魔法使いは来世に笑う
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 例えば、というのは母の口癖だった。例えば、隣の家のおばあちゃんが困っていたらという話から、例えば俺が頑張ったらどういう結果が得られるかという話にまで、例えばという言葉は多用された。母は、時折泣いている俺に向かって笑って言った。

「例えば、ちーくんの目の前に魔法使いが現れたとしたら、どうする?」

 唐突な例え話にキョトンとする俺に、母は決まってこう言うのだ。

「ちーくん。実はママは魔法使いです。今からちーくんに魔法をかけてあげましょう」

 にっこりと笑って、母の指から紡ぎ出されるマジックに、涙は自然と乾いていった。俺が大きくなるにつれて魔法使いは現れなくなったけど、その頃の俺にとって母は間違いなく魔法使いだった。

 最後にその口癖を聞いたのは、警察官になると伝えた時だった。母は、例えば、と言ったきり俯き黙り込んだ。反対されるだろうと思い無断で受験した警察学校。受かってしまえばこちらのものだと思っていたが、まさかここまで反対されるとは思ってもいなかった。

 本当に、過保護な母親だった。結局反対を押し切り入学した俺は、そのまま警察官になった。公安になるまでは連絡を取っていたが、それも今となっては昔の話だ。電話をするたびに説教が返ってくる煩わしささえ、懐かしく感じる。俺は、辞職したことになっているのだろう。公安とはそういうものだ。影として生きる。そんな生活も、今日で終わりだが。

 母は、泣くだろうか。もっと電話をしてやればよかった。公安がそういう組織だと、あの過保護で優しい人は了解さえしていなかったのに。せめて、警察になる時にもっとしっかり話し合っていれば。

 寝転がる俺の頭上から、雨のように涙が降り注いでくる。あぁ、そうだ。俺が死んだら、こいつは一人になってしまう。もう一人、俺の死を嘆く奴がいたことを思い出す。ぎゅうと頭を抱きしめる腕を叩くと、ゼロは幼子がいやいやをするようにか弱く首を振った。

「ぜ、ろ」
「いやだッ、ナギの嘘つき! お前なんかッ、お前なんかッ!」
「ゼロ」

 彼を呼ぶ声は、思いの外真っ直ぐに響いた。火事場の馬鹿力と言うのだろうか。我ながら涙ぐましい努力に惚れ惚れとする。

「ナギ、死ぬな」
「……ごめん」
「ごめんじゃない。いつもの嘘だろ? なぁ、そうだよな?」
「ごめん、嘘じゃない」

 ひゅ、と気道の鳴る音が聞こえた。あぁだめだ。目が霞む。ポタポタと頬が濡れるから、ゼロは泣いているに違いないのに。涙を拭ってやりたくても、もう腕も動かない。さっきまで気力を振り絞って動かしていた口も、いよいよ限界が訪れたのか痺れたきり沈黙を守っていた。

 静かに、体のあちこちが俺のものではなくなっていく。これが死ぬということかと漠然と思った。

 松田も、萩原も、諸伏も、伊達も、皆こうして死んでいったのだろうか。考え、いや、と否定する。皆が皆、俺みたいにしぶとく息をしていた訳じゃないんだった。

 こいつは、ともう目視できなくなった幼馴染の姿を思い起こす。俺が死んだら、こいつはいよいよ一人なのだ。俺たち五人に死に行かれるなんて、そんな墓守のような役目を負わせてしまったことに、悲しさを覚える。

 違うんだ。本当は、違うんだ。こいつは、降谷零は、そんな男じゃなくて。月明かりよりも太陽の下が似合う、底抜けに明るい笑顔を思い出す。

 一人にしないで。
 そう泣いたあの子を、今でもずっと、覚えている。

 聴覚が、遠のいていく。聞こえなくても、直感で分かる。ゼロが、俺の名を呼んでいる。応えたくて、口を動かすも、もう動いているかどうかなんて分からない。それでも、返事の返らない言葉をゼロに吐かせたくなくて。だって、寂しすぎるだろう。ただでさえゼロは寂しがりやなのに。泣くな、と慰めたいのにできないことが、こんなにももどかしい。

 畜生。畜生畜生畜生畜生ッ!

 なんで、ゼロなんだよ。
 なんで、この寂しがりが独りぼっちなんだよ。なんで。なんでなんでなんで。

 怒りを抱くも、どこにぶつけることもできず、俺の意識はふわりふわりと遠のいていく。

 靄の中で、例えば、と声が聞こえた。

 例えば、ヒロが死ななくて。松田が死ななくて、萩原も、伊達も死ななくて。俺も……、俺も、死なない世界があるとしたら。
 例えば、そんな未来があったとしたら。……今度こそ。今度こそ、俺は、お前を一人になんてしない。墓守なんて、不似合いな役をお前に与えたりしない。

 ──例えば、時間が戻ったとしたら。

 そうだな、例えばの話を、してみようか。君の泣くことのない、そんな優しい世界の話を。

 意識は、ふつりと途切れた。




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