4.しかし悪いのは彼である


まだ朝靄の残る明朝の忍術学園の門の前。そこに私と彼は居た。彼がこれから任務に行くというので見送りに来たのだ。彼は申し訳なさそうな顔で私を見た。

「こんな朝早くに悪いな」
「あたしが好きでやってる事だから。気にしないで」

私が笑ってそう言うと彼も少し笑った。スッと彼の男らしいごつごつとした手が私の頬を撫でる。触れた手は冷たかったが、あまりにも優しく触れるものだから、私は何も言わずにその手に擦り寄った。そんな私を見て彼は猫みたいだな、と笑う。
やがて彼がゆっくりと私の頬から手を離したので、私も名残惜しげに彼の手を離した。急に温もりが無くなった頬を、今度は冷たい風が撫でる。

「じゃあ、行ってくる。わざわざ見送りありがとな」
「…気をつけて」

そんなに私は酷い顔をしていたのか、私の顔を見て彼は苦笑気味に笑った。それからぽんぽんと軽く私の頭に手を置いてから背中を向けた。忍らしく音も無く歩く彼の後ろ姿を見て「ねぇ!」と声を掛けた。掛けずにはいられなかった。
彼はこちらを振り向いてきょとんとしながら「何だ?」と聞く。
私は震えそうになる声を押さえて言った。

「帰って、くるよね?」

聞いてから後悔した。聞かなくても、答えは分かってるのに。
彼は私の問い掛けに少し目を見開いて、それからニカッと笑った。

「勿論。当たり前だろ」

ほら、やっぱり。
あたしは泣きそうになるのをぐっと堪えて笑顔を作った。

「待ってるね、ずっと」

私がそう言うと彼は満面の笑みでおう、と笑った。そしてもう一度「いってくる」と片手を上げる。私も今度は「いってらっしゃい」と微笑みながら手を振った。
そうしてついに彼は一度もこちらを振り返る事なく行ってしまった。
私は彼が見えなくなってからも暫くそこから動かなかった。ただじっと彼が去って行った方向を見つめる。

「…うそつき」

ぽつり、小さな声で呟いた。

彼は、もう二度と此処に帰って来る事はないだろう。

彼は任務についてはいつも私に何も言わない。その事を知っている彼の級友が、教えてくれたのだ。
どうやら今回の任務はかなり危険なものらしい。
恐らく彼の実力では、任務を遂行して帰って来れる確率は二割にも満たないと、言われたそうだ。
それでも彼は行く事を選んだ。
彼の級友には何とかあいつを止めてくれと頼まれたが、多分、いやきっと私がどんなに泣き叫んで止めても彼は行っただろう。彼は誰よりも『忍』という仕事に誇りを持っていたから。

嗚呼、なんて、酷い人。

私が泣きそうになっている事に気付いていた癖に。私が任務について聞いた事を知っている癖に。もう、帰って来る気などなかった癖に。全部全部分かっていた癖に、なのに、笑顔で大嘘をついて。酷い人。
ならばそんな嘘ついてほしくなどなかったのに。あんな風に、優しく触れて欲しくなど無かったのに。

本当に、どこまでも優しくて、どこまでも残酷な人だ。

はっきりと言ってくれた方がどれだけ楽だったか。そんな事を言われたら、期待してしまうではないか。

また逢えるのではないかと。

分かっているのに。それでも、笑いながら「ただいま」と言う彼を、泣きながら嬉しそうに「おかえり」と彼に抱き着く私を、夢見てしまうではないか。
そんな、幸せで、悲しい夢を見てしまうではないか。

「…っ」

はらはらと、涙が零れた。雫は頬を滑り、顎を伝って地面で弾ける。
まだ頬にも、頭にも、手の平にも、彼が触れた部分全部に彼の熱が残っている。
まるでまだ傍に彼が居る様な気がして。
余計に、涙が溢れた。

どんなに泣いても、優しく拭ってくれる彼は、もう居ない。





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