107、美というもの


「柱を壊して、ルフィ!」
「お願いね、ルフィくん!」

より勢いを孕んだキャンサーは今ではもう目にも止まらぬ速さで回転している。
それゆえに、降ってくる蝋の粉も勢いを増している。このままだとすぐに固まってしまいそうだけど、今はルフィとウソップそしてカルーと頼もしい仲間がいるから安心だ。固まる前にはここを脱出できるだろう。
ほっと安心していると、ふっと隣の影が動いてアリエラは顔を持ち上げた。

「え、ゾロくん?」
「なに、どうしたの?」
「どうせ固まるんならこのポーズがいい」
「そんなふざけてる場合じゃ…!」
「ふざけてねェ!」

一番最初に気がついたアリエラの声に引かれて、ナミとビビも視線を流してみると信じられない光景が映ってぎょっとした。
これまで普通に立っていたゾロの左腕はピンと空に伸ばされて、握っている刀の鋭利の先端が太陽光に照らされきらりと光っている。右手は腰に当てられ、しっかりと立っている。彼は真剣な顔してポーズを決めたのだ。
ナミとアリエラは顔を見合わせて柳眉を下げるだけだ。もう分かっている。うちのクルーはみんなみんなこう緊張感を持たないのだと。抵抗するだけ無駄なのは知っている。これからきっと一生生涯を共にする仲間なのだ。彼らの生き方、性格を受け入れなくては。

「それよりもその足を何とかしなさいよ。見てるこっちが痛いわよ」
「うっせェな。じゃあ見るんじゃねェ」
「アリエラの服や足にも血が飛び散っているじゃない」
「あら、本当」
「……悪ィ」

視線を下げてみると、ショート丈のジーンズにも白いバレエシューズにも所々返り血がついていて、それを確認したゾロは申し訳なさそうにわずかに眉根を寄せた。彼女が洋服を大切にしていることを十分知っているから、だからと言ってしたことについて弁解する気もないが。
アリエラはゆっくりと首を持ち上げて、やんわりと目尻を弛ませてぎこちなく首を振る。もうまともに動かないほどに蝋化が始まってしまっているのだ。

「大丈夫よ、ゾロくん。だってもしルフィくんたちが来なかったらわたしの血でもっと汚れていたことになるんだもの」
「あんたねえ、本気でゾロみたいに足を切り落とすつもりだったの!?」
「ええ。だって、このまま何もしないで死んでいくのは嫌だもの」
「信じらんないわ…アリエラもビビも」

はあ、と盛大にため息を吐くナミにアリエラとビビは微かに微笑むだけだった。
ゾロも緩やかに口角を持ち上げている。アリエラの覚悟とその心意気がより気に入ったのだろう。やっぱり、こいつはおれの惚れた女だな。と思わずにはいられないのだ。

「だいたいね。この状況で足を斬って逃げようとかいうのもバカな考えだわ」
「そうじゃねェ。足を斬って戦うんだ」
「余計にバカよ!!」
「うるせェな!」
「ったく、常識がない奴らばっかり!」
「うふふ、きっとナミもいつか常識がない奴らになっちゃうわよ。だってわたしたちは海賊なんですもの」
「あァ。アリエラの言う通りだ」
「私は絶対そんなバカな真似しないもの! 全く苦労するわ、この先」

また盛大なため息をこぼす。ゆらゆらと吐き出されたそれはナミの足元に落ちたが、しっかりと固められ動きもしない塊の上をただ撫でるだけだった。
クスクス笑うアリエラに口角を持ち上げてポーズを取っているゾロ。文句を言いながらもリラックス状態のナミ。3人の様子をビビは驚いて見つめていた。

「(私たちはまだ境地から抜け出したわけじゃない。なのに3人はまるで危機を感じていない…どうして?)」
「足掻くのはここまでか? 小僧」
「あァ。交代だ」

異変を感じ取ったのはブロギーも同じで、もう地に引っ付いて離れない顔をそのままに目線だけをゾロに向けて訊ねると、彼はさらに口元に弧を描いて笑ってみせた。彼に合わせて、ブロギーも「そうか」と満足そうに微笑む。

