黒馬で私を連れ去って


一通の、招待状が届いた。
城にて、婚約者を決めるパーティーを開催するという内容のもので。
けれどそれは私に宛てられた物じゃない。
宛名は、私の姉だ。
差出人は、



黒馬で私を連れ去って
私を鳥籠から出してくれるなら、全てを、



「まぁ!豪炎寺様からだわ!」


「領主様じゃないか、よくやったな」


「呼ばれるのも選ばれた者達だそうよ」


喜ぶ姉に、微笑む父母。
彼らと同じ家族の一員であるはずの名前は、そんな彼らを唯遠くから眺めているだけ。
いや、眺められるだけマシなのだろう。
今日は彼らの機嫌がいいから、城の中を自由に移動する事が出来るのだから。
普段なら、地下室に閉じ込められて一日を過ごす。
今彼女がこうして言語を話せているのは、食事を運んできてくれたり、僅かな時間だとしても一緒に会話をしてくれる人がいるから。
姉のように、パーティーに呼ばれなくたっていい。
ただ、人間らしい扱いを受けて、誰かと触れ合っていられるなら、それでいい。
彼らに見つかって睨まれるのが嫌だからと、彼女は何一つ言葉を発さずに与えられた地下室に戻っていく。
途中図書室によって、分厚い本を数冊持ち出すことを忘れずに。


「、名前様」


一人黙々と本を読んでいると、扉が開かれた。
いつも、彼女の世話をしてくれる使用人が、開いた扉の隙間からこちらの様子を伺っている。
名前は読んでいた本をぱたりと閉じて、彼に視線を向けた。


『半田さん』


「呼び捨ていいのに」


『いえ、半田さんのほうが年上ですから』


そう言って笑った名前に、半田は優しく笑い返してくれた。
彼の手には、一通の手紙が。
なんだろうと気にはなったものの、入り口に立ったままの彼に中に入るように促す。
見えていなかったほうの手には、トレーに乗せられたティーセットが。
名前はそれを見てぱっと顔を明るくする。


「そんなに美味しい?」


『はい!半田さんの入れる紅茶はとっても美味しいですよ』


部屋の中に入った半田は、手際よくティーカップにポットから紅茶を注ぐ。
黄金色の液体がティーカップを満たす頃には、部屋の中を上品な香りが満たしていた。
手渡されたそれを美味しそうに飲む名前に満足したのか、半田はふ、と表情を緩めた。
空になったポットに新しいお湯を注ぎ、半田は持っていた封筒を彼女に差し出した。


『、私に、ですか?』


「そ、名前様に」


彼が手に持っていた封筒は、どうやら彼女宛だったようで。
確かに、宛名には彼女の名前が書かれていた。
そして差出人は、


『豪炎寺、様?』


「きっとパーティーの招待状だよ」


にこにこと、嬉しそうな笑顔を浮かべながら予想を立てた半田。
彼がこんなに嬉しそうなのは、名前の近くで彼女の境遇を見てきたからだろう。
だが、名前自身は申し訳なさそうにそれを眺めている。
半田の言う通りだとすると、これは姉に来ていた物と同じもの。
名前は封筒を開けることなく、それを半田の手に置いた。
彼は彼女の行動に驚いたのか、手紙と名前を、見開いた目で交互に見た。


「名前様、どういう…」


『招待状は受け取れません。私は、豪炎寺様に釣り合うような人間ではありませんし。
何より、このような目では…この城から出る事さえ叶いません』


「そんな…!」


『いいんです、私は』


禍罪の子、ですから。


そう言って笑った彼女は、今にも泣き出しそうだった。
見ていられなくなった半田は、ほっそりとした彼女の体を優しく抱きしめる。
城から出られないために十分な運動する事が出来ず、筋肉など無いに等しいが、ちゃんと彼女の体は女性として発達している。
どれも、彼女の健康をしっかりと管理してくれた半田のお陰だろう。
女性特有の柔らかさを帯びた彼女の体を抱きしめながら、彼は告げた。


