あの夏の日を忘れない
4
 俺と橙と先輩だけ。どうやら部屋の中に他の親衛隊員はいないようだった。
 
「お待ちしておりました」

 にっこりと微笑む先輩は、俺達にどうぞと席を勧める。橙は特段何を言うこともなく黙って着席する。勧められたテーブルにはアイスティーの入ったグラスが置かれていた。

「何の話かは分かってそうだね?」

 橙は目を細める。勿論と薄く笑む先輩に、どういうことだと困惑した。俺の戸惑いに気付いたらしい橙は、あぁと頷き俺の手を握る。

「前回のお茶会で親衛隊と話してたんだ。赤を脅かす事態が訪れた時、俺と親衛隊で共同戦線を張るって。今がその時だよ」

 そういえばお茶会の時に橙と先輩が二人で話している時があったな、と思い出す。あれがその話し合いだったのだろう。赤、と橙の手に力が籠もる。

「俺はこれから赤が危険な目に遭わないよう、校内の監視に徹底する。そのためには、赤の許可が必要だ。……それと、俺の我慢も」

 苦々しい顔つきで言う橙に、小首を傾げる。橙が面と向かって我慢という言葉を吐くのは珍しい。

「赤。親衛隊との話し合いが終わったら、三浦に会いに行こう。会って、赤が俺に頼んでくれたことを奴に委ねる。こうなった今、情報戦では奴の方が有利だ」
「、ああ。分かった」

 なるほど、そういう意味での我慢か。納得すると共に少しの照れが湧き上がる。

「赤のことは全部俺がやりたいんだけど……。状況的にはそうもいかないからね」

 俺の理解を裏付けるような発言に、橙の顔を見る。ふ、と笑んだ橙はするりと繋いだ手の指を絡めた。

「……そういやなんで手ぇ繋いでんだよ」
「俺が繋ぎたいから」
「………離せ」
「うん、じゃあ今はこの辺で」

 あっさり離れた手に内心呆れる。そうだ、こいつは会った時から距離の測り方が上手かった。俺がぎりぎり許せるラインまで近付き、折を見て離れていく。そうやって調整をしてくれなければ、俺と橙の曖昧な関係は早々に破綻していただろう。
 前に向き直ると、横内先輩はにこにこと微笑んでいる。どうしたのだろうと思ったのを察したのか、先輩はいえ、と断り口を開いた。

「椎名様が想像よりも元気そうだったので、嬉しくて」

 お気に病まれていないか心配だったのです。
 本当によかったと笑った先輩は、「ですが」と表情を一変させる。

「元気のない時は隠さずお教えくださいね。お元気であるのは嬉しいことですが、それだけを見せて頂きたい訳ではないのです。一番はあなたが無理をしていないこと。初めてお目にかかったその時から、僕の願いは変わっておりません」

 訴えるような切実さをもって先輩の声は俺に届く。先輩の言う『初めて会った時』が、新歓よりも前を指すように聞こえて。予感は、確信に変わった。

「やはり、覚えておられませんか。僕と椎名様が初めて会ったのは、新歓ではありません」
「……いつ、でしょうか」

 編入してから先輩に初めて会ったのは、新歓に間違いない。しかし先輩はそれ以前にも顔を合わせたことがあったという。それはつまり、入学以前に先輩と会ったということで――?
 どの状態の俺と会ったのだろうか。焦りで表情が強張る。先輩は困ったように眉を下げ、俺の質問に答えた。

「お目にかかったのは、椎名様が編入の手続きのため学園にいらした時です」
「……」

 あぁ。そういえばイギリスに渡る直前、この学園に一度来たことがあった。その時は一秀が叔父さんに用があるからとかで俺を連れてきたのだ。実のところ用というのは俺の編入手続きだったのだが、その時の俺は全くそんなことを知らなかった。畠への不信感で荒れている時期だったこともあり、学内での態度は最悪を極めたと思う。

 余談だが、編入試験は知らぬ間に受けさせられていた。学力を測るためのテストだと言って一秀が手渡してきたのがそれだったらしい。

「酷い態度だったでしょう」

 思わず顔を顰める俺に、先輩はいいえと首を振る。

「今と変わらずお優しかったですよ。ですが少し、お疲れのようでした」

 言い換えてこそいるが、要は荒れていたということだろう。苦い表情の俺に、先輩はほら、と中庭を指さす。

「あそこのベンチで会ったんです。ベンチの裏の方で隠れるようにお休みしていました。思い出せましたか?」
「……あぁ、はい」

 うん。ああ、そうか。あの時話したのは横内先輩だったのか。蘇る記憶に声は自然と渋くなった。





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