144、純情セレナーデ


カルーに使命を託し、再びサンドラ河の航海をはじめたメリー号。
ルフィとウソップはさっきいた場所、キッチンへ向かおうとしたところ、「邪魔になるからてめェら、キッチンに入るんじゃねェぞ」とサンジに止められてしまった。

ブーブーサンジのケチーー!とブーイングを投げると蹴りを入れられて、ふたりはようやく大人しくなる。

「そのまま体力温存してろ。…ごめん。アリエラちゃん、ちょっと来てくれるかい?」
「うん。何でもするわ!」
「あははっ、ありがとう。助かるよ」

呆れを浮かべていた顔をすっかり引っ込め、とびきり甘い表情を向けるサンジにアリエラはこっくりうなずいて一緒にキッチンへ上がっていく。
同じ金色の頭をゾロはじっと見つめて、それから階段の上にドカッと腰をおろした。

「ゾロぉ…もうやらねェのか?」
「あ? …ああ、あと少しだけな」
「はあ助かるよ」

甲板に横たわり、へろりと舌を出しているチョッパーの可愛い声が思考をぱちんと割ってくれて、ゾロは笑みを浮かべて立ち上がった。
ただ、コックの手伝いをしてェだけだろ。そう思い直し、もう考えるんじゃねェぞ。と自分自身に喝を入れて、巨大なダンベルを持ち上げると、「またすげェ鍛え方だな」と通りかかったエースがからりと笑った。


   ◇


「サンジくん、ミニトマトは?」
「トマトは案外傷みやすいからな…。今回の弁当には入れられねェんだ」
「そっかあ…」
「アリエラちゃん、食いたかった?」
「……うん、」
「……うッ、かわい……」

早速、クルー分のお弁当の支度をはじめたサンジとアリエラは、ふたり仲良くとなり同士に並んでテーブルにあらゆるおかずを広げていた。
冷蔵庫を開けて中身を確認していたアリエラが、パックに大量に詰まっているミニトマトを見つけて彼に訊ねたが、残念な返答が返ってきて、がっくしと肩を下げた。ずいぶんと食べたそうな彼女があまりにも可愛くって、胸をぎゅうううっと鷲掴みされたような錯覚を覚えた。

「そんな食いてェのか、アリエラちゃん」
「…だめ?」
「ん? つまみ食い?」
「うん、」

濃く味をつけた鶏肉炒めをそれぞれのお弁当に配分していた手を止めてくるりと振り返ると、パックを手にしてキラキラした目をこちらに向けているアリエラとばっちり視線がぶつかって、ドキン、と鼓動がうねった。

「そりゃあもっちろん構わねェよ、アリエラちゃんなら
「わあっありがとう、サンジくん!」
「ただ、トマトはからだを冷やす効果がある分、利尿作用もあるからほどほどにね」
「あっ、そうだわ。今から砂漠を渡らなくちゃなのよね」

もっと食べたいけれど…。四つほど手にころんと乗せて、蛇口をひねる。
海の上なのにも関わらずたっぷりと真水を使えるのはありがたい。これは汲み上げマシーンで毎日数回、クルーの誰かが頑張ってくれている賜物だ。
無下に使うことを避けたくて、すぐに蛇口を戻した。

「んんっ、美味しいっ!」
「よかった。ご機嫌なアリエラちゃんの声、クソ可愛いな」
「えへへ。サンジくん」
「ん?」
「あ
「え″ッ!!??」
「あ、ごめんね。トマトは苦手?」

心地の良いときめきと声色を感じながら、ゆるゆるに頬を弛ませていると、ふいにアリエラの顔が近くにあり、驚いた時には信じられないことばが耳に届いて、サンジはぎょっとして肩を震わせた。
普通、女の子に「あん」なんてされたらサンジは目をハートにして大きく口を開けるに違いないのに、意外な反応をするからアリエラは困り眉を作った。

「ううん。トマト大好きだよ」
「よかった。はい、あ
「えっ、あ、いいのかい…?」
「なにが?」
「そんな、あんなんておれがもらっても」
「ええ? ふふっ、変なサンジくん。もちろんいいに決まってるわ。ほら、はやくっ、あ
「あ…、あん…」
「おいしい?」
「うん…、アリエラちゃんがあんってしてくれたトマト、クソ美味ェよ」
「よかったあ

