ブリキの心臓 | ナノ

2


 中に入ると、更に眩しい世界が広がっていた。幻のオリハルコンで造られたかのような強い神々しさを放つ調度品に、艶やかに磨かれた大理石の床。硝子ケースに飾られた色鮮やかな宝石たちは星のように輝いている。中にはアンデルセン特有の“知恵”――宝石で出来た花束や化粧品、絵の具などがあった。とても前衛的で魅力的だ。イーゼルに立てかけるように開かれたカタログの中には、以前グリムの街で食べた美しい葡萄が載っている。葡萄のほかにも林檎や柘榴、木苺なんかも見かけた。
 店内を動き回る女性たち――店員だろうか――も、みんな派手に着飾っていた。統一されているのは胸にあるブラックダイヤで出来た黒薔薇のブローチだけだろう。アイジーよりいくつか年上であろう女性二人と、やけに厳格そうな顔立ちをした四十代くらいの女性。三人とも貴族に負けないくらい上等のドレスに身を包んでいて、ひらひらとフリルをひらめかせた。顔は――美形に囲まれ育ったアイジーの感覚ではあるけれど――あまり整った類には見えない。かといって不細工なわけでもないのだが、目はとにかく小さく鼻はひょんと意地悪そうに高かったり低かったりして、そう美人と言えるようなものでもなかったのだ。イルカの顔が可愛いと思うなら美人に見えるのかもしれない――そういう意味では愛らしい容姿をしていた。
 シオンの話によると、宝石商はマッカイア家の人間が接客をしているのだという。つまり彼女たち三人はブランチェスタの家族ということになる。けれど、どうひっくり返ってもあの厳格そうな母親らしき女性からはブランチェスタは生まれないだろう。それはブランチェスタの姉にあたるであろう二人の娘を見ても思えるものだった。ちっとも似てないのだ――ほんのちっとも、似てはいないのだ。
「失礼だけど、貴女」
 喉の奥で泥だんごでも転がしているんじゃないかというほどのだみ声がアイジーに声をかけた。まるで叱責しているかのようなその声調にアイジーはびっくりしてしまう。
「ここは宝石商、貴女みたいなおチビちゃんが来るところじゃないのよ。すっからかんのポケットを晒すのが恥ずかしかったんならさっさと出ていってちょうだい!」
 その言い回しにアイジーは眉間にうんと皺を寄せる。確かに今のアイジーは質素な服を着ていて手持ちのお金の薄そうな見た目をしているが、そこまで露骨に子供を追い出そうとしなくてもいいだろうに。
 プライドからか――普段ならまず言い返さないだろうアイジーは、閉じていた唇を容易く動かす。
「――もし。貴女はここのミレディかしら」
「はあ? 違うわよ、ミレディはお母様だもの」
「ならばミス、貴女は接客の主要である従業員だというのに、礼儀と礼節というものをよくわかっていないみたいね。ここは宝石商、そして私はそれを知っている、知っていてここに来た。これがどういう意味かわかるかしら? わからないならもっと容易い言葉でそのひん曲がった耳に直接語りかけてあげましょうか。貴女が貧しいおチビちゃん扱いなさった私は、客としてここに来たの。それが恥ずかしいことだと言うのなら、一体ここはどんなものをお売りになっているところなのかしら」
 アイジーに声をかけただみ声の女性は、顔を真っ赤にさせて拳を握り締める。アイジーがそれを見て流石に言い過ぎたかと奥歯を噛み締めたとき、彼女の背後から「デルゾラ!」と強い声が鳴った。
「このお嬢様の言う通りよ。貴女は下がりなさい!」
「な、なんでなのお母様!」デルゾラと呼ばれた女性は顔を歪ませる。「こんなちんちくりん、さっさと店から出しましょうよ!」
 やっぱりこの人が母親か、とアイジーは彼女を見遣る。その奥ではもう一人の娘らしき女性が意地悪そうにクスクスと、デルゾラを笑っていた。ブランチェスタの母親が「アニシナ」とおっかない声を出すと、その彼女も身を強張らせる。
「二人ともパーティーでなにをしていたの。このお嬢様が誰か、まだわからないようね」
「……パーティーで……?」
「えっと、お母様?」
 ブランチェスタの母親は深いアメジスト色のドレスをつまみ、厳かな礼をした。
「よくぞいらっしゃいました、ミス・アイジー=シフォンドハーゲン。娘の無礼をどうかお許しください……」
