ダッチ

 突然だが、怖い話をしよう。

 朝目覚めると、見知らぬ野郎が俺の隣で眠りこけていた。

 どうだ?
 色んな意味で恐怖しかない話だろう?

「誰だテメェ」
「……ン、」

 朝っぱらの事態で俺自身思考が停止していたこともあり、開口一番の言葉は至極冷静なものだった。

 それに対する返答はなく、見知らぬ男は寝惚けているのか擦り寄ってくる。

「っ何すんだよ。離れろこの野郎!」

 ぎゅっと抱き付かれた途端に鳥肌が立ち、咄嗟にベッドから蹴落とした俺の行動は不可抗力だと思う。

「あう"!?痛ェ…」

 男が呻くが、そんなもの自業自得だ。

「って、テメェなんつぅ恰好してんだ!?」

 蹴ったときに違和感は確かに有ったが、男は薄着どころが下着すら身に付けていなかった。

 怖い話の怖い要素追加である。

「…だって服が何処に有るのか知らねぇんだもんよ」
「はぁ?」

 もだもだと起き上がり胡座をかいて床に座り込む男が呑気に答えてきた。

 ただその回答はわけが判らない。

「……名前は?何処から来た?何故俺の家に居る?つぅか何故ベッドん中に居る?」

 俺は留まるところを知らない疑問を口から垂れ流す。

「名前は付けてもらって無い。何処も何もあの押し入れん中にずっと居たし。一ヶ月前くらいにお前が嫌々連れ帰ってくれたんだよ。一緒に寝てたのは…寒かったから?」
「…………はぁ?」

 男の素性を知ろうにも答えはするが意味が判らない。

 こいつの言葉をそのまま受け入れると、俺がヤバイ奴になってしまう。
 それは全身全霊で否定させてもらおう。

「…俺にも納得いく説明は出来るか?」

 会話が成り立っている…と言っていいかは微妙だが、こんな荒唐無稽な台詞にしてはやけに真剣そうな男を前に、俺は少し譲歩した問い方に変えた。

 今のところ暴れる様子はないし、何故家に侵入できているかも気にはなる。

「うー…。納得いくかは判んないけど説明は出来ると思う」
「………」

 何だそれは。と思うような曖昧な返答が来たが、裸の男がベッドで寝てたとか、警察にも話したくない状況だしな。

「兎に角話を聞こうか」

 この男をどうするか決めるのは話を聞いてからでも良いだろう。

「おう。サンキュ…あ、ひとつ頼んでも良いか?」
「なんだ」
「寒い。服を貸してくれないか?」
「…………判った。」

 マイペースな男に俺は脱力するしかなかった。

 まぁ、俺としてもいつまでも裸で居られるのは本意では無いしな。
 一々「自分の服はどうした」とか聞いていたら話が進まなそうだし。

「ちょっと待ってろ」
「おう」

 何だこの状況。


…………
……………………


「…と言う感じなんだけど…信じ、」
「られないな」
「…だよな」

 話を終えた男の言葉を遮り感想を述べる。
 説明した当人もその返答に納得の様だ。

 当たり前だろう。
 男の主張はあまりにも非現実的なものだったのだから。

 と言うのも、一ヶ月ほど前に俺が勤める部署の親睦会を銘打った集まりでビンゴ大会が行われた。
 何をウケると思ったか、ビンゴの景品の中に幾つかパーティーグッズやアダルト用品が混ざっていたのだが、俺は見事にその餌食となってしまったのだ。

 よりにもよって膨らますと無駄にデカいダッチワイフを当ててしまった。

 勿論周りはドン引き。
 俺も同じ意見だったのだが、スベった景品係のあまりの落ち込みように置いてくることも出来ず持ち帰るはめになってしまった。

 しかし捨てるのはどうも薄ら恥ずかしいし、だからと言って置いておくには薄気味悪い。

 なんやかんやで押入れの肥やしになっていたのだが、こいつは自身をその人形だと言うのだ。

 そんなものが有り得るわけが無いだろう。

「でも事実なんだ」

 と男はそんな与太話を曲げようとはしない。
 頭がイカれているのかと思ったが、元人形説以外は至って平常な会話が出来る。

 何より店を貸し切りで行なった親睦会の内容も、その後の人形の状況も合っているし、まず馬鹿デカい人形が確かに見当たらない。

 こいつが態々こんなアホらしい主張のために処分してくれたのでもなければ、見付からないのは確かにおかしい。

 とは言えドラマや漫画の中の世界でも無ければ物や動物が変化するなど有り得ないとしか思えない。

 それこそ目の前でその瞬間を見でもしないと。

 だが男自身、人間になれた原理も判らなければ戻ることも不可能だと言い張る。
 何故だかもう戻ることは出来ないとだけ自信を持って言える都合の良さは、俺の疑いをより濃厚にさせる事しか出来なかった。

