88、責任


「すごい…」
 
ゾロの戦う姿を酒場の窓から見つめていたアリエラは、彼の生き生きした姿とその強さにまた鼓動を激しく鳴らせていた。ゾロは、本当に刀を操るのが好きなのだと伺えて、どうしてかとても嬉しく感じる。あの鋭くて強い瞳が剣を真っ直ぐ見ていることに不思議な安堵感を抱くのは、なぜかしら。あの真っ直ぐ射抜くような瞳は、敗北を知りさらに輝きを増した。
己の野望を見据えている美しい瞳。あの瞳を見つめていたら、もっともっと美しく生きねば。と思うのだ。
 
それにしても、新しい刀を手にした悦びからかゾロは随分はしゃいでいたように見える。
新入りを試すのに身体と心が疼いて仕方がないのだろう。あっという間に100人の社員を斬り倒したのには、ゾロの強さをもとより知っていたアリエラも大変驚愕した。もしかしたら、彼のあの激しい攻撃は行き場のない熱を醒ますため…という意味も込められていたのではないのだろうか──。
アリエラは熱くなった胸を落ち着かせるためにもう一度コップ一杯のお水を飲んだ。
喉からすうっとこぼれ落ちる冷水は、火照った身体を冷やしてくれる。
 
ミス・ウェンズデーが勢いよく酒場に訪れたのには驚いたが、慌てて狸寝入りをしたために危険を危機一髪で乗り越えた。その代わりにルフィが人質に攫われてしまったけれど、社員はみんな創痍に気を失っているし、彼の強さがあるのなら平気だろう。助けに行くか逡巡したが、ゾロにバッタリ出会ってしまったら心臓が破裂してしまいそうなので、今はやめることにした。
 
「それにしても、バロックワークス…」
 
まさか、この会社の社員に出会うことになるなんて。
今は女学院にいた頃ほど世情を把握していないが、バロックワークス社というのは何度か耳に入れたことがある。秘密がモットーなため会社の概念はほとんど把握できていないが、変な名で呼び合う。ということだけは知っていた。パンドラの箱よろしく謎な部分が気になっていたことを思い出す。まさか、彼らがそうだったなんて。
 
「お姉さま方〜〜…もっとこちらに…」
「ウソップ演歌721番、行きやあ〜す…」
 
仲間の寝言が聞こえてくる。うちの男の子はいびきや寝言がすごいのね。と笑っていると、今度は航海士の短い笑い声が響いた。
 
「…歓迎の町“ウイスキーピーク”は賞金稼ぎの巣か……そんなことじゃないか思ってた」
「…え、ナミ?」
「あ〜あ。寝たふりも疲れちゃった」
「え、」
 
机に伏せていたナミは、ぐう〜んと両腕を伸ばして凝り固まった身体をほぐす。
「私も水飲も」と立ち上がった彼女にアリエラは思考が停止してしまう。寝たふり…寝たふりというのは、覚醒していたということで、つまりつまり。ゾロに抱っこされて連れてこられたのも、独り言も全部彼女は聞いていたということで──。
 
「で、アリエラ? 詳しく聞かせてみなさいよ。うそって何?」
「ず、ずるい、ナミ!」
「何がよ。あんた達が勝手に入ってきてあんたが勝手に騒いでただけでしょ。私はうそ寝をしてます。なんて一言も言ってないわよ」
「ず、ずるいわ…!」
 
完璧に眠っていると思ってた。だから、ああやって口に出したのに。いや、そもそもあまりにもパニックになっていたから寝ているとか寝ていないとかそこまで気が回らなかったのか。
思わぬ失態にアリエラはむむむ…と恨めしそうな顔してナミを見つめる。だけど、その顔は真っ赤だろうし何の恐怖もないだろう。ナミが言っていることは正しいけど、でも。
 
確かに、このまま話してしまいたい気もする。元々、この不思議な気持ちを第三者に聞いて欲しかったし、ナミとは何でも話し合う仲だ。だけど、私の想いはともかく…ゾロの想いを勝手に口にしていいのだろうか。人の想い、それも恋慕を打ち明けるのは不純なことだ。
だから、そこは触れないこと。と自分に決まりを作り、アリエラは氷をたっぷり入れたお水のグラスをナミに手渡した。ありがとう。と受け取るナミの綺麗な顔を見上げる。
 
「それはひとまず置いといて」
「え?」
「私のお話をちょっと聞いてほしいの」
「…ええ。聞かせて」
 
何かを察したのか。ナミはにっこりと綺麗に微笑んで──その笑顔には少し楽しみを孕ませている──カウンター席に腰を下ろした。
 
 
 
