94、世界の花形


それから少し経った頃。
ラウンジに戻ったナミは、ビビからアラバスタの地形のことを教わっていた。王国に寄るのは初めてなのと、何より絶対に海賊と関わらせてはならない一国の王女を船に乗せているため、早い段階から色々と思索が必要なのだ。
その後ろのキッチンで、サンジがアリエラのリクエストの白桃タルトを作っている。その表情は穏やかで、そしてどこか蜜に溢れている。
 
ゾロは倉庫で美術品の整理をするアリエラのお手伝い、ウソップはラウンジ上に位置するみかん畑と花壇の前に腰を下ろして、望遠鏡で前方を眺めていた。
 
「ゾロくん、ありがとう。助かったわ」
「おう。これでいいのか?」
「ええ。随分スッキリしたもの。やっぱり力仕事が得意ね、ゾロは」
「ったく…おめェが無茶するからだろうが」
 
アリエラは自分にできることはもちろん、できないけどできそうなこと。まで頑張ってやろうとするタイプのようで、この数十キロある箱や棚を一人で動かそうとしていた。何か苦しそうな声が聞こえるな。と昼寝を中断して向かってみれば案の定で──。
「アリエラ、そんな無茶すんじゃねェ」と手を貸した。というわけで、その実はゾロもアリエラも唇を重ねた仲だと、お互いを深く意識してしまったみたいで、心臓がばくばく言っている。それも、二人は涼しい顔して耐え凌いでいるが。
 
「今度はおれに頼めよ」
「うん、いいの?」
「何言ってんだ、いいに決まってんだろ」
 
お前の頼みならいつでもな。と目で訴えられて、アリエラは軽く頷きお礼を言うと、パッと目を離してしまった。ああ、本当に彼は大胆になっているわ…。私、私…一体何を言ったのかしら…!
真っ赤になった顔を抑えるが、熱は一向に下がる気配を見せない。それどころか、どんどん熱は上がっていき心拍数も速くなる。
 
「も、もう……」
 
暗い倉庫から甲板へと出ていったゾロの白いシャツには、淡いひかりが差している。大きな大きな彼の背中。付き合っているのならば、あの背中に抱きつくことができるのだろう。だけど…どうも、その恋人だったり付き合うだったりの欲がないのだ。
ゾロのことをただ好きなだけでいい。だけでいい、と言うよりかはそれでもう精一杯で、これ以上となると頭が追いつかなくなりそうで。だから、この現状がアリエラには心地が良いのだ。
 
恋ってこういうものかしら? しっかりした意識の中、きちんと恋をしたことがないからわからないわ。彼や旦那さんがいる女性は、みんなどこのタイミングで“付き合いたい”と思ったのかしら? わたしはそう思える日がくるのかしら? ああ、もう。全部がはじめてで何にも分からないわ。
ゾロのブーツの音が鼓膜を揺らす。それだけで、胸がぎゅってなるのだから私は重症だわ。
はあ…とため息をついて、手を洗いにユニットバスへと向かっていく。
 
 
ゾロも、アリエラと二人きりになれたことに喜びを浮かべながら外へと一歩踏み入れると、ギラリと輝く太陽光が目にしみた。今は夏を感じる気候に変わっている。偉大なる航路ってのは、本当に摩訶不思議な海だな…。とゾロは鮮やかな夏空を見上げた。
太陽はギラリと輝き、強い生命力を感じる。白い雲ははっきりと形を縁取っていて、雪みたい。青空も心地のいいくらいに澄み切っている。空を見ただけで、夏だ。と分かるほどに。
倉庫でひたすらに感じていたのは、花が咲き乱れる優しい春の陽光だったから、その眩しさにくらりときた。太陽の逆光に照らされたウソップは、まだ楽し気に望遠鏡を覗いてブツブツ言っている。好きだな…、と思いながらゾロはメイン甲板に続く階段を降りていく。
 
