あの夏の日を忘れない
48
 何をしても、と決めた俺は円のことを畠さんに相談することにした。

「円と母さんの距離を離した方がいいと思うんだ。母さんも不安定だしさ。お互いのためにならないよ」

 円の置かれている状況と通院を始めた母の容態を指摘する。俺の案を検討する畠さんに、俺は自身の状況については話さなかった。この話を進める上で俺のことに触れるのは障害になる。心配そうな畠さんを見れば、その予想は、的外れなものではないように思えた。

「でも、由くんは」
「俺のことはいいんだよ。俺は円じゃないし、母さんはなんだかんだ俺と円を間違えたりもしてないから」

 ほんの少し、言葉を伏せる。嘘ではない。母さんはまだ、俺と円を間違えるほど判断力を失ってない。近頃の母さんが俺を円と呼ぶのは、ひとえに俺が円の真似をしているからだ。

「だから、円をおじさんのとこの養子にしてよ。おじさん、養子にする子を探してるんでしょ? そう言ったよね?」
「確かに、状況を見れば妥当な判断ですが……」
「なら! 話を進めてよ! もしおじさんと円の相性が悪いようなら他の手を考えるから!」

 じっと強いまなざしで見つめると、畠さんは困ったように首を振った。やはり、子供の提案では呑んでくれないか。他の方法を考えはじめる俺に、畠さんの感服したような声が届く。

「……円治様によく似ていらっしゃる。その歳でこの決断ができるとは大したものです」
「じゃあ!」
「はい、桜楠の家に話を持っていきましょう。円くんを思えばそれが一番でしょう」

 よかった、これで円は大丈夫だ。円が家を離れたら母さんは一先ず治療に専念できるし、俺も身代わりになる必要もなくなる。これが一番いい展開だと信じて疑わなかった。まさか母さんの容態が悪化するなんて思っていなかったから。

 円の養子縁組は一週間後に決まった。円の虐待を畠さんに打ち明けたのはやはり正解だったようである。

 あとは、円に全てを伏せたまま見送ればそれで終わる……筈だった。

「……ッ?!」

 薄く開いたドアの向こう。駆け寄ろうとする円の影に首を振る。来ちゃダメだ。
 俺の考えていることを理解してくれたのか、円はその場で足を踏みしめる。

「円……、」
「っ!」

 円の名前を呼んだ母さんはしかし円の方を向いていなくて。何が起こっているかを理解した円の顔は体中の血が抜けてしまったかのように真っ青だった。なんでだ、そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。何も知らないまま笑って、おじさんと暮らしてくれればそれで幸せだったのに。

 しっぱいした。隠しきれなかった。
 折檻が終わり、へたり込んだ円の元へと近寄る。

「ゆかり」
「円、」
「いつも、代わりに……ッ?」

 問いは問いの形をなさずに投げかけられる。返事をしない俺に、円はふらりと頭を抱えた。笑っていてほしかったのに。こんな筈じゃなかった。自分の不手際を悔いるももう遅い。頼りなく揺れる円の頭を抱き、体を寄せる。耳に口を寄せ、俺はそっと囁いた。

「円。全部、忘れちゃおう。な?」
「……ぜんぶ?」
「そう。……聞いて、円」

 俺の胸に顔を押さえられたまま、円は話を聞く。縋るような不安定さが円にはあった。

「父さんは、病気で死んだ。悲しかったな。それから母さんも体調を崩すようになった。俺たちは、二人だけになった。寂しかったけど、円と一緒なら頑張れた。弱った母さんの面倒を看ながら子供二人の世話をするのは大変で。折良くおじさんの話が耳に入った。養子縁組にする子供を探してる、らしい。おじさんは円を気に入って――養子にすることにした。円はこれからおじさんの家に行くんだ」

 頭を解放し、視線を合わせる。言い聞かせるように言うと、円はこくりと頷いた。

「円、何も覚えてなくていい。忘れていいよ。悲しいことも、痛いことも、苦しいことも、何一つなかった」
「ゆかり、」
「大丈夫」

 僅かに俯く円の手に、自分の手を重ねる。のろのろと視線を上げる円に、また一つ大丈夫だと頷く。もう半分以上理解できていないのだろう。円はほわ、と表情を和らげ、俺の重ねた手を握り返した。

 そのまま気を失った円を畠さんに運んでもらう。養子縁組まであと四日。目覚めた円は、俺の言ったように全てを忘れていた。

 全て――感情の表し方までも。
 俺以外の人間に表情を見せなくなった円はロボットみたいで。俺はまた一つ後悔する。

 円が壊れたのは俺のせいだ。





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