 そこまで見回したあと、ハレルヤは肩を落とす。
 ――ヨンカがいない。
 腫れぼったい本の山目掛けてハレルヤは溜息をついた。
 もうまともに喋ることは出来なくなってしまったけれど、ハレルヤは彼女が好きだった。あの丸い赤毛も穏やかなグレーの目も、全てが安心できた。今でも姿を見れば嬉しいし、すれ違うことさえなければ寂しくなる。
 もう帰ろうかな、と俯きかけていた顔を上げた途端、驚くべき顔が目の前にいた。
「……ごきげんよう、ミス・ハレルヤ=デッド」
 月光よりも清らかに煌くシルバーブロンドに、眩いばかりの白い肌。スミレのようなバイオレットグレーの瞳は震えるほどに綺麗で、不覚にも息を呑んでしまった。形の好い唇が囀るような声で自分の名前を囁くのを酷く不思議に感じた。自分なんかじゃ一生身を包み込めないであろう上等な生地の服は、彼女のたおやかな体にぴったりとくる。奇跡のような美しさで自分の目の前に座るその少女――アイジー=シフォンドハーゲンを見て、ハレルヤは何事かと目を見開いた。
「話があるの、本当よ……少しだけ貴女の大切な時間を、私のために使うことは出来るかしら?」





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