ほわっと笑うアリエラがあまりにも愛おしく、抱きしめたくなってサンジはそっと瞳を逸らす。
女の子にはてっきり慣れていると思い込んでいた自分はその実ピュアで、本気を抱いているレディ相手には目を合わすこともできないなんて、なんて不甲斐ないのだろうか。
口の中に広がるトマトは新鮮で青臭くて、今抱いている感情を表しているようだ。

「……アリエラちゃん」
「なあに?」
「砂漠は楽しみかい?」
「うん、とっても! わたしね、砂漠初めてなの。ずっとノースブルーにいたからこんな熱帯気温ははじめてでワクワクするの」
「そっか。女学院の本校はノースブルーにあるんだったな」

何気なく尋ねたものの答えに、サンジには少しはっとするものがあって、口角を持ち上げた。

「おれも生まれはノースなんだぜ」
「えっそうなの?」
「といっても、人生のほとんどをイーストで過ごしたんだけどね」
「へえっ。でも、言われてみればサンジくん、金髪碧眼だし、色も白いし…ノースって感じがするわ」
「ハハ、そうかな? この色は母譲りのものなんだよ」
「まあ、そうなのね。サンジくんのお母様、とっても綺麗な方なのでしょうねっ」

目を輝かせるアリエラに、サンジはただにこりと笑みを浮かべた。
すげェあたたかくって優しくって、慈愛溢れる美しい母だったよ。
と、言いかけて口をつむぐ。幼少期に母を亡くしたことを口にすれば、アリエラはきっと眉を下げて胸を痛めるだろう。母はいつまでも大切な人で、今も尚サンジの胸で生き続けている人だけれど、北の海での出来事その全てはもう二度と目の前には現れない過去だ。
今はひかりを浴びて生きているし、忘れかけている過去なのだから、今更仲間に話すつもりもない。

「…アリエラちゃんがいた国は寒かったのかい?」

だから、不自然にならないようにおかず詰めながら彼女に問うと、アリエラも手を動かしながら首を縦に振りかけて、小首を傾げた。

「どうかしら。季節は春と冬のみ存在していたから暖かくはなかったけど、特別寒くもなかったの」
「そっか。そりゃいい気候だよな。過ごしやすかっただろ?」
「うん。そうそう、わたしたちね制服か布をたっぷり使ったお洋服やドレスのみ着用可能だったから気温もちょうどよかったんだわ。夏だったら死んじゃうくらいドレスの布は重たく肌を包み込むの」
「あ、そっか。露出がよくないんだっけ?」
「そう。王族や貴族のお呼ばれが生活のメインだったから、品よくラグジュアリーなドレスばかり着ていたわ。だから、男の子の前でこんな肌を見せるのははじめてなの。えへへ、」

当時のドレスを脳裡で思い浮かべると、今着ているこの踊り子の衣装はアリエラにとって裸同然のようだった。胸もお腹も二の腕も、彼のソラ色の瞳にうつり、改めて恥ずかしさがぐっと襲ってくる。
おまけに、サンジは手を止めて踊り子姿をじいっと見つめているから、ぽぽぽっと顔に熱が昇って頬はピンク色に変わっていく。

「そ、そんなに見つめないで、サンジくん…」
「え、あ…ごめん。あんまりにも綺麗な体でつい…見惚れちまってた」
「ん…、」
「ごめんな、恥ずかしいって言ってたのに。穴が開くほど見ちまって。だが…本当に綺麗だよ、アリエラちゃん」

口説くのに慣れているはずのサンジがどうしてか照れ臭そうに笑ってほんのり顔を赤くするから、アリエラもさらに変に意識をしてしまう。さっきナミやビビに見せた反応とは打って変わり、大丈夫かしら…と疑うほどにしおらしくって、だから余計に照れてしまって顔を赤くしたまま、そっと目をそらす。
すると、表情とはずれた視線に気がついたサンジもはたと目を見開かせ、そっと腕を伸ばした。けれど、アリエラの身体に触れることはなく、触れない程度で止めて彷徨わせている。

「アリエラちゃん…、顔赤ェよ」
「…サンジくんが、いじわるだから、」
「…おれのせいで赤くなってんの?」
「……うん。サンジくんのせい」

改めてそんなことを聞かれ、また猛烈にサンジという存在に意識が移ろう。
あまりの恥ずかしさに瞳にたっぷりと涙のような水が潤んでくる。

「……」
「うう、あっち向いてサンジくん、」
「……」
「な、なにか喋ってよお…、」

なんて、なんていじらしいのだろう。なんて、なんって愛おしいのだろう。
好きな女の潤んだ瞳に見つめられて、平然としてられる男はどこにいるだろう。あの気骨な剣士でさえ、こんな彼女に見つめられたらどうにかなってしまうだろう。

おれは、レディを傷つけるようなことは死んでもしねェが。思わず、抱き寄せてその可愛い唇を奪いたくなってしまった。今、少しでもバランスが崩れてしまったら自分の意思とは反してからだが動いてしまいそうだ。
アリエラのからだのそばに置いていた手で拳を作り、熱を閉じ込める。

「サンジくん、」
「……ほんっと…クソ可愛いな」
「う、うう…、」
「なア、照れてるの? そりゃ可愛すぎるって」
「もう、いじわるやめてサンジくん、」
「意地悪してるつもりはねェよ。アリエラちゃんがあまりにもあまりにも…可愛すぎるから、おれはどうにかなっちまいそうで怖ェよ」
「……ん、」

あまくやさしい低音が鼓膜を揺さぶり、アリエラの脳もくらりとしてしまう。
サンジくんの声ってこんなにも甘かったっけ、サンジくんってこんなにもからだ大きかったっけ、サンジくんってこんなにも真面目な顔をして口説く人だったっけ──。
あちこちに目や意識が行ってしまって、ぐんぐんのぼってくる熱に呼吸が奪われてしまいそうになる。

「だから、アリエラちゃん。おれのわがままを聞いてくれねェか?」
「…、わがまま?」
「うん。おれが買ってきておいてこんなこと言うのもおかしいが、こんなにも綺麗で色っぽいアリエラちゃんを他の野郎に見せたくねェなあって思っちまう。だから、さっき渡したローブを着てくれないかな?」
「…は、はい…、」
「ん、ありがとう。アリエラちゃんはいい子だね」

彼の甘いマスクと甘い声に思わず頷いてしまった。
その反応にサンジはにっこり笑みをかいて、近づけていた距離をそっと離す。離れてしまうことに、ちょっぴり寂しさを覚えたアリエラだったが、あれ以上接近していたらドキドキしすぎて死んでしまいそうだったから、ほっと安堵する。

「…き、着てきます、」
「うん。ごめんな、暑いのに」
「ううん…っ、」
「ありがとう」

抱き寄せて、おでこにキスをしたい衝動をグッと抑えて笑顔を見せると、アリエラは頬を赤らめたまま、サンダルをパタパタ鳴らしてキッチンから出て行った。

「おっと、」
「あっ、エースさん…ごめんなさい」
「大丈夫か?」
「え、ええ」

強い日差しを受けた途端、大きな体にぶつかってきゃっと声をこぼすと、エースがしっかり体を支えてくれて、崩れ落ちなくて済んだ。ほっとし、ぺこりとお礼を告げると顔の熱に気づかれないようにそそくさと女子部屋へと駆け降りて行く。



「ハアー……、」
「ん? どうしたんだ?」
「…ああ、いや…おれァ……こんなにもドキドキしたのは生まれてはじめてだ……」
「 ? よく分からねェがお疲れさん」

アリエラと入れ違いにキッチンに入ってきたエースは、頭を抱えてしゃがみ込んでいるサンジの姿を見て瞳を丸めたが、耳が真っ赤なことに気がついてふっと笑みをかく。
こりゃあ首突っ込むのは野暮ってモンだな。と、深く聞こうとはせずに椅子に腰を下ろした。


TO BE CONTINUED





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