「君は禍罪の子なんかじゃない。唯目が赤いだけじゃないか!」


『それが、禍罪の子の証なのでしょう?』


「そんなのは唯の言い伝えだ…名前様は誰かを不幸にするような人じゃない。俺はそれをちゃんと知ってる」


『…ありがとう、半田さん』


貴方がいてくれるから、私は生きていられる。


頭の中で、名前の其の言葉が復唱される。
使用人としての仕事をしつつ、彼は窓の向こうを飛び回る白い鳥をぼんやりと眺めた。
真っ青な空を、自分の羽根を目一杯伸ばして、風を受けて飛び回る。
もし彼女が、あの鳥のように自由だったなら。
あんな悲しそうに、笑わずに済んだのだろうか。


「…誰か、彼女を幸せにしてくれないか」


自分には無理だという含みのある其の言葉を、半田は苦しそうに搾り出した。

そんな事になっているとは露知らず、名前に手紙を出させた張本人である豪炎寺は、自分の執務室の椅子に腰掛け書類にペンを走らせている。
そんな彼に声が掛けられ、豪炎寺はペンを止めた。
入室を許可すれば、青い髪の従者が入ってくるが、彼の表情はうかないものであった。


「どうした、風丸」


「あー…言い難いん、だけどな?」


「?」


「例の子に、半田から招待状を渡してもらったんだが…」


「…受け取らなかったのか」


肯定を示すように、小さく頷いた風丸。豪炎寺は盛大に溜息をついて、背もたれに体重を預けた。
質の良いそれは音一つ立てずに彼の体を優しく支える。


「駄目、か…」


「どうするんだ?このままだと、パーティーに来た誰かから妃を選定しなきゃいけなくなる」


豪炎寺もいい歳、とは行かないものの、貴族なら嫁を娶っている年齢なのだ、鬼道と不動もこれ以上期間を延ばしてはくれまい。
かといって、豪炎寺があの子以外の女を妃として迎えるか、と言われれば、答えはNOだ。
参謀である鬼道に不動、城主である豪炎寺。
頭の切れる者同士、上手く事が進まねば一体どうなるか分からない。
このままでは回避できないだろう近い未来に、風丸は唯顔を青くするばかりだった。
そんな彼を知ってか知らずか、豪炎寺は彼に告げる。


「今夜、出掛ける」


「、夜?」


「あぁ。直接会いに行くよ」


「でも城の外に出れないんじゃあ…」


「真夜中は出れる」


「成る程、人目につかないからか…って、何で知ってるんだ?」


頭の上にクエスチョンマークを浮かべている風丸に小さく笑い、豪炎寺は執務室を後にした。
結局上手くはぐらかされた為に彼の意図が分からないままだが、風丸は半田に、彼女を夜に外に出れるようにするようにとの手紙を記し、それを配下に渡した。
これで豪炎寺と彼女がすれ違うなんて事は無いだろう。
はぁ、と小さく溜息をついた風丸は、大きな窓から見えた白い鳥を眺めた。


「まるで、鳥籠の中の鳥、だな」


話で出しか聞いた事の無い其の人物に思いを馳せながら、風丸は豪炎寺の部屋を後にした。

其の夜、半田は風丸の手紙に従って、彼女を、外に出ないかと誘った。
日中家の外に出る事の出来ない名前だが、夜、誰も外に出ないような時間帯なら出てもいいという許可だけは貰っている。
勿論そんなものでは不十分なのだが、家の中でさえ行動が制限されている彼女にとってはそれで十分だと思えた。
彼女の部屋は地下にあるため、太陽の光も、月の光も届かない。
今が朝なのか、夜なのか、それさえも分からないのだ。


