89、夜は終わらない


「走れ、カルー!」
 
Mr.9が足止めをしてくれたおかげで、どうにか刺客を欺き逃げることに成功した王女ビビは愛鳥カルーに乗って港へと急いでいた。
 
「サボテン岩の裏に船を止めてあるわ。その船でこの島を脱出するのよ! そして、アラバスタへ……!」
「クエーッ」
「急いで、カルー!」
「クエーッ!!」
 
この子、カルーはカルガモの中でも超カルガモと称されている種。豹をも凌ぐ足の速さを持つため、びゅんびゅん風を切って港の方へと向かっていっている。このスピードがあれば、何とか奴らに見つかる前に脱出できそうだ。焦りと不安を抱きながら、振り落とされないよういにしっかり紐を握っていると、前方で大爆発が起こった。熱風と弾けて飛び散るガラスや石が空を舞い、ビビはぎゅっと目を瞑った。
 
「ストップ! カルー!」
 
このまま突き進むのは危険だと察知したビビは、慌ててロープを引っ張ってカルーの動きを止めた。クエ!と立ち止まったカルーは、恐怖に身体を震わせている。
前方に立ち昇る黒い煙に、すうっとぼやけた影が不規則に左右に揺れた。黒を纏った影は、月明かりに照らされてその正体をビビの瞳に晒した。
さっきまで、後ろにいたはずのMr.5とミス・バレンタインだ。嫌な汗が背中に流れる。
 
「Mr.5…見つかった…! カルー! こっち!」
「クエーッ!」
 
引き返して、また別の路地を抜けたら港に通じる道に出られる。
この島を拠点としていたビビの頭の中には完璧な地図だ浮かんでいる。その通りに向かえれば大丈夫。絶対、出航できるわ。
引き返したところで、ミス・バレンタインの甲高い笑い声が鼓膜を揺らした。パラソルをふわっと風に差し出し、身体を浮かせた。綿のようにふわふわ軽やかに舞い、ビビの背後の木箱の上に着地する。たった一瞬で間合いを詰められてしまった。
 
「無駄な足掻きだ」
「キャハハッ!」
 
呆れた声が耳をつくが、それでもビビを乗せたカルーは必死に足を動かし続けていた。
少しでも距離をあけられたらいい。その一心でビビもカルーも前進に集中していると、路地の中から大きな影がスッと伸びた。
 え?と気がつくが早く、姿を見せたのは巨大な丸太を手に持ったミス・マンデーだ。
 
「…! ミス・マンデー!」
「クエー!」
「行きな。ここを抜けたら船に乗れる。あいつらはここで私が食い止める」
「でも…」
「あの怪力剣士のおかげでどのみち私たちは任務失敗の罰を受ける。…どうせなら、友達の盾になってぶちのめされたいもんだ」
「……ッ、」
 
口元を緩めているミス・マンデーの温かさにビビは思わず涙をこぼしてしまいそうになった。
彼同様、彼女もまた“ミス・ウェンズデー”に裏切られた側の立場なのに。どうして罪を重ねてまで庇ってくれるのか。思わぬ形で触れた優しさと温もりに、目頭が熱くなる。
そんなビビに見兼ねたミス・マンデーは彼女の小さな肩をそっと向こうに押して前に出る。
 
「さあ、何グズグズしてんだ! あんたがやられたらMr.8と9の犠牲まで無駄になる! 行きな!」
「……うん、ありがとう…ッ」
 
声を震わせて、でもきちんと涙はしまって。ビビは彼女に心からのお礼を告げてカルーを走らせた。
 
「Mr.9に続きお前もか、ミス・マンデー!」
 
少し後ろの方で、Mr.5の厳しい低音が空気を劈く。振り返りそうになったビビは、耐えて前を目指していく。
 
「ここは通さないよ! 私の誇りにかけて!」
「キャハハ! お笑いね!」
「…この…バロックワークスの…!」
 
甲高い声に続き、腕まくりをしたMr.5の凄む声が少し揺れる。全力で地を蹴り、ミス・マンデーへと間合いを詰める。彼女もただ黙って見ているわけもなく、気合を入れて丸太を回し自慢の力を盛大に集中させてMr.5にぶつけるが、一瞬彼の方が早かった。
 
「恥さらしが…ッ!!」
 
ミス・マンデーの首に腕をかけ、彼女をぶっ飛ばすとともに大規模な爆発を起こさせた。
轟く爆音に、地を這いずる亀裂と揺れ。ハッとしたビビは、カルーを止めて振り返る。激しく揺れる炎に黒煙。ビビの茶色い瞳は真っ赤に照らされている。
 
「ミス・マンデー……」
 
綺麗な形の唇からこぼされたのはか細く、頼りない声。そして、震えながらそっと双眸を細めた。炎の前に立つ男は、無表情に突っ立っている。その隣の女は卑しい笑みを浮かべてくるくる日傘を回していた。
 