「リトルガーデンの100万人の民衆が! このキャプテン・ウソップ様を出迎える姿が! 娘たちの黄色い歓声! 乱れ飛ぶ投げキッス〜!」
「クエーッ?」
 
隣で腰を下ろしていたカルーは、人間のことばが分かるゆえに難しい顔をしてこてりと首を傾げている。
 
「ああ…全く。おれってのはつくづく罪な男だぜ…」
 
こいつもアホコックみてェなこと言ってんのか…と呆れながら、少し空腹を訴えるお腹の虫を黙らせるために、アリエラと共にメイン甲板に下ろしていたリンゴの樽から一個、綺麗な赤リンゴを手に取った。
 
「だが、惚れちゃいけねェぜ。お嬢さん。火傷しても知らねェぞ」
「…バカか、てめェ」
「“バカか…”って! てめェ聞こえてんぞ、ゾロ!!」
 
心底呆れた顔しながら、いい音を立ててりんごを齧ったゾロにウソップはむむむっと顰め面で、怒りをぶつけるようにバンバン欄干を叩く。その音は、しっかりとラウンジまで届いていて、ナミは眉を吊り上げて小窓に目を向けた。
 
「うっさいわね…! ちょっと静かにしてよ、あんた達ッ!」
 
バン、と机を叩いて立ち上がったナミにビビは少し目を丸めた。
この船で一番権力があるのは、船長ではなく彼女なんじゃ…?と思ってしまう。初めて“ビビ”として彼女達と顔を合わせた時から、彼女はクルー…特に男性陣を黙らせるのが上手いのだ。という印象を抱いている。
一方、アリエラはおっとりしていて春風のようにうふふ、と笑っている子だけど、彼女にも頭が上がらないように見える人が若干二名いる。まだまだ把握しきれない海賊団に、ビビはあらゆる第一印象をひっそりと抱いていた。
 
「ったく…。ごめんごめん。で?」
「あ、うん」
 
座り直したナミに、ビビははっと思考を解いて広げていたアラバスタ海域の海図にペンを滑らせていく。
 
「大体今言ったみたいな感じ。あたりに島かげもないのに珊瑚が隆起してるもんだから座礁しやすいの」
「なるほど…。ありがとう。参考になるわ」
「どういたしまして」
 
ミス・ウェンズデーの頃とは打って変わって、ビビの本性は随分と穏やかだ。ナミににっこりと微笑むと、より強く鼻腔をくすぐるいい香りにうっとりと瞼を閉じた。
 
「あ〜いい香り〜」
「ほんと。今日はアリエラのリクエストね」
「…そういえば、彼女は?」
「倉庫の整理をしにいくって言ってたけど…ゾロが出てきたからそろそろ…」
 
ペンをポーチにしまいながら、ナミは扉のほうに目を向ける。タイミングよく、階段を登ってくるヒール音が美しく響き、ややあってきい…と古音を立ててラウンジの扉が開かれた。
 
「ほらね」
「ふふ、本当」
「え、なあに?」
 
いい時に現れたアリエラに、ナミがビビにウインクをして、二人くすりと微笑む。何が何だかわからないアリエラは、こてりと首を傾けるとナミが「タイミングが良かったのよ」と笑って告げた。
カルーと共に入ってきた春に、サンジはひっそりと頬を緩めながら女性専用の可愛いお皿に白桃チーズタルトを並べていく。
 
「わあ〜、いいにお〜い
「アリエラさん、真ん中どうぞ」
「え、いいの? ありがとう。まあ、これは…両手に美女ね
「あんたってたまにおじさんっぽいとこあるわよね」
 
ビビが横に避けてくれて、ゆっくりと腰を下ろすアリエラの蕩けた笑みにつられたナミは、緩んだ表情のまま呆れをこぼした。
レディが三人、テーブルに揃ったタイミングでサンジは香り高い濃い紅茶を氷たっぷりのグラス注ぎ、ケーキと共にトレイに乗せてゆったりと足を向ける。
 
