ブリキの心臓 | ナノ

3


 今日はブランチェスタの状態を知るためにここに来たのだ。けして使うかもわからない首飾りを買うためなどではない。あまりに没頭していたので、それをすっかり忘れてしまっていた。
 アイジーは意を決して、「ああ、そういえば」とあくまで自然を装い、鞄から紙束を取り出した。
「ブランチェスタは? ブランチェスタ=マッカイアは、ここにいらっしゃいますわよね?」
 その一言で――――空気が濁ったのを感じた。デルゾラもアニシナもベアトリーチェも、この場にいるマッカイアというマッカイアの表情が歪んだ。
 それに違和感を覚えて、アイジーはなにやら胸が騒ぐ。
 ベアトリーチェ=マッカイアは少し眉を険しくさせて「ええ。今は奥にいます」と答えた。
「ならよかった。私、メイリア=バクギガン教授から彼女への預かりものを言付かっていたんですの」
「――――それは、《オズ》から、ということですか?」
「ええ」
「そんなものを、どうして貴女が?」
 やっぱり、この反応が来た。そりゃああのアイジー=シフォンドハーゲンがそんなものを持ってきたら誰だって怪しむだろう。だからといって、アイジーまで《オズ》の研究員だと明かすわけにはいかない。
 “《呪い》持ちの人間だなんて、そんなことが周りに知れたら家格に関わるんだ”
 アイジーはふわりと――なるたけ儚げに見えるように――微笑んだ。前々から用意していた言い訳を返す。
「ご存知でしょうが……私、昔から体が弱くて、ずっと邸に篭っていたんです。今はだいぶましになりましたけれど。……そのときの掛かり付けの医師が“バクギガン”だったんですのよ」
 これは最近知ったことなのだが――――グリム出身であり、貴族やその類のものとなんの縁もなさそうなメイリア=バクギガンは、貴族の中でも名医であると噂され、高い信頼と信用を受ける医師・オーレスター=バクギガンの娘なのだという。バクギガンといえばシフォンドハーゲンとも古くからの付き合いがあるらしく、オーザが仕組んだアイジーの“病弱なお嬢様”設定に一枚噛んでいる。その旨をメイリアから教えてもらったときは大変驚いたものだ。そして瞬間に、“これ”を使おうとも、思ったのだ。
「ああ……そういえばシフォンドハーゲン家はバクギガンを大変重宝しておりましたね……」
「ええ。……メイリア=バクギガン教授のお願いですもの、致し方ないことですわ」
 《オズ》研究員としての立場である本来なら、アイジーが先輩のメイリア=バクギガンの遣いをするのはなんらおかしなことではない。
 しかし貴族の立場である本来なら、シフォンドハーゲンがバクギガンの遣いをするのはとてもおかしなことなのだ。
「そう……ですか」
 色々と腑に落ちないような表情をするベアトリーチェ=マッカイアに、とうとうアイジーは卑怯とも言えるカードを切る。
「ふふふ、なにか不可思議な点でも? ミレディ。――まさか貴女はこの私に、“義理があるという理由以外”で“これを渡しに来る理由”があると、そう言いたいのかしら?」
 その言葉にベアトリーチェ=マッカイアは顔を真っ青にさせた。一オクターブも声を跳ね上がらせて「滅相もない!」と叫んだ。
 アイジーの台詞は、《シフォンドハーゲンの娘》という立場を利用した、とても卑怯なものだった。呪いや忌み嫌うものに犯された患わしい存在、人はそういう忌ま忌ましいものを特に嫌う。美しく立派なものが好きな貴族なら尚更だろう。こういった地位にいるならば誰しもが嫌がる。小さな玉の疵ですら騒ぎ立てて腫れ物と見なすような世界なのだ。そしてそれを、中流階級であるマッカイアならまず知っている筈だ。だからアイジーは貴族の皮を暑苦しいほどに着込んで、さっきの言葉を返した。貴族らしく。高慢に。

 “貴女は私が呪われた人間だとでも言いたいのかしら?”