そんなゾロたちの異変はやはり、敵もしっかり感じ取っていてミス・ゴールデンウィークはレジャーシートの上に正座し、煎餅を食べながら海賊たちを指さした。

「Mr.3。まるで緊張感のない奴らだわ」
「それはキミも同じだガネ、ミス・ゴールデンウィーク!!」

本当に状況を理解していない者ばかりで、Mr.3は少しの焦燥を感じていた。
じりじりと肌を針で刺されるような嫌な緊張感に逆に襲われてしまう。

「ポーズ取るなら今のうちだぜ」
「一緒にしないで」
「もう、ゾロくんったら」
「Mr.ブシドー! 真面目にやってください!」
「おれはいつでも真面目だ。いいのか、エトワール。ポーズ取らねェで」
「いいもの。ありのままの私で固まってやるわ」
「そうか」

彼に初めてエトワールと呼ばれて不意にどきりとしてしまった。
近日まで数年間。本名よりもその称号で呼ばれてきたが、そう呼ばれて初めて胸の疼きを感じたのだ。はじめて、今世紀初であり唯一のエトワールをもらえたときみたいな、新鮮な気持ちになる。

「そんなバカなことアリエラにさせないでよ」
「おめェはバカバカうるせェな! お前にバカ呼ばわりされる筋合いはねェぞ!」
「だって本当にバカなんだもん。ねえ、アリエラ」
「う〜ん…、えへへ」

潔さはとてもかっこいいと思うし、でもちょっとおばかだわ。とも思うからアリエラは苦笑いを浮かべて曖昧に濁した。

「えへへってなんだ」
「うふふ…でも、ゾロくんがポーズを取りたいのならそれは別に構わないけど。あの人の言いなりになってあげる必要はないわ! 本当は蝋彫刻ってとても美しいものなのよ、だけどあの人がやっているのは美術じゃなくただの人殺しだもの。美や芸術は人を殺めたりなんかしない。わたしたちがハマってあげる道理はないわ」
「美は人を殺めたりしない? ふん、キミがよくそんなことを堂々と言えるなあ」

メガネの奥で三日月型に歪んだ瞳がねたりとアリエラの視線に絡み付いた。
不思議そうにこちらを見下ろしている彼女。実に愉快でMr.3はクックと喉を鳴らした。

「私とキミのどこが違う? エトワール」
「あんたとアリエラ!? ぜんっぜん違うじゃない、似てもないわ!」

彼の発言に仰天したナミが怒りのような声をあげた隣で、アリエラは静かに「どういう意味?」と片眉を持ち上げて彼を見下ろした。

「キミはその美貌でこれまで何百…何千、いいや……何万もの人々を気絶させてきただろう。それも泡まで吹かせてな。中には心拍停止……そのまま死んだ奴らも数人いたそうな。つまり、美は時に人を殺めてしまうものだガネ。それを証明したのはエトワール、キミ自身だろう? 事実は雄弁に物語っている…違うカネ?」
「……!」

それは、ぐうの音も出ない提示であった。
エトワールの頃、女学院から馬車へ、舞台から馬車へ。馬車に乗るときにはまるで花魁道中のように列を作ってエトワールを市民たちに魅せてき、人々はそれを“ステラロード”と呼んでいた。エトワールは貴族や王族を相手にするため、市民にその姿を見せることはない。そういう機会でしか拝めなかったため、何となく覗いてみた人々はエトワールのその絶世なる美貌、絢爛、気高さに魅了され、中には泡を吹いて気を失ったり…数人そのまま死を迎えた者もいた。そんなこともあり、致死量の毒を持つ美しい花に例えられ彼女は裏で“夾竹桃”と呼ばれていたりもするのだ。亡くなった彼らは酒を浴びるように飲んだ後だったりと、結果的な死因はアルコールであり、ただ彼らは運が悪かっただけだとそう人々は言うけれど、アリエラはひどく胸を痛め今でも鮮明に思い出してしまうのだ。

「どうかね? エトワール」
「…私は……、」

全身から嫌な汗が噴き出て服を濡らす。喉もカラカラに乾いて、視線を足元に向けた。
何にも言い返せない。そうだわ、私は──。

「……聞いたことがあるわ。エトワールを見た者はその存在してはいけないほどの美しさに気を失ってしまうと。でも、それって不幸だったけどアリエラさんが悪いわけじゃないわ!」
「そうよ、アリエラは何にも悪くないじゃない!」
「あァ、そうとも。彼女は何にも悪くない。だから言っただろう? 美は時に人を殺めてしまうと…」
「……そんな、でも意図的にするのとは話が違うわ! あなたのそこには悪意があるもの!」
「そこに悪意があろうがなかろうが、人が死ぬという事実は変わらんだろうガネ。フン、自分を棚にあげてよくそんなことが言えるガネ…」
「……それは、そうだけど…」
「 アリエラ、あんな奴の言うこと気にするだけ無駄よ! もう価値観が違うのよ、あいつはどう足掻いてもクズなの、まともに話し合えると思わない方がいいわ!」
「ええ、そうよアリエラさん。もう話し合わない方がいいわ」
「…うん…」
「ふうん…」

あの事件をまた思い出してしまって胸がぎゅうっと痛んだ。その胸の前に手を置くことさえも許されず、ぎゅうっと下唇を噛む。あれは事故だった。女学院のみんなも、セレーネ様も彼らの家族も、こちらには微量の非はないと言っていた。
けれど、罪なき市民だ。それを──。やはり握ることのできない拳にやりきれない気持ちを抱いていると、ゾロが低い感心をこぼした。

「おれにはよく分かんねェが……お前そんな美しいんだな」
「え…?」

ゾロはへえ、と驚くような顔をしている。
アリエラは不可抗力の事件だった。すぐにそう受け取り、そこに関しては何にも抱かなかったのだろう。それよりもアリエラの美の方に驚いているのだから、アリエラ自身も驚いて目を丸くしてしまった。

「なにあんた、今更?」
「ゾロくん聞いたことなかったの?」
「あ? あァ。エトワールって名は知ってるがな。だが、おれァ知らねェ奴には興味ねェ」
「まあ……、」
「あっきれた。あんたってやっぱり本当にバカだわ」
「まだ言うか、てめェ!」
「うふふ。ゾロくんらしいわね」

ポーズを取りながらムッとした目だけをナミに向けている。アリエラも思わず拍子抜けしてしまって、クスリと笑みまで溢れるくらいだ。彼と同じように、ルフィも後ろのウソップにゾロと同じことを聞いているようだ。ウソップの呆れた顔が窺える。
アルコールのせい。不可抗力。ただ、馬車に乗ろうとしただけで殺める気など一ミリもアリエラの中に存在していなかった。けれど、いくらアルコールのせいだとはいえ、その人はアリエラを見ずにそのまま家に帰っていれば命は助かったのかもしれない。その全ては彼の運なのだが、それでもアリエラは胸を痛めずにはいられなかった。それは今日まで。だけど、ナミたちの言葉に少し救われた気がして、ふっと肩の力を抜く。
それは確かに美が人を殺してしまったのかもしれない。けれど、その“美”は作品ではない。人なのだ。だから、アリエラは改めて思う。やっぱり人が生み出した美術は人を殺めたりしない、と。

「…ぬう…、何故だ…ナメられているようで実に不愉快だガネ…」

言い合いをしているゾロとナミ。それを聞いてクスクス笑っているアリエラ。ビビこそ、不安そうに表情を歪めているが、やはりさっきからこの場の空気がおかしいのだ。一体何が変わったと言うのだろうか。エトワールに傾いていた思考をやめ、新たに状況に合わせて回してみると背後で呑気な声があがった。

「よ〜し、じゃあいくぞ!」
「…はッ、」

後ろを振り返ってMr.3は瞠目する。
「(奴だ…奴が来てからだ…まさか…!)」
ぐるぐる腕を回しているその姿は、どう見ても普通の少年である。いくら彼が東の海一の賞金首だよはいえ、あそこの海は“最弱”と呼ばれている海域。そんな頼もしい男には見えんガネ…とMr.3はこころのなかでひっそりと懐疑をこぼした。

「おい、Mr.3。あいつらにはおれらがトドメを刺す」
「…トドメだと? バカなことを言っちゃいかん。見たまえ。キミの攻撃が効いていないからここにいるのだ。少なくとも、あの男はキミの手に負える相手ではないのだ」
「く…ッ、」

麦わらに倒されて、また彼がピンピンしてこの島に現れたのは事実でMr.5はまたもや反論できずに奥歯をきつく噛み締めた。その様子にMr.3は得意げに鼻を鳴らす。

「キミらは他の者を仕末したまえ! 麦わらのルフィはエトワールとともに私のコレクションに追加するとしよう…」
「ゴチャゴチャとうるせェな!」

こそこそと話をしていると、背後からまた別の声色が上がった。振り返ってみると、カルーの上に跨ったウソップがパチンコを構えてMr.3達を睨め付けていた。

「お前らはちとやりすぎた! 往生しろよ!」
「クエーッ!」
「行くぞ、カルー!」
「クエッ!!」

頼もしい二人の姿にアリエラたちの口角も上がったのだが、行くぞの声にカルーは目にも止まらぬ速さで後退してゆく。全く以心伝心だった二人は、影の速さでそれぞれ木に身を隠してそっと顔をこちらに向けた。

「さあ、ルフィ! 援護は任せろ!!」
「クエーーッ!!」
「ん? なんか言ったか?」
「何しに来たのよ、あんた!!」

きょとんと目を丸めて後ろを振り向くルフィに続き、ナミの怒号が響き渡る。
一瞬、強さが判明していない彼の登場にたじろいたMr.3達だがこの現状にホッとして手を構えた。

「やってやるガネ! “キャンドルロック”!」
「うわあ!」

手のひらからコポコポと湧き出てくる真っ白な液体に何だ何だ?と興味を示したルフィは、避けるすきもなく、気がつくすきもなく、足を蝋で捉えられてしまった。足枷が生まれ、きちんと立てずによろけて転けたルフィはそこでこの液体が蝋であることを察した。

「ルフィさん!」
「何だ。もう捕まっちまったのか」
「ルフィくん大丈夫!?」
「ドジ!!」
「ん〜、何だこりゃ。トンカチみたいに重いぞ」

寝転んだまま、手の甲の骨で足元の蝋をこんこんとしてみると硬度を示す音が反響して、ルフィはどこか楽しげに笑い声をこぼした。本当にどこまでも状況を楽しむ船長だ。
クルーにとってはわかりきっているこの性格は、まだ彼を知れていないビビの顔色を悪くしていく。

「ふん、ちょろいな。次は手だ!」
「お、ちょうどいい!」
「“キャンドルロック”!」

絶え間なくMr.3が蝋を流し込むがルフィは手を足代わりに使い軽々と避けていく。バク転しながら行き着いた先は、顔馴染みのドリーの隣でうつ伏せになっているブロギーの手元。
「おっさん、ちょっとごめん!」断りを入れて、ルフィは手を滑らかに伸ばし、ブロギーのバイキング帽の角に絡み付けていく。

「何だ? 何をする気だガネ?」
「うおおお!!」

ぐるぐる何往復もさせた腕を今度は反時計回りに向きを変える。勢いを孕んだ腕に誘われたルフィは、スピンのように激しく宙を回転する。じっと見つめていたブロギーの瞳もぐるりと渦を巻くほどにスピードをつけて、最大限に力をつけたところでルフィは口元に弧を描き、足枷を四人が立たされている背後の柱へとぶつけた。
鉄にも匹敵する蝋の柱を蝋の足枷で壊したのだ。相殺された柱にはヒビが生えて、次第に首をもたげていく。

「ああ…ッ!」
「「やったーーッ!!」」

ギョッと目を見開かせるMr.3に対し、アリエラたちの高い喜びが青空に溶けていく。あとはこの蝋をどう溶かすかが問題だ。それを考えるために頭を回したところでゴオン、と巨大な重が轟いた。辛うじて動く顔を持ち上げてみると、柱が折れ支えがなくなったジャックオランタンがこちらに向かって落ちてきている最中で。

「「きゃああああーッ!!」」
「うそだろ…ッ、」

本能が神経に伝わり逃げろと脳に指令を送っているのだが、足元や体が固まって動けないのだ。アリエラ達は危機に悲鳴をあげ、流石のゾロも額に汗を浮かべている。あんな巨大なオブジェが頭に直撃したら無惨に散ってしまう。嫌な想像がよぎったが、幸運にもそれは大きな音を立てて折れて残った柱に着地したのだった。

「ラッキー! 足のトンカチ割れた!」
「はあ…はあ…、生きてる…」
「よかったあ……身体が震えているわ…」
「助かった…」

ルフィの明るい声に混じって、ナミ達もホッと一息を吐く。これほどまでに死を覚悟したことはない。心臓が驚く速さで動いているし、喉も水分を忘れてしまったかのようにからっからだ。

「状況は何も変わっちゃいねェぞ…」
「ああ〜危なかった! ん? 何でお前ら逃げてねェんだ?」
「「動かないのよ!! 見ればわかるでしょ!?」」
「ルフィくん、わたしたちのお話ちゃんと聞いていたの!?」
「何だ、そうなのか! …でも、柱壊せって言ったじゃねェか。あれウソか?」

ナミとビビの重なった糾弾にぽん、と拳を打ったが次いで眉根を寄せ唇を尖らせた。
その発言にルフィは…とくったりとしたナミとアリエラだが、ビビのなかでさらに不信感が増していく。

「Mr.ブシドー、本当にいいの!? あの人に命を預けても!!」
「まあ、そうするしかねェな。おれは腕が固まっちまったしよ」
「お願いだから真面目にやって!」
「だからおれはいつでも真面目だ」
「ビビちゃん、怒るだけ無駄だわ。ルフィくんもゾロくんもこんな人よ」
「こんなってな…」
「でも、大丈夫。ルフィくんは必ずわたしたちを助けてくれるわ!
「そう言うけど心配だわ。どうしてアリエラさんたちがそんなに平然としていられるのか私には分からない」

しゅんとビビは瞳を伏せた。長いまつ毛が白い肌に落ち、その上に大粒の蝋の霧が乗っかった。
ビビが不安になるのは仕方のないことだ。だから、ナミも説得しようと「あのね、」と声を出したのだが、打ち付けられたように動かなくなってしまった首に全身から血の気が引いていくのを感じた。

「…どうしよう…、ちょっと待って…何だか…体がどんどん固まってく…! 全然動かなくなっちゃった…」
「え…。やだ…!…わたしも、何も動かせなくなってきちゃった…」
「フフフ…バカめ! ロウソクが近づいて固まる速さが加速したのだ! このままさっさと蝋人形になれ!」

戦局が変わりかけたことに焦心したが、状況は元に戻る所か海賊にとっては悪化してしまいMr.3は愉快げに嗤い声を地に這わせてゆく。この危機を素早く察したウソップは手に汗握りながら、ごくりと息を呑んだ。

「人が下手手に出りゃつけ上がりやがって…!」
「クアッ、」

カルーも主人のことが大変気がかりなのだろう。か細く鳴いて、大きな瞳を震わせる。
なのに、ルフィは未だに完全に状況を把握していなく小首を傾げている。

「お前ら蝋人形になるのか?」
「さっきからそう言ってるでしょ!?」
「ルフィくん、わたしたち体の内部も固められているの! きっと固まるのは表面の方が早いわ。蝋人形になっても1時間はまだ息ができると思うの、だから完全に固まってしまう前にお願い、これを壊して!」
「お願い、ルフィさん!!」
「よし、分かった!!」

アリエラの説明でとにかく危ないことを察したルフィは大きく頷いて、腕を伸ばそうとしたが寸前でMr.3の蝋で遮られてしまった。

「邪魔はさせんと言っただろう。“ドルドルロック”!」

さっきの技だ。ルフィが避けようとした瞬間、援護が後方から飛んできた。ヒュン、と音を立てウソップのパチンコから放たれた真っ赤な弾がMr.3に向かって飛躍するが、直撃する直前に走り出たMr.5の口内にそれはおさまった。
ボウン、と大きな重低音を体内で弾けさせたMr.5。口を開けると、ぷすぷすと音と一緒に焦げ臭いにおいが周囲を満たす。

「何……?」
「味はイマイチだな。いい火薬使ってねェだろ」
「火薬を食べやがった…!!」
「クエ……ッ!!」

Mr.5が能力者だということを知らないウソップは、指先を痙攣させて息を呑むが、混乱が溶けてきた脳が瞬時に理解する。奴は爆弾に関する能力者なのだと。

「まずいな…こりゃ本当に速ェ。ポーズ取っててよかったぜ」
「バカ!」
「けほっ、ゾロくんはそこに執着しているのね」
「ルフィさん、お願い急いで!!」
「よおし、あのカボチャがいけねェんだな! “ゴムゴムのォ〜”!!」

ぎゅいーん、と大きく後ろに両腕を伸ばし攻撃体制に入るルフィにMr.3は愉快げに口角を持ち上げた。

「無駄だ!」
「“バズーカ”!」
「“キャンドル壁(ウォール)”!」

最大限の力を腕に込めたルフィだが、それを繰り出した時にはMr.3の蝋柱が盾をして、仲間を襲う悪魔を壊すことができなかった。ようやく理解したルフィのなかで焦燥が渦巻き、それは怒りへと変わる。

「お前! 邪魔すんな!!」
「それはこっちのセリフだガネ。創作活動の邪魔をしないでくれたまえ!」

フフフ、とリズム良く嗤いをこぼし、Mr.3はさらに“キャンドルロック”を繰り出した。
ルフィは瞬時にそれを避けようとしたが、ここで機転が回る。あの蝋枷を利用して相殺すればいいのでは。と。だから、右腕をわざと伸ばして腕にたっぷりと蝋を絡めつけた。

「にしし! トンカチも〜らい!」
「はっ、しまった…! “キャンドル壁(ウォール)”!!」
「“ゴムゴムのトンカチ”!!」

器用に腕を操り、ルフィはセットの前に立ちはだかった巨大な蝋の壁を蝋枷で殴り壊したのだった。慌ててMr.3はもう一度瞬時に壁を作ったが、余った力でそれをもいとも簡単に破壊され、ひび割れた壁から貫通した拳をくらったMr.3はびゅ〜ん、と空高く飛んでいく。

「よっしゃ〜! やった!!」
「クエーー!!」
「バカな…ッ、」
「うそ…、」

一人敵を仕留めたルフィにウソップとカルーはお互い手を合わせてキャッキャと歓声をあげる。一方、Mr.5とミス・バレンタインは指先をぴくりと震わせてこの状況を必死で整理しようとしていた。あの姑息なMr.3の罠をくぐり抜けたなんて…。

「ルフィ! 今のうちにこのセット壊して!!」
「お願いね、ルフィくん!!」

あとはもうこのセットをルフィが壊して大団円だ。目に見えた光、勝利にナミとアリエラもにっこりと笑うが、どうしたのか。ルフィはMr.3を殴り飛ばしたまま動こうとしない。

「ルフィ?」

ゾロの低い声にルフィはゆっくりと首を持ち上げたが、一点を見つめて仲間を見ようとしない。そして、訥々とルフィはこぼす。

「ヤダ」
「え、ちょっとルフィくん!?」
「早く、ルフィ!」
「冗談言ってる場合じゃねェぞ、ルフィ!!」
「ルフィさん、お願い!!」
「どうしよう……おれ、お前ら助けたくねェ」
「え……ルフィくん、ウソでしょう…?」
「何…言ってるの?」

雲の隙間からさした光の筋は、すうっと音もなく消えていく。
声を震わせながら呟いたルフィはやっぱり真っ黒な虹彩を揺らしながら立ち尽くしていた。彼自身もどうなっているのか状況を把握しきれていない様子だ。ひどく動揺と焦りが渦巻くつめたい空気のなか、少し鼻がかった声が「カラーズトラップ」とささやいた。


TO BE CONTINUED 原作123話-75話



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