「お待たせ致しました。本日のデザート、タルト・オ・ペッシュです」
「「わあ〜美味しそ〜!」」
 
テーブルに並べられた、丸型のタルトの煌びやかさにアリエラたちは甘い声をこぼした。
海賊とはいえ、王女とはいえ、まだまだ少女な年齢。こういう可愛いものが大好きなのだ。
瑞々しい白桃にはたっぷりの桃蜜がかかっていて、金粉が散りばめられている。パートシュクレと生地には、チーズが練りこまれていて、甘すぎずさっくりと食べれるタルトだ。
 
目を輝かせる三人の美女にサンジはでれっと相好を崩したが、その中にひっそりと混ざった低音にビビビとセンサーが反応した。
 
「あ…」
「ん…、」
「まあ、」
 
きゅるんと顔を輝かせて手を組むウソップが、女の子三人の中に混じっていたのだ。
「わあ、可愛い〜」と女の子のような声をこぼしたが、すっかり声変わりを済ませてしまったためどう頑張っても男のもの。そんな彼にビビは苦笑い、ナミはむっすり、アリエラはくすりと笑っている。
 
「…おめェらの分はそっちだ!」
 
レディの邪魔をしやがって…!と怒りを見せながら、サンジがスッと指をキッチンへと伸ばす。シンクの横には、同じように煌びやかな桃のタルトが五つ並べられてある。それに目を輝かせて、ウソップは「うよっしゃ〜!」と駆けていった。
女性陣との差異は金粉の有無だが、あってもなくても味は変わらないためウソップは特に気にする素振りは見せない。
 
「ん…?」
 
きらりとした美味しそうな白桃タルトに目を輝かせていると、ふと違和感に気がついた。
それは物足りなさだ。なんだ?と首を傾げると同時にウソップは閃いた。ごはん、おやつと聞けば匂いを嗅ぎつけていつも真っ先に飛び込んでくるルフィがいないのだ。
 
「そういや、ルフィはどうした?」
「ああ、さっき水汲みを頼んだの。ちょっとシャワー浴びたくって」
 
座っているだけでじわりと汗を掻く海域であるため、ナミは手でパタパタ扇ぎながらアイスティーを喉に通した。アリエラはご要望以上のデザートに舌鼓をうっていて、その隣のビビは自分のタルトを半分割ってカルーにあげている。
 
「カルーちゃんはなんでも食べれるの?」
「ええ、基本的には。カルーは甘いものが好きなの」
「へえ、そうなのね。可愛いわね」
 
言いながらアリエラが濃い黄の上質な毛並みに手を滑らせると、カルーは幸せそうな鳴き声をあげた。口の中でとろける甘味が大変至福なのだろう。きらりと目を輝かせている。
 
「ああ、それでルフィの姿がねェのか」
「うん。今は水汲みマシーンにいるわよ、きっと」
「どうりで大人しいと思ったぜ」
 
ウソップに続き、サンジもなるほどな。と感心しながら頷いた。
いつもなら絶対につまみ食いという名の邪魔をしにくるのだが、今日は驚くほどにその気配を伺えなかった。そのおかげで、計算通りにデザートを作り上げられて満足していたのだ。おまけに、この要望は好きな女の子から受けたものだから、それも相俟って。
 
だから、今日はしばらくは落ち着いておやつタイムを満喫できる…と思った矢先。穏やかに航行中だったメリー号は激しく揺れて、メイン甲板からは爆発音が轟いた。
ナミは飲みかけ中だった紅茶を勢いよく飲み込んでしまい、アリエラとビビはフォークを置いてはっと顔をあげる。ウソップももぐもぐ咀嚼しながら不思議そうに振り向いて、サンジはげんなりと表情を歪めた。
 