「機嫌を悪くしてしまったようで申し訳ありません……、そうですね、ミス・アイジー=シフォンドハーゲン、貴女のご慈悲ですわ」
「慈悲だなんて……普段お世話になっているのはこちらですもの。そんなバクギガン家のように、マッカイアとも良好な関係を築きたいものですわ」
 ジャバウォックはからかうような声音で、さっきの言葉に対する感想を漏らす――呪われた人間がよく言ったものだ――その通りだわ、とアイジーは軽く自嘲するように笑った。
「それで、ミレディ。ミス・ブランチェスタ=マッカイアは、今どこにいるのかしら?」
 アイジーは高慢な貴族の顔を脱ぎ去って、無垢そうな表情でベアトリーチェ=マッカイアに尋ねる。誰もが天使のようだと褒めそやす、他所行き用の表情。それにいくらか緊張を解くだろうと思っていたアイジーだが、ベアトリーチェ=マッカイアの表情は依然硬いままだった。硬い、というよりも、とても憎々しそうだ。アイジーはさっき微かに覚えた胸騒ぎがどんどんと速くなるのを感じた。ベアトリーチェ=マッカイアは酷く冷たい声で「今は」と切り出す。
「今は、少し、出て来れないのです」
「出て来れない……?」
「ええ。お転婆というには激しすぎるほど粗暴な娘でして……おいたをしてしまったので、暫く部屋から出るなと言っております」
 “部屋”のあたりで、今まで無言を貫いていたデルゾラとアニシナが、クスクスと意地悪そうに笑うのが聞こえた。なんだか酷く居心地が悪くて、アイジーは眉を顰める。
「……出してもらうことは出来ませんか?」
「いくらミス・アイジー=シフォンドハーゲンの頼みとはいえ、それは出来ません」
「そうですか……。あの、彼女は、一体なにをして、そんな罰を受けているのでしょうか?」
「……………」ベアトリーチェ=マッカイアは厚い瞼を何度か偏屈そうに持ち上げ、含み笑いをしながら「貴女には関係も無いような、とても身の程知らずなことです」と言った。
「本当にあの子ったら、自分の立場も弁えないような馬鹿で野卑な娘なんです、アイジーお嬢様には関係ありませんわ!」
 アニシナは耳が痛くなるほどの甲高い声で言った。それからデルゾラと一緒にどこかへと立ち去っていく。どこへ引っ込むかはわからなかった。目の前ではベアトリーチェ=マッカイアがなにやらアイジーに話しかけている。けれどアイジーは直感で、胸騒ぎで、虫の知らせで、ある一択を見出していた。

 あの二人に着いていったほうが――いや、あの二人の行く先に、ブランチェスタがいる。

「すみません、ミレディ。私、これで失礼しますわ」
 アイジーは急くようにその場を立ち上がる。ベアトリーチェ=マッカイアは呆けたように首を傾げた。
「遣いの者が完成したチョーカーの受け取りとお支払いをします。では、よろしくお願いしますね」
 さようならもなしにアイジーは店を出る。ふわりとした香ばしい風がアイジーの髪をキスするように撫でた。アイジーは店の裏側を回るようにして走る。鏡色の大きな建物の裏側にはそのまま大家族が住めそうな大きな屋敷があった。多分ここがマッカイアの家なのだろう。アッシュローズの可愛らしい煉瓦に雪よりも白いモルタルの目立つ外構には真っ黒な鉄の門扉が異彩を放っている。中からは――多分近くに馬小屋があるのだろう――馬の緩やかな嘶きが聞こえてくる。外構からひょっこりと顔を出す翠の葉に紛れるように、アイジーはこそっと中の様子を覗き込んだ。
 やっぱり、赤い屋根の馬小屋が見える。隣には深い紫色をした馬車が見える。そのまた隣には煤けぶった灰の山が、灰色の岩壁に囲まれてあるのがわかった。暖炉用の薪や掃除用具、かなり汚れた毛布なんかが風に飛ばされたように落ちていたりもした。
「……あの二人が向かったのはここではないのかしら……」
 アイジーが頭を引っ込めようと俯いたとき、見慣れたコルクブラウンが、視界を横切った。


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