103、神の審判


ルフィがドリーを眠らせてすぐ、真ん中の山が噴火を上げた。
怒りを爆発させるように轟きを響かせ、収縮しながら何度も頂きから煙をあげる。地の唸りと揺れを感じながら、ビビもルフィも顰蹙して山を見上げた。

「あの山は確か…」

鼓膜を裂くような轟音に耳を塞ぎたくなる。雲のように分厚い真っ黒な煙は、群青を泳ぎ満ちてゆく。決闘の合図のゴングなのだが、ドリーは身体を地に揺らされても起きる気配はなし。完全に意識を手放してしまったようだ。

このゴングはドリーとブロギーだけでなくこちら側、ゾロとサンジにとっても重要なものだった。

「きゃ、」
「マズいな…時間切れか…」

キスをしてそれから。
2人は少し気まずい思いと緊張、照れ臭さを抱きながら探索を続けていたのだが。30分歩き回ったところで地が揺れ、山が怒りを上げてしまった。思った以上にこの界隈には獲物がいなく一匹もエンカウントできなかった。

まいったな…と頭を掻くゾロの後ろを、アリエラはひょこひょこついていく。演技はエトワールの時にいやと言うほど培ってきたから得意な方だ。なのに、今はどうだろう。恋をしてからというもの、紺碧な海を見つめただけで泣いてしまいそうになってしまった。あんなキスをした後、彼の背中を追いかけるなんて…頭がおかしくなってしまいそう。唇を噛み締めて涙をのむのに必死だ。

スン、と鼻をすすったらゾロに気づかれてしまいそうだからそれすらもグッと堪える。
あの頃は、恋を知らなかったから“夾竹桃”を演じられたんだわ。

「…おい、どうした」
「え…、あ、ううん! なんでもないわ」

さっきから足の遅いアリエラを不審に思い声をかけてみると案の定、真っ赤な顔をしていた。
それが無性に愛おしくって、このまま抱きしめてまた奪ってやりたくなったが、こっちは勝負もあるし、何よりまだ彼女は自分の女でもなんでもないのだ。
ぎゅっと握りしめていた拳を解いて、同時にため息をこぼす。ああ、クソ…。恋をしてもう随分時間が経つが、いまだに上手にコントロールできない気持ちに苛立ちと畏怖を抱いてしまう。

「…動物さん、どこにもいないわね」
「……あァ。いねェな」
「このままサンジくんのところに戻るの?」
「まあ…仕方ねェ。時間は時間だ。戻る道に出くわせばいいが…」

慌ててふいっと視線を逸らし、話題を引っ張り出したアリエラの可愛さに頬が緩んでしまう。
からかってやりたくなったが、怒りをあげられたら敵わない。まあ、その姿も可愛くて仕方ないんだろうが。ほとほと重症だな…と呆れずにはいられない。
キョロリと辺りを見回して獣を見つけようとしているアリエラに倣って、ゾロも視線をめぐらせる。ここ辺りは獣にとって食料も川もないのか、足音一つ聞こえない。

「…こっち行ってみるか」
「うん。できれば恐竜に会いたいなあ」
「…あァ。スケッチしてェのか」
「うん! だって、この先会えるかどうか分からないじゃない? だから絶対に描いておきたいの!」
「そうか」

スケッチブックをリュックから取り出し、胸に抱えて無邪気に笑うアリエラに自然と口角も上がっていく。最初は変わった女だと思っていたのだが、今となれば夢にまっすぐなその姿勢がゾロは大好きだった。剣を握る手がまた光を受けるようで、こちらもうずうずしてしまう。
すうっと細められた灰緑の瞳。彼の優しい表情に、アリエラもくるりと目を丸めてにっこりと微笑みを浮かべた。

それからやや歩き進めていくと、ゾロの元に異変が降りかかる。
ブーツの下にむぎゅっとした触感を感じとったため、視線を下げてみると、靴の裏に恐竜の赤ちゃんがいた。気が付かずに踏みつけてしまったらしい。小さな灰色の体を震わせて、大きな瞳に涙をためてゾロを見上げている。

「あ、悪ィ…」
「きゃあ、なんて可愛いの〜

額に汗を浮かべるゾロとは対照的にアリエラはキュルンと顔を蕩けさせて、恐竜の赤ちゃんを見つめている。くりくりした大きな瞳がとっても可愛い。アリエラの胸をくすぐるには十分で、胸に抱き抱えていたスケッチブックを開いて模写を始める。

