ブリキの心臓 | ナノ

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「オヤおや……すみませんネェ、手が離せまセンでした。君がミス・アイジー=シフォンドハーゲンデスか?」
 舌足らずとも片言とも少し違う、奇妙な喋り方が違和感を覚えさせる。軽薄そうな笑みを浮かべるその男の顔色は随分と青白かった。年齢はつい最近二十代に差し掛かりましたと言わんばかりのころか、ペレトワレと同期だと聞いていたが彼女よりも少し若いようだ。剽軽な雰囲気で、袖の釦が外れているのやネクタイが曲がっているのを見るかぎりだらしない印象を受ける。血の気のない顔で奇しそうに笑うこの青年――ヴァイアス=ルビニエルは箆を脇に置いてアイジーに向き直った。
「デスが、出来レバ次に来るときは返事をしてからにシてほしいです、少しの温度変化でも薬の効き目が変わりマスから」
 背後の鍋を一瞥してにっこりと笑った。胡散臭そうな笑みだった。
「護衛官から話は聞いてますヨォ? ペナルティーを喰らって僕のところに来たンでしょう、では……」と言いかけたところで、ルビニエルは言葉を打ち止めた。それからクスクスと笑って「僕の喋り方が気になりますカ?」と囁くように言った。
 アイジーは思わず「あ、えっ」と肩を強張らせる。顔に出ていたのだろうか。だとしたら失礼な態度を取ってしまったものだ。気まずく俯くアイジーにルビニエルは話す。
「昔、まだ僕がほんの子供だったころに、一度舌を切られマシテね」ルビニエルは“切られ”のあたりで、口の前を掻き切るように親指で一本線を引いた。「舌を生やす薬を作ッタはいいものの、やはりガキの調合は粗雑だったんでしょうネェ……二枚生えてきちゃったんデス」
「……二枚生えたって、なにが……」
 ルビニエルは一瞬だけきょとんとしたが、すぐににやっと笑って「見てみますか?」と指で頬を引っ掛けるように咥内を開かせる。しかしアイジーは素早く両手で目を押さえた。ルビニエルは「冗談ですヨォ」とおどけるようにして手を叩く。うたぐり深く視界の遮りを退けてみれば、不遜な表情をしたルビニエルがアイジーを見つめていた。なんとなくペレトワレの気持ちがわかった。確かにこの男は不快だ。
「二枚生えて以来、上手く喋れなくなってシマってネェ……一応動かし方を工夫してなんとか話せるようにはなりマシたが、元のようになるにはとてもじゃナイが無理デシテ、聞きにくイかもしれマセンが我慢してくだサイ」
「……い、いえ。こちらこそ、すみません」
 さっきは驚いてすぐには反応出来なかったが、ルビニエルは随分と突飛で恐ろしいことを言っていた気がする。舌を切られた――そんなことを昔にされたのだ。
 鏡の呪い。同じ呪いに犯されたペレトワレも、この呪いのせいで幼少期は随分と苦労したらしい。親が医師のバクギガンとは昔馴染みだったようで、入院してきた人たちの死期まで“知って”いた彼女は、周囲に忌避されるほど怖がられたようだ。行き過ぎた知というのは誰にしても恐ろしく不吉だ。それを知らない子供は己の当たり前の知を存分に披露したことだろう。悍ましい知を喋らせないよう舌を切られていたとしても不思議じゃない――ルビニエルのその軽薄そうな雰囲気の陰にある、重く暗いなにかに触れたような気がした。
「それにシテも、君があの《ジャバウォック》ですか……思ったよりも大丈夫そうデスね」
「なにがですか?」
「“ソッチ”の道のコトについては僕はあまり知りまセンけど」多分ペレトワレらの“理論開拓”についてを言っているのだろうが、どこか少しの嫌悪感が混ざった物言いだった。「ジャバウォックのスキルが暴走したとかナントカ聞いてマシタ」
「はい。その通りですわ」
「てっきり化け物が部屋に入ってくるかと思っテたンですが、まさかこんな可愛らしいお嬢さんダッタとは!」
 一応薬を作ってはいたンですが無駄でしたネェ――そう言ってルビニエルは紡ぐように人差し指をくるくると回す。アイジーは彼の背後にある鍋を一目見て、それから嬉々とした顔で尋ねる。
「呪いを解く薬ですか!?」
「イエ、違いマス、コレは《ロバの王子の呪い》に用いる脱獣薬です。人間の、元の姿に戻るために使用する薬でアリ、呪いを解くのとは無関係デス」
 それを聞いたアイジーは誰の目から見てもわかるくらいに消沈した。というよりロバの王子の呪いなんていうジャバウォックの呪いとは真っ向違う呪いの薬を準備してたというのか。そんなの飲むわけないだろ。内心憤慨するアイジーに、ルビニエルが「いいデスカ?」とあやすように言う。
「残念ながら今の段階では呪いを解くような魔法めいた薬は調合できないンです。あるのは作用を抑えるだとか興奮を鎮めるだとかそういう類のものデス」
「興奮を鎮めるって……普通の、医師から渡されるような薬なんかのことですか?」
