DOCUMENTARY | ナノ



2017 0423 Sun

「楽しい」という感情が最も大切なものだという話をツイッターのほうで話したことを思い出す。快楽主義者と恰好を付けることは難しい。崇高な勉学や哲学による快楽も内包してはいるけれども、そんな大した快楽じゃなくてもいい。今日の昼飯がうまかった、何だかよく眠れた、そんな取るに足りない快楽も大事にしたいと思うのは、いけないことなのだろうか。目先の欲に囚われたい。それが楽しいのなら、わたしはずっと足元だけを見て退屈な笑いを浮かべていたい。

「楽しい」と「退屈」が同伴することはないように思えて、わたしは同伴可能な二組と考えている。退屈が楽しい。つまらないことが楽しい。何もしない時間が心地いい。忙しいことも好きで、大変なことも楽しければ好きだ。何も矛盾はない。楽しくなきゃ未来だって見たくない。

先を見据えなければならない時期に来た。わたしの人生について沈思せよと面白くないお達しが届いた。わたしの人生なんてどうでもいい。楽しければ何でもいい。いませっかく楽しいのに、環境を変えなければならないのは嘆かわしいね。それでも歳は食うし時間も経つ。みんなは十年後どうなっていれば両手を挙げられるんだろう。わたしはいっそ死んでいたらいいのにって思う。一年後でもいいよ。あとちょっとで死ぬんだから衝動的に生きようって笑えるからね。生きたいと思っているひとに失礼だって言うなら、どうしたら失礼にならないのかなあ。別に死にたいってわけじゃない。自分から死ぬのはもったいないと思う。ただ受動的に死ぬことを望んではいる。受動的に生まれたのだから、受動的に生きて、受動的に死のう。いつだって受け身をとってるぜ。ビターン!

こんなことを退屈な朝のスターバックスで書いています。楽しいね。ご存知の通り鬱々とすることはわたしにとっての楽しいことのひとつですから、格別死にそうなわけじゃないんで安心してくださいね。死にそうになったら深海魚とかハンスとか終わらせてからにするから。わたし自身彼らの行く末を見届けなければおちおち死んじゃいられない。

近ごろ実況のwrwrd!さんたちを追いかけています。とっても面白いね、彼ら。知的なユーモアは聞いていて愉快だし、くだらないことも頭を空にして笑える。ニコニコやユーチューブというコンテンツを正しく運営し、ひとつの統率された組織として活動していることも好感が持てます。しっかりしている、って強みじゃないかな。チャンネル会員に入って国営放送や議会のタイムシフトを聴いていると、組織運営のために議題を挙げたり討論したり、と実に真面目。わたしは真面目なひとがとても好きでね、加えて面白みもあれば大好きになるよね。さらに運営を楽しんでいる。嫌いになる理由がないなあ。
たかだかSNSなのだから手抜きで構わないという気持ちもあるけれど、彼らはSNSを媒体として自らの活動をしていると見受けたいな。それが正しいものだと常々思っていたから尚のこと贔屓目しちゃうね。所詮SNSは媒体に過ぎないのだからそこが終着点や目標になってしまっては随分と狭いと思いませんか。現代の……というかSNSの性質上そうなることは必然だったけれど、逆転してしまっているように感じるんだよなあ。よくないことと思うのはきっと考えが凝り固まっているからなんだろう。「これだから最近の若い者は!」と同レベルの話だね。
まあ、兎にも角にも彼らの運営形態がすごくわたし好みという話です。興味があったら見てみてね。おすすめだよ。

あと、追記でチャンネル会員限定のブロマガや議会放送の話をさせてください。まだまだ話すぞ。べた惚れすぎィ!



あす、さびしい心臓とともにいきます