10.HAPPYでBADな終焉を


カウンターの向こうに嵌め込んである鏡を覗き込んでは何度も自分を確認した。彼の好みに合わせた服装、丁寧にブローした髪、そして可愛いと思ってもらえるように一つ一つ思いを込めてした化粧。何もかも全てをこの日のためにつぎ込んだ。まだかな。グラスを傾けながら腕時計をチラリと確認すると約束の時間はとっくに過ぎていた。それでも焦ることなくゆらゆらと彷徨う液体を傾けた。どうやら遅刻の常習犯というのは五年経った今でも変わらないようだ。思わずクスッと笑った。早く来ないかな。そわそわしていると入り口の方からいらっしゃいませ、と店員の声が連なった。来た。素早く顎を引き、唇の両端をきゅっと上げてから振り返った。店内に鈴の音を響かせて現れたハチはやはり何ひとつ変わっていなかった。遅いよ。飲み干したグラスを見せれば軽く小突かれた。



「俺が来るまで待ってろってあれほど言っただろ」
「それはハチが遅刻しなかったらの話だよ」
「仕方ないだろ」
「もしかして彼女さんが離さなかったとか?」



恐る恐る出した声は震えていた。スカートの上に置いてある手がじっとりと湿る。それは座っているイスにも浸透した気がして気持ち悪い。お願いだからそんなわけないだろ、って大袈裟に肩を竦めて否定して。遮断するように目をギュッと瞑った。なに言ってんだよ。溌剌とした声に目を開ければハチは柔らかく微笑んだ。それに思わず安心した。



「なんでそうなるんだよ」
「そうだよね‥!!ごめん変なこと言って」
「そもそも別れたって言ったろ?」
「え‥?」



驚いてハチを見れば何でもなさそうにスコッチを頼んでいた。‥別れたの?高鳴る胸を抑えながら恐る恐る訊ねると二ヶ月前にな、とグラスを口に運んだ。屈託した表情が見られないことから未練はないと思われた。でもたとえあったとしても別に構わない。彼女と別れてくれさえすれば



「そういや、今日はなんで私を呼んだの?久しぶりに会いたいなんて」



まるで恋人みたい、という言葉は呑み込んで代わりにどうしたの?とそわそわしつつも期待した眼差しで見つめた。ずっと好きだった。大学を卒業して五年が経った今でもハチのことが好きだった。そして今日、久しぶりに会いたい、と寄越した電話に胸が躍った。ついにこの時が来たのだ。ようやくハチが私を選んでくれる瞬間を。



「実は‥」



ハチの表情にふっと甘いものが漂うのを感じて期待は高まった。



「俺、結婚することになったんだ」



竹谷先輩が八重歯を光らせながらあの眩しい笑顔で孫兵!!俺、結婚することになった、と僕に言った。その時の僕はなんて先輩に返したか覚えていない。ただ先輩は照れ臭そうに頭を掻いていたからきっと祝福の言葉を言ったに違いない。ぼんやりとした頭で紡いだ言葉に先輩は結婚式に孫兵も招待するから絶対来いよな、と目を細めて笑った。あれから何ヶ月も経ったが招待状は届いていない。代わりに来たものは竹谷先輩が行方不明になったと先輩の友人から入った一本の電話だった。姉もそのことを一緒に聞いていたが顔色ひとつ変えずにそう、と他人ごとのように呟いただけだった。ただ、竹谷先輩が消息を絶ったと同時に姉は庭にべったりと張り付くようになった。夏が終わって肌寒くなってきたのにまるで心を奪われたようにうっとりと庭を眺めているのだ。今も背中を丸ませて恍惚と庭を眺めている。しゃがみ込んでいる姉さんの隣に立つと孫兵、と庭を見つめながら僕を呼んだ。



「今からここに向日葵を埋めようと思うんだ」
「向日葵‥?夏が終わったばかりなのに?」
「うん、だって向日葵が似合うんだもん」



何に?と訊ねようと口を開けた瞬間、ピンポーンと軽快に響いたチャイム音に姉は腰を上げた。宅急便です、と玄関に荷物を持った配達員に届いたのね、と顔を明るくして玄関に向かった。姉の背中を見つめた後に二坪くらいに掘り返してある黒い土を見下げた。先輩、



「姉のために綺麗な向日葵を咲かせて下さいね」



それが姉を裏切った罰です。少しこんもりと盛り上がった土にそう言って、僕は家の中に戻った。





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