114.1、コックとらっきーすけべ


大量に重ねられた皿洗いも、朝食の仕込みも、ナミの病人食の用意も全て終わらせたサンジはエプロンを脱いで椅子に腰を下ろした。煙草を一本取り出して、マッチで火をつける。全て片付けた後の一服がまた堪らないのだ。料理を愛しているサンジは、片付けまで丁寧に愛を持って行っている。シンクをピカピカに仕上げたあとは数分間こうしてゆったりと過ごすのがもうお決まりになっている。これを吸い終わったらお風呂に入って、紅茶を飲んで男部屋に帰るのだ。

壁にかけてある時計が22時を教えてくれた。今日は少し早く食事も準備も片付けも終えたからお風呂に入るには40分ほど早かった。けれど、うちの男性陣はサンジ以外は毎日入らないし、ナミは熱を出しているから今日入浴するのはアリエラとビビとサンジだけ。女子部屋は23時が消灯時間だし、二人ももうとっくに済ませているだろう。じっとしていてもナミのことが気がかりだし、今日はもうお風呂に入って早く寝てしまおうと、そう思い立った。ギリギリまで煙草を吸って、灰皿に押し付けると同時に腰を持ち上げる。

「うう、今日は冷えるなァ…冬島気候なのか?」

外に出ると、ひんやりとした風が肌を撫でて身震いした。偉大なる航路は季節も気候もバラバラだ。さっきまでは春島気候だったのに。甲板に降りてみたら転がって眠っているルフィとウソップのいびきの大合唱でサンジは少し呆れて彼らを見回した。

「寒くねェのか? こいつら…」

タンクトップ姿で笑顔で眠っている二人を見てゾッとした。おそらく気温は一桁だろう。こんな寒空の下よく…と見てるこっちが寒くなってきて、サンジはふいっと目を逸らし、倉庫に向けた。

中に入ると幾分寒さは和らぐが、今日は湯船に浸からないと体が冷えてしまいそうだ。とりあえずお湯を貯めよう。この倉庫の下は女子部屋になっている。ナミの様子が気になり尋ねたくなったがもう22時を超えているしナミと一緒に早く寝ているかもしれない、と赴くのをやめて戸棚に手を伸ばす。今日洗濯したばかりだから衣類をバスケットの中に入れたままにしておいたのだ。
ナミさん、大丈夫かな…苦しくねェかな…。ああ、変われるならおれが変わって差し上げるのに…っ!
大好きなナミさんのことを考えていたから、意識も注意も散漫していた。ドアノブに手を添えたところで、ぴちゃりと水が跳ねる音がサンジの鼓膜に飛び込んできた。この時間だしレディーではない。ゾロが入ってんのか?と外にいなかった人物を思いながら、もう押してしまったドアをそのまま勢いよく開けた。

「珍しいな、ゾロが風呂に入ってるって。悪ィが出るとき……、」
「えっ、きゃあ!」

お湯を張ってくれ。と、最後まで言葉を紡げなかったのはユニットバスの中にいたのがゾロではなく、片想いをしている相手だったから。彼女はちょうどバスタオルを棚に置いて、服を着替えようとしている時だった。女の子の甘い入浴タイム、むき出しになった色っぽい裸体、その身体を持っている人物は片想いしている唯一の──、サンジの頭はパニックに陥りドアノブに手をかけたまま固まって一点を見つめていたが、両腕で豊満な胸を隠し、座り込んだアリエラの潤んだ瞳とばっちり目があってサンジは一瞬にして意識を蘇らせた。

「う、うわあああっ、えっ、アリエラちゃ…ごめん、本当にすまねェ!!」

沸騰しそうなくらいに顔を真っ赤に染めて、裏返った声で悲鳴を上げ、泣きそうな顔して謝りドアを閉めて二人の間に壁を作る。中から震えた息遣いが聞こえて、おれは何をやってんだ…このクソコック!と自分の頭をごつんと叩いた。これがナミやビビだったら、目をハートにして鼻血を出してラッキーと徳に変えていただろうが、相手はこの世で唯一真意な愛を持っている片想いしているアリエラだ。そんな、徳とかラッキーだとか思えなくって。嫌われてしまった、とか、おれに見られて嫌だっただろうな、とか、本当に申し訳ねェとか、あらゆる思考に陥ってしまう。
でも、あまりの興奮とパニックに血管が膨張したのか鼻血はたらり流れ出て、サンジのシャツに赤いシミを作った。

「アリエラちゃん、ごめんね。本当にすまねェ。キミが望むなら土下座でも何でもする。おれがいくら謝ってもアリエラちゃんのその嫌悪はもう拭ねェかもしれねェが…」

タオルで鼻血を拭いながら、扉を隔てた向こう側にいるアリエラに深く頭を下げた。全身熱を持っているし、男のさがだ。不可抗力だが血液が一箇所に集中して布を押している。ああ、クソ。どこに誠意があるんだよ。と己に嫌悪と憤怒を抱く。向こうで息を飲む音が聞こえた。ぴちゃりと雫が静謐に反響する。

