「なにしてるの」


 風呂に入ると言っておいたのに。彼はそんなことには構わず堂々と入ってきた。声をかけても知らんぷりでわたしをまじまじと見つめてる。しかも服を着たままで。こっちは湯船に入っていて、裸で、明るくて。彼はわたしをじっと見てくる。


「名前の裸が見たくなってさ」


 何を言っているんだこいつは、なんて思いつつ、無視するように鼻までお湯にうずめた。今更隠すような関係じゃないし、わたしはそのままわたしの入浴タイムを続行する。わたしの大切な時間を邪魔されて、苛々する気持ちも無いわけではない。


「少しは恥じらったりとかないの?」

「わたしがそんな人間だとまだ思ってるの」

「まさか。ジョークだよ、ジョーク」


 ジョークにしては、つまらないし。どうしようもないこの男をどうしようかと考えてみるけれど、どうも良い答えは出てこなくて。出て行く様子もないので、本当に見たかっただけなのだろう。…何が面白いのかわたしにはさっぱり分からないが。


「言ったっしょ?オレを殺してって」

「言ったけど、何でわたしが秀星殺さなきゃいけないの」


 そう、丁度数日前、彼は突然こんなことを言い始めた。サイコパスが濁ってきているようなことはないと唐之杜から聞いたのだけれど、毎日きちんと仕事もこなすしゲームも料理もしているというのに、何故。


「だよなー、名前は手汚したくない人だもんなー」

「酷い言われようね、わたし」


 ま、否定はしないけど。そうこうしているうちに、彼は湯船に足を入れた。ちょっと、という制する声もよく響く水音に消されて、彼は肩まで浸かってしまった。靴下は入ってくる前に脱いでくれていたようなのでまだいいけど、湯の中で遊ぶ服が非常に目障りだ。さして広くもないバスタブでは、脚があたる。


「…秀星が死ぬくらいなら、わたしが死んであげるわよ」

「えー意外!そんなこと言ってくれると思ってなかった!」

「本当、時々酷いよね、秀星って」


 秀星にすら見くびられるような振る舞いをしているわたしも悪いんだけど。あったかーい、なんて言う秀星に、何だか笑えてしまった。


「名前〜」

「どうしたの、甘えた期?」

「わかんね」

「うわっ」


 腕を伸ばしてわたしの首に巻き付いてくる彼。急に体重がかかってくるものだから、滑ってバランスを崩して頭まで湯船に浸かってしまった。慌てて底に手を付いてバランスをとる。


「何するのよ」

「やわらけ〜」

「お風呂の中でとか嫌だからね」

「はいはい、そんなに睨まないでくださいよっと」


 狭いバスタブ、近い顔、明るい光、響く声。全てがかきたてるものでしかないのに、今はそんな気分になれなかった。何となくその雰囲気を感じ取っているのか、彼も普段だったら「お風呂から出たらいいんだ?」なんて言うのに、そんな返事が来ることはなかった。


「キスしたい」

「待って」

「はいはい、仰せの通りに」


 わたしに乗り掛かる彼はまるで餌を待つ犬のようで。今か今かとわたしの声を待っている。痺れを切らす、その時を。


「死んであげてもいいよ」

「マジ?」

「その代わり、ちゃんと食べてね」

「…もちろん」


 答えると彼は唇に噛みついて、眼の色を変えたのを水中で見た。


*****


「執行官が死ぬなんて、前代未聞だ」

「やっぱり、そうなんですか…」

「当たり前だろ、こんなんじゃ俺達の面子が丸潰れだ」

「さっさと犯人見つけなきゃねー、コウちゃん?」

「嗚呼」


 勿論彼はきちんとアリバイを作ってあり、足も洗ってあった。


「でも死体が無いなんて。一体どこに隠したんでしょうか」

「それを探すのも、俺達の仕事だろ?お嬢ちゃん」

「そう、ですね」


 苗字名前が見当たらなくなってたった2日。2日目にして捜索された彼女の部屋は、まるで誰も住んでいなかったかのように片付けられ、不自然に張られたバスタブの湯だけが残っていた。彼女の香りを残して。


「最後の部屋のホログラムは」

「履歴が消されています。…本当は、ただの行方不明なんじゃ、」

「それはない。だったら誰がこんな意味深なことをする」

「あの子は履歴消してくようなマメな子じゃなかった。書類だって全然書いてるように見えなかったけど。ねえギノ?」

「ああ。外に行くのが好きなだけだったな、あれは」

「それに、家具を総入れ替えなんてそうそうしないだろう?」

「そう、ですね」


 世間から隔離された執行官の暮らしに、入りこんでいけるのは同じ執行官だけだ。殺せるとしたら…



 これからの未来に、退屈なんて畏れていない。



image song by Ringo Shina「浴室」
誰得メイキング
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