あの夏の日を忘れない
10 畠一秀side
 額に浮かぶ汗を拭おうとタオルを押しあてる。由は何事かを苦し気に吐き、縋るように腕を掴んだ。

「……さん、」

 聞かずとも何を言ったかはすぐに分かった。そしてこの腕が求めているのは俺ではないことも。

「……ごめんな」

 いつだってこのガキは人に頼ることをしない。頼るとすればそれはそうすることで相手を安心させるためで。自分のために何かをするということをこいつは極端に避ける。否、そもそも自分をそういった対象として見ていないのだろう。

 幼い頃、それこそ小学生になる前からこいつはずっと人のために生きていた。自分を大切にすることができない人間というのはこんなにも強く猛々しく、そして儚い。常に捨て身で動くのだからそれも必然だった。

 由は何かを追いかけるように体を起こす。

「とう……、待っ……」
「由!」
「ちが、俺、ぼく……っ、にい……」
「由、深呼吸しろ。吸って……、吐いて……」

 過呼吸を起こしながら由が喘ぐ。背中を撫で深呼吸を促すと次第に呼吸は正常なものになった。

「かずひで……」

 目の焦点の定まらぬまま由は俺の名前を呼ぶ。目からは涙がぼろぼろと零れていたが、由はそれに気づく様子もなくぼんやりとしていた。丁度持っていたタオルで涙を拭うと、由は不思議そうに俺の手を眺めた。そこでようやく自分が俺の腕を掴んでいたことに気づいたらしい。はらりと手を解いた。

「……今何時」
「夕の四時」
「……丸一日経ったのか」

 由は低い声でぼそりと呟く。昨日から今日までずっと寝込んでいた自分に愕然としているようだ。実際は寝続けていた訳ではなく途中途中で水分をとっていたのだが、覚えていないらしい。魘されていたのだから無理もない。

「Coloredの、集まりに出ないと」
「熱出てるからダメだ」
「でも、いやだ……出たい……」

 駄々を捏ねる由に言葉が詰まる。あまり自分の要求を口にしない彼だからできることなら望みを叶えてやりたかった。

「……取りあえず飯食え。お粥作ったから。な? 食べて薬を飲んでから考えよう」
「……俺もう元気だよ」

 眉を顰めて訴える由を宥め、口元にお粥を運ぶ。由は小さく口を開け軽く咀嚼をする。椀の半分が減ったところで咀嚼は止まった。

 薬を口に含ませ水を飲ませると嚥下する。

「……苦い」
「もうちょっと水飲め。苦みがマシになる」
「んん……」

 口の端を歪め由は水を飲む。

「飲めた」
「偉い偉い」

 満足そうにグラスを俺に手渡す由。頭を撫でると幼い子供のように笑う。

「これで行けるだろ」
「……そうだな」

 薬が効いてきたのか由は瞼を重そうにしはじめる。

「……約束だから、な」

 ムニャムニャと口を緩ませながら言われた言葉に苦笑する。彼が約束を大事にしていることを知っているだけにその言葉は痛かった。ここでそれを言うかといった気分だ。

「仕方ないな」

 お前がそれを望むなら。

 よいしょと眠る由を抱きあげ、部屋を出る。ポケットから車のキーを取り出し、玄関で由の靴を拾う。車のドアを開け足元に靴を置く。後部座席に由を寝かせブランケットをかける。

 アクセルを踏み込みバーへの道を行く。パーキングに車を停め由を抱きかかえ路地を進んだ。

「お兄さん金持ってね?」
「いい服着てるし持ってるっしょ〜」

 いい金蔓に見えたのか、不良共がワラワラと寄ってくる。雑魚が。

「退け。構ってる暇なんてこっちにはない」

 吐き捨て通り抜けると、逆上した馬鹿どもが殴りかかってくる。こっちは人一人抱きかかえているというのにプライドがないのか。

「退けっつってんだろ」

 ──確かにそんなのが大した問題にはならないのは確かなのだが。

 振りかざされた手を避け回し蹴りをかます。倒れた男の股間を踏み潰すと、声にならない悲鳴が聞こえた。ひぃ、と男の仲間が局部を押さえ後ずさる。

「潰されたくなきゃ退いてろ」

 打ち勝つのは容易いがそうする手間が惜しい。俺が躊躇もなくそれを成すだろうということは今の一撃で理解ができたらしい。男たちはじりじりと後退し逃げ去った。

「お見事〜!」
「……誰だ」

 不意に掛けられた声に警戒する。腰を落とし様子を窺うと、声の主は両手を軽く上げながら登場した。手にはピンクのブレスレット。耳にはピアス。Coloredのメンバーか。

「……ピンクか」
「んんん、そうだけどぉ、桃って呼んでよね。ピンクだと戦隊ものっぽいじゃん。ほら、淫乱ピンクとか」
「淫乱ピンクは戦隊ものの話じゃないッスよ」

 呆れた様子でツッコミを入れつつ登場する緑のモヒカン。ピアスにブレスレット。こいつもメンバーか。

「歓迎するッスよ。誰だか分かんないけど」
「それ、歓迎してもいいの?」
「……いいかなって。え、だめッスかね?」
「僕に言われても分かんないよぉ。馬鹿だもん」
「俺っちも分かんねぇッスよ。馬鹿だもん」

 何だこいつら。
 いきなり茶番を開始しだした二人に戸惑いつつも警戒を解く。

「……俺は由の家で執事をしている者だ。お前らColoredのメンバーだろ。集まりまで案内してくれないか」
「いいッスよ。股間潰しさん」
「もちろんだよ! 股間さん」
「股間さんはやめろ」

 名乗らないと適当なあだ名で呼んでくるとか最悪だ。

「……そうだな、俺のことはカズでいい。あと股間潰したことは忘れろ」
「無理でしょ……敵ながら同情しちゃったもん……痛そう」
「あれ大丈夫なんスかね……」
「大丈夫くないよ……こわ」

 時折俺を見やりひそひそと会話をする二人に呆れる。何とも気の抜ける会話だ。

「じゃ、案内するッス」
「こっちだよ!」
「桃、逆方向ッス」

 ……大丈夫だろうか。





(42/212)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -