あの夏の日を忘れない
20
「ごはん欲しくなるなぁ……」

 思わずぼやくと、花井がお、と顔を上げる。

「あっいる? 僕いらなかったから持ってきてなかったけど、確かそれも向こうに班ごと用意されてたよ」

 どうしようかなぁ。右手は怪我してないからまぁ、いけるかな。よいしょ、と立ち上がると、委員長が一緒に行くよと申し出てくれる。

「いいの?」
「うん、僕もお米欲しかったし」
「なら、頼もうかな」
「いいよいいよ。気にしないで。さ、三浦も行くよ」
「……え、俺? ま、いいけど」

 委員長に腕を掴まれ、三浦は渋々と立つ。

「俺飲み物取りにいくけど、二人は飲み物足りてる?」

 自分の紙コップを片手に、三浦は花井と平野に問う。

「あーじゃあお茶頼もうかな」
「俺はオレンジ頼むわー」

 ん、と三浦は紙コップを受け取った。


 中央のテーブルには花井の言っていた通り、各班に炊き立ての白米が用意されていた。一班分の米は、キャンプ用の携帯炊事器具に入れられている。この器具はコッヘル、もしくはクッカーという物だ。これは深型クッカーだな、と今日のためキャンプ用品について調べた俺は一人頷いた。楽しみで調べた知識は器具の名前やテントの張り方といった的外れなものばかりで、今回の遠足では役に立ちそうにもない。調べている内にはしゃいで脱線してしまったのだ。

「お、米あったね。僕持つよ」
「俺も右手なら大丈夫だから持つよ?」

 委員長は「んー、」と首を傾げると、「じゃあ、疲れたら代わってくれる?」と言う。この距離で疲れることなんてまずないだろうに。持たせるつもりはないのだと理解しつつも、分かったと返事をする。俺はテーブルの上にある肉、野菜を皿に移し右手に持った。重い物は持たせてくれそうにないが、俺だって何かしら持って役に立ちたい。

 三浦も頼まれた飲み物をコップに注ぎ、両手で器用に持つ。

「もう欲しい物ない? 戻るよ?」
「あーうん、大丈……」

 言葉を途切れさせた俺を三浦は訝し気な顔で見やる。

「どうした?」
「……いや、あそこ」

 見て、と促した先には不良に絡まれているクラスメイトの姿。どうやら他の学校の行事とバッティングしたようである。やばいんじゃない、と声を潜める委員長に、待っててと返事をする。

 俺は取り分けた食料をテーブルに置き、クラスメイトの元に向かう。

「どうしたの?」
「……あ、椎名くん」
「この人たちが場所譲れって言ってきて……」

 クラスメイトに後ろに下がるよう指示し、不良と相対する。

「椎名ァ……?」

 じろり、眼光鋭く睨めつける不良は俺の名前を聞き表情を変える。

「椎名由か?」

 俺の名前を言い当てる不良に内心戸惑う。クラスメイトも、俺と不良が知り合いなのかと不安そうな目をこちらに向けた。

「そう、だけど」

 クラスメイトがいる手前、不良に対する態度を決めかね中途半端に口調が崩れる。じっと見返すと、不良はふぅんと目を細めた。

「俺たちが誰か分かるか?」
「いや知らん」

 即答すると拳が飛んでくる。後ろに庇ったクラスメイトの悲鳴が聞こえる。くそ。避けたら後ろに当たるか。チッ、と舌打ちをし右手で拳を受ける。鈍い痛みが腕に走る。受け方がうまく行かず、肉の薄い部分を殴られてしまった。他の不良が俺に手を伸ばす。相手の人数が多く、後ろを庇いながらでは避けきることができない。いっそ逃げてくれた方が動きやすいのだが、足が竦んでいるのか彼らはその場に立ち尽くしたままだった。不良の一人に胸倉を掴まれ、踵が浮く。俺は不良の膝に足を乗せ体を持ち上げ、顔面に頭突きを叩きこんだ。ぶ、と濁った悲鳴がする。

 胸倉から手を放された俺は、周りにいる不良の局部に蹴りを叩きこむ。声にならない悲鳴を上げ、不良は倒れる。あとは俺に奇妙な問いを投げてきた不良一人。睨みつけると奴は憎々しげな顔をし俺を睨み返す。

「くそ、」

 低く唸り、不良は拳を振りかざす。俺はその腕を掴み──

「ちょぉっと待った」

 笑みを含んだ声が俺と不良の手を止める。咄嗟に手を振り払い、声の主から距離を取る。

「やぁ。久しぶりだね、由」

 嘲笑うようなその声は、確かに聞き覚えがあるものだった。声の主を見る。思い出したくもない、苛烈な日々が脳裏に蘇る。陰鬱とした表情になった自分を自覚しながら、俺はその人物の名前を口にした。

「……甲斐」
「覚えててくれて嬉しいよ」
「ってことはこれ千頭の生徒か」

 道理で俺たちが誰か分かるかなんて頓狂な質問をしてくる訳だ。俺には覚えがないが向こうは覚えがあったのだろう。あの学校で俺は悪目立ちをしていたから、ありえない話ではない。

「そう。そこの後ろの子たちはお友達?」

 楽しむような響きを纏った質問に、俺はちらりと後ろを見やる。このまま一緒にいれば甲斐にどんなめんどくさい絡み方をされるか分からない。もう立ち上がることができるようだと認めた俺は、行きなと彼らを促した。

「ありゃ。行っちゃった」
「……何の用だ」
「いんや? 俺はただ喧嘩止めに来ただけ」
「嘘くせぇ。テメェがンな面倒なことする訳ねぇだろうが」

 俺の言葉に甲斐はうっそりと笑みを浮かべる。

「分からないよ? お前だって不良に絡まれてるクラスメイトを助けるような奴じゃなかったんだから」

 ああ。本当にこいつはめんどくさい。





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