DOCUMENTARY | ナノ



2017 1229 Fri

朝、帰路に着く。お酒を飲むようになってからはそんな非日常的な時間が増えた。いつもは人通りが多くてざわめきに満ちている横断歩道が、出勤や登校のためにむっつりと押し黙って俯きながら歩みを進める灰色の空気に包まれていた。しん、としていた。磨り減ったタイヤがコンクリートを蹴りつける音がして、車という金物が走行していることに気が付く。いつも眺めていた景色とは全くちがう空間が早朝の時間にはあった。そんな発見に楽しくなって、口の端に笑みを浮かべながら帰りのバスを待っていた。

ある大きな〆切が終わりました。あまり隠していませんから察しの良い方は判ると思いますけれど、呪いのように付きまとっていたものに終止符を打ちました。その感想を端的に言えば、ただ一言「苦しかった」ということ。精神がこれでもかというほど苦しめられました。床に就いて身を起こすことが出来なくなるほどに心がめちゃくちゃになりました。そんなときほど他人の不理解は私を打ちのめして苛めました。一度は「精神の病は気の持ちようだ」と楽観視していたことがあり、その視点の存在を否定しません。よく解りますから。だからこそ、膝を抱えて涙に咽ぶほかありませんでした。この病とは恐らく一生付き合っていくことになるかと思うので、いつかこいつを好きになれたらいいですね。そうしたらちょっとは楽しくなれるかもしれない。
そんなわけで、私はいま解放感にあります。満足のいく結果にはなりませんでしたが、それは先述のような所以だったので正直なところ諦観しています。だから責めないでくれよ、おれのハートはもろいんだ。数日は遊びに暮れる予定です。その後はやりたいことを少しずつ消費していこうかと考えています。お話も書いていきますよ。ようやく、ようやく文字に嬉々を見出せる。書きたいことを書くことが出来る。言葉を思い付くままに載せられる。ハッピーだ。ハッピーはすてきだ。

さて、久しぶりに脳みそから直接お話していますから、携帯電話に表示される予測変換の厭わしいこと。私の脳みそを理解していないこいつはてきとうやってやがる。そんなら表示するんじゃねえ。しかし、これも彼のお仕事のひとつ。受け入れましょう、お仕事は大切です。
たばこの話でもしましょ、と先日の日記で言っておりますので、それにすなおに従います。私は過去の奴隷です。ひとを選ぶお話ですから、追記にてボソボソとお喋りします。よかったら付き合ってください。

ほんと、自分の思うままにお話しすることが出来るって幸せだ。午前のうちから幸せになれた。いやあ幸福者だ。みなさんにも細やかなハッピーがあると、それはラッキーですね。片仮名っていいなあ。



時の果てへ燻らせて