さてさてどうしたものかとアイジーは眉を曇らせる。目の前にいる青い目をした華奢な少女を見つめながら「うーん」と唸り声をあげた。


 ここは庶民の街・グリム。
 アンデルセンの技術も流動的に取り入れ、居住区としても大いに発達し、且つ独自のマーケットも保持する、アンデルセンとアイソーポスの中間に位置する街。薄紅色の石畳が青空と対照して映え、色とりどりのアパート、ビニール屋根を掲げる果物屋やパン屋が建ち並ぶ通りで、アイジーは悩ましげに溜息を落とす。
 本来ならアイジーはエイーゼとともにこの街を訪れていたのだ。もうすぐ母親のイズの誕生日なのだから、なにか二人で贈り物をしようと、グリムの街まで下りてきた。エイーゼは最初“髪飾りや化粧品なんかがいいだろう”と主張したが、アイジーが無理に“二人で一緒にケーキを作りましょう”とごり押しし、その材料を買おうとしているときだった。慣れない人混みに飲まれて、アイジーはエイーゼと逸れてしまった。
 そう。まただ。
 また、迷子である。
 アイジーは我ながら華麗な逸れ方をしたと失笑する。そしてちらりと目の前にいる、少し年下くらいの少女を見遣った。

 彼女の名前はティー。

 髪はアイジーと同じほどに長く揺れて、空の光を反射するように淡色のキューティクルを煌めかせている。身体つきは軟らかに華奢だ。ちゃんとものを食べているのかと不安にもなる。肌の色は透けるように白く、その頬はまるで蕩けるように滑らかなミルクの下に儚げな薔薇が隠れているかのようだ。なによりも清廉な青をしたきらきらと輝く瞳には邪気という概念を知らない無垢な精神が宿っている。とても可憐で、そしてそれと同様に擽ったくなるほど妖艶に見えるこの少女に、アイジーはか弱く「ねえ、」と切り出した。
「もう一度聞くわ、ティー。その人と貴女が別れたのはどのあたりなの?」
「多分……蜂蜜の匂いのする店」
「建物の色は?」
「……赤色?」
 駄目だ。心当たりさえない。
 アイジーは物憂げに羽根箒のような睫毛を伏せた。
 さて、アイジーの目の前にいる少女だが、彼女は別にアイジーの友達というわけではない。友達でさえも、親戚でさえも、ましてや顔見知りでさえもない。正真正銘赤の他人だ。そんな赤の他人と行動を共にしているのには、とてもやるせない理由があった。
 ことは数十分ほど前に遡る。アイジーとエイーゼがケーキの材料のメモを持ってうろうろと歩いていたときだった。エイーゼがある男の人がハンカチを落とすのを見て、親切にもそれを拾い上げて人混みの中を届けに行ってしまったのだ。そこでアイジーはエイーゼと逸れた。
 そしてほぼ同時刻のこと。ティーと同行していた人間がそのハンカチの落とし主であること、それを無事届けられたことはティーから聴取出来た。しかしここから問題が発生する。今度はその二人から去って行ったエイーゼが、ケーキの材料を書いた紙を落としたのだ。そしてそれをティーと同行していた人間が――多分、ハンカチを届けてくれたことから無視することに多少なりの嫌忌を覚えたのだろう――届けようとしてくれたらしい。そしてここで、ティーとその人間が逸れた。
 四人がばらばらになり、アイジー、ティーが各々の連れを探しながら、いや、探していて、見事に迷子の坩堝に嵌まったというわけである。それからどういう経緯あってか、偶然奇遇の流れでアイジーとティーが行動を共にしているのだ。意気投合したわけでも迷子同士シンパシーを感じたわけでもない。自分の連れを探す、それだけのために。
「ティーの連れがエイーゼを見つけたと仮定したとき、貴女と貴女の連れが逸れてしまった付近に二人、または二人のうちのどちらかがいる可能性が高いわ。もっとよく思い出してみて」
 くすんだスミレ色の瞳に期待と焦燥を忙しなく転がしながら、アイジーは手に汗を握ってティーを奮い立たせる。初対面の相手になにをこんなにも一生懸命になっているのだろうと半ば自棄になっていた。ティーはそんな内心に気づかずに華奢な首を傾げながらに耽った。
「…………わからない」
「……うっ」
 しょぼんとするティーに、アイジーは小さくうなだれた。ああ、もうダメかも、きっとこのまま永遠にエイーゼに会えないんだわ。そう目が潤んできたとき柔らかい手がアイジーの頬を撫でた。
「泣かないで?」
 ティーが困った風に瞳の奥を揺らしながら言った。思わず見蕩れてしまうほど綺麗な煌めきをしていた。
 この少女の一挙手一投足に多大な魅力を感じる。アイジーにはないに等しい色香というものがふんわりと上品に滲み出ていた。あどけない表情からも甘い電気が放たれているように思えて、彼女の白い指先から頬へと、虹色の感覚が流れていくような気分だった。
