88.1、恋とはどんなものかしら?


「これは恋なのかしら…」

アリエラから打ち明けられたもの。それにナミは思わず目を丸めてしまった。
これは恋なのかしら…ですって? ナミはもう一度、脳内で彼女の言葉を反芻する。

『彼を見ているとね、最近ドキドキするの。彼の寝顔を見ているとね、どうしてか泣きそうになってしまうの。ねえ、ナミ…私は一体どうしちゃったのかしら』


真剣な顔をしてそう訊ねるものだから、ナミもつい呆気に取られてしまった。
ドキドキしておまけに泣きそうになる? そんなの、そんなのどう考えても──

「恋じゃない」
「え……」
「誰がどう考えても、それは正真正銘恋よ!」
「う、」

呆然から脱出したナミは、ビシッとアリエラの顔を指さしてきっぱりとそう告げた。

「や、やっぱそうなのかしら…?」
「そうなのってあんたね。それだけ感じてて自分で分からなかったの?」
「何となくしか…」
「やっぱりウブなのね、あんた」
「やっぱり…?」
「世の男達を虜にしてきたエトワールだけど、それにしてはアリエラ純粋すぎるんだもん。恋したことないんだろうなって何となく思ったことがあるの」
「ええ、それはそうだわ。初恋は済ましているはずだけど……でも、男の人を意識したのははじめてで…私、どうしちゃったのかしらってずっと悩んでたの」

しゅん、と照れ臭そうに顔を落とすアリエラが可愛くってナミの頬は自然と緩んでしまう。
さっきからそう。躊躇いがちに告げる言葉はもちろんだけど、その表情がもう誰が見ても“恋する少女”なのだ。虹彩は輝き、揺れる瞳。頬はほんのりピンクに染められて、唇は花のように愛を見せる。とろんと蕩けたような、その表情は乙女そのもの。お人形のように美しくふっくらしてる頬を指で突くと、アリエラは顔を持ち上げた。瞳は不思議をたたえている。

「なあに?」
「その顔」
「え、顔?」
「恋する乙女って顔してるわよ〜? 鏡、見てみたら?」
「え、うう……今は遠慮しときます」

スカートのポケットからミニ鏡を取り出そうとしたナミに慌ててストップをかける。
ナミが指摘するくらいだ。今の自分の顔は相当おかしいのだ。見てしまったら、きっと恥ずかしさに顔の熱が沸騰してしまう。
アリエラの様子にナミはふふん、と笑ってそっとミニ鏡をポケットにしまった。

「そっか〜。やっぱそうだったのね」
「やっぱって…?」
「う〜ん。何となく最近、ああアリエラちょっと変わったなあ〜って思うことがあったの。例えばそうねえ、朝ドレッサーの前に座っている時とか」

ある日、丁寧に髪の毛にブラシを通しているアリエラにふと目を向けた時に、はじめて小さな異変を感じたことを思い出す。あれは確か、ココヤシ村を出発してすぐだったかしら?

「アリエラはさ、元々本当誰がみても頷くほどに美女だけど……どうしてか、あの日からああ…アリエラ綺麗だなぁってふと思うことが増えたの」
「まあ…
「女部屋は船底だから当然、陽の光は入らないでしょ? でも、あの日からドレッサーの前に座って髪の毛を結ったりメイクをしたりする時のアリエラはどうしてか、春の陽光に照らされてるみたいに輝いてて、ああ…綺麗だわ。って女の私でも何度か見惚れることがあったくらい、美しいの」

鏡の中のアリエラも、綺麗ににっこり微笑んでいて、金色の髪の毛もあたたかな光に包まれているみたいに輝いていた。丁寧にハーフアップに結う姿も、丁寧に顔に色を乗せていく姿にも花があった。アリエラは元々、花を感じさせる子だが、今回ナミが感じたのは白い花ではなくピンク色の花だ。
何となくの違和感だったし、ナミは特に気にしなかったのだがあまりにも徐々に光を増していくからここ最近、特に偉大なる航路突入直前あたりからはもしかしたら、という疑惑が募っていたらしい。だけど、アリエラは瞠目してぱちぱち瞬かせ、小首を傾げた。

「え、本当? 私、お化粧も髪の毛も何にも考えないでしていたわ」
「きっと潜在的な部分が現れてたんでしょう。ゾロに可愛く思われたい、綺麗に思われたいって本能が思ってたのよ」
「ぞ、ぞろ……」
「だってそうでしょ? 名前を口にしなかったけど、アリエラの恋の相手はゾロでしょ」
「な、ナミ…声が大きいわ!」
「大丈夫よ、ウソップとサンジ君はちゃ〜んと眠ってるから」