「まぁあの人形が無くなったのはありがたいな」
「………俺だけどな」

 まだ引かないかこの野郎は。

「で、でもこれなら棄てられないよなっ!?」

 見た目に似合わない幼い子供のような不安げな表情で詰め寄られる。
 どうやら捨てられるのが本当に嫌らしい。と言うより怖いのか。

 確かに物に意識があればそう思うのは当たり前の事だろうし 人間でもまぁ思うだろう。

 が。

「恋仲でも友人でも無い人間ならば、出て行け。と言うのは楽だな」
「え゙っ!?」

 これからコイツに言おうとしていた言葉を出してみると目に見えて落ち込まれた。
 どうやら物としての"捨てられる"意外は考えていなかったようだ。

 しかし人間…しかも大の男一人、一文無しだろうが何だろうがこのまま追い出して終わり。が一番簡単だろう。
 なのにうつ向いて心なしか震えてまでいられると、まるで俺の方が悪いみたいじゃないか。

「……おい、」
「っなあ!」

 なんだか居心地が悪くて少しはフォローしてやろうかと手を伸ばすと、殆ど同じタイミングで男も頭を上げた。

「家事でも雑用でも性欲処理でも何でもするからっ!だからっ!」

 涙を溜めた汚い顔でこっちを見据えてくる男。

 すてないで。と叫ぶように言われた言葉に顔に、一瞬俺の心臓が跳ねた気がした。


…………
……………………


「お前、これはなんの真似だ?」

 あまりにも必死な男に魔が差した俺が暫くの居候を許した次の日。
 焦げた嫌な臭いで目が覚めた俺は至極不機嫌な声色で男に問うた。

「え?と、メシ…」

 肩をびくつかせて恐る恐る答える男には悪い…とも思わないな。

 これはメシではない。
 好意的に言って消し炭だ。

「人間のメシって、米と卵と茶色い液体だよな?」
「水に浸けた米と殻ごと焼いた卵と何で色を付けているのか分からない自称味噌汁か。やっぱりお前出ていけ」

 頭を抱えながら男に言った俺だが、こいつは食い物すらまともに見たことが無いのかと不安になってきた。
 いくら料理ができなくても、見た目からして可笑しいのは流石にわかるだろ。

 特に米。

 このまま野放しにするのも気が引けるくらい常識がないな。

「………」
「…」

 言葉も発せないほどのショックを受けている男を、俺の脳内が同年代に見ることを拒否している。
 子供でも相手にしている気分だ。

「…はぁ、わかった。帰りに料理サイトでも印刷してきてやるから次からそれでも見てやれ」
「っ!ありがとっ!」

 次ってなんだよ。と自分の言葉に突っ込みを入れたが、男の無邪気な笑みが眩しかったからしょうがない。
 この年で彼女一人いないから、人恋しくでもなっているのだろう。

 もう暫くは置いてやってもいいか。

「お、旨いな」
「やった!」

 あれから数週間。
 料理のさしすせそどころか醤油の存在すら知らなかった男が食える料理を作れるまでになっていた。

 それもこれも料理サイトと俺の努力の賜物である。

 これだけ親身に世話を焼いていれば愛着のひとつも沸くもので、俺も不審者だろうと追い出す意思が限り無く薄くなっていた。

 実際、家のことをやっといてくれるのは楽だし、笑顔で出迎えてくれると気分が軽くもなる。
 しかし不思議なことに「ならば彼女が欲しい」とは思わない。

「お風呂沸かそっか」
「後でいいさ。それよりお前ももっとゆっくり食っとけ」
「…うん!」

 この空間を壊したくなくなっている俺がいた。 

 夜中、ひとつしかないベッドに狭い思いをしながら二人で入り込むようになって早数日。

「…すてないで」

 リビングで寝かせていた時は知らなかった男の一人言を聞くようになった。

 瞼の持ち上がっていない顔、幼げな口調。
 俺の服の裾をギュッと握るゴツい手。

「大丈夫だから。寝なさい」
「………ん」

 俺が答えると安心したのかすんなりと眠りに就く姿が愛しく思えるようになったのはいつからだろう。

「…可愛いな」

 いまだに名前を聞くと「名前を付けて」と答えるばかりだから、俺は男の名前を知らない。
 手放す気もない今、いい加減名前を付けてやるか。


end


+α「その後、恋人になりました」




「何故男なんだろうな」

 俺は不意に思った疑問を口にした。
 もはやこいつがダッチワイフだったと言う主張の真偽を確かめる術はないが、「そう」ならば元々女を模して作られた筈だ。

「…俺だって意図して男になりたがったわけじゃないよ。でも宿った意識は初めからこの通り男だったんだ。他の奴がどうかは知らないけどな」

 これは純粋な疑問だったのだが、拗ねられてしまった。
 別に「女が良かった」とかいう意味ではなかったのだが。

 しかしまぁ、つまりはあの勇ましいドーベルマンにもメスがいて、愛らしいウサギにもオスがいる…的なことと同じような感じってことか。
 ダッチワイフに男型があるわけないのだが、見た目で女のつもりで実は男をヤっていた…ってことを考えるとゾッとしないな。