 暫く呆けていたアイジーだったが、ティーの「アイジー……大丈夫?」という不安げな声に、アイジーはやっとこさ意識を直立させる。
「……ごめんなさい、大袈裟に落ち込んでしまったわ」
 苦笑して返すとティーも小さく不器用そうに笑ってくれた。そのときふんわりと、林檎のような甘い香りが鼻腔を擽る。香水だろうか。だとしてもやけに大人っぽい奥行きのあるもの、ムスクやアンバーの強そうな香りだ。アイジーは「そういえば」と思い切って尋ねてみる。
「ティーの連れはどんな人なのかしら?」
 残念ながらよそ見ばかりしていたアイジーはハンカチの落とし主の顔を知らなかった。興味津々に詰め寄ってティーに聞き込んでみる。
「……どんなって?」
 こてん、という音がぴったりくるような、頼りない傾げ方をする首。真っ青の清らかな目がアイジーを見つめた。
「たとえば、そうね」アイジーはぴんと指を立てる。「エイーゼはね……私の双子の兄は、まずとっても紳士的なの」
 楽しげに続けるアイジーをティーは黙って見続けていた。アイジーはプラチナの鈴の音が響くような声で、それからね、と紡いでいく。
「私とすっかり同じ色の目と髪をしているわ。青紫の目とシルバーブロンド。背は少し高いわね。ちょっと高慢ちきなところがあるけれど、ちゃんと礼儀正しくて真面目よ。今日着てた黒いコートは、私が選んだものなの、とっても似合ってて……まるで王子様みたいなの!」
「王子様みたい……」
「ええ!」にっこりと微笑んで頷いた。「教えてちょうだい。貴女の連れはどんな人?」と好奇心の目を向ける。
 ティーは暫く考えこんで、ぼんやりとした声で愛しげに呟いた。
「天使」
「え?」
「天使、みたい」
「天使……」
 アイジーはその言葉につられて朧げにその姿を想像してみる。エイーゼが拾ったハンカチの趣味やティーの話からは、男の人という印象が強く見受けられた。天使というくらいだからとびきり可愛い顔をしているに違いない。小鳥よりも華奢な白い翼やハート型の弓が似合うようなタイプ。きっと髪はくるんとカールして猫のお腹みたいな手触りをしている、輝くようなゴールドだ。身体は筋肉なんかなくて、どちらかと言えば華奢の部類だろう。頬っぺたはピンク色で、ふっくらと豊かな曲線を描いているに違いない。そんな美少年を想像して、ティーの隣に並べてみる。幸せそうにはにかむ恋人たち、そこだけ空気が違うかのように軽やかで華やかで――。
 アイジーは両手を重ねて頬を染める。
「素敵ね!」
 歌うように、うっとりとした声で言った。夢見る少女のような表情をするアイジーに、ティーはぱちぱちと星屑が飛び散るかのように瞬いた。
「なんだかその人に会いたくなっちゃったわ!」
「ジャックに?」
「あら、ジャックって言うの?」一瞬“時代遅れな名前だな”と思ってしまったのは永久に秘密にしておこう。「ちなみに貴方たちはどこへ行くつもりだったの?」デートをするなら、グリムよりもアンデルセンのほうが楽しいだろうに。そう思ったアイジーは風見鶏よりも移ろいやすい好奇心をくるくると躍らせる。
 しかし残念なことに、ティーはそれに対して「さあ」と返すだけだった。
「わからない」
「わからないって……」
「ジャックに着いてきただけだから」
「貴女って実はひよこなんじゃないかしら。餌付けしたら簡単についてきそうだわ」神妙な顔をして数度頷いた。「どこから来たの? 迷子になるくらいだからグリムの子じゃないのよね?」
 その問いにもティーは「わからない」と返した。流石のそれにアイジーも眉を曇らせる。
「多分、ずっと遠いところから来たんだと思う……」
「アイソーポスより? アンデルセンより?」
「もっともっと遠いところ」
 旅行者なのかな、とアイジーは自己完結させた。それからなおざりに「それはそれは、大変だったのねえ」と返す。
「それじゃあ迷子になってもしょうがないわね。案外、迷子になったのは貴女じゃなく、噂のミスタ・ジャックかもしれないわ」
 きっと今頃わんわん泣いてるわよ、と肩を竦めるアイジーに、それを想像したのか、ティーはくすくすと小さく笑った。
「泣いてるの?」
「ええ、きっとよ。きっと水色のブランケットを持って、親指をしゃぶったりしてるんだわ」
「………ふ、く、ふふっ」
 とうとう耐え切れなくなったようだ。目に見えるほどに肩を震わせるティーにアイジーはにんまりと笑う。
「そうしたら、ティー、貴女が慰めてあげるのよ」
「うん」
 満足げに頷いて「さて」と周囲を見渡した。
 そろそろ二人の捜索活動に戻らねばなるまい。アイジーは気を取り直した。外界から来たティーの記憶はアテにはならないことが判明したのだし、自分がしっかりしなければならないだろう。お姉さんにでもなったかのような自信に満ちた顔付きでアイジーは意気込む。
 しかし、そのときだった。