ほら、と視線を流すナミに倣ってみると、確かに彼らは規則正しく寝息といびきを繰り返している。そしてたまに寝言をぽつり。そこにはほっと胸を撫で下ろし、けれど想い人の名にドキドキ鼓動を打たせながらこっくりと頷いた。

「…そう、ゾロよ」
「う……、何それ。かわいいわね、あんた」
「ええ?」

もじもじ照れ臭そうに身体を揺らし、ぽぽっと頬を染めて、いつもよりちょっぴり、ひとつまみの砂糖ほどの甘い声で名をつぶやいたアリエラにナミがくらっとしてしまった。
恋する女の子は可愛いっていうけれど、それはどうやら本当だったみたいだ。こんな完璧な美と愛を持っている女の子がますます…だなんて、ある種。恐ろしく感じてしまう。
ふつっと上がりかけた熱を癒すために、残り少ないお水を飲み干すと、アリエラがさっとおかわりを注いでくれた。女学院時代に叩き込まれたと言っていたが、何気ない気配りが上手い子だとナミは思う。

「そっかあ。ゾロか〜」
「う、うん…そうみたいなの」
「いい奴だけど…こんな美女をあの男にあげるだなんて…なんか悔しい」
「ふふっ。なあに、それ。ゾロは私には勿体無いくらいの男性よ」
「どうして?」
「だって、ゾロはあんなにも気高い男性なんだもの。私、これまでに地位も富も持っている殿方をたくさん見てきたけど、その中の誰よりもゾロは気高くって美しい人だわ。あんなにも素敵な人が存在しているだなんて、私これまで想像にもしたことがなかった」

野望に対する姿勢。決して緩むことのない努力。その誰よりも積んでいる鍛錬はゾロの力となって、光になっている。その光に触れたアリエラは、どんどん彼に引き摺り込まれて今ではもう引き上げることができないほどに深い底まで落ちてしまっているのだろう。
だけど、だからこそ。考えることはたくさんある。

「…ゾロはさ、アリエラに気があると思うのよね」
「……うん、」
「付き合わないの?」
「……うん。今はまだ…そこまで達していないの。彼のこと好きだけど、でも付き合いたいっていう気持ちはとても薄いわ。ゾロを好きなだけで私は精一杯」
「そう。まあ、恋の仕方なんて人それぞれだものね」
「えへへ、そう受け取ってくれて嬉しいわ」

付き合う気はない。それは、表情を見てわかる。彼女の本心だ。
アリエラもゾロに恋をしていて、ゾロもアリエラに恋をしていて。二人とも手を伸ばせば結ばれる距離にいるのに、それをアリエラは拒んでいるなんて。きっとゾロは…彼女をものにしたいのだろう。必死に耐えている様子を何度か見てきた。
アリエラの気持ちもわかるが、今回ばかりはナミはゾロに少し同情してしまうのだった。
こんなにも同じ愛を持っているのに、結ばれないことなんてあるのね──。

恋人というのは、幾多の奇跡が重なった存在だ。
この世の中に、結ばれる前からずっとゾロとアリエラみたいに芯から心の底から相手を愛しているカップルは一体どれだけいるだろう。どれだけしかいないだろう。恋愛も、恋愛が成就した末に生まれてくる人々も全て。本当に愛とは奇跡の産物だ。そう思うと何だかふわふわしたものに撫でられたように、心がくすぐったくなった。

「…でも、いつか」
「ん?」
「ゾロとお付き合いしたいって思える日が来るといいわ」
「…そうね」

ふわりと微笑むアリエラの言葉に、ナミもにっこりと微笑み返す。
いつか。それは一体いつになるかは分からないけれど、アリエラには…大好きなアリエラには心から幸せになって欲しいと思っている。それが恋という形ならば尚更だ。
相手はあのロロノア・ゾロで、ナミも付き合いが長いから彼の気高さはよく知っている。ゾロは、絶対に絶対にアリエラを大切にするに決まっている。剣のように真っ直ぐ愛すに決まっている。だから、アリエラもゾロを大切にしてそこを安らぎの場所として欲しいのだが、こればかりは第三者が口を挟めるものではない。
いつか、きっと。願っているわ。
ナミは心のうちで呟いて、冷たいお水を喉に滑らせた。


TO BE CONTINUED



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