「フフ……おれは全身を被曝させることができる爆弾人間。この“ボムボムの実”の力によって遂行できなかった任務はない!」
「キャハハ!」
 
彼に続き、笑い声を響かせたミス・バレンタインは地を蹴り身体を空に浮かせた。
 
「私の“キロキロの実”の力で裏切り者、ミス・マンデーを地の下に埋めてあげるわ!」
 
肩にかけていた日傘を外して、斜め下に構えてケラケラ笑う。
 
「私は自由自在に体重を変えられるもの。今は風に乗れるほどの軽さ。さあ、今度は重くするわよ!」
 
下に向けた日傘を回転させて生んだ風で、もっと上空に昇っていき、気持ちのいい高さまで登ると彼女はまた肩に日傘をかけた。そして、ゆっくりゆっくり体重を増やしていき降下を始める。
 
「2キロ…3キロ…5キロ…10キロ…100キロ…1000キロ……」
 
徐々に倒れているミス・マンデーのお腹の上まで降りてくると、ミス・バレンタインは最大限の体重を体に込めた。
 
「“一万キロプレス”!!」
 
半分、気を失っていたミス・マンデーはお腹の衝撃から全身に駆け上る痛みにカッと目を見開かせたが、すぐに白目を剥いてもがくこともできずに意識を手放してしまった。これほどまでの筋肉を持っていても、降下してさらに勢いを孕んだ一万キロを受け止めるなんて不可能だ。
薄れゆく意識の中、ミス・マンデーはビビに対してお礼を告げていた。いつもいつも他人を優先して動いていた彼女。任務に苦戦して飢餓に襲われた時も、自分の食糧をみんなに分け与えていて、自分はパン屑すらも口にできなかった日々が続いていたというのに、みんなを心配させないようにいつも笑顔をたたえていた。だから、王女だと知った時すぐに受け入れることができたのだ。他人を想い、自分は犠牲となる。立派な王女だと、ミス・マンデーはふっと笑って深い眠りについた。
 彼女を中心と地面はひび割れていき、蜘蛛の巣のような巨大な亀裂を地に残した。ビビは瞳を震わせて呆然と惨劇を見つめている。ミス・マンデーは生きているだろうか。息をしているだろうか。駆け寄って確かめたいが、約束に阻まれる。
 
 『たとえ周りのどんな犠牲を払おうとも…人を裏切ろうとも生き延びる…! つらいことです』
 
絶対に死んではいけない。死なない覚悟を決めたのだ。
ビビは強くロープを握りしめて、二人組を鋭く睨みつける。
 
「どう? あなた、それでも生き残れるつもり?」
「おれ達からは決して逃げられねェ」
「う……ッ、生き残るわ……生きて…生きて帰るわ、アラバスタに!」
 
強い瞳を向ける王女に、Mr.5はフンと鼻を鳴らした。
いくらミス・ウェンズデーとして過ごしてきたからといって、一国の王女に敗けるはずがない。そんなの万に一つとしてあり得ないことだと、Mr.5は心で吐き捨てると、鼻に指を突っ込んだ。
この小さな鼻くそを爆ぜたら、王女は簡単に微塵となる。指で構えて、彼女に狙いを定め、勢いよく弾くと素早い気配がMr.5を突き刺した。
 
ん?と顔をあげてみると、屋根には剣士の姿が。彼は、ビビに直撃する寸前に彼女の前へ飛び降りて刀の刃で爆薬を込めた鼻くその軌道を驚くほど静かにそっと変えたのだった。
 
ふたつに割れたそれは、ビビのずっと後ろで弾けて轟いた。
 
「え……ッ、Mr.ブシドー!?」
「……何だ、アイツは…」
「うおおーーッ!! 鼻くそ斬っちまったあァァア!!」
 
わなわなと震えて刀を見つめるゾロに、ビビは驚きと共に焦りを浮かべる。
じっとりと背中を襲う汗に苛立ちを込めた舌打ちをして、胸から孔雀スラッシャーを引っ張り出した。
 
「チクショーッ! なんてしつこい! こんな時に…ッ!!」
 
小指に装着させて素早く回転を生ませるが、気を取り直したゾロが伸ばした刀に弾かれてしまう。そして、そのまま首元に刀の先端を当てがわれた。すごい気迫だ。少しでも動いたら喉をつっぷり刺されてしまいそうで、呼吸を止めてしまう。
でも、どうにかこの場から抜け出さなくては。鈍った頭で考えていると、想像にない言葉が彼の口からこぼされた。
 
「早まるな。助けに来たんだ」
「え……私を…?」
 
確かに今の行動は庇ってくれたのだと瞬時に推測したが、義理もなければ道理もない。
ビビは混乱する頭で思考を重ねるが、上手い答えは導き出せないでいる。だが、さっきみたいな交戦的な態度も殺気も感じなく、そっと肩の力を抜いた。
 
 

TO BE CONTINUED



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