ブリキの心臓 | ナノ

1


 貴族のパーティーとは所謂“社交界の社交場”だ。仕事のことを抜きにして互いの親睦を深め合う。美味しい食事に華美な装飾、壮大なオーケストラや美しいダンス。気を張り詰める貴族たちもこの日ばかりは緊張を緩め、利益のことなど隅に置いて楽しい一時に身を委ねるのだ――表面上は。
 実際はそれとは程遠い。下級貴族はなるたけ上級貴族に取り入ろうと躍起になっているし、仕事や利益を抜きにしていると見せかけて、その場で名前を覚えてもらい、後日商談や縁談のお呼びがかかるのを期待しているに違いないのだ。
 貴族の息子や娘はその潤滑油だ。
 子供にだって神経を張り詰めなければならないコミュニケーションがあるのに、それを無視して大人たちは彼らを利用するのだ。出来のいい息子、器量のいい娘がそばにいるとして、“やあ、こんばんは”と話の続かなそうな言葉をかけるより、“素晴らしいお子さんですね”と称賛するほうが、会話は弾むというものだ。子供同士の仲がよいと、自然とその親の親密度も増すだろう。どうってことのない立ち位置よりも、自分の立場を誇示できる“よく出来た”子供がいたほうが、周囲も一目置くだろう。
 貴族の子は、潤滑油として、大人よりも重いプレッシャーを背負っていた。
「いいか、アイジー、最低限の礼節すら守っていればそれだけで十分だ。焦るな。お前はシフォンドハーゲンの娘なんだ。堂々としていればいい」
「わかっているわ……」
「表情が固いぞ。へらへらしろとは言わないがもう少しリラックスできないのか」
「エイーゼ……帰りたい……」
「今着いたばかりだろうが」
 なんやかんやでエイーゼとの仲直りにも成功したわけだが、その幸せすらまやかしに思えてならない。
 馬車から降りた二人は夜に紛れるような小さな声で会話をした。
 今日はゼノンズ家でパーティーが開かれる。パーティードレスで華やかに着飾った二人は、オーザやイズと共にゼノンズ家の所有する会場に入っていく。
 エイーゼはシルバーブロンドを優雅に撫で付けて真っ黒いジャケットに身を包んでいる。胸で光るサファイアのブローチは瞳の色と同じだった。
 アイジーは瞳の色と同じ色のリボンで流れるようにシルバーブロンドを結わえてある。憂いた表情が大人びてはいるが、それを考慮したであろう、あどけない露出の少ない純白のドレスが少女らしさを内包させていた。
 誰もがアイジーに目を向ける。
 アイジーは居心地悪げに俯いた。
 今日はあの噂のアイジー=シフォンドハーゲンがパーティーに参加するらしい――貴族の間で囁かれるそれらはアイジーを気鬱にさせる。初めて見るシフォンドハーゲンの娘に、周りは期待を高鳴らせていた。オーザやイズの後ろを従順に歩く、二人の少年少女を見て、一同は感嘆の息を漏らす。
 前々から囁かれていたアイジーの容貌は、彼らにとって、想像以上の美しさだったことだろう。女神よりも神々しい美しさは、たちまち周囲の目に留まり、こんな少女は見たことがないと心臓を高鳴らせる。双子の兄と同じシルバーブロンドは絹糸のように滑らかで、彼女を包みこむフリルのように真っ白い肌など、発光しているとすら思えるほどだ。これが今まで表舞台に出てこなかった、あのシフォンドハーゲンの娘か――純粋な期待や嫌らしい想像より、ずいぶんと衝撃的だったアイジーの容姿は、瞬く間に会場の空気を変えた。
 エイーゼの半歩後ろを歩く可憐な彼女は、ふとしたところで崩れ落ちる。危うく転倒しそうになったところを、エイーゼがそっと支えた。花の茎よりも柔いその腰を抱きしめるエイーゼの腕は驚くほどに優しく、また見蕩れるほどに優美だ。自分を抱きしめてくれた双子の兄に、花が綻ぶような甘い笑みをアイジーは見せる。
「ありがとう」
 耳の奥を軽やかに踊っていくようなたおやかな声が、アイジーの形のいい唇からこぼれ出た。
 その場面を見た人間全員が、天使のような双子だと溜息をつく。アイジーの存在は月のように強く煌めき、エイーゼの存在をもいつもより際立たせている。魅力的な二人に向けられる熱い眼差しに、イズは自慢げに口角を上げた。オーザも誇らしげに目を細める。
柔らかく「しょうがないな」と囁きアイジーの真っ白い手を引くエイーゼは王子さながらだ。二人の周りだけ光のスペクトルが違うかのようだった。兄妹ということを忘れるくらい、二人は誰もが羨む王子と姫君で、まるで歩くお伽話だ。
 シフォンドハーゲン一行が会場に入れば、誰もが敬愛そうな挨拶を交わす。爽やかに佇むエイーゼを賛美しては、儚げに微笑むアイジーを褒め讃えた。
 すっかり周りに人だかりが出来てしまい、アイジーは心中で呻く。
