96、Brag men


さっきから摩訶不思議な現象に見舞われて、ナミもウソップも半泣き状態だ。
おまけに、また新たな敵がこちらに影を伸ばしている。嫌な唸りが耳に届いて、ナミとウソップが恐る恐る右舷側を振り返ってみると、のしのしと重たい足音を立てメリー号と歩幅を合わせ、ゆっくりと海沿いの陸地を歩いている獣が…。
警戒するように双眸を細めて、じいっとクルーを見つめている。
 
「あら〜ついてきているわ、かわいい
「フザケんなよアリエラ! どこがかわいいんだよ、あれ虎じゃねェか…! つか、でけェ…デカすぎる!!」
 
図鑑や動物園でみる虎と比べてみると、明らかにこちらの虎は身体がひと回り大きいのだ。
大自然の食物連鎖が蔓延る中、己を鍛えて生きているためか…。
そのずっしりと鍛えられたからだと、鋭い眼光にどうしてかゾロを重ねてしまって。怒られそうだから彼に気付かれ無いように、アリエラはくすりと笑みを描く。
 
「こんな肉食動物がウロウロしてる島なんて…私絶対無理!」
 
ゾッと青ざめた顔を包み込むナミだが、その数秒後に信じられない光景を目にすることとなった。こちらに意識を全集中させていた虎が突然立ち止まって、背中から大量の血を吹き出し、ばたりと倒れこんでしまったのだ。ピンと限界まで身体を張って痙攣を見せたのちに、虎はゆっくりと息を引き取った…。
 
「ん?」
「きゃ、死んじゃった…」
「何で!? どうして…普通じゃないわ! 王者の虎が血まみれで…!」
 
包み込んだままだったナミの顔はどんどん青みを増していく。身体も心なしか震えていて、この島に対して拒絶を示す。
 
「船の上でログが貯まるのを待って、早くアラバスタに!」
「そうだそうだ! この島に上陸しないことに決定ー!」
 
それはウソップも同じで、ナミの隣にスッと立って震える腕を天に伸ばしてみせるが──この船の決定権を握っている船長は果たしてどうだろうか。恐る恐る彼を確認してみると、期待を裏切らないわっくわくな笑顔を浮かべていて。
 
「面白そーな島〜!!」
 
うずく身体を押さえきれずに、腰をかけていた欄干から勢いよく甲板へと降り立った。それを聞いたゾロは、そそくさとイカリをおろしてメリー号を停泊させる。剣士もまた、船長のように好奇心に煽られたのか。
 
「海賊弁当作ってくれ、サンジ!」
「海賊弁当?」
 
なんだそりゃ。と紫煙を吐いたサンジの疑問をルフィは聞いていなかったみたいで、キラキラ輝かせた瞳をジャングルに向けて、高まる興奮のまま欄干に手をつけてジャンプをしている。
 海賊弁当…まあ、ルフィの言うことだから野菜抜きの肉尽くし弁当だろうな。と思案を巡らせて、ご要望に応えるためにラウンジへと足を向けた。
 
「どこ行くつもり? ルフィ」
「冒険だ! ニッヒヒ、来るか? 冒険!」
 
もう分かりきっていたことだけれど、たまらなくなってナミが訊ねてみると。ルフィは大きな黒目にキラッキラな煌めきをのせて、くるりと振り返った。
「(ダメだ…止まらない…。いきいきしすぎ…っ、)」
その姿を捉えたナミは、瞳にためていたたっぷりの涙をこぼしながら現実から目を逸らすように、ルフィに背を向けた。
 
「嘘だろ〜ッ!? 虎をぶっ飛ばすバケモノが住んでんのか!?」
「サンジ、弁当!」
「わかったよ。ちょっと待ってろ」
 
やれやれ、と肩をすくめてラウンジ前に移動していたサンジはキッチンへと続くドアを開けた。ここは、ナミを庇いたいところだが…海賊である以上、船長命令を背くことはできないし、したくない。自分たちがしているのは、ごっこ遊びではないのだから。
ぱたん、と丁寧にドアが閉まる音が響き渡った。それに促されるように、勘案していたビビはゆっくりと頭をあげた。
 
「…ねえ、私も行っていい?」
「おう! 来い来い!」
「えっ、ビビ正気!? あんたまで何言うの!?」
「虎がぶっ飛ばされたんだぞ!?」
「ええ。だけど、じっとしてたら色々考えちゃいそうだし…ログがたまるまで気晴らしに」
「ビビちゃんは勇敢ね!」
「そんな…!」
 
瞠目して怒る勢いで食いつくナミだが、ビビは涼しげに笑っている。その間、ルフィはウズウズし過ぎているらしく欄干の上に乗り上げて、嬉しそうにジタバタしていた。
 
「ルフィはともかく、あなたには危険すぎるわ!」
「大丈夫よ。カルーがいるから」
 
後ろに立っている相棒に視線を流すと、カルーはきょとんと首を傾げて主人の言葉を頭の中で繰り返す。つまり、ビビを乗せてこのジャングルに行かなければならないということで──。ようやく理解が追いつくと、カルーは上擦った鳴き声を響かせて大きな目にいっぱいの涙をためていく。
 
「…本人、言葉にできないくらい驚いてるけど」
 
呆れたナミは、腰に手を当ててカルーの顔を覗き込んでいる。本当に、可哀想なくらいの慌てっぷりだ。きっとカルーの気持ちはナミとウソップ側なのだろう。こんな奇妙で奇怪な島、絶対上陸したくないはずだ。
 
「なあなあ、アリエラも来るか?」
「う〜ん…どうしよっかなあ〜」
「アリエラまで誘うな! てか、あんたも悩むな!」
 
うきうきうずうずしながら、ルフィはアリエラを誘う。受けたアリエラは少し考えたのち、ちょっと様子見するわ。と答えた。アリエラは、この島に対してそこまで恐怖を抱いていないみたいだ。それよりも、あの絶滅した花々をスケッチしたい衝動に駆られているらしい。
 
そこで、弁当を作り上げたサンジがラウンジから出てきた。バラティエで常に料理を作っていたサンジは、スピードには長けているのだ。もちろん、スピード重視でも味は変わらない。手にぶら下げてある、緑色の包みを見てルフィは満足げに微笑んだ。
包みの中身はお重のようだが、一番上に乗っている小さな箱はビビのものだろう。これに併せてみんなの昼食を用意したサンジは、耳に飛んできたビビの意思を聞いて、ルフィのものと一緒に包んだのだ。
 
「カルーのドリンクも…」
「もちろん、用意しておいたよ。ビビちゃん
「ありがとう、助かるわ」
 
肩には、カルー用の水筒がかけられている。樽でできたそれをまずはカルーにかけてあげて、ルフィが用意していた水色の大きなリュックサックにお弁当を詰めて、船長の肩にかけてやった。ルフィは行きたくてたまらないみたいで忙しない。そのたびに「ルフィ、動くな!」とサンジのお叱りの声が上がっている。
最後に、リュックの紐を結んであげるとルフィはご機嫌に欄干から陸へと飛び降りた。ビビも、カルーにまたがって上陸準備はばっちり。
 
「よし。海賊弁当二丁に、カルー用のドリンク。全て入ったぜ!」
「うん、ありがとうサンジ!」
「じゃあ、行ってくるわね」
 
ビビを乗せたカルーも吹っ切れたのか、きちんと地に飛び降りてルフィの後ろに止まる。ビビが降りてくるのを待っていたルフィは、ようやく冒険に出発できる!と意気揚々にジャングルの中へと駆けて行く。
 
「おおよそで戻ってくるから!」
 
ルフィに続き、カルーも走り出すとビビは首だけをメリー号に向けて楽しげに声を投げた。そのうきうきした表情に、ナミもウソップも信じられない…とため息を吐く。
 
「…度胸あるな。ミス・ウェンズデー」
「さすが、敵の会社に潜入するだけあるわ」
 
腕を組み、神妙に呟くウソップの隣でナミも眉根を寄せながら低くこぼした。
ルフィがいなくなって静かになった船内に、ゾロのブーツの足音が響き渡る。舷側まで歩むと首を鳴らした。
 
「じゃあ、おれも暇だし散歩してくる」
「散歩?」
「ゾロくんも行くの?」
「おう。アリエラ、一緒に行くか?」
「ん……わたしはいいわ」
 
ニヤリと口角を浮かべるゾロについて行きたくなったが…ここは少し我慢をする。ゾロと二人きりになるのは少し、心臓が持たないかもしれないから。
アリエラの意思を汲むゾロは、そうか。とそれ以上は強引に誘うことなく島へと飛び降りた。
 
「あ、待て待て、ゾロ!」
「あ?」
 
背中に投げられた低い声に、ゾロはゆっくり振り返る。見上げると、煙草の煙を燻らせたサンジが舷側から顔をのぞかせていた。
 
「食料が足りねェんだ。食えそうな獣でもいたら捕ってきてくれ」
「け、獣…」
「あァ、わかった。お前じゃ到底仕留められそうにねェ奴を捕ってきてやるよ…」
「…ッ、待てコラーーッ!!」
「あァ?」
 