「……大人しいわけねェか…」
「どうしたのかしら?」
 
一旦、食事を中断して一行はラウンジを後にした。
甲板に出てみれば、やはり。船首甲板へと続く階段に備え付けられている水汲み室からは黒い細やかな煙がもくもく上がっていて、中からは眉を顰めたルフィが出てきた。真っ赤な服は、薄汚れてしまっている。
 
「あ〜ビビった! 危ねェなこれ〜!」
「何っ!? 何事!?」
「大丈夫!? ルフィくん!」
「ああっ、おいルフィ! てめェ何壊してんだ!」
 
ラウンジ前の欄干に手をかけて並んだナミとアリエラが、想像以上の事態にぎょっと目を剥かせながら声を投げると、少し遅れて出てきたウソップが二人以上に目玉をひん剥いて荒い声を船長に飛ばした。
それを受けて、ルフィは「それがよ〜」と困り笑いを浮かべて続ける。
 
「おれはただ水汲みを早く終わらせようとしただけだ」
 
ルフィの弁解ですらない言葉を耳に受けながら、ウソップは欄干を跨いで飛び降りて慌てて駆けつけた。二畳ほどの水汲み室を覗き込むと、自転車型のそれはルフィが漕ぐ負荷に耐えきれなかったようで、ぷすぷす嫌な音と黒い靄を吐き出している。そこからふっと視線を目下に滑らすと、甲板から続いている木板の床には焦げたベルトが伸びていた。
その騒がしさに、深い眠りについていたゾロもムクッと顔を上げて、大あくびをおひとつこぼしている。
 
「おいおい! ベルトが焼き切れてるぜ」
「うん、不思議だな!」
「あんたのバカ力のせいでしょうが、全く…!」
 
腕を組み、うんうんと不思議そうに唸っているルフィはこの行為に全くの罪悪感どころか、自分が壊してしまったという自覚すらないらしい。それにブチッときたナミは、ウソップと同様に欄干から飛び降りてルフィの頭に一発強烈な拳骨をぶち込んだ。
 
「直らないの?」
「あァ…どっかで資材を調達しねェとな」
「でも、よかったわ。もう一つあって…。そうじゃないと私たち、ずっとお風呂に入ることができないままだったわ」
 
ビビの質問に、ウソップはむっすりしながら答えた。それを受けて、アリエラももう一つの部屋に視線を滑らせてほっと安堵する。この船には二名ほど、お風呂を週に一回しか入らない者がいるが…そんなのとてもとても耐えられない。臭いとか不潔とか、それ以前にきっと気持ち悪くて仕方ないだろう。それなのに、週に一回だなんて。ルフィくんとゾロはすごいわ…と引きながら、船長から剣士を見つめるとすぐに剣士の鋭い瞳とバチッと目があった。なんだ、と言いたげな鋭い双眸に捉えられて、耐えられなくてすぐに目を逸らした。
一瞬でバッチリ交差したなんて…本当に気のある証拠だ。ゾロは、いつもわたしを盗み見ていたのかしら?と思うとたまらなく恥ずかしくなった。変なことしていなかったわよね…?
 
「全く…どっちにしろもうこの男には良さそうね。ウソップ〜もう一つの水汲みマシーンで水汲んでくれる?」
「あァ。……って、てめェナミ! 自分でやろうとは思わねェのかよ!」
「あ、ウソップ。わたしもお掃除して汗かいちゃったからシャワー浴びたいの。多めに汲んでくれると嬉しいわ。よろしくね
「う…っ、アリエラまで…!」
 
こんな美女に綺麗にウインクされてお願いされたら。チクショー、美の暴力だぜ。と悶々しながらも、どのみちナミに断る方が厄介な目に遭うと踏み、渋々承諾するのだった。
 
「あ、食いもんの匂いだ!」
 
きょとん、と一部始終を見つめていたルフィはまたもや反省をみせるどころか、目を輝かせてラウンジを見上げるものだからウソップは再びブチッと怒りを鳴らす。
 
「そして、おめェは反省が足りねェってんだよ!!」
「だから悪かったってば。もう一個あるからいいじゃねェか」
「そういうところが反省してねェんだよ!」
「うるせェぞ、てめェら! いいから水汲んでろ!」
「何だとォ!? じゃあゾロ、お前が汲めよ! アリエラ様からのご要望だぞ」
「な、てめェ…、」
 
何故それを、と胸の内で吐いたゾロは眼光を尖らせてウソップを狙い定める。それにビクッと肩を震わせながらも威嚇のポーズを取る。また喧嘩が始まりそうな雰囲気に、ビビはなんて子供っぽいのかしら…笑っていると、ふっと小さな影が瞼を掠めた。何かしら?と顔を持ち上げてみれば、マストに止まったカモメの姿が。
 
「ナミさん、あれ」
「ん?」
「わあ、ここでは初めましてね!」
 
びしっと敬礼を示す、律儀なカモメは水兵帽をかぶっている、カモメの身体に反して首にぶら下げている大きな鞄の中にはぎっしりと新聞が詰められている。そう、彼はここ偉大なる航路を航海する者に情報を与えるべく、海を股にかけて飛び交っているニュース・クーだ。
世界政府の広報ではあるが、お金を払えば無法者にも関係なく売ってくれるらしく、ナミは手をあげて彼から新聞を受け取り、チップを渡した。交通の不便から来るのか東の海の頃よりも少し高いらしく、金額を聞いてナミは唇を尖らせていた。
 
新聞を受け取ったナミは、やっと情報にありつけるわ。と困り眉のままご機嫌にラウンジに戻っていった。それに続き、ビビとサンジも。アリエラは少し迷ったのちに「ゾロくん、おやつよ」とまた眠ってしまいそうな彼に告げると、「あァ、もうそんな時間か」と大あくびをしながら立ち上がり、二人もまたウソップを置いてラウンジへと向かって行ってしまった。
 
「クッソー! ナミとアリエラの奴めェ!!」
 
なんだかんだ優しく、そして不憫なウソップは文句を垂らしながらも“少し多めに”と要望通りにペダルを漕いでいく。これまでも壊してしまったら、ナミとサンジどころか、あのうふふ〜の温厚なアリエラからもひどいお叱りを受けることになりそうで、ぶるっと身体を震わせて慎重に水を汲んでいく。
 
 
 
ウソップが大変可哀想な中、再びおやつの時間を取り戻したラウンジには、温かなひだまりが差しこんでいた。もうすぐ、黄昏時に変わる合図だ。
ナミが広げている新聞にアリエラもタルトを食べながら目を通していく。
 
「それにしても、おやつの時間に朝刊が来るなんて」
「ふふ、本当ね」
「しょうがないわよ。こっちはグランドラインを航行中なんだもの。情報にありつけるだけありがたく思わなくちゃ」
「それもそっか」
 
ここは、東の海とは違うのだ。あの穏やかなを偉大なる航路の基準としてはいけない。ナミは笑いながら新聞をめくっていく。
 
「ここ、グランドラインなのよねぇ〜…あ、こらルフィくん! 私のケーキに手を出さないで」
「何!? このクソゴムッ! アリエラ様の皿に手ェ出すな!」
「だ、だってよ、避けてるから嫌いなんだと、」
「好きなものは後に食べたいタイプなの」
「アリエラさん、私と一緒」
「わあ、ビビちゃんも? やっぱり美味しいものは後に満喫したいわよねぇ」
 
もう、と唇を尖らせたアリエラはお皿を持ち上げてビビににっこり笑顔を浮かべて見せる。
ビビも同調するように頷いて、サンジからカルー用に。ともらったタルトをまた彼の口にそっと運んでいく。
可愛いわあ〜。とカルーを眺めていたアリエラの肘に、つんつんと衝撃が走り「なあに?」とナミの方を振り向くと、彼女は険しい顔して目線を新聞に滑らせた。
 