「でもビンゴの時あんたが当ててくれて嬉しかったんだぜ?優しそうだったし、俺は人形の時から自分は男って意識だったけど、女の子が当てたら捨てられるだけだろ?」
「…」

 俺もどうにかして捨てようと思っていた、とは冗談でも言いづらいものがあった。
 捨てられる、人形としては死ぬも同然なのかな。と思えば、それは確かに恐ろしいことだ。

「ずっと押し入れに入れられてたからさ、最初は彼女がいるんだと思ってたんだ。でも違うみたいだし、なら忘れられたのかなって。寂しい、お前と話したいって思っていたら人間になってた」

 そんなホイホイ人間になれるものなのか、こいつの意思が強かったのか。
 この辺は神のみぞ知るって奴だな。

「はじめは体が女なら口調とか気を付ければ棄てられないで済むかなとか思ったのにさ。いざ人間になりましたっつったらこれなんだ。あの時はどう足掻いても棄てられる運命なんだって怖くなって」

 事の成り行きを話すこいつのトーンが徐々に下がり出す。

 無理もないだろう。
 同性愛者でもなければ元々の人形は女型。
 分が悪すぎる。

 本来ならば俺らのようなこんな結末は有り得ない筈だ。

「寒くって男同士じゃって諦めてたんだけど一度だけでも…体温が、欲しかったんだ」

 完全に俯いてしまうこいつは今にも死ぬんじゃないかと危惧するほどに落ち込んでしまった。

 知らなかったこととはいえ、一ヶ月放置が大分トラウマを植え付けてしまったらしい。

「…なぁ、本当に俺でも捨てないのか?人間ならそう簡単に捨てらんないだろうとか安易に考えてたんだけどさ、確かに他人を家に置いてくれる奴なんかそういないよな…」

 変なスイッチが入ったこいつは顔を僅かに上げて俺の様子を伺ってくる。

「安心しろ。人だろうと人形だろうとお前を捨てるなんてないから」

 俺は出来るだけ優しく言うように心掛ける。
 
「でも俺、役立たずだよ?ダッチワイフとしてなんにもできない」
「別に家事でも何でもしてくれてるだろ…ん?」

 ダッチワイフとして?
 やっぱり人形としての役割も全うしたい、と?

「お前が良いなら俺はいつでもヤる準備はできているぞ?」

 寧ろ受け入れてくれるなら今すぐにでも突っ込みたいまである。
 男同士だなんだという問題は付き合う時点で了承済みだ。

「だってもう穴無いし」
「?お前、メシ食うしトイレ行ってたよな?」
「そりゃ、人間になったもん。でもその時点で身体も完全に男のものになっちゃったんだもん」
「…」

 もしかしてこいつ、男同士でできることを知らない?
 まぁ料理の知識もアレだったし、自分の存在意義以外の知識は無いに等しいのか?

 折角人形じゃなくなったからには「そう言う行為」は避けたいんだと思って触れないでおいたのに。

「人形の頃から俺ずっと押し入れ開ける度に今日は使われるんじゃないかって、抱かれるんじゃないかってワクワクしてたんだよ?なのにこんなことって酷くない?男なのもこの生活も嫌ってわけじゃないけどさ」

 さめざめ泣いてるこいつには悪いが、今なんか理性の切れそうな発言を聞いた気がする。

「今なんて好きって言って貰えるだけでいつもヤバイくらい嬉しいのに」
「…ぷつん」

 いや無理だろ。
 理性が焼き切れるのも仕方ないよな?

「人になれたんだし性欲処理としてじゃなくて好きな奴のこと受け入れたかった…うわっ!?」
「お前もう黙れ!さっさとベッド行くぞ」
「え?え?さっき起きたばっかじゃん」
「いーから!お前の知らないことまたひとつ教えてやっから!」

 何が待ってんのかよく分かってないくせに「俺が教える」ってだけで期待してくるこいつが可愛くてしょうがない。
 これで散々おあずけ食らっていたモノが貰えるんだと知ったらどんな反応するだろう。

 取り敢えず、俺ももう我慢ができそうにないから。

「これからは捨てられるなんて不安を抱けないくらい愛してやるよ」


end

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