――社交界の面々はシフォンドハーゲンの娘である君に興味津々で仕事にも身が入らないくらいだ。賭けてもいい、君はパーティーでいっとうマドンナになる。誰もが君に話しかける。君が気を落ち着かせられる瞬間なんかゼロと言ってもいいくらいさ――まさしくゼノンズの予言した通りの状況だった。ガチョウ婆さんさながらの推察に、アイジーは感心しつつも憎らしく思った。
 それだけでない。アイジーがゼノンズに放った透明の絨毯の頓智は、今日この日、とんでもないしっぺ返しとして、アイジーを呻かせることになる。
 しくじったわ。絨毯がない。やってしまったと、アイジーはうなだれる。
 その場かぎりの意地悪だったとしても、そう促したのはアイジーで、そして、ゼノンズはそれを真に受けた。おかげで、淑女のドレスをかすませるような絨毯は透明で――つまりは敷かれていなかった。
 絨毯がないということは、今日のパーティーはダンスが主体ということだ。
 ステップをするには煩わしいから、ダンスパーティーには絨毯は忌避される。そして、その環境が目の前で展開されているのだ。これは間違いないだろう。
 ただでさえ見知らぬ人と会話しなければならない重苦があるというのに、加えて踊れというのか。幸先の悪いパーティーに眩暈がしそうだった。いっそさっきの眩暈で気絶してしまいたかったのに、エイーゼが支えるから、とアイジーは筋違いにエイーゼを責めた。
「やあ、オーザ。久しぶりだな」
「これはレオナルド=ボーレガード。最後に会ったのは冬のパーティーだったな」
「妻のほうはたびたびミセス・イズ=シフォンドハーゲンと会っているようだが」
「女ばかり、羨ましいかぎりだ。またダレッドと三人で飲みたいものだな」
「シベラフカの人間は酒がザルだ。飲み比べして勝てる気がしないよ」
 ボーレガード家当主と会話をしているらしいオーザをアイジーはじっと見つめる。エイーゼはちらちらと視線をさ迷わせてとある人影を探していた。ボーレガード家当主がここにいるってことは、きっと彼もここにいるんだろうな。そうアイジーが軽く吐息したとき、とんとん、と肩を叩かれる。
「はい?」
 そう振り向いた途端、人差し指が頬に減り込む。目の前にいる背の高い少年は、悪戯が成功したかのように――いや、実際成功してしまった――にやりと笑った。アイジーは不機嫌に口元を引き攣らせてその名を口にした。
「…………テオ」
「よっ、アイジー、お前さんもとうとう社交界デビューか」
 しかし当の本人は特に気にしたそぶりもなく無理矢理に握手を交わしてきた。周囲には一瞬戦慄が走ったが、テオはそれすらも感じていないみたいだった。
「やっぱりこう着飾られるとずいぶん綺麗だな」
「あら、ありがとう」
「目も当てられない」
「褒めてるのよね?」
「エイは一昨日ぶり。やっぱり二人並ぶと目立つな。遠目からでも一発だったし」
「お前の背の高さも随分目立つぞ。お互い様じゃないか」
 ナチュラルに進んでいく会話に周囲はやっと安堵した。何よりも、近づき難かったアイジーの気さくな一面を目の当たりにして緊張が緩んだらしい。アイジーはいい意味でも悪い意味でも影響を与えていたのだ。
「テオドルス。お前はもう少しボーレガード家としての品位を備えろ。軽薄すぎる……セオドルドを見習え」
「お父様はお兄様にお贔屓おされておいらっしゃるんでおございますかあ」
「そういうのをやめろと言ってるんだ馬鹿者!」
 レオナルド=ボーレガードはそう怒鳴っているが、周りがテオのそういう“軽薄”な部分を好んでいるのがどことなく伝わってくる。クスクスと楽しそうな笑い声がいくつも、ハンドベルを打ち鳴らすように響いた。アイジーも思わず笑ってしまった。
「お父様、友達のところに行ってもいいですか?」
「ああ、構わん」
「えっ、エイーゼ!?」
 テオと共に自分の隣から離れようとする兄の名を、アイジーは叫んだ。エイーゼは小さく耳打ちするようにアイジーに囁く。
「お前は挨拶があるだろう。お父様の傍にいろ」
「でも、私、だって、エイーゼと!」
「僕について来ればダリッサ=イェルビンスキーやレイチェル=スワンがいるぞ」
「誰」
「お前が初めてテオと会ったときに後ろにいた二人だ」
 それを聞いてアイジーは身を強張らせる。自分のことを笑っていた、巻き毛の少女たちだ。
「それに他の貴族の友達もいる。お前に悪い、というより毒だ」
「……………」
「最悪縁談の話に発展するぞ」
「わかったわ。でも、戻ってきてね、きっとよ」
「……わかった」
 そう囁くと、エイーゼはテオの腕を引いて去っていく。その背中を見送る暇もなく、アイジーはたくさんの人間に話し掛けられた。


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