「さ、サンジくん…こちらこそごめんなさい。入浴中の札をかけ忘れていたのは私のせいだわ」
「え、いやアリエラちゃんは謝らねェでくれ! ほんと、今回はおれが100%悪い。見苦しい弁解になるが、おれは考え事をしてて…きっと札に意識もいかなかった。それにこの時間にお風呂に入ってるのはゾロだと先入観があって…札をかけてくれていても結果は同じだったに違いねェから、アリエラちゃんは何にも悪くねェ」

優しい声で謝ってくれたのがまた情けなくって、グッと奥歯を噛み締める。
中にいるアリエラはドキドキと早まる鼓動はそのままに。だけれど、徐々に落ち着いてきた頭でサンジの言葉を聞き入れた。これは事故だ、どちらも何も悪くない。そう言いたいけれど、唇も指先も震えて喉がこくりとなるだけ。どうしてかしら、ゾロに見られた時はこんなにもドキドキしなかったのに…。彼は女の裸に興味がなかったからかしら。そう考えたあと、もう一度息を飲み込み、意を決して口を開いた。

「…ううん、サンジくんは何にも悪くないわ。これは事故…前にね、ゾロにも気づかれないで開けられたことがあるの」
「えっ…ゾロにも?」
「ええ。わたしったらダメね、札をかけるのを忘れちゃって…。二度もあるのだからこれは私の不注意のせいでもあるのね」

ぽつりとこぼされたアリエラの言葉は、サンジの胸を締め付け撫でていった。あの剣士もアリエラちゃんの入浴を…湯気で隠されてはいたけれどあの色っぽいスタイルを見ていたのだと思うとどろりとした黒い感情が腹の底から湧き上がって、サンジのざらざらとした感情を掬い上げた。彼女はおれのレディでも、ゾロのレディでもないのに。女の子の裸を見てしまったというのに、この醜い嫉妬心を抱いている自分はなんて愚かだろう。どこが紳士なのだと呆れてしまう。ぎゅうっと拳を握りしめると返事がないことに不安を抱いたのか、「サンジくん…?」とか細く呼ばれてはっと顔を持ち上げた。

「…ううん、アリエラちゃんのせいじゃねェよ。ごめんね、好きでもねェ男に見られて嫌だっただろ。本当にごめんね、アリエラちゃん」
「…サンジくんのこと大好きよ。だから、嫌じゃないけれど…死んじゃいそうなくらい…ドキドキしてて…、何にも考えられないの、」
「…っ、アリエラちゃん…そりゃあ反則だろ…ッ、意味わかって言ってんの?」
「だ、だってえ、サンジくん鼻血出して倒れたり…しないから、変に意識しちゃって…」
「それはアリエラちゃんが──」
「…私が…?」

この場に流されて何を言おうとしているのだ、サンジは慌てて口を塞いでそれから回らない頭で必死にそれらしい言葉を紡ぐ、

「あ、ルフィたちが起きたみてェだ」
「え、ルフィくん…?」
「あァ、おれ行かねェと。アリエラちゃん、本当にごめんね、ゆっくり着替えてね」
「……うん」

飛び出してしまいそうな心臓とどくどく流れていく血液の怒張を抑えるため、煙草を取り出して一服するために外に出た。この寒さが熱をもった身体を冷やしてくれるし、いびきが重なる静かな空間は真っ白な脳を徐々に溶かしてくれる。ルフィが起きたなんて大嘘だ。大の字になってウソップと二人ですやすや眠っている。

「……おい、コック。酒」
「…てめェ、おれの顔見りゃ酒ってな、もう十分飲んだだろうが!」
「あァ? 足りねェから言ってんだ」

その時、最も会いたくない人物がこちらに気づき低く言葉を投げた。
てめェ、アリエラちゃんの風呂を覗きやがって──。なんて、自分のことを棚にあげて突っ掛かりそうになるのをグッと堪える。そのかわりに、彼に厳しい瞳を向けていたらしく。向こうもむっすり瞳を細めて近づいてきたが、サンジの赤い表情と血に濡れたシャツ、その他諸々を見て、何となく察しがつき、フンと鼻を鳴らした。てめェ何アリエラの風呂のぞいてんだ。と言いたくなったが、先に覗いたのは自分の方だから言葉にはできなかった。きっと本気を向ける彼女にはメロリンしなかったのだろう。

「……おい」
「…だから酒はもうやらねェって」
「違ェ、“それ”どうにかしとけよ。アリエラに嫌われんぞ」
「なっ…う、うっせェ! どこ見てんだてめェ!」

思わずポロっと煙草を甲板に落としてしまいそうになった。変なこと言うからまた真っ赤になってゾロに噛み付くが、剣士は何を思ったのかけらりと笑って不寝番の仕事をすべく見張り台に登っていった。



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