 その言葉に驚いたのはデルゾラとアニシナだけではない。当のアイジーも目を見開いていた。
「よく……わかりましたわね、私がアイジー=シフォンドハーゲンだと」
「パーティーでいっとう目を引いておりました。直接は挨拶出来ませんでしたが、イズ様から紹介していただいたものですので」
「お母様から……」
 それにしてもよく顔を覚えていたものだな、とアイジーは感心してしまった。ユルヒェヨンカと件といいジャレッドの件といい、アイジーは他人を覚える術にあまり長けていない。それもあってか、彼女が自分を覚えていてくれたことには無差別に尊敬してしまうのだ。
「ご紹介が遅れました、私、宝石商・“マッカイア”のミレディ――ベアトリーチェ=マッカイアにございます」
「ミレディ……」目の前の女主人にアイジーは弱くに首を傾げる。「――失礼ですが、旦那様は?」
「……私の主人、バルテロ=マッカイアは、十年前に他界しました」
 顔色を変えることこそなかったが、それでも重々しい口調にアイジーは眉を湿らせた。こんなことを聞いてしまったベアトリーチェ=マッカイアにも悪いと思ったが、なによりもブランチェスタを気の毒に思ったのだ。十年前ということは、当時ブランチェスタは五歳――アイジーがまだエイーゼと一緒に、邸をくるくると走り回っていたときのことだ。自分の知らない時間に未だ知らなかった彼女が悲しんでいたのかもしれない、そう思うと心が痛んでしょうがなかった。
「それで、ミス・アイジー=シフォンドハーゲン、今日は一体どのようなものをお探しですか?」
 薄い黄昏色の瞼を見せて唇を吊り上げる、ベアトリーチェ=マッカイアが似合わない穏やかな表情を見せた。
 それにアイジーもきらきらと笑い、他所行き用の顔を作る。
「今日は私の大事な人にプレゼントをしようと思ってここに来たんですの、でも具体的には決めてませんので……オーダーメードのお手伝いしていただけますか?」
「ええ、勿論です」
 ベアトリーチェ=マッカイアは奥へと案内する。キラキラとカッティングされた宝石が光るのは眩しく目に刺さるようだった。色んな彩度に包まれながら、アイジーは彼女に促された椅子に座る。
「出来ればネックレスやチョーカーなど……首飾りがいいんですけれど」
「首飾りですか。形は?」
「チョーカーか……ビブネックレスも素敵ですわね」
「チョーカーだとサイズを教えていただかなければなりませんね……」
「私と、ほぼ同じ筈です」
 かなり適当なことを言っている。まあいいだろう。自分で使えばいいし。アイジーは投げやりに会話を成立させる。
「ならいいでしょう。どんなデザインがよろしいですか?」
「そうですね……」アイジーは、何故か咄嗟に、ブランチェスタを思い浮かべた。「……緑の……」
「え?」
「緑の、瞳に……緑の瞳に似合うような色のものがいいんですけれど」
 ブランチェスタというモデルがいると想像がしやすかった。アイジーは弾むような声で続ける。
「でもきっと彼女は緑のドレスなんかが似合うだろうから、それと組み合わせて違和感のないものがいいですわ。アクセント以外はプラチナかシルバー……ああ、ブラックダイヤを少し入れても映えるかもしれない。彼女は首が細いから、モチーフは大きいほうが美しく見えるでしょうね!」
 それからの作業は、アイジーにとってとても楽しいものだった。チョーカーのデザインはベアトリーチェ=マッカイアの助言もあってかすらすらと進んだし、この会話だけだとまるでブランチェスタと自分が友達であるかのような錯覚に陥れる。幸せなひと時に酔い痴れながら、いつの間にかアイジーは、“囮”の筈の首飾りにあらぬ輝かしい感情を注いでいた。途中何度かジャバウォックの呆れた溜息が聞こえてきたがその一切を無視した。アイジーは首飾りをつけたブランチェスタを想像しながら幸せそうに微笑む。
「では、そのように」
 一連の動作を終えて、アイジーは満足げに肩を下ろす。完成したものを目にするのが楽しみだと昂揚していたとき、やっとこさ現実を見つめることが出来た。

(ところで、君の鞄の中で腐らせてる紙屑はどこで捨てる気なんだ?)

 ――しまった、忘れていた――アイジーは小さく息を止める。


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