「今日は綺麗な満月なんだ。旦那様たちももう寝てしまったし、今ならいくら外に出てても大丈夫だ」


『満月…他の人に、見られないでしょうか』


「皆寝静まってる頃だから大丈夫。さぁ、行こう」


差し出された半田の手を、ゆるりと握る。
そのまま、彼に促されるまま外に連れ出された名前。
太陽を知らない白磁の肌は、月の青白い光に照らされて、暗闇の中でもはっきりと見える。
漆黒の艶やかな髪は闇に溶け込むようで。
燃える炎や鮮血を連想させるような彼女の赤い瞳だけが、異彩を放っていた。
半田は城から少し離れたところに名前を連れて来た。
冬のように刺す様な寒さではないものの、自分よりも薄着な名前はとても寒そうだ。


「夏だってのに、今日は冷えるな…何か羽織る物持ってくるよ。名前様は此処にいて」


『、分かりました』


其処に彼女を一人残し、彼は城の方へと走っていく。
ちらり、と一度振り返ったが、名前は彼のその行動を特に気にはしなかった。
そのまま半田の背中をぼんやりと眺めていた名前だったが、ふわりと何かに包まれる感覚に驚き振り返る。
其処には、端整な顔立ちの、美しい青年が一人。
父親や、半田達使用人でしか男を知らない名前は、其の青年に目を奪われた。
彼は優しく笑い、彼女に囁く。


「寒くないか?」


『え、あ、あの…』


「女性が体を冷やすのは頂けないな」


優しい表情で語りかけてくる青年の目から目が逸らせなかった名前だったが、ハッと我に返り、急いで目を隠すように彼から顔を背けた。
彼はそんな彼女の行動に、どうしたのだと問いかければ、彼女が小さな声で返事を返した。
半田が何度も否定してくれたけれど、変えようの無い事実を。


『赤い目は、禍罪の子の、証だから…』


「それが?」


『、ぇ?』


まさか、そう返されるとは想像していなかった。
いつもならば、言葉を掛ける前に向こうから彼女の傍から離れて行った為、まともに会話を交わした事があるのは半田と、そのほか数人の使用人たちくらいだ。
彼のような人間は相手にした事が無いために、どうすればよいか分からなくなってしまったのだ。


『だ、から…私は、』


「俺は」


『、』


「好きだよ。君の其の赤い瞳が」


『…え?』


「君を見れたのはこれで2回目だが、話したのは初めてだな。
初めて見た時から、ずっと綺麗だと思ってた。傍で見たいと」


まさかこんな事を言われると思ってはいなかった名前は、瞳を隠す事も忘れ、彼を呆然と見ていることしか出来なかった。
そして自然と、目が熱くなるのを感じた。


あぁ、可笑しい、どうして、悲しくなど無いというのに


『貴方の、名前、は?』


「名乗るほどのものじゃない」


『でも』


「…焔。そう名乗っておこう」


『え、ん…焔、様』


「君の名前は?」


『名前、と、申します』


「名前か、素敵な名だ」


言葉自体は短い物の、それでも彼の気持ちが伝わってくるかのようで。
じっと向けられる意志の強い瞳に見入っていると、男が口を開いた。


「私と、共に来ないか」


彼が一体何を言っているのか、それが理解できなかった名前は目を見開く。
いや、言葉の内容は理解できていたのだけれど、彼が何故そのような事を言ったのかが理解出来なかったのだ。
そんな名前の様子に、男は依然意志の強い瞳のまま語りかける。


「同情で言ってるわけじゃない。ただ、俺の傍にいて欲しいんだ」


『焔様の、傍に…?』


「…愛してるんだ、君を」


誰にも言われた事のない其の言葉が、名前の心に深く染み入った。
流れ出る涙の量が増えたんじゃないかと、そんな錯覚に陥る。
男の其の言葉が嬉しい事に変わりないのだが、彼女は、其の言葉を素直に受け取る事が出来なかった。
恐れているのだ、いつか、捨てられるのではないのだろうかと。
彼の瞳を見ていると、ぽろりと本音が出てしまいそうだと思った名前は、自身の足元を見るように視線を落とした。