「恐竜の赤ちゃんは子犬みたいに小さいわね」
「あァ…そうだが…、」

じいっとゾロを見つめている赤ちゃんから目を離すことができずに、ゴクリと唾を飲む。それが合図となったのか、赤ちゃんはゾロのブーツにガブリと噛み付いた。

「おいッ!」
「きゃ、!」
「離せ! ってか、コラ! 悪かったって言っただろうが、おい!」
「大丈夫、ゾロ!」

おそらく、恐竜には人間の言葉が通じない。そのために、ゾロの謝罪にも気が付かずに怒りの反撃をしたのだ。言葉が通じると思っているのかしら?ゾロったらなんて可愛いの…。なんてきゅんとしたが、今はそんなことを感じ取っている場合ではない。ゆるっとした頬を結んで、アリエラはスケッチブックを閉じた。

「遊んでる場合じゃねェんだ、離せ! いいから離せ!!」
「相当痛かったのね…」

その間もずっと足をブンブン振って赤ちゃんを振り払おうとするが、いくら赤ん坊でも恐竜は恐竜。顎の力はもうすでに強いようで、いくら振っても離れない。二人の様子を眺めながら、しゃがんでいた脚を伸ばしてみると、ふっと背後に何やら気配を感じ取った。
誰かにじいっと見られているような、嫌な視線が肌に絡みつく。

「え…?」

何かしら…。意を決して振り返ると、木々の隙間から覗いている真っ赤な瞳とばっちり交錯した。
ゾクリと身体が震えを上げる。考えるよりも前に本能が察した。次いで、必死で気づいていないゾロに震えた声を投げる。

「ぞ…、ゾロ…」
「あ?」
「見て…」

震えた指先が指す方向にゾロも視線を配らせてみると、そこには唸りを発して目を尖らせている大きなサイのような恐竜が。きっとこの赤ちゃんの親なのだろう。子を踏みつけた人間を完全に敵視している。
あんな恐竜に噛みつかれたらもう即死だ。逃げたら相手も興奮して追ってくるに違いない。能力者だとはいえ、一人だと絶体絶命な状況なのだが、今はとっても強くって何より誰よりも安心できるゾロがいるから全身に走っていた恐怖もふっと力が抜けてゆく。

「ほお…。こりゃいい奇遇だ」
「え、ゾロ。まさか…」
「あァ。こいつを仕留める」
「まあ…やっぱり」

どう見てもムキムキであんまり美味しくなさそうだけれど…。
その言葉を飲んで、アリエラは子を追払い刀を抜くゾロを見上げる。

「アリエラ、危ねェから離れてろ」
「うん」

その一言の優しさにまた胸がくすぐられて、緩くなった頬をそのままに、アリエラは数歩後退りをして男の決闘を外野から眺めた。


その頃、サンジも──。

「時間のベルが鳴りやがったか…」

ポケットに両手を突っ込んで歩き進めていた。サンジもまた、手をおさめられるほどに何も獲物を捕まえられていない。チッと舌打ちを鳴らして、噴火した山を見上げる。やはり、真ん中の山が噴火をあげていた。

「獲物なしじゃシャレになんねェぞ。参ったなあ…」

紫煙を揺らしながら空を見上げる。
彼が歩くたびに揺れる金。眩さに引かれてのっそりついている大きな獣の影が、彼のずっと後ろで伸びていた。

一方、この噴火はエルバフの戦士にとっても重大なゴングである。

「合図か」

そう言って、ブロギーは立ち上がった。

「今日は景気がいいな」
「えっ、行くのかよ? さっきの戦いの傷がまだ…」
「な〜に。互いに条件は同じだ」

生々しい傷を大きな体に残したまま、ブロギーは斧を握りしめた。燦々と輝く太陽光を受けた斧がまばゆくひかる。

「ガバババババッ! 情け容赦のない殺し合いに言い訳などしては名が腐るわ。ガバババババッ!」

決して折れない信念の旗。掲げているものは二人同じ。
少し離れた先で気を失っていたドリーは、微かに耳をくすぐったライバルの笑い声に意識を引き戻された。

「はあ…はあっ、」
「おい、待ておっさん! 行くな!」
「ダメよ、ドリーさん! 静かにしていなきゃ! 無理すれば死んじゃうわ」

噴火の轟きが地を這いずって、ドリーの内臓を揺らした。
行かねば。もう100年も続いたルーティンは身体がすっかり覚えてしまっている。そして、信念の旗も。心臓よりも命である信念を貫くために、ドリーは戦場に行かねばならないのだ。

「我…ここにあり。戦士ドリー、せめて…っ、エルバフの名に恥じぬ戦いを…!」

強い光を宿した双眸ねめつけている先は、二人の決闘の場所。
焦げ臭い血が体内からこぽりと上がって、髭を赤く染める。痛みに身体を震わせながらもドリーはゆっくりと身体を持ち上げた。巨体が壁のように伸びて、ルフィたちは陰りに入る。
逆光に照らされたドリーの表情は、気高く、そして痛々しく。ルフィは真剣な目で彼を捉えていた。


「フフフフッ、」

決闘場から離れたジャングル内の蝋部屋で、これから起こる未来を予測してほくそ笑む悪の影がゆらりと揺らいでいた。

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