何だか、アリエラに惚れていることが気に食わなくって。ゾロは嫌味をさらりと吐いて踵を返したが、サンジの怒りが鼓膜を揺さぶって眉根を寄せながら首だけを船に向ける。
 
「聞き捨てならねェ…てめェがおれよりでけェ獲物を狩ってこられるだと…?」
「…当然だろ」
 
二人がちらりと盗み見るのは、「獣を食べるの…?」ときょとんとしているアリエラだ。彼女はそこに驚きを見せているため、二人からの視線に気付いていない。そして、アリエラ絡みに二人がバチバチしていることも。
ゾロとサンジの双眸から放たれた電気がぶつかり合い、ややあってサンジが欄干に乗り上げた。
 
「勝負だ」
 
そう低く呟くと、軽やかに島へと飛び降りる。
 
「いいか? ジャッジを下すのは彼女で…肉何キロ取れたか勝負!」
「何トンの間違いだろ」
「獲物を並べてからごたくも並べな」
「フンッ…望むところだ」
 
ゾロは左、サンジは右に進み、勝負に全力を賭けにゆく。
これは男のプライドと…そして、惚れた女をかけた勝負でもある。アリエラにいいところを見せるのは自分だ! と絶対敗られない戦いにゾロもサンジも瞳をギラギラさせて力強くジャングルの奥地へと進んでいってしまった。
その意図を知ってしまったナミとウソップは、ちらりとアリエラを見やり、そしてしくしく涙を流す。
 
「あんたって……ホント罪な女よ、」
「クッソ〜…恐るべしだぜ、アリエラ様はよ」
「え? どうしてわたしなの?」
 
なぜ、一見関係ない自分が避難されてしまうのか。わけがわからないアリエラは、不思議そうにナミとウソップを見つめている。
あの魔獣を惚れさせただけでとんでもないというのに…至極女性主義であり、世の女性を平等に愛するといっているサンジの心までもを掴んでしまったというのは…。もしかして、アリエラはこの上なく最強なのでは? と勘繰ってしまうのだ。
 
「う〜ん…でも、」
 
顎にそっと指を置いて少し考え事をしたアリエラは、ちょっぴり空気に透明をこぼして女部屋へ戻ってしまった。一体どうしたのだろうか。ナミとウソップは涙を止めて、女部屋へと続く倉庫のドアを見つめる。木目は、少し薄汚れている。あの嵐だったもんな…と二人同時におんなじことを一考していると控えめな音を立てて再びアリエラが外に姿を晒した。
 
「え…、まさか…アリエラ」
「嘘だろ、おい…」
「えへへ、」
 
半袖のブラウスの上にはふわふわしたカーディガン。下はショートジーンズいうラフな服を身にまとい、ハーフアップにしていた髪の毛はゆるい二つ結びにされている。また、その小さな背中には白のシンプルなリュックが背負われている。膨れているのは、中にスケッチブックが入っているからだろう。
信じられない、嘘でしょ?とわなわな震えるナミとウソップを横切って、アリエラはとんと軽やかに欄干に飛び乗った。
 
「じゃあ、わたしもちょっと探索に行ってくるわ」
「ああ…、アリエラ…あんたまで何を」
「なんて度胸だよ、お前は…一人で行くのか!?」
「ううん。サンジくんと…行こうかなあって。木の実やハーブも採っておきたいし」
 
それは、何だか口実に見えた。リュックの紐をぎゅうっと握りしめて、アリエラは「じゃあね」と柔らかな笑みを浮かべて花のように綺麗に地に降り立つ。白いリュックがふわりと浮いて、アリエラの金の髪をさらった。
 
「きっと船にいれば大丈夫よ。行ってきま〜す!」
「ハア…ッ…どいつもこいつも…なんであいつらはあんなにもこうなのかしら」
「泣くな、ナミ…。わかるぜ〜その気持ち」
 
元気にぶんぶん手を振って、楽しそうにジャングルの右奥へと走っていく後ろ姿には大変違和感を抱いてしまう。一国の王女といい、絢爛なエトワールといい…。とてもこの不気味なジャングルとはその気品はかけ離れていて、浮遊感ゆえに獲物に狙われてしまいそうだと苦慮する。
ああ、もう。うちのクルーの行動に理解が追いつかない。止まらない涙を啜っていると、ウソップは勢いよく顔をあげて、少し距離を取って左隣にいるナミを見つめる。
 
「……頼りね〜〜〜」
「それは私のセリフよッ!!」
 
か細い声で不満を漏らしたウソップにナミはくわっと噛み付いた。
何にせよ、三強がいないこの空間は何とも悍ましいものだ。せめて、氷&光という超人系の中では極めて特殊な技を持つアリエラがいてくれれば、少しは気も紛れたはずなのに…。
偉大なる航路の闇深いジャングルとクルーに、ナミとウソップは盛大な嘆息の渦を甲板に巻かせ、空を見上げた。晴天なはずなのに、どうしてか不気味なほどに薄暗く見えたのだった。
 
 
 
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