あの夏の日を忘れない
3
 教室へ帰ると、遠巻きな視線を感じる。どこか怯えのようなものが含まれているのは、先程の集会が原因か。何を言うでもなく着席し、窓の外を眺める。こうしていると、中学の初めの頃に戻ったようだった。屋上通いをする前はよくこうして外を眺めていた。

「し〜いなきゅん! ひゅう!」
「……はぁ?」
「やっほぉ! 夏休み何してた?! 俺はね〜ゲームかなぁ! 家のパソコンはスペックそこまでだから大したことはできないんだけどぉ!」

 ぺらぺらと聞いてもいないことを話すのは三浦だ。なぜか初めて会った時のようなおかしな口調で一方的に話され、少し戸惑う。椎名きゅんって久しぶりに聞いたぞ。

「……三浦?」
「あああああ!」

 本当に三浦かと不安になり、恐る恐る呼びかけると、三浦は俺の机に頭突きをする。隣の席の花井は迷惑そうに目を眇める。

「……ちょっと三浦。テンパるのは分かるけど、はた迷惑なテンパり方しないでくれる。うるさいしウザい」

 花井の言葉に三浦はがばりと顔を上げ、涙目で花井に噛みつく。
 
「止めろよ! 止めてくれよ! 俺がテンパってるって分かってたならさ!」
「なんで僕が。三浦の馬鹿がやらかしても僕に痛む腹はないし」
「初等部からの友情とかさぁ!」

 手で顔を隠し、三浦は押し殺した悲鳴を上げる。今更ながら自分の言動に羞恥心を覚えているようだ。暫くあーだとかうーだとか唸った三浦は、ちろりと指の隙間から目を覗かせる。

「……椎名、何かあったら力になる、から」
「えっ?」
「………俺は、椎名の事情も、過去も何も知らない、けど。それでも椎名が人を傷つけないやつだって知ってる、から」
「……、」
「だからっ、……ごめん。何言えば良いか、分からないや」
「……ああ」

 三浦は眉間を掴むような仕草で顔を伏せる。何かを耐えているのか、喉仏の動くのが見えた。何度も言葉を探し、何も言えないと言った三浦は、何も明かされない俺の事情とやらに想いを馳せたのだろうと分かって。返事をする声は、少し震えた。

「何を言えば椎名が楽になるのか、傷つけないか……何も分からない。頑張れとか、大丈夫だとか、そんなの外野の戯れ言だ。俺は身を以てそれを知ってる。そんな言葉は、何も救えない。ダメなんだよ」
「……うん」
「椎名」

 伏せていた顔を、三浦は上げる。真っ直ぐ俺を見返す目は、決意の色を纏っていた。

「俺は、俺が助けたいと思ったら勝手に助けるよ。俺がD.C.をしてるのは俺のためだけど。俺だって、救えるんだって。俺は、俺のために勝手に動く。それこそが今の俺の存在証明で、俺のための最善だッ!」

 もう、助けたい人を助けられる。それだけの力は得たんだから。

 睨むように俺を見据える三浦。眉を垂らすと、三浦はハッと息を呑む。ごめん、と小さな謝罪を落とす三浦に、話を聞いていた花井は溜息を吐いた。呆れを含んだそれに、三浦は口元を引き攣らせる。

「三浦さ。ここが教室だって忘れてない? 色々ぶちまけすぎだし。……ま、憶測でびびってる馬鹿よりはマシだと思うけど」

 ふ、と口元を緩めた花井は、頬杖を外す。花井は気まずそうに俯く周囲を意に介さず、目だけを俺に向けてぽつりと言う。

「信じてるよ。過去でも、椎名の事情でもなく。椎名が困ったら助けを求めてくれるって、信じてる」
「……、圧がすごいなぁ」
「当たり前でしょ。“信じてる”から言えってこと。分かる?」

 へいへい、という適当さを装った返事に、「僕からはそれだけ」と一言。自然と笑みが零れる。視線も何も気にならない。先程より楽になった呼吸に、落ち込んでいたのだと自覚した。

「ダメだなぁ」

 落ち込んでる自分にも気づけない。

「お前らいなくなったらダメになりそう」

 へらり、笑うと二人はそっぽを向く。ありがとう、呟くと、二人は揃って浅く頷いた。

***

「赤」
「ん?」

 放課後。風紀室へ着くなり橙が声をかけてくる。

「ちょっと付き合ってほしい場所があるんだ」
「分かった」

 あっさりと頷くと、橙はふわりと笑みを浮かべる。

「じゃ、青。任せた」
「ああ」

 短い返事を背に風紀室を出る。入れ違う形で執務室に入るのは、実働部隊のF組連中。普段は執務室に寄りつかない彼らが一体何の用だろうか。

 不思議に思い後ろに意識の逸れる俺の背を、橙の手が前へと促す。

「赤。妬くよ」
「んっ?!」

 予想外の一言にぎょっとする。思わず見上げる俺の顎を、橙の指が軽く摘まむ。

「そんな可愛い顔しないで。つけ込みたくなる」
「勘弁してください……」
「うん、分かってる。しないよ。あ、赤」
「ん?」
「好きだよ」
「……、さんきゅ」

 言いたいことを飲み込み、礼を言う。まだ振るなと言われたが、いつになればいいのだろう。そもそも、俺が『恋愛感情を理解してから』とはどういうことなのだろう。吉衛先輩のことは好きだ。それは恋愛感情と呼べないのだろうか?

 眉間に皺を寄せると、橙は俺の手を繋ぎ廊下を先導する。

「ゆっくりでいいよ」
「……ん」

 満足げに頷く橙は、「着いた」と小さく呟く。

「ここは」
「そう、赤の親衛隊がお茶会とかで使う部屋」
「なんで、親衛隊……」

 ぼろぼろと形をなさない疑問を零す俺に、橙はドアをノックし答える。

「彼らにも手伝ってもらわないといけないからね」

 はい。

 中から横内先輩の声が聞こえた。  





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