「少し違いマス」楽しげににやっと笑った。「ここからガこの分野の面白いところでネェ……ホルモンを弄繰ろうが神経伝達過程に影響を及ぼそうがあんまり意味がナイみたいナンですヨォ……どうヤラ一般の医学とは無関係なところに根本があるらしく、少しばかりファンタジーな話に片足突っ込まなけレバならなくなりマス。リアルとは素知らぬ顔をしたところに呪いは存在してイマシて、親愛なるメイリア=バクギガンと共同研究したところ、《青髭の呪い》は殺人衝動を引き起こしたときの記憶はほぼズタズタな状態になりマスが海馬自体に異常はなく、《バンダースナッチの呪い》に至っては怒りで興奮して暴走しているときだけ染色体が二十四対にナる!」
「二十四……」
「生物学の教養はおありデスよね? ここまでくると遺伝子レベルの差異……つまりマッタクの別物になってイルわけなンです。短期間だけトハいえこんな異常が発生するものに、常識で対処シヨうだなんて考えは甘いンですヨォ」
 アイジーは納得しながらも自分の心にシミを浮かべるルビニエルに対する生理的な嫌悪感に眉を歪ませていた。ジオラマ=デッドやペレトワレがゲテモノと言いたくなるのもなんとなく頷ける。青白い顔も乱れた服も散らかった部屋の臭いも、人間的な本性が拒否したがっているようななにかを醸し出している。
「サァテ、ペナルティーとやらのために僕は君にお手伝いヲ願い出るわけデスが……そうですネェ……一体なにをしてもライまショウか」
 最初から決めてあるのに焦らしているかのような口ぶり。アイジーはそれに先回りしつつも後退するように「でしたら」と切り出す。
「お部屋のお片付けをお手伝いいたしますわ。こんなに散らかってちゃあ大変ですもの」
「絶妙なバランスで成り立っているこの空間を乱さナイでくだサイ。どこになにがあるかわからナクなりマス」
 ルビニエルは一瞬考えるふりをしたあとにやっと笑い「決めマシタ」と囁くように言う。一体ななを言われるのやら、その剽軽な笑みにアイジーは鳥肌が立った。
「ミス・アイジー=シフォンドハーゲン……君にはオつかいをシてきてもらいマス」
「おつかい……?」
「実を言うと……四方八方から散々作れ作れと言われている《青髭》用の薬と《バンダースナッチ》用の薬の材料が、丁度切ラシてあるンですヨネェ。ちょいと南のほうに“黒い森”があるじゃナイですか?」
「ええ……怖い噂の堪えないところですよね。“ミス・メドゥーサ”と呼ばれる化け物がいるとお父様から聞いたことがありますわ」
「そこにイってここに書いてある薬用植物をパパーッと摘んできてクダさいな」
「え」アイジーの眼は剣呑にどんぐりのような真ん丸を描いていた。「私がですか?」
「ハイ、それがペナルティーです」青いインクで材料が綴られている千切った羊皮紙を“さあさあ”と揺らした。「丁度、対“ミス・メドゥーサ”用の薬を切ラシてたンでどうしようか迷っていマシタが、君がいて助かりましたよ」
「わ、私、そんな……ルビニエル教授もご存知でしょう? ミス・メドゥーサの噂……目が、目が合うと、私は……」「大丈夫ですヨォ、君なら」
 ルビニエルは遮るように言う。そしてにんまりと奇しく笑った。
「何故なら、君は《ジャバウォック》だカラ」
 青白い顔に埋め込まれた澱みのない目がアイジーを見つめる。そんなわけのわからない理由で納得出来るアイジーではなかったが、その目には有無を言わせぬ力があった。どうすることも出来ず、アイジーは俯く。
「それに、早く調達してコナいと、ミスタ・ケッテンクラートの苦しむ時間が増えますヨォ?」
「え……」
「オヤおや、君はご存知なかっタンですか?」訝しそうに眉を寄せた。「あの少年は《バンダースナッチ》なんデス」
「知ってます」
 そんなことはとうに知っている。出会ったその日に言われたことだ。アイジーは不思議そうにルビニエルに問い返す。
「シオンも、ミスタ・ケッテンクラートも、薬で呪いの症状を抑えているんですよね?」
「はい、アレは暴れたら取り返しのツカないコトになりますから」
「そんなことは、それは、なんとなくわかってました。教授は私がなにをわかっていないと言うんですか?」
「あの少年は、怒り燻って、半狂乱になって暴走シないヨウに、《オズ》に来るまで堪えてきたンです。日頃から怒り任せにナラないようにしてきたンです」彼はそこで一度句切った。「そういうコトですよ――ミス・シフォンドハーゲン」
 なにを言っているかまだよくわからなかった。けれどこの軽薄な男に負けたような気がして、アイジーは「そうですか」としか返さなかった。
 差し出された羊皮紙を受け取ると、それは鉛のように重かった。





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