一方、この酒場の屋根で飲み直していたゾロも思案を重ねていた。
さっきの100人斬りで気持ちと熱は随分落ち着いたが、それでも鼓動と微熱が収まることはない。
冷たい風が熱い身体を覚ますように肌を突き刺している。それが今のゾロには酒よりも気持ちの良い熱冷ましだった。
 
「……謝るしかねェよな…」
 
思わずキスしちまった。なんて、どんな面下げて言えば良いのか。
彼女は一体どんな反応をするのか。怒るのか、驚くのか、照れるのか。どの反応も鮮明に浮かぶが、すぐにどこかふわふわと飛んでいく。
あの美しい瞳で、透き通った声で、「最低」なんて吐かれたら──。そう考えると情けないが、気が引けてしまう。本当に情けない。あの時、アリエラは眠っていたのだ。言わなければ気づかないだろう。だから、このまま何も言わないでおこうか。そう思うも、次いで襲ってくるのは気持ちの悪さと自身への苛立ち。筋の通っていないことは大嫌いだ。男が女の寝込みを襲うなんてフザけたこと許せるものではない。だから、絶対彼女に頭を下げたいのだが、どうしても“嫌われたくない”という感情がぐつぐつ蓋をゆらしてしまう。
恋とは自分の感情をコントロールできないものなのだと、ゾロはここでようやく思い知ることとなった。
 
「クソ…ッ、」
 
行き場の無い苛立ちをぶつけるように、お酒を煽り拳を握りしめていると、ふと下がさんざめき始めていることに気がついた。なんだ?とそっと覗いてみると、鼓膜を激しく揺らす爆音が轟き、真っ赤な光が辺りを包み込んだ。
 
熱風が付近の窓を叩き割り、人の悲鳴が空気を駆けていく。酒場の中でお宝を漁っていたナミとアリエラもその音と熱に気がついて、窓へと駆け寄る。まだ、社員が身を潜めていたのだろうか。
 
「うう…っ、こんなところで朽ちてなるものか…! 私には大事な使命が…ッ、」
 
巻き上がる砂塵の中、這いずって苦しそうに声をあげるのはイガラッポイだ。爆発を受けたのか、全身が所々薄汚れていて、口からは血を垂らしている。
 
「無惨なもんだな。たった一人の剣士に敗けるとは」
 
聞き慣れない低い声にゆっくりと顔をあげるイガラッポイとMr.9&ミス・ウェンズデー。三人の双眸が捉えたのは、何度か任務で顔を合わせたことのあるMr.5&ミス・バレンタインのペアだった。
煙の向こうに立つ人影に、ミス・ウェンズデーは血相を変えている。
 
「あんな奴、いた?」
「ううん…いなかったわ」
 
窓からそっと眺めているナミとアリエラもお互いに眉を潜めている。
Mr.5はボンバーヘッドにサングラス、分厚く焼けた唇が特徴的のロングコートを羽織った男で、ミス・バレンタインは丸い帽子をかぶったレモンカラーのショートカットにエメラルドグリーンの瞳、レモン柄のミニワンピースに同柄のイヤリングをしていて、夜だというのに日傘をさしている美女だ。
 
「お前らフザけてんのか? ん?」
「キャハハッ! 所詮、これが私たちとの格の差なんじゃない?」
「う……我々を笑いにきたのか?」
「それもあるな」
「キャハハハッ! 当然、任務できたのよ」
 
甲高い笑いを響かせるミス・バレンタインにMr.9はほっとしたように笑った。ぼろぼろになった身体をゆっくり起こして、ゲホっと咳き込む。
 
「ありがてェ…あんたらが加勢してくれりゃ…あんな奴敵じゃねェ…ッ」
「そうね…お願いだからあの剣士を早く畳んでちょうだい…」
 
その隣で、ミス・ウェンズデーも全身痛む身体に鞭を打って緩やかに身体を起こすが、Mr.5達は嘲笑うようにふんと鼻を鳴らした。
 
「つまんねェギャグをぶっこくな。おれ達がお前らの加勢だと?」
「わざわざそんなことでグランドラインの果てへ私たちがやってくると思ってんの? キャハハハ!」
「な、何…? じゃあ一体何の任務で…」
 
バロックワークスは、社員ナンバーの数が小さければ小さいほどその実力が上がっていくのだから、彼らは相当なやり手だ。そんな彼らが与えられた任務は一体どれほどのものなのだろうか。Mr.9は目を丸めているが、イガラッポイとミス・ウェンズデーはかすかに吐息を震わせた。
 
