104、エルバフの神


ゾロとアリエラが蝋人形のナミと対面しているとき、本物のナミは──

「「ぎゃあああああ!! 恐竜ーー!!」」

ウソップと共に大声をお腹から吐き出し、両手をあげてジャングルの中を突っ走っていた。
恐る恐る歩いていたのに、恐竜は耳がいいのか足音に気がついて寄ってきたのだ。奴は涎を垂らしている。このままだと今度こそ恐竜の胃袋行きだと全力で走っていたのだが、逃げ足の早いウソップはさらにスピードをあげていくためにナミは置いてけぼりを食らってしまった。

「ちょっとあんた速すぎ!!」
「いぎゃあああ!!」
「もうだめ…っ、息が…」

ナミが声をかけても、ウソップは止まるどころかさらに足を速めていく。逃げ足の速さはピカイチだ。恐竜も逃げる行動に興奮しているのか、立ち止まったナミには目も暮れず、ウソップを追いかけて行ってしまった。
彼には申し訳ないが、あの速さがあればきっと逃れるだろう。ナミはごめん!と謝罪を入れて、静かになったあたりを見回す。こうしてじっくり見ていると現代のジャングルと違った点はそんなに見当たらないのがおかしいくらいだ。変な違和感を抱きながら、予定通りにブロギーの家を目指そうと踵を返すと、木々の影で赤いベストが揺れた。

「あ、ルフィ!」

瞳の端で写った赤だが、それはナミにとってとても安心するものですぐに彼だと認識した。
ルフィは木にもたれかかってじっとしている。少し様子はおかしいが、あれほどに強いルフィがいれば怖いものなんてない。ナミは口角をあげて駆け寄る。

「ルフィ、よかった! なんでこんなところにいるの? え──」

顔を覗き込んでみると、ルフィの目は歪に歪んでいた。
違う、ルフィじゃない…。そう思って後退りをした瞬間、足元に生暖かい液体をかけられた。真っ白でドロドロしたこれは、蝋だ。

「きゃああああ!!」

向こうの木の影に誰かがいる。得体の知れないものをかけられたナミは、鳴りを潜めている悪を振り払おうと大きな悲鳴を空に向かって響かせた。


「……え?」

ウソップの耳をつんざいたのは、女性の悲鳴。
一瞬、アリエラかビビのものかと思ったがこれは、間違いなくナミのものだ。てっきり後ろについてきていると思ったのだが、恐る恐る振り返ってみると恐竜もナミの姿も見当たらなく、さわさわと揺れる木の葉だけが存在していた。

「ナ、ナミ…?」

声を震わせながらか細く呼んでみるが当然返事はない。
彼女はいつから着いてきていなかったのだろう。自分のことで精一杯で気にする余裕がなかった。恐竜はいつから着いてきていなかったのだろう…さっきの悲鳴が脳裏をよぎる。

「ナ、ナミー!? ナミー! ナミ、ナミ、ナミーーッ!?」

顔から血の気が引いていくのを感じた。想像で映し出されたのは、ナミの真っ赤な血が飛沫をあげるところ。ニヤリと笑みを浮かべた恐竜の口元にナミの一部が──。
たまらなくなったウソップはぼろぼろ涙をこぼして、名を叫びながら走りまわる。
ナミー! ナミー! もう怖くて怖くて、それしか言えなくて。だが、やはりナミから返事が返ってくることはなかった。
だから、今度は船長の名を叫びながら前方を突っ走っていく。

「ルフィー! ルフィ〜!!」

目を瞑りながらひたすらに走っているうちにジャングルを抜け、また名を叫ぶと自分の名を呼ぶ声が遠くから聞こえた。これは、ルフィのものだ。仲間がいたことが嬉しくって、ウソップは目を開けて疾走したところ、目の前に大きな岩が飛び込んできた。慌てて避けるがうまくいかず、コロコロ回転しながらルフィとビビの前にたどり着いた。

「大変だ! ナミが恐竜に食われちまった!」
「何!?」
「恐竜から逃げるために一緒にジャングルを走ってたら突然いなくなって…ああーッ! どうしよう! おれは仲間を見殺しに…ッ!!」
「うわあーッ!!」

ウソップの話をおとなしく聞いていたルフィは、未だ巨大岩の下敷きになったまま悔しそうに声を上げて地をどんどん叩いた。その前で、ウソップは泣き崩れている。
あまりに素早く繰り広げられた展開に、ビビは着いていけずにポカンとしていたが、ようやく脳が回ったところで二人に声をかけた。