「あ……、」
「──……」
 
どうしたのかしら?とアリエラも文字を追うと、“ARABASTA”と大きく記された見出しに自然と目が留まった。細かな文章が告げているのは、内乱のこと。その内容は状況の不芳を語っている。ざっと文章を読んで、おずおずとナミを見上げると、彼女もまた影を落としていた。
 
「…何か気になる記事あった?」
「え? ああ、ううん。いや別になんも?」
 
二人の間が気になったのか、ビビの穏やかな声が届いてナミとアリエラはハッと顔を持ち上げて慌てて笑顔を作った。ナミも悟られないように新聞のページを捲る。
それが不審に思ったのか、ビビはきょとんと二人を交互見るのだ。
アリエラも何とかバレないようにと記事を追っていると、胸がどきんと高鳴る名を見つけた。あ、これなら誤魔化せるわ。と踏み、ビビに笑顔を向ける。
 
「そうそう……私のことが書かれていただけよ!」
「え? アリエラさんのこと?」
 
麦わらの一味はほぼ無名な海賊だ。その一味の船長ならまだ分かるが、船員が大きく報道されることなんてあるのだろうか。疑問を浮かべながら、新聞を覗き込んでみると
『女学院生失踪事件──エトワールの行方は──』という文章が飛び込んできた。
 
「あ、エトワールだわ。まだ見つかっていないのね……」
「うふふ
「え、エトワール?」
 
もちろん、新聞やラジオを聞いて世情を得ていたビビはよく聞き覚えのある名だった。
世界一と謳われている有名女学院の絶世の美女エトワールの失踪事件。殺人もしくは自殺でこの世を去っていると唱える意見と、貴族または王族に嫁ぎ幽閉されているのではないか、という意見が主流で、確か王族貴族界隈には手配書も出回っているだとか。
プライバシーを配慮して、顔や本名は一切出回っていないが、噂に聞けばひかりに満ちた金髪碧眼を持っていると──。
その名はもちろん、美女好きなサンジも知っていてふっとアリエラに目を向けた。
 
「もしかして、アリエラちゃん…君が…?」
「え、アリエラさんがエトワールなの…!?」
「ええ、もう過去のお話だけど…」
「「ええぇええええ!!??」」
「その反応になるわよね」
 
ナミも、何とか逃れた状況にほっとしながらサンジとビビにけらりと笑う。
アリエラもえへへ…と軽やかに笑顔を浮かべて紅茶を一口啜り、一足先に認知していたゾロもそんな驚く存在なんだな…と少し瞠目しながらタルトを豪快に流し込んだ。
 
「なんだ? エトワールって」
「知らねェのか? エトワールっつったら…! あの世界一の美女と称される海賊女帝と肩を並べるほどの絶世の美女だと…世界四大美女の一人だと…この世のアイドルみてェな存在だと云われてるお美しいレディだ!!…アリエラちゃんが、ああ…やっぱりそうだったのか…」
「アイドル? アリエラが?」
「やだあ、そんな大袈裟なものじゃないわよ。ただのお飾りみたいなものよ」
「すごいわ……まさか、エトワールに会えるなんて…」
 
あまりの驚きに瞳を揺らしているビビに、サンジもばくばくしている心臓を押さえながらもそうか…と腑に落ちた様子を浮かべている。
 
「そりゃあ…そうだ。こんな類稀なる美女が一般市民だったわけがねェ…。おれァ、もしかしてと思った節がいくつかあってな……いやあ、でも本当にアリエラちゃんがそうだったなんて…。ああっ、なんて幸せ者なんだ、おれは…。エトワールと共に生活を営めるなんて──夢みてェだ…、」
 