『…お気持ちは嬉しいですが、それは、出来ません』


「俺は名前を捨てたりしない」


『っ』


「焦がれてた、いつも名前に」


小さいながらも肩を揺らした名前の頬を包み込むように手を添えて、顔を上げさせる。
依然流れている涙に、男は流石に困ったように笑った。


「泣いてばかりだな」


『も、申し訳』


「謝らなくていい」


ちう、と名前の目尻に唇を当てる。
初めてのそれに一気に顔を赤くする彼女を見て、唇を離した男はゆるりと笑った。
こんなに優しい笑みを向けられたのは初めてで、彼女の頭の中は混乱するばかりだ。


「その表情の方がいい」


『焔、様…』


「もう一度、答えてくれないか?」


何に、と聞くのは愚問だろう。
名前の頭の中には、先程彼がしてきた質問がはっきりと残っている。
それこそ、一字一句間違えずに復唱する事が出来るほどだ。
自分の想いに従うのか、それとも逆らうのか。
迷っている彼女に、男は諭した。


「瞳の色は変えられない。けど自分の未来は変えられる」


『未来、』


脳裏に駆け巡るのは、思い描いた未来。
友達と楽しく笑い合って、外を駆け回って、いつか、愛する人と結ばれたなら。
今のような暗い地下室に閉じ込められるのではなく、明るい陽の下を歩けたなら。


『(私はもう、何もいらない)』


其の願いを、目の前の彼が叶えてくれるなら。


彼女の黒のコートから覗く白い腕は、無意識のうちに彼に伸ばされていて。
男は其の細い腕を引き寄せると、そのまま彼女を強く抱きしめた。
それに倣うように彼の背中に腕を回した名前の耳元で、男は囁く。


「訂正は、赦さない」


『訂正など、致しません』


家族さえも、喜んで捨ててみせよう。


心地よい男の温もりに包まれて、名前は瞳を閉じる。
眠かったのだろうか、それとも随分泣いてしまったからだろうか。
瞳を閉じたのをきっかけに、彼女は眠りに落ちてしまった。
ふ、と小さく笑った焔の背後から、人が近付く。


「豪炎寺」


「、半田か」


「名前様は…」


「眠った」


眠ってしまった名前の腕は、徐々に力が抜けていき、遂にはだらりと垂れ下がった。
そんな彼女を優しく包み込むように横抱きにした豪炎寺に、半田は黒馬の手綱を握ったまま近付く。
毛並みの艶やかな立派な馬で、まるで闇に溶け込むようなそれは、まるで名前の黒髪のようだ。
其の黒馬に、軽やかに跨った豪炎寺に手綱を渡す半田は、真剣な瞳で彼を射抜いた。


「名前様を、」


「……」


「幸せにしてくれ」


「当たり前だ」


何を言っている、と言わんばかりの表情を浮かべた豪炎寺に、安心したような半田。
そんな彼に背を向けた豪炎寺は、振り返らないままで告げる。


「此処での仕事は終わりだ。早く戻ってくるといい」


「分かった」


後ろで半田が笑っているのを感じながら、豪炎寺は眠っている名前を起こさないように黒馬を走らせた。
もし自分がいないことに鬼道か不動が気付いていたら大騒ぎになっているだろう。
風丸が何とかしてくれているといいのだが。
鬼道と不動にどやされるのを危惧した豪炎寺だったが、腕の中の優しい重みに表情は緩んでしまう。


「やっと、手に入れた」


もう、離しはしない


彼の呟きは、闇夜の森の中に溶け込んでいった。


**********

後日、豪炎寺の城で開催されるはずだった妃選定パーティーは全てキャンセルされる事となった。
理由は勿論、名前が豪炎寺の妃となったからである。


め で た し !


企画サイト「踊りませんか?」様に提出

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