「ちょっと待って、落ち着いてよ二人とも!」
「「ああ??」」

ビビの一言に意外にも二人はすんなりと落ち着きを取り戻したから、ビビは調子を取られてしまいそうになった。だけど、冷静を装いウソップに目を向ける。

「突然ナミさんが消えたって…じゃあ、確認はしてないの?」
「アホかあーッ! 確認なんて恐ろしくてできるか! 恐竜じゃなきゃ猛獣だ! 他に何がいるんだ!?」
「分からないけど……バロックワークスの追っ手がこの島に入ってきてるとしたら二人のうち、ナミさんだけが狙われるのに納得いくわ」
「えええーッ!? バロックワークスがこの島にいるのか!?」

ギョッとしたところで募るのは疑問だ。ウソップは少し平常心を取り戻し、腕を組む。

「じゃあ、なぜおれは狙われないんだ?」
「だって、あなたはバロックワークスの暗殺リストに載ってないから」
「なるほど!」
「それに、お酒だって本来は私たちを狙ったものだったかもしれないわ」
「…!」

じっと話を聞いていたルフィの目の色がすうっと変わった。それに気がついたウソップは、また浮かんだ疑問に船長とビビを交互みる。

「酒? 酒ってなんのことだ?」
「ブロギーさんがあなた達のお酒をドリーさんに持ってきたの。ドリーさんがそのお酒を飲んだら胃の中が爆発しちゃって…」
「なに!? 胃袋で酒が爆発!? じゃあ、そのボロボロの体で決闘場に…!?」
「止めたんだが、逆にこのありさまだ!」
「そんな……あの二人は100年間、全力でぶつかって互角の戦いをしてきたんだぞ!?」

みるみる血相が変わっていくウソップの怒りもまた、ビビにとっては不思議に写った。ルフィだけでなく、ウソップまでもが出会ったばかりの巨人にこれほどにまで親身になれて怒れるなんて。

「多分、世界で一番誇り高い戦いなんだぞ!?」
「あァ!」
「こんな勝負のつき方があるかよ!!」

ウソップの腹からの憤怒が大空で爆ぜて飛び散った。
彼らから数キロ離れた先で決闘しているブロギーは何にも知らないのだ。今も、ライバルと一戦を交えられる悦びに生き生きした表情で己の信念を握っている。

「ガババババ! どうした、ドリーよ」
「……ッ、」

斧で押され続けるドリーは、もう反撃する力も残っていなかった。だけど、ここ手を抜けばこれまでの誇りが全て儚く消えることになる。自分を恥じる行為は絶対にしたくない。それだけは、死んでも守らなければならない。
だけれど、この気高さが逆に仇となってしまった。

「フン…なかなかしぶといな、青鬼のドリー」

少し離れた木々の影で紅茶を啜っているのは、Mr.3。彼が倒れるのをずっと待っていたのだが、かれこれもう数十分を経過してしまった。待ちきれなくなった彼は、付近でレジャーシートを広げている相方ミス・ゴールデンウィークにカップを託し、ほくそ笑む。

「どれ。一つ加勢してやろうカネ」

鬱蒼とした中、3の形に結い上げた髪の毛にぼっと炎が纏う。火で溶かしたロウをドリーの足元に放出した。その瞬間、敵にとっては最適なタイミングでことは起きた。ブロギーの斧を避けようとしたドリーがすぐにロウで足を滑らせたのだ。

「…ッ!」

身体が宙に浮く感覚、それはとてもとても長い時間に感じられた。
ドリーは朦朧としてきた意識の中で、ライバルの表情を見つめる。彼はまだ気がついていないようで、ニヤリと口角を上げていた。

「「1世紀……長い戦いだった──」」

二人、同時にこぼした刹那。ブロギーの斧がドリーの右肩を裂き、100年間戦い続けた中、初めてドリーが地に崩れ落ちた。盛大に飛び上がった血のしぶきは、離れた場所にいたルフィ達からも確認できて三人は声にならない声をあげ、体を震わせる。

『これは戦いの神エルバフが下した審判だ。おれには加護がなかった。それだけのこと』

「う…うわああああッ!!!」
「ル、ルフィ!」
「ルフィさん!」

あまりの結末にルフィは歯を食いしばって頭を地に何度も打ちつける。そうでもしないと、怒りでどうにかなってしまいそうだった。

「誰だァア!! 出てこーーいッ!!」

ぐらりと煮え、震える真っ赤な瞋恚を腹の奥底から掬い上げて、見えない敵にルフィはそれをぶつけた。


「う…、うう…ッ」
「ハア…ハア…、」

ドリーの微かなうめきが途切れた後、ブロギーは斧を地に落とし、吐息を足元にこぼす。もうほとんど放心状態だ。100年間の決闘、ライバルの血、己の勝利。何度も想像していた結末。だけど、ぽっかり胸の奥に穴があいたような、そんなぼやけた悲しみが感情の奥底から滲み上がってくる。

