ブリキの心臓 | ナノ

3


 しかし、ゼノンズの後ろにいる黒髪の少年と目があったときブランチェスタは小さく肩を揺らした。その瞬間、威勢良かった彼女が妙に畏縮したように思えた。らしくないその表情にアイジーは首を傾げる。ゼノンズは訝しげな様子でブランチェスタに話しかけた。
「やあやあ、灰かぶり女。やっぱりあの箒はお前のだったんだな」
「お前は、確か……ヘイル家の……」
「そんな血相変えるくらい大事なものならちゃんと管理しとくんだな、馬鹿が。アンデルセンの奴らは野蛮なだけじゃなく、お得意の知恵まで回らないのか?」
「……黙れ」
「そうだ、黙れ、そして消えろ石頭。邪魔なんだよ、貴族様は」
「お前はもっと黙れ、ハルカッタ! とっととあたしの箒を返せ!」
 いつもの、からかうような、ユーモアに溢れる言い回しをしない、真っ直ぐなくらいに取り乱したブランチェスタ。
 二人の元へ駆けていくブランチェスタは、最早眼差しで人でも殺せそうなくらいだった。あの二人を耳が腫れるほどに殴らなきゃ気が済まないに違いない。
 しかし、ハルカッタの襟を掴もうとしたブランチェスタの手を、シェルハイマーが強く掴んだ。押さえ込むように動きを遮られ、ブランチェスタは眉を吊り上げる。
「離せ!」
「こっちだって離したいって。なんでそんなに灰まみれなんだよ、こっちまで汚れそうだ」
「お望み通り汚してやろうかこの没落野郎!」
「……ハルカッタ、その箒、折っちゃおう。そしたら野獣みたいなマッカイア嬢も少しはしおらしくなるってもんだろ?」
 その言葉に、ブランチェスタは息を呑む。
 ハルカッタはすぐさま持っていた箒を振り上げる、地面に先を叩き付けるつもりらしい。そんなちゃちな動作で一本の棒が折れるとはとても考えられないが、あの細い箒の様子じゃあ簡単なことのように思える。
「や、やめっ……!」
 ブランチェスタは悲壮な表情を浮かべる。
 アイジーは目を見開いた。初めてアンデルセンに来たときに出会った――買ったばかりの推進ジェットを積んだ箒に乗る――あの楽しそうなブランチェスタの姿が脳を過ぎる。

――それは、反射に近かった。

 アイジーは足元に転がっている桃を手探りで掴み、身を乗り出してハルカッタにそれを投げつける。
「おぶッ!」
「え?」
 見事に桃はハルカッタにクリティカルヒットし、顔面で果実が炸裂した。アイジーはガッツポーズでもしたい心情に駈られたが、思ったよりも深く身を乗り出していたせいか、前のめりに倒れ込みそうになる。下にいる彼らにバレないようにと素早く身を引っ込めるが、ゼノンズといた黒髪の少年と目が合ってしまう。彼は丸く目を見開いていた。しまった、としゃがみ込む。
 ハルカッタは「誰だ!?」と見上げて叫ぶ。あの黒髪の少年はなにも言わないままだった。どうやら黙視を選んでくれているらしい。アイジーは胸を撫で下ろす。
「くっそ、誰だ、こんなことしやがったのは!」
「落ち着くんだニヴィール、今はそれどこブフッ」
 もう一丁、と覗き込まないように投げ放ったアイジーの桃が、今度はシェルハイマーに命中したらしい。随分と間抜けな声を上げた彼に、アイジーは噴き出しそうになる。笑っちゃ駄目だ。今笑えば彼らにバレてしまう。そう思いながらこらえていると、耳元で淡々とした声が聞こえてきた。

(あの水疱瘡の破裂ぶりは見事だな)

 二人をそう揶揄したのがあまりにおかしかったものだから、アイジーは我慢していた声をあげてしまう。そこでハッとして口元を覆った。まずい。
「やっぱりそこに誰かいるな!」
「顔を見せろ卑怯者!」
 卑怯者とは、自分のことを棚に上げて、随分と白々しいことを言う。アイジーは苛立ちに眉を寄せた。
 しかし、今頃ブランチェスタやゼノンズたちは、ぽかんと口を開けていることだろう。そんな表情を見てみたいとアイジーはうずうずしたが、状況が状況なので覗き込むこともできない。
「くっそ……なめやがって……!」
 悔しそうな声にアイジーは更に気をよくする。今までシェルハイマーやハルカッタにいいように扱われてきたのだ。次は自分が踊らせる番だろう。
 ブランチェスタやゼノンズに当たらないかは心配だったが、彼女らが安々と喰らうことなどないだろう。妙な信頼から、アイジーは決意を行動に移すことにした。
 足元に散らばる桃の全てをかき集める。幾度かこぼれ落ちてしまったが、なんとか抱え込むことが出来た。どうか逆光で見えませんように――そう小さく祈りながら、アイジーは桃の全てを空に解き放つ。
 万有引力――自然の摂理に従って、それらは彼らの元へと落ちていった。
「うわあああッ!?」
 無様な悲鳴が聞こえた途端、軽快なステップが高鳴った。べしゃべしゃと果実が炸裂する音に紛れながら、それは羽根やシャボン玉よりも軽く宙を浮く。
「返してもらうぜ痘痕男共!」
 勇ましい女声が突き抜けた。ブランチェスタは見事なまでのフォームで箒に乗り、飛んでいた。その姿は煤にまみれてはいるが、桃の被害にはあっていない。流石だわ、とアイジーは心中で拍手を贈る。
 ブランチェスタは箒に乗って、ビュンッと勢いよく垂直に上昇した。アイジーは、自分の目の前で勇ましい天使のように宙を浮く彼女に、目を見開かせる。心臓の高鳴りがやけにうるさかった。
 桃を投げつけた犯人を見た途端、ブランチェスタは困惑に満ちた表情を浮かべる。吹きまく風に髪や服をはためかせてただじっとアイジーを見つめていた。刹那にも満たない永遠の時を経て、ブランチェスタは去っていく。灰の匂いが鼻腔を擽り、靡く風にアイジーは目を細めた。
 ブランチェスタは去るときもずっとアイジーを見つめていた。誰よりも何よりも輝いているエメラルドの瞳を見開かせて、最後までアイジーから目を逸らさなかった。

 なにか、言いたげな目。

 アイジーはただ呆然と立ち尽くしてその背を見送る。夏の風に乗っていくブランチェスタ。自分でもどこか不思議な感覚に見回れ、ただぎゅっと胸を掴んだ。
 ブランチェスタに、見られた。
 それだけがアイジーの心に波紋を呼んでいた。
 もうなにも散らばっていない床をぼんやりと眺める。真下から聞こえる騒ぎ声ももうほとんど聞こえない。どくどくと忙しない心臓に酸素を取り込ませた。日差しに透ける肌には赤みが注している。
 この場を、去らなきゃ。
 いずれは来るだろうシェルハイマーとハルカッタから逃げるように、アイジーは走って棟に潜った。





悪戯おばけは死んだ



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