「心当たりはねェか? ボスがわざわざこのおれ達を派遣するほどの罪人がここにいるのさ」
「うん?」
「ボスの言葉はこうだ! “おれの秘密を知られた” どんな秘密かはもちろんおれも知らねェが…我々社員の社訓は“謎” 社内の誰の素性であろうとも、決して詮索しねェのがオキテだ。もし、誰かがボスの秘密を知ったとすれば、当然死は免れぬ罪……」
「で、如何なる人物がボスの秘密を知ったのか…よくよく調べ上げていったら、あら大変! ある王国の要人がこのバロックワークスに潜り込んでいることが分かってきたじゃない?」
 
甲高いミス・バレンタインの声はよく通る。しっかりと室内までに飛び込んできて、ナミとアリエラは王国?と首を傾げて、もっと話を聞くためにゆっくり音を立てずに窓を数センチ開けた。
彼女の発言に、いよいよ血相をひどく変えるのはイガラッポイとミス・ウェンズデーだ。そっと立ち上がった彼女の脚は震えている。
一方、Mr.9も自分の王冠を押さえて震え上がっていた。
 
「ちょ、ちょっと待て! おれは王冠はかぶっているが…王様なんかじゃないぞ! これは趣味だ!」
「あんたじゃないわよ!」
「罪人の名はアラバスタ王国で今、行方不明になっている……」
「(バレている……もはや、これまで…!)」
 
その国の名に、ますますイガラッポイとミス・ウェンズデーは顔を青くして動揺をみせる。
二人の様子にMr.5もどこか満足したように口角を上げて続けた。だが、彼が口を開く前に重傷を負ったイガラッポイが震える脚に力を込めて立ち上がった。
「死ね! イガラッパッパ!」リボンを引っ張って、巻き髪の中に潜めている六つ銃を眼前の二人組に放ち、大爆発を起こした。
 
「ああ…ッ」
「王女には指一本触れさせん! アラバスタ王国護衛隊長の名にかけて!!」
「イガラムッ!」
 
隠し通し、しらを切るのはもう無理だと思ったのだろう。
ミス・ウェンズデー──アラバスタ王国の王女は、爆風に水色の髪を靡かせながら大きな背中に手を伸ばす。
彼の前に立ち上った爆風と煙は徐々に晴れていく。あれだけの銃撃を食らったというのにMr.5もミス・バレンタインもぴんぴんしていて、薄ら笑いすら浮かべていた。
 
「アラバスタ王国、護衛隊長イガラム。そして、王女“ネフェルタリ・ビビ” 二人をバロックワークス社長の名のもとに抹殺する!」
 
Mr.5が指で掲げているのは、アラバスタ王国の衣装を身に纏った王女の写真だ。もう数年前の写真なのだろう。今よりも顔も幼く、髪の毛も短いが彼女の面影はしっかりきちんと残っている。
証拠を出されて、ミス・ウェンズデー…ビビはグッと下唇を噛み締めた。
 
 
「へぇ、王女ね〜」
「…アラバスタ王国」
 
耳に飛び込んできたその王国の名は、アリエラも知っているものだった。
アラバスタ王国。王女ネフェルタリ・ビビ。それは、もう何年も前の記憶だが…彼女を見たとがあるのだ。あれは、そう──世界会議。
 
「アリエラ? どうしたの?」
「え、あ…ううん。何だか大変なことになってきたわね」
「そうね。早いとこ出航したいんだけど、ログがまだ貯まらないのよ」
 
こんな組織の内部争いなんかに関わりたくない。見つかって面倒なことになる前に一刻も早く出たいのに、ここは偉大なる航路。今まで通りにすぐ出航とはいかず、そのもどかしさにナミは柳眉を下げて腕にはめている記録指針を眺めた。
 
一方、この酒場の屋根で月見酒をしていたゾロも、お酒をぐいっと煽って口角を上げていた。わずかに汗を浮かべながら目線がさしているのは、食べすぎて風船のようにぷっくり膨らんでいる我が船長。
 
「やべェな。ルフィ、起きっぱなしだ」
 
手の甲で口元を拭い、お酒のボトルをドンと地面に置いた。
これほどの爆発や轟音が空気を満たしていたというのに、久しぶりに満腹中枢が全力に満たされたルフィは気持ち良さに揺られて夢の世界から帰ってくる気配は伺えない。
やれやれとゾロは立ち上がって、ルフィ回収に向かった。
 
 
 

TO BE CONTINUED



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