「7万3000…ハア ハア…ッ、467戦…ハア ハア…、7万3466引き分け…1勝…!!」

鼻の奥がツンとして、喉が熱く重たく変わる。大きな丸い瞳を滲ませ、ブロギーは波のように高まり打ちつける気持ちのまま決壊したようにボロボロ涙を流した。
斧に続き、盾も地に落とすと重みが大地を這っていく。

「ハハハハ、勝って嬉し泣きカネ。単細胞は楽でいいな」

聞いたことのない声だ。ブロギーはハッとして背後を振り向くと、ティーカップを持った男が木に寄り添って立っていた。3という髪型がゆらりと揺れた。

「ま、とりあえず“ご苦労”と言っておこうか」
「うれし泣きだと…? 貴様に何がわかる!? 一体何者だ!?」
「Mr.3。コードネームにて失礼。私はただの造形美術家だガネ。そしてこっちは私の助手、写実画家ミス・ゴールデンウィークだ」

すっと手のひらを向けるのは、シートの上でクッキーを食べている小柄な少女。紹介に預かっても、彼女はブロギーを見向きもせずに缶からまた一つクッキーをつまみ上げた。

「なお…すでにキミは私に捕らえられている」
「…? な、なんだこれは…!」

不敵にほくそ笑むMr.3の意味がわからなく、ブロギーははてなマークを浮かべたが、ここである異変を感じた。足元が嫌に重たく絡みつき動かないのだ。なんだと視線を下げてみると、己の足は真っ白な蝋で固められていたのだった。



「よ、よし、ルフィ! 誰だか知らねェが、おれが仕留めてきてやる!」
「私も行くわ!」
「ぜひ! 心強い!」

自ら申し出たのだが、ウソップの足は可哀想なほどに震えている。ビビもドリーがあんな目に遭わされて、しかもそれが自分のせいでもあると感じ、いてもたってもいられなくなったのだ。巻き込んでしまった麦わらの一味に加え、何にも知らない巨人にまで──。
ビビは胸を痛めながら敵を打ち消す決意を下した。
と、その時。

「その必要はねェ!」

ジャングルの入り口から野太い声がまっすぐに伸び、ウソップたちの動きを制した。
声につられて考える前に顔を上げてみるとそこには予期せぬ人物が二人立っていて、ビビははっと息を飲む。

「あ、お前!」
「だだ、誰だ!?」

ルフィのギョッとした表情に、ビビの冷や汗を見ればなんとなくウソップも想像はつくが、それでも聞かなくては心の動揺は抑えられなかった。ここで変に動けば殺されてしまう。そんな血の引く想像が一瞬のうちで脳裏を支配した。
女が甲高い声で「キャハハ」と笑うと、男が手にしていたカルーを地に放り投げた。

「こいつは返す。必要ねェ!」
「…! カルー!!」
「お、おい。アイツら誰だ…?」
「前の町にいた奴らだ」
「Mr.5…ミス・バレンタイン! 何故あんた達…! カルーは関係ないじゃない!
「そうとも、こいつらは一切関係ない。ただ、おれ達が危険視してたのはその麦わらの男。その男と一緒にいる王女を誘き寄せるために鳴いてもらったんだが頑固でな」

あの森で出会した時。
カルーは二人に前後を支配され、足もガチガチで動けなくなっていた。ブルブル身体を震わせるカルーを見て、ミス・バレンタインはキャハキャハ笑う。
『ほら。王女を呼ぶのよ?』
『さっさと呼べ!』
ぶるぶる、何を言ってもカルーは口をつぐんで鳴き声一つ上げなかった。せっかく考えたお引きだし作戦はまんまと失敗に終わるところだったのだが、二人はバロックワークスのオフィサーエージェント。任務失敗だけは決して許さない。というボスへの忠誠心が強く、二人はか弱い動物に暴行を与えたはじめた。キロキロの実を使っても、ボムボムの実を使っても。カルーはボロボロになっても一言も声を出さずに気を失ってしまった──

「…なんて…っ、」
「だが、来てみれば麦わらは動けねェじゃねェか。だからもう、こいつには用はねェのさ!」
「カルー!」
「くえ……」

微かな鳴き声をようやく発したカルーは王女の無事な姿を見てホッとしたのか、そのまま意識を手放した。小さい頃からずっとずっと一緒だったカルーの傷だらけな姿をはじめてみた。ビビの口の中に苦いものがじわりと広がっていく。腹の底から湧き上がってくる怒りのまま、ぎゅうっと握り拳を作ると、「キャハハ」甲高さが鼓膜をざらりと撫でた。

「バカな鳥ね! キャハハハ!」
「…ッ、あんた達…ッ!!」
「お前らなのか! 酒に爆弾を仕込んだのは!」
「あ? そうだが、てめェ誰だ? 一緒にいたか?」
「いいえ。きっと仲間よ、消しておきましょ」
「お前達か! 巨人の決闘を邪魔したのは…!」
「あいつら…ぶっ飛ばしてやるーッ!!」

激しい憤然に力を任せて下半身を引っ張ってみるが、なんて重たい岩だろうか。ルフィの上半身が少し伸びるだけで岩は1ミリも動いてくれなかった。あれほどの強さを持つルフィに任せたら彼らは前のように一発で倒れてくれそうだが、今は頼ることはできない。それに、ビビは自分で仇を打ちたい気持ちでいっぱいだった。

「消えるのはあんた達の方よ!」

キャミソールの両胸の先端から隠していた武器“孔雀スラッシャー”を小指にはめて引っ張り出し、風を孕んで激しく回転させる。

「ほお、あがくのか。ミス・ウェンズデー」
「私達オフィサーエージェントにあんたが敵うの?」

ばかにした笑い声が耳を撫でるが、そんなものやってみないとわからない。ビビは唇を噛み締めて走っていく。と、スナイパーゴーグルを装着し、パチンコを構えたウソップが隣に並び走る。

「“クジャッキー”!」
「くらえ! “必殺 火薬星”!」

ビビより先にウソップが攻撃を仕掛けた。
弧を描いてMr.5ヘの元へと飛んだ赤い玉は物体に触れた瞬間に弾け、火が飛び散ると共に辺りは爆風に包まれる。

「よし、やった!」
「キャハハ、いい爆風だわ〜!」
「なに…!?」

確かに命中して爆発を起こしたのに。ウソップは驚いて空中を見上げる。
彼女を狙っていないとはいえ、真横にいたのだから負傷は免れないはずだ。なのに、どうしてあんなにも無傷なのだろうか。募る疑惑、背中に流れる一筋の汗。戦闘慣れをしているわけではないのだが、想像で培ってきた経験から嫌な予感を手繰り寄せた。

「“鼻空想砲”!」
「ウソップーーッ!!」
「ウソップさん!」

Mr.5が何かを指で弾いた時、咄嗟に腕で頭をガードしたのだがそれは爆弾なために意味はない。ボムボムの実の能力者だということを認知していなく、直に受けてしまったウソップは爆発を受けたあと、真っ黒な爆煙に包まれた。

それでも、ミッションに執着している敵の攻撃は止まない。黒焦げでもうほとんど戦闘不能なウソップなのに、ミス・バレンタインが「一万キロプレス」を彼の上に落とし、ウソップを地に埋めた。もう息も絶えたえなウソップは、意識を飛ばし白目を向けて項垂れている。
一緒に駆け出したビビは胸を痛めながらも、攻撃をやめることはしなかった。回していた孔雀スラッシャーをMr.5に仕掛けるが、足をひっかけられてよろけてしまう。
その隙に小さな爆弾を空で爆ぜ、ビビの視界を遮って彼女の細い首を大きな手で掴み仕留めた。

「落ち着け」
「うう…っ、くっ」
「そうかっかしねェでも、おれ達はまだお前らを殺さねェ。たださらっただけさ、Mr.3に言われてな」
「Mr.…3……っ? ドルドルの実の…、男…っ! あいつがこの島に…?」
「そうさ。あいつは身体から搾り出す蝋を自在に操るキャンドル人間」
「キャンドル人間…?」

途切れ途切れにつぶやいたビビの言葉を拾い、Mr.5が付け足すと血相を変えたルフィがぽつりとこぼした。これまで、悪魔の実の能力者には数人にしか出会ったことがなかった。キャンドル人間…そんな能力までもが存在しているなんて。ルフィはそっと眉を上げて、王女を手にし不敵に笑うMr.5をじっと見つめていた。

TO BE CONTINUED 原作120話-73話





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