あの夏の日を忘れない
43
 青を待てと言う橙に従いビードロに留まる。カウンターに座り、イライラと指先を弾く。いつも笑ってできるはずのやり取り一つ一つが煩わしくて仕方ない。一秒一秒苛立ちと焦りが蓄積されるような感覚。学園に通う以前はよくあることだったのに、随分と久しい気がするから不思議だ。
 俺が常とは違うことを理解しているらしい緑と桃は黙って見守る。ほら、と渋川さんは温かいミルクティーをテーブルに乗せた。目を上げると「酷い顔」とホットタオルを顔に押しつけられる。

「……、」
「それで顔柔らかくしなさい。少しは楽になるわ」

 ぎゅうぎゅうと押し当てられるタオルはふんわりと花の匂いが香った。強張っていた心が微かに綻ぶ。ほら、いい顔と渋川さんが笑った。

 からん、と入り口のベルの音に続き、バタバタと慌ただしい音が聞こえる。時折何かにぶつかるようにして入ってきた誰かは、俺の横でぴたりとその音を止めた。

「赤ッ!」
「……」

 のろりと視線をやると、目が合った青はびくりと固まる。青の戸惑った表情に、渋川さんが眉間を指さす。目つきが悪すぎるということかと気付いた俺は、先程貰ったタオルを押し当てる。タオルを外したところでいつも通りを保てる気がしなくて、タオルを押しつけたまま話を始める。

「俺の家に来てほしい」
「赤の家に……?」

 いいのか、という無言の問いに頷く。
 いくら気を許しても、今まで家に近寄らせたことはなかった。それは俺なりの最後の意地で、たった一つ彼らに引いた境界線だった。たとえ既に察しを付けられているとしても見せる訳にはいかなかったのだ。
 家は、俺が最も弱くなる場所だったから。

 俺を総長として据える彼らには見せられないと思った。見せたら最後、失望して離れていくだろうと。俺の居場所はなくなるだろうと、そう思って。

 そう思わなくなったから招く訳ではない。ただ、優先順位が変わったのだ。
 円と母さん。それは俺の中で一番重要なものだ。二人がいるから俺は生きている。円の溺れる様子を見ながら助けることができず、果ては父を死なせてしまった俺の生きる価値なんて、二人の幸せを支えること以外にあるだろうか。

 それなのに、母さんをみすみす失ってしまった。
 助け、幸せにしないといけないのに母さんの居場所が分からない。そんなの、じゃあ! 俺は何の為に生きればいい……?

 家を漁っても何も出てこない。一秀と畠さんはなかなか家に寄りつかず、修二はずっと何か迷った表情をしている。

 一日一日家の中を引っかき回す内に、時が遡っていくような感覚がした。ふと鏡を見れば中学一年生の頃の自分が映っていて。その髪が金髪であることに気付いた俺は、限界だなと思った。

 情報が畠によって規制されている今、その方面に長けている訳ではない俺が自力で母の行方を突き止めるのは不可能に近い。となれば、情報系に強い人物に当たる他ないだろう。

 決めた瞬間、足はビードロに向かった。途中で何人か不良に絡まれた気がするが覚えていない。頭の中はどうにかして母さんの居場所を突き止めないとという考えでいっぱいで、それ以外はもうどうでもよかった。誰かを殺すことで居場所が分かるなら殺したかもしれない。

「もう、いいんだ」

 俺のことは。

 関与されることが煩わしくて、秘密にしようと思った。

 母さんを悪者にされたくなくて、普通を取り繕った。

 仲良くしている内に、欲が出た。

 普通じゃなかったら。俺が本当は弱いのだと知れたら、捨てられるかもしれない。一緒にいたいと思ったら、今度は秘密にするしかなくなった。秘密に、絡め取られそうだった。

 でももういい。諦めた。
 優先すべきは俺でない。そこはもういい。だから。

「調べてほしいことがある」

 これで、全て終わりにしよう。
 





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