ほわわ〜ん…と頭の中であれこれ浮かべるが、相手は心の底からの恋愛感情を抱く唯一のレディだ。表情や態度にはメロリンを出さないでいる。そんなサンジにゾロもまたむすっとした気持ちで紅茶をゴクリと飲み込んだ。女の尻を追っかけて、ハートを振り撒くような軟派な野郎は嫌いだが、それでもアリエラにはその女全員に平等に振り撒く愛を持っていてほしいと願ってしまう。随分身勝手な押し付けだと分かっているが…恋のライバルなんていらないのだ。
 
彼とはまた別の理由で、ビビはアリエラをじいっと見つめる。この世を揺るがすというほどの美貌を持つと噂されているエトワール。それ故に、あれこれと取沙汰を耳にしたことあるが、その惚れた腫れたの渦中にいたエトワールがこんな穏やかで優しい雰囲気を持つ女性だとは思わなかった。
そして何よりもこの金髪碧眼の女の子。ビビは、遠い昔彼女を見た気がするのだ。でも、それは一体どこで…?アラバスタの海域には金髪碧眼を持つ者は生まれないとされているため、比較的珍しい配色を持っているし、その上この美貌だ。一度目にしたのなら覚えているはずなのに、どうしてか靄に包まれて、それ以上は何にも思い出せない。
 
「(人違いかしら…? でも、そんなはずは…)」
 
思案を重ねていると、新聞を覗き込んだルフィが「あーッ!」と大きな声を上げたため、ビビもはっと思考を解き、ナミもアリエラもギョッとして船長を振り返る。もしかして、新しくめくったページにアラバスタの記事が?と激しく心臓が高鳴ったが、そうやらそうではないみたいだ。
大きな黒目はキラキラ輝き、隣でごくごく紅茶を飲んでいるゾロをひょいひょいと手招きして呼ぶ。
 
「ん?」
「ほら、ここだ!」
「何…? ただの海軍の写真じゃない」
「どうしたの? ルフィくん…」
「あぁ、一緒に写ってるのはただのやつじゃねェ」
「ん? コビーじゃねェか」
「なあ!」
 
覗き込んだゾロも、その白黒写真を見つめて瞳を丸くした。
ついさっき耳にした名がまたテーブルの上を飛び交ったため、ナミもアリエラもすぐにピンときたらしく頷いてもう一度写真に目を落とす。
 
「この子、あんたがさっき言ってた友達?」
「あァ! なあ、なんて書いてあるんだ?」
「何って…ええっと…“ガープ中将の軍艦は海軍本部へ到着した。写真はリヴァース・マウンテンを超えた直後のもので、流石にガープ中将は堂々と余裕の表情を見せていたが、若い海兵の中には境地に顔を引き攣らせるものもいた”…だって」
「へェ〜コビーの奴、グランドラインに入ったのか〜!」
「海軍本部だとよ。やるじゃねェか、あいつも」
「すごいわね、二人とも。お友達と同じタイミングでこの海に入ったなんて!」
「何たって、海軍町長になる男だからな!」
「ええ? 町長…?」
「町長になってどうすんだよ。将校だろ、海軍将校!」
「そうそう、それそれ!」
 
不思議な組み合わせにアリエラは新しく出来た階級かしら?と小首を傾げたが、呆れたゾロに訂正されて納得する。やっぱり、ルフィに友達と称される彼はすごい目標を掲げていて、何だかアリエラもナミも微笑ましくなってお互いにくすりと頬を緩めた。
「そっかあ、頑張ってんだなァ。あいつも!」と友の成長を嬉しそうに噛み締めるルフィに、ゾロも大きく頷いた。もしかしたらこの先、どこかで交戦することがあるかもしれない。その時に本気でやり合うために、ルフィももっともっと力を磨かなくては。と野望に新たに薪をくべ、炎の勢いを増した。
 
 
 

TO BE CONTINUED



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