「アイジー!」「あ、ジャック」

 遠くからの聞き慣れた声が、隣から華奢な声が、ほぼ同時に鼓膜を揺らした。アイジーは思わず肩をびくつかせる。
「エイーゼ!?」
 振り向くと、真っ黒なコートを着て焦燥に頬を紅潮させた双子の兄が、自分のほうへと早歩いてくるのが見えた。探しに来てくれたのかとアイジーは安堵する。そしてそれと同時に、一つ疑問に思うことがあった。エイーゼの数歩後ろにいる男のことだ。
「…………?」
 その男の顔は思わず目を奪われるほど端正な造りをしていた。精悍で、どこか鋭利な魅力を持つその男はもう青年よりもいっそう大人びた振る舞いをしている。とうに成人した余裕の雰囲気からは隙のなさや厳格さがほとばしっているようにも見えた。そんな男が、いや、そんな男も、こちらへ近づいてくるではないか。
「アイジー、ジャックだよ」
「えっ? まさか、彼が……?」
「そう。ジャック」
 そういえば、さっき、ティーも嬉々とした声で名を呼んでいた。つまり、それは、こういうことだろう。あのエイーゼの後ろにいる恐々とした顔付きの男の人が――“ジャック”――アイジーは思わず顔を逸らして口元を激しく覆った。
 隣にいるティーが可愛らしく首を傾げる。
 アイジーの肩は震えていた。
 ああ、笑っちゃだめだ、絶対にだめだ、こんな失礼なことはないったら、エイーゼだって見ているわ、きっとあとでなにか言われてしまうもの、ティーだって不思議に思うだろうし最悪気分を悪くするに違いないわ、相手にだって失礼なのよ、笑っちゃだめ、笑っちゃだめよ、我慢なさい、ただ、ちょっと――――“予想よりも随分と大っきな天使さん”がいただけなんだから。
 アイジーが精一杯自制していたとき、まるで爆弾が投下されるかのように耳元で真っ黒な声が滑らかに囁かれた。


(あれのどこがハート型の弓が似合って頬っぺたがピンクで親指をしゃぶるんだ?)


「ぶはっ!!」
「アイジー?」
 ああ、もうだめだわ。
 アイジーは人目も憚らずに涙が出るほど笑った。





想像はときに


【ティー視点をはるたさんが書いてくれました!→Let's read!


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -