135、いざ砂漠の国へ


砂塵の含まれる風がざらりと肌をなでた。いよいよ目前となった故郷のモンスーン、砂のかおり、肌に触れる気温、空気にビビはほう…と吐息をこぼす。

ここに帰ってくるときはアラバスタを救出すべく大きなものを手中にしていると、そう志して旅立った二年前のことをふと思い出した。
あの頃はまだ14歳と幼く、仲間はイガラムしかいなかったけれど今は自分自身も成長し、たくましい仲間にも囲まれている。あの頃とは見える景色が違って、ビビの胸は幾分かほぐれていくのと同時にもう一度強い気持ちを持ち直した。

「…いよいよね、ビビ」
「大きくって素敵な国ね、ビビちゃん」
「ナミさん、アリエラさん」

船首から故郷を見つめていたビビの背中にやわらかい二つの声が届き、微笑みを浮かべながら振り返る。両隣に立つ仲間の姿にビビも自然と口角を上げたままだ。
彼女らのずっと後ろ、中央デッキではルフィが完全に干からびていて「うああ腹へったあ」と泣きそうな声を出している。もうすっかり材料は尽き、「我慢しろ。もうすぐ着くんだ」とコックのお咎めが聞こえた。

「あんまり気負わない方がいいって言っても無理な話ね」
「少しでも無事だといいわ。わたしもそう祈ってる」
「そうね。反乱を食い止める手はあるの?」
「あることはあるの。でも、それでおさまる保証はないわ」

長いまつ毛が少し不安そうに揺れた。二人から国に向き直り、ビビはそっと目をつむる。
──どうか、早まらないで……。
心優しく気高い王女の声は風に乗り、アラバスタの町に届くように思えた。


その祈りに風が強まった気がして、メリー号はビビの誘導のもとするするとナノハナの裏港についた。ゾロが錨を下ろし、ウソップとサンジで帆を畳み、メリー号を休ませるとクルーは数キロ先に望む砂漠の国の町並みを珍しそうに眺めていた。

「これがアラバスタの町か
「素敵な建物ね! 歴史を感じるわ」
「ううーーん、腹減ったメシィィィィィーーッ!!!」

きらりと瞳を輝かせ、ナノハナを見つめているウソップとアリエラの後ろでルフィはふにゃふにゃな声を大きく弾かせる。毎度毎度の苦労を思い起こし、ハア、とため息を吐いたナミは腰に手をあてて眉を持ち上げた。

「いい? くれぐれも本能行動は謹んでよ?」
「はあーーい、ナミさん!!」
「…それを一番言い聞かせなきゃいけねェ奴はもういねェぜ」
「え……?」

ゾロの一言にナミたちは目をまんまるに丸めてフイと陸に流すと、

「んメシ屋ぁぁぁああぁぁああ!!!」
「待てコラーーッ!!」

諸手を挙げて瞬く間にナノハナに向かっていった船長の後ろ姿が目に留まり、ナミは引き戻るように大きく怒号を爆ぜたが、食欲にまみれたルフィの耳には届かなかった。

「ったくあいつはもー……」
「ルフィくん、絶対に何か騒ぎを起こすわ」
「あいつ本能のままだからな」
「どうしよう……」
「心配ねェさ、ビビちゃん」

アラバスタは広大だから逸れたら会えなくなってしまうかも…、と不安そうに小さな拳を口元につけたビビにサンジの柔らかな低音が響き、はっと振り返った。
たばこを吹かしながら器用にハシゴを降りていくサンジはゾロに続き陸に降り立つと、呆れたように続ける。

「アリエラちゃんの言う通り、あいつは絶対騒ぎを起こすからな。騒がしいところを探せばいるはずだ」
「あァ」

続いてゾロまで頷くものだから、ビビもどうしてか「そんな気がするわ」とまた別の不安に襲われる。

「ルフィくん、賞金首だから海軍に見つかったらまずいわよ」
「本当よ。自覚してほしいのよね、特に大きな国では」
「ほっとけよ。どうにかするだろあいつも。それよりもメシを食おう。考えるのはそれからだ」

困ったように柳眉を下げるアリエラとナミにゾロからのストップが入った。確かにこの空腹だと脳も正常に回らない。「おれも早くメシ食いてェなあ」とごはんに釣られ、リュックを背負ったチョッパーがご機嫌に船から飛び降りた。

「まったく、どいつもこいつも自分勝手すぎるわよ」とぶつぶつ言っているナミと、「もうすぐごはんが食べられる!」と一気ににこやかになったアリエラも用意していたポーチをリュックに入れて、「行きましょ」とビビに視線を向けるが彼女は胸に手を当てたまま動こうとしなかった。

「どうしたの。ビビ」
「私とカルーは一緒にいけないわ」
「ええっ、どうしてビビちゃん」
「腹の具合でも悪いのか?」
「ここでは顔が知られすぎているから……」
「違ェねェ」

まぶたを伏せるビビにゾロも頷くが、その隣ではサンジがにっと笑みを浮かべて親指を立てた。

「大丈夫さ、ビビちゃん! おれがビビちゃんの分まで買い出ししてくるぜ」
「ありがとう、サンジさん。それと町の様子を確かめてきてくれると──」
「クエーーッ!!」
「どうしたの? カルー」

言葉を紡ぎかけたビビは、羽根をバタバタさせて困惑した鳴き声をあげるカルーに瞳を落とす。何事かしら、と翼の伸ばされた方を見てみるとそこには目を疑う光景が待っていた。

「あれ…! Mr.3の船だわ…!」
「えっ、Mr.3ってあのいやなドルドルの実の?」
「あんにゃろくたばってなかったのか!?」
「似てる船とかじゃなくて?」
「間違いないわ。あの船は確かドルドルの実が動力となってる船なの」
「あいつが来てやがんのか……おれァ、姿をしらねェし見られてもねェが…」

ふうー、と紫煙を吐き出してサンジは眉間にシワを寄せた。
リトルガーデンでの出来事がすぐさま脳裏に流れる。サンジとチョッパー以外、みんな顔を完璧に覚えられているのだ。奴に見つかったらきっとすぐにボスに報告されてしまうから、ビビの作戦も水の泡になってしまう。

「そりゃちと厄介だな。おれたちは顔が割れてる。コックとチョッパー以外迂闊に町に出られねェな」
「どうしましょう…。全てサンジくんとトニーくんに任せるのは…」
「ええっおれの心配してくれてるのか、アリエラちゃん 天使だなァおれは大丈夫さ! どんな荷物だって軽々持てるぜ!」
「よおーーし! みんな注目! おれに考えがある」

うーん、と顎に手を添えて考え込んでいたウソップはお宝を発見したような明るい表情を浮かべて、倉庫から大きな大きなシーツを持って全員船から降りるように促した。
赤茶色の海岸を数メートル歩き、ナノハナに近づくタイミングでウソップはサンジとチョッパー以外のメンバーを大きな布切れで隠したのだ。自分が先頭に着き、獅子舞の後ろの人のように中腰になってそろそろ町を横断していく。

バザールの真ん中を通ると、人々は怪訝にそれを見つめてざわざわし始めるが中腰歩行に必死な彼らはそこを気にしている場合ではなかった。

「敵がどこにいるか分からねェから目立たないように行けよ」
「十分目立ってると思うわ」
「腰が痛いわぎっくりしちゃいそう」
「ぜってェ目立ってるぜ、ウソップ」
「うう、歩きづらい…」
「クエ……」

中から苦しそうな声が聞こえてくるのにひやりとしながらトナカイに変化したチョッパーは見つめている。ポケットに手を入れてたばこをぷかぷかさせているサンジも、ひどく注目されている様子に汗を浮かべるが、ウソップには伝えないでおこうとひっそりと決めていた。

それからしばらく歩くこと10分。ナノハナ中心部の外れまできて、サンジとチョッパーの誘導のもと瓦礫の影に隠れるとようやく背筋を伸ばして立つことを許された。

「よーーし! みんなもう脱いでいいぞ!」
「とっくに脱いでるよ」
「あれ?」

シーツをふわりと持ち上げてにこやかな笑みを浮かべたウソップは、もうすでにシーツから抜け出して背筋を伸ばしたり乱れた衣服を整えたりしている仲間の姿を見て早ェな、と笑った。

「これで誰も気付かなかっただろうな!」
「だとしたら奇跡よ」
「わたし、シーツの中でも視線が痛かったもの」

眉を寄せてウソップを見つめている三人に対し、ビビはシーツを握りしめたままわずかに首を垂らしていた。

「ビビちゃん。ここなら人目を塞いでられるぜ」
「……」
「……ビビちゃん?」
「へっ! あっ、はいはい何でしょう!?」

ビビに声をかけるもぎゅっとシーツを握り俯いているばかりで、心配になったサンジがもう一度慎重に彼女の名を呼ぶと、びくっと肩を震わせて顔を持ち上げた。取り繕った笑顔にクルーの視線が集まる。うわずった声にサンジも目を丸めて、そして優しく紡ぐ。

「どうしたの、ビビちゃん」
「ビビちゃん……大丈夫?」
「ごめんなさい…。ちょっとホッとしたんで…。少なくとも町の様子を見る限り安心はできないけど、まだ大丈夫みたいだったから……」

眉を下げて笑うビビの様子と町の様子を見比べて、クルーもその表情を弛ませた。まだ不安そうにしているけれど、きっとビビが想像していた状況よりも深刻さが伺えず、そのギャップに驚いたのだろう。新聞で見た時はもう一刻を争うほどにアラバスタは危機に陥っていると思ったから。

「そうね、平和な町に見えるわ」
「ええ。人々の声も弾んでいたし、最悪の状態に陥る前にアラバスタに到着できてよかったわ」

まだ首都部の方はわからないけれど、とりあえず栄えているこの町も今のところ何の被害もなさそうに見えてナミとアリエラはほっと安堵した。弛む空気のなか、ジャリっと砂を踏む音が響き、鋭い瞳を持つ剣士が薄い唇を割った。

「おい、ビビ」
「え…?」
「反乱を食い止める手はあるって言ってただろ?」
「うん」
「これからどうすりゃいい? おれ達は何すりゃいいんだ?」
「ええ…?」
「間に合いそうだっていうなら、行動は早ェ方がいい」

彼の声には背筋を伸ばす力がある、とビビは思った。それは嫌な意味ではなく気持ちをもう一度張り詰めるのに必要なものだからありがたい。
そう思った矢先に驚く言葉がこぼされて、丸い目をさらにくるりと丸める。そして、下を向き、シーツをぎゅうっと握りしめた。

「それはそうだけど…。約束は私をアラバスタに届けるってとこまでだから……」
「もおー、ビビちゃん?」
「呆っれた…。まだそんなこと言ってんの?」
「え…、」

訥々と口にしたものに返ってきたのはアリエラとナミの怒りに似た声だった。顔をあげると、腰に両手をつけて頬を膨らましてるアリエラと、腕を組んで柳眉を寄せているナミが見える。
怒りの矛先はこちらに向いていて、ひゅっと喉を鳴らし、目を瞑るとおでこにコツンと痛みが走った。

「ここまで一緒に旅をしてきて今更放って置けるわけないでしょ?」
「そうだぜ、ビビ。水くさいこと言うなよ」
「七武海にも興味あるしな」
「あんたのそれは余計!」
「どうせおれ達は命を狙われてるんだ、ビビちゃん。これはおれ達のためでもあるから、おれたちを巻き込んだとか前線で傷を負わせてしまったとか、そんなこと何も気にしないでくれよ」
「そうよ、ビビちゃん。わたし達、仲間でしょう?」
「おれも頑張るぞ、ビビ! できることがあるならなんでもするぞ!」
「……!」

それぞれから向けられた光はビビの胸まで届き、そのあたたかさにぎゅううっと心臓が締め付けられる。誰一人嫌な顔をしていなくって、ぐっと手を差し伸べてくれている。この国を救いたいとともに願ってくれている。なんて力強い仲間がいるのだろう。
暗い暗い海を漂っていた中、巡り会えた7つのひかり。どれだけこの人たちに救われてきただろう。不安で押しつぶされてしまいそうだった日も、“ビビ”と明るく呼ぶ声に何度も光を見出してきた。

この人たちと一緒ならアラバスタはもう一度太陽を望める。

「……ありがとう、みんな」

震えた声はすうっと伸びて、差し伸べる仲間の手をしっかりと掴み希望を抱いた。


TO BE CONTINUED 原作話-93話



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