それなのに、お互いは知ってしまった、失う命がふたつに増えたことを。この世界があまりにも寂しくて、残酷だから…失う事を恐れ離れることが出来なくなってしまった。それを愛にすり替えて臆病に寄り添う。
失うことを恐れていては戦えないこの世界で。
トロスト区を拠点に経済を握り社会の表裏にも通じている。今破綻の危機に陥っているトロスト区の最後の希望。それがリーブス商会である。
金で雇われた男達など、地下街から成り上がったゴロツキだった自分からすれば大したことは無い。地下街にはこんな風に肥えた人間はいなかった。みんな太陽の光も浴びることが出来ず、その日の食事さえ奪い奪われそうして泥水を啜り生きていくので必死だった。
時には奪い、時には奪われ、強者だけが絶対の世界で男は強者であり続けた。この世界を生き抜くなら強くなれ、その教えのままに。孤独であれ、とそう告げられた言葉に今自分は逆らいながら生きている。
上流階級の人間は食事をして必要以上にいい栄養がとれているので、限られた物資と税金で苦しむ痩せた市民の中でも見て明らかに目立つほど私腹を肥やしてる中で、それでも彼らは破綻寸前のトロスト区に留まり、多くの市民を助けていた。
「会長。あんたの巣じゃ落ち着かねぇ……場所を変えよう」
「しょうがねぇな……」
「あんたの部下にはもう少しここで横になっててもらうことになるが……その前に。ひとつ、ちょっといいか」
「あ、何だ……?」
リヴァイは感情をあまり表情には出さないが、今ウミを犯そうとした男を蔑む目で見下しているその瞳は、表情は今も何一つ変わらないのに、リーブス会長はまるで蛇に睨まれた蛙のように得体の知れない感覚が肌を栗立たせていた。
底知れぬこの人類最強と呼ばれるこの男の恐ろしさをひしひしと感じるようだった。
相手が悪かった、地下街でも名を馳せ、調査兵団に流れてからの巨人相手に百戦錬磨のこの男を敵に回すことはすなわち死を意味する。
「楽しそうじゃねぇか……そんなに俺の部下はヨかったか」
グイ、とリヴァイは無言で今も目の前のウミに対してよからぬ妄想でも続けている男の首根っこを掴んでいた。
猿轡を噛み締めニタニタを笑っており、ウミはその表情に嫌悪感を抱かずにはいられない。
ウミを今も狙っているのかギンギンしたその目は不気味に輝き、彼女を辱める事に対して興奮を覚えているようだった。
リーブスはヒストリアに成りすましたウミの事を覚えていないのかただ、目の前の部下にいいようにされてボロボロの布切れになったブラウスで必死に剥き出しの素肌を隠そうとするウミが痛々しく見えた。
「こいつは……俺の部下を囮だとしてもとんだ辱めに合わせた。
見てくれ、こんなに傷だらけでボロボロだ。だが、任務の為に必死にここまで耐えてくれてな……かなりの苦痛だったろう、こいつは心の中で何度も嫌だ止めてくれと、叫んで泣いただろう……かわいそうに、なぁ、そう思うだろう会長。これがもしあんたの妻なら、娘なら部下を犯されかけてどうしようもなく胸糞が悪い俺の今の気持ちをきっと理解してくれるだろう。会長の指示なら俺がお仕置きするのは二人分になるが……ちょうどいい、会長はミカサとは知り合いらしいからな」
そうしてリヴァイの冷たい感情のない瞳に射貫かれリーブス会長も、その男もようやく自分がしたことを改めるが、もう遅い。
ミカサもその表情を恐ろしいものに変えてリーブスを睨んでいる。
彼は男の中に眠る決して呼び起こしてはいけないその龍を呼び起こしてしまったようだ……。
ディモ・リーブスは忽ち震え上がり、自分の指示ではないと必死に述べる。
「ちっ、違う! 確かに俺は変装をしていないか確かめろとは指示はした、だが、もし、たとえ変装していなくてもこんな風にしろとは指示はしねぇ、」
「そうか。なら……まず俺の部下を辱めたこいつにはせめてそれ相応の報いは受けてもらわないとな……そうだな、少なく見積ったとしてもお前がこいつを弄んだ時間――……だいたい10分くらいが妥当だろうか、ちょっと借りるぞ」
「待て……そいつを殺すのか?」
「そんなの……だめ……!!」
その言葉に反応をしたのはウミだ。駄目だ、それだけはやめてくれとウミは懇願するようにリヴァイの腕を掴んで止めさせようと縋り付く。
揺れる金色の髪、色白の肌にくっきり浮かぶ生々しい赤い華が散らされ辱めを受けたと言うのに彼女は頑なに男がその手を暴力に晒して戦う事を拒んで懇願する。
この男を止めるなんて、この女性がリヴァイにとってただの部下ではないのだと感じる。ならばこれほどまでに怒りのあまり我を忘れることはないだろう。
約束したはずだ、あの日、あの時、もう、この手を血には染めない、殺しはしないと――……。
しかし、幼少から殺し奪う事で生きながらえていたこの人格はもう消せない。自分が居た世界はあまりにもこの世界からすれば非現実でアウトローだった。
彼女に出会わなければ自分は今もこの手を汚し続けていたかもしれない。皮肉にもこの世界を取り戻す為に戦い続けていた自分達は巨人を駆逐すればいつかこの飼われた世界からいつか自由を手にすると信じて、その背に翼を背負い戦い続けていた筈だった。しかし、巨人の正体は人間である可能性。
壁外を馬をかけ、木々の間を飛び回り結局自分達は人間を殺していた、結局世界は残酷で、息づくこの地上も地下も何ひとつ男を取り巻く状況は何ら変わらないと言う事だった。
「兵長、私もいいですか?」
すっ、と歩み出したしなやかな足はやがてリヴァイの隣に並ぶ。誰もが彼を恐れ、放たれるオーラに真っ青な顔で無意識に後ずさりしていると言うのに。
調査兵団でリヴァイの底知れぬ恐ろしさを知らない人間はいない。それでもミカサもウミを傷つけたこの男を許しがたいと怒りを露わにしている。
リヴァイは縋り付いてきたウミの腕を静かに引き離すと無言でその小さな頭に手を置いた。言葉なくてもその手つきは紛れもなく部下を労わる手ではない、愛する者を慈しむ慈愛の手だ。
「ひ……っ!」
「リヴァイ!」
「ミカサはここで見張ってろ。お前だと再起不能にしちまうだろうが…あぁ…調査兵団は犯罪者集団じゃねぇからな、もう殺しはしねぇ。が、こいつは犯されなかったからいいとかそういう問題じゃねぇ。今日受けたこいつの辱めは今後も一生の傷になるだろう。どれだけこいつが傷付いたかと思うと、殺しても殺し足りねぇが、こいつにとっては殺されるよりも惨い仕打ちだ。こんな奴に犯されるくらいなら死にたいと願う程の屈辱を長い間延々と味わっていたんだからな…こいつの痛みに報いるには、同じくらいの…死んだ方がマシだと思うような痛みを与えてやらねぇと思わねぇか……??」
仮にもリヴァイの愛するウミの身体をまさぐり、先程まであらゆる屈辱を与えていた変態男をそのまま倉庫の隅に引きずりながらリヴァイは姿を消すと、リヴァイはそのまま木箱に男を軽々と投げ飛ばすと何も言わずに突然その男の腹を勢いよく蹴り飛ばしたのだ。
「ぐうううぅっ!!」
「おい、まだ始まったばかりだぞ。手加減はするが……せいぜい頑張れ。へばるなよ」
苦痛に呻く男をそれはそれは恐ろしい位に冷たい彼の眼差しが見下している。ドカッ、バキッ、と鈍い音が響き、その音が響くたびに男のただならぬ悲鳴に新兵達は震え上がり、ウミはどうすることも出来ずにその音が響く度に聞こえる男の悲鳴に胸を痛めていた。
ウミですら迂闊に手出しできないくらいに今の彼は並々ならぬ怒りに満ちているのだと肌で感じた。まるで出会ったばかりの頃の過去の自分に立ち戻って行くようだ。
言葉よりも思考は酷く冷えていた。ミカサは無言で倉庫の隅の方から反響する音を聞きながらもディモたちが余計な事をしないように美しいその黒曜石のような瞳を光らせていた。
「なぁ、教えてくれよ。その汚ぇ手でどこまで触った?」
「ひいいいっ! 許してくれ……! 俺が悪かった!うぐああああ!!」
「うるせぇよ。あいつはお前に何回止めてくれと言った? 考えてみてくれ、お前のこの汚ぇクソみてぇな手が……あいつに触れていいと思うか??」
「ぐううううううっ!!!」
「どうだ。こんなもんじゃねぇだろうな……あいつの痛みはな」
しかし、リヴァイの瞳には一切の揺らぎが無い。寸分の狂いもなく下される鉄槌にのたうち回る男が何かを口にしようとした瞬間、鈍い音と共にリヴァイの靴のつま先が命中する番だった。
「んぐぅぅううう!!」
先程までニヤニヤしながらウミをもてあそんでいた男は今は這いつくばりながら必死に謝罪をするも、幾らウミが泣いても叫んでも止めなかったのは先にこの男である。
靴の爪先がちょうどすっぽり収まったその口から零れ落ちるそれは紛れもなく男の不摂生で弱り切った歯だった。
男は腹部を幾度も蹴られ続け、口から血を流しブルブルと怯えているのをリヴァイは抑揚にない声で吐き捨てそして幾度も蹴る。
呻きながらも喋る余裕すら与えなくさせる。リヴァイは容赦なく蹴る、蹴る、ひたすら蹴り続けた。
彼女の受けた痛みを思えばこんなもの、なんてことはない。潔癖症の男は自分の惚れた女を穢されるのが何よりも許しがたいと、今にも爆発しそうな怒りに身を任せた。
「許してくれええええぇぇ!! 頼む! 本当に悪気はなかったんだ! ちょっと触ってみたかったんだよ、若い女の肌に」
「それを俺に言ってどうする、許しを請う相手は俺じゃねぇだろうが、」
「ぐうっうぅ! 仕方ないだろ……若い女の肌に触るなんて何年もなかったんだからよ……こんな時に、女でも抱いてないとやってられねぇだろう……あんたもそうだろう……なぁ……」
泣きながら許しを請う男の痛みに悶絶しながらそう叫ぶ声にリヴァイは一瞬動きを止めた。そこにはかつて、今まで見て来た光景が男の脳裏に浮かんだ。
――「ごめんね、ごめんね、リヴァイ……お母さんはもう……」
そうだ、誰もが何かに溺れていた、酒や女や金や権力そしてあくなき暴力。奪い奪われ明日をも知れぬ命の中で、安らぎが存在していた。
男は許されたのかと一瞬、もう涙や唾液やら血でぐちゃぐちゃの泣きそうな顔を見上げ、その灰色の色彩を見つめるもリヴァイのその目には感情は映らない。
「ああ、そうだな」
そうだ、俺自身もそうだ――……。終わりなき世界で、クソのようなこの生を呪い、最愛の女(母)を失い、そして手ほどきを与えたあの男も自分の前から消えた。
そんな助けも差し伸べられないあの世界では自分は安らぎなど無かった。昼夜地獄のような日々の中で唯一見つけた、それがウミだ。
失い続けてきた人生の中でもし唯一奪われたくない存在があるとしたらそれは彼女だ。
生の意味など無い、弱者は明日の日を拝むことはないそれでも、唯一。
「確かにそうだな……だが、あいつはてめぇを癒すための女じゃなねぇ…俺の、」
「ぐあぁっ!」
「唯一の……人間性だ」
「ぎゃああっ」
「お前のしたことが謝ったくらいでそう簡単に許されると思うな」
「っ、ひっ、んぐっ!!」
「オイ、口答えしてんじゃねぇよ」
リヴァイの暴力の嵐のような制裁は続いた。髪を掴み地面にガン!と強く叩きつけると男は鼻血を出しながらとうとう気を失った。
しかし、直ぐにまた起こされ、必死に誰か助けてくれと叫ぶ。一同は、そのただらなぬ悲鳴に誰も逆らう者はいない。
しかし、その助けを許しを求める声をリヴァイは遮るように何度何度もまるで幼い頃に殴り蹴られボロボロにされながらもナイフで大の男を一突きして殺したことを思い出した。
リヴァイは止まらない、まるで過去の、これまでに幼少から味わってきたこの虚無を、孤独を発散させるように。
「オイ、立て。ウミに謝罪しろ。ウミが受けた屈辱に比べればこんなもん、大したことねぇだろ」
男はもう声を出すことも出来ないくらいその顔面が腫れあがっている。リヴァイは髪を頭皮から引きはがす勢いで立ち上がらせると痛みに呻き逃れようともがくもリヴァイは容赦なく引きずり回した。
見た目は小柄で細身に見えるが彼は屈強な兵士長、大の男だろうがお構いなしにまるで小枝のように持ち上げて見せる。
ウミが許したとして……しかし、この男は五感でウミの肌の感触を生々しく覚えてしまった。暴力と悪の限りで埋め尽くされた地下の片隅に堕とされたウミの身体を。
そう、彼女は自分だけの……唯一なのだ。この残酷な世界で生きていくにはこの男の言う通り何かに縋りついていかねばあまりにも残酷で、真っ当な思考では生きていけないのだ。
もう自分には彼女しかいない、彼女の居ない未来など考えたくもない、彼女は鏡写しの自身の半身だ。
お互い失い続けてきて、その度に慰めるように寄り添っていた。そんな歪んだ関係、愛とは呼べない歪なモノでも紛い物とは呼ばせない。
そんなウミを未遂でも彼は見てしまった。本当ならウミの肌を見たその目を潰してやりたい、このまま男として機能しない不能にしてやろうか。
生きながらにして地獄と苦痛を味わいながらそのまま壁外に転がすか、それともこの世界を守っているこの壁の上から逆さ吊りにして突き落とすか。
「うがあああ!!!! ぐうううぅぅっ!!!」
「ゲロ吐きやがったな、汚ぇなてめぇ、」
「うあああ! 許してくれえええ!! ぎゃああっ!!!」
「女かてめぇは。酒浸りのてめぇにはこいつが似合いだ」
「ぎゃああああああ――!!!」
そうしてリヴァイは人体急所の酒浸りの弱点である五臓六腑に狙い定めて蹴りを見舞うと、男の弱り切った弱点に命中し、男は口から彼の底知れぬ怒りと恐ろしさにとうとう失禁し、気絶したのだった。
「リヴァイ……!」
暴力に手を伸ばしかけたリヴァイの太い腕は絡みついた真っ白な手に遮られた。はじけ飛んだように彼の元に駆け付けたのはウミだった。
その声には、と気づきそして黙る。そして、ようやく自分がしたことを思い出す。こんな風に容赦なく他人に暴力を振るったのは紛れもなくこの手だ。
ウミがミカサやジャンの静止の声も聞かずに飛び出しリヴァイを叱咤した。目の前の男の歯は折れ曲がり、そしてボロボロとこぼれ落ちた赤い体液に混じってそれは地面に血溜まりを幾つにも落としていた。
お願いをした。もうこの手を赤に染めないでと自分は言った。そして彼も約束してくれた。
彼は日々暴力の世界で晒され続けてきたから、きっとこの世界から離れればきっと彼は真っ当な人間としてこれからこの地上で二人手を取り合いそうして生きていける……。
しかし、ウミは彼のその冷徹な瞳の奥で見て来た今までの残虐な世界の住人なのだと噛み締めるのだった。
「リヴァイ……もうやめて!! どんな理由があっても兵士が民間人に手を出すのは……!!!」
ふらふらとした足取りでこれ以上はみんなが怖がっているし、彼の恐ろしさにまだ新兵の彼らが萎縮してしまう。
それでも彼から離れるわけにはいかない。制したのはそれでもウミだった。
さんざんこの男にひどい目にあったというのに、命を奪われるよりも、幾度も殴り蹴る暴行以上の女にとって最大の屈辱を味あわされたいうのに。
彼女は殺してはダメだと、兵士長の彼を取り戻そうと呼んだ。ウミは兵士か民間人を殺すのは駄目だと今にも泣きそうになりながら容赦なく蹴り続けるリヴァイの足にしがみついて震えていた。
「お願い……私なんかのためにもうその手を血に染めないで……!! 約束したでしょう? お願いだから目を覚まして! リヴァイ兵士長!」
「兵長」ウミのその声にリヴァイは握り締めていた手を下ろした。
「私の為だと言うのなら、もう止めて……。落ち着いて、リヴァイ……私は平気だから…!」
否が応でも自分達は危機的状況に陥ることをまだ知る余地も無い。振り落としていた足を止めてリヴァイは静かにその眼差しをウミへ向けて、ようやくその冷徹な光は成りを潜めたようだった。
「……時間だ。このくらいで勘弁してやる俺の部下が俺と違ってマトモで慈悲深い女で助かったな。今回の事はもう忘れろ、こいつに触った感触もな……」
「リヴァイ……、」
「……そんな泣きそうな顔してんじゃねぇよ、お前はジャンと先に戻って休んでろ、」
「はい……」
「お前には負担をかけた、だがおかげで敵をあぶりだすことに成功した。感謝する」
そうして、リヴァイは汚れた靴先を近くの麻袋で拭うと、リーブスを引き連れ、立体機動装置を展開してある場所へと向かうのだった。
ウミの口添えのおかげで助かった男は慈悲深いウミに感謝しながら失神した。
リヴァイは静かに先程までの自身の行いを振り返る。危うく、半殺しでは済まされないところまで痛めつけるところだった。
ウミが他の男に触れられて理性を失って怒りを爆発させたのは自身だ。もし、ウミの制止がなかったら自分は…。
誰もが戦慄する程にその冷徹で感情のないその目線だけで殺せそうな程の怒りに満ち溢れたリヴァイの怒りを鎮めたのは紛れもなく目の前のウミだった。
調査兵団は人殺し集団じゃない。人類が奪われた自由をこの手に再び手にする為に進撃を続ける集団だ。
今度はその商会のボスをいたぶるのか。しかし、リヴァイの先ほどの見る者全てを凍てつかせるその眼差しは今はもうすっかり鳴りを潜めていた。
ディモ・リーブスはリヴァイに連れられて移動する間際、すれ違い様にエレンに成りすましたジャンと共に倉庫に残ったウミを見た。
危うく自身がエレンとヒストリアを中央第一憲兵に引き渡す為に雇った男が彼の部下を犯す寸前まで来たところでを半殺しに仕掛けたあの人類最強の怒りを鎮め、そして甘やかされてすっかり横に成長した頼りない大柄な息子を蹴り飛ばした女。
次の瞬間、ウミはヒストリアに成りすましたカツラを取り去り変装を解いたのだ。
金色の艶やかな髪から現れたのは、ふわりと揺れる優しい色素の髪は紛れもなく長さは違えど、トロスト区が超大型巨人の襲撃に見舞われ際にミカサと共に居た、あの凍てついた目をした小柄なのに屈強な女だったのだから――……。間違いない。この目で見たのだから。
誰もが彼の制裁を無言で聞きながら怯えていた中で何の躊躇うどころか一切の恐れもなく、それどころか鶴の一声のように彼の怒りを忽ち沈めたウミ、
「(人類最強の男の怒りを一瞬で鎮めやがった…未だ若いのに相当肝が据わってやがる……大した女傑だ……)」
リーブスはウミの凛としたその眼差しにかつて対面した事のある女を思い出していた。
ミカサのようにスリムな体型でいい香りがいつもしていた、揺らした気の強そうな中央第一憲兵から調査兵団に流れ着いた美しい女と、そしてその隣でいかにも尻に敷かれた白馬に乗って壁外へ駆けていく心優しい男の事を。
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リヴァイがリーブスを連れてたどり着いたその場所はまだ記憶に新しいあの多くの犠牲者を出しながらも巨人との攻防戦に勝利した人類にとっての快挙を成し遂げた場所だった。
遥か上空、高くそびえるトロスト区内門の壁上でリヴァイはゆっくりディモ・リーブスを降ろしてあの世とこの世の境目を見つめる。
その瞳は先ほどまでの見る者全てを凍てつかせていたその眼差しは普段の冷静に周囲を見渡す眼差しへと変貌していた。
そこはかつて、数ヶ月前にエレンが巨人化の能力を使って大岩で壁の穴を塞いだ、人類が初めて巨人に勝利した歴史的な栄光を手にした場所だった。
「リヴァイ兵長さんよ、なぜわざわざこんな所まで連れてきた?」
壁に座り込みようやく安堵から静かに高級嗜好品の煙草の火をつけるリーブスのそのとなりに立つリヴァイに問いかける。
「ここがどこだかわかるか会長?」
「ここは俺の街だぞ? トロスト区前門。いや元・前門か。もしくは人類極南の最前線…あの世とこの世の境目、おっかねぇが稼げる……いい街だった」
「俺達はこう呼んでいる。「人類が初めて巨人に勝利した場所」そして……「人類の無力さを証明する場所」巨人に空けられた穴を巨人の力で塞いだ。色々試したが結局人類じゃ到底及ばない話だったわけだ。まぁもちろん、巨人の力だけで塞いだわけじゃない。数多くの兵士が命を投げ出した。その他にも幾重にも重なる奇跡の連続であんたの街は今ここにかろうじてある。その奇跡がエレンだ。あんたが連れ去ろうとしたもんはそれだ」
「ふっ……どうやら俺はここに説教され来たらしい。勘弁してくれねぇか旦那?老いぼれの体には少し応える」
「ああ……そうだな。やめておこう。老人が怒られてんのは見てて辛い」
人類最強の男の何をされるのか、自分達も家族も終わりだと項垂れていたリーブスの隣に肩を並べるように腰掛けるリヴァイにディモ・リーブスは煙草を勧めたがリヴァイはそれを断る。
煙臭いのは苦手だそうだ。リヴァイは静かに商会に自分達を執拗に狙う中央憲兵との関係性について問いかけた。
「中央憲兵との交渉内容とあんたらの目的が知りたい」
「交渉? そんなものは無い。中央第一憲兵に命令されて従っただけだ。俺らの目的は「すべてを失わないために命令に従う」だ。しかし、夜襲も拉致も失敗したからな…リーブス商会はこれから全財産を何らかの罪状で王政に没収され、俺やあのバカ息子は勿論、部下たちまで口封じのために…何らかの事故に遭って死ぬだろう。一ついいことを教えてやるよ旦那。中央憲兵(ヤツら)は頭が悪い。普段巨人相手に殺し合いしてるような調査兵団(ヤツら)に俺らチンピラが何とかできるわけねぇだろってんだ。馬鹿だねヤツらは。そもそも俺達はあの姉ちゃん二人にやられちまったんだぜ。話になんねぇだろっての! どうだい旦那?役に立っただろ?」
「あぁ……ヤツらの頭は足りないらしい、それはわかるが…そんな馬鹿共に黙って大人しく殺されていいのか会長?」
「あ?」
「バカだが人類の最高権力者共だ。お前らだって服すら着れねぇバカに食い殺されてんだろが」
「……なるほど確かにそうだ。だが俺らは巨人を殺すこともできる。
巨人と同じだ。どうせ死ぬなら試してみればいい」
「いや……駄目だ」
「なぜ?」
「失敗して死ぬ部下が増えるだけだ」
「気にするな。どのみち同じだ」
「何だと?」
だからこそ、リヴァイは敢えてこの街が見渡せるここにディモを連れてきたのだった。
彼が自分達に下る形で協力してくれるのなら、この今にも死にかけた街の再生は叶う。
リヴァイの脳裏には苦しい生活を強いられる先ほど見た住人たちの姿を脳裏に描いていた。
「このトロスト区……あんたの街は破綻寸前だ。一時は巨人に占領され半ば壊滅状態、だがそれにしちゃまだ人がいる。それは壁の扉を埋め固める作業兵と……巨人襲撃に備える兵士がいるからだが。そこにリーブス商会が人と仕事を結びつけているのも大きい。しかしこのままではリーブス商会が消滅しこの街はとどめを刺され完全に機能しなくなる。その場合、路頭に迷うのはあんたの所の従業員だけではなくなる……兵士を除く街の住民すべてがその対象だ。一体何人が冬を越せるだろうな。確かに中央憲兵に殺される方がまだ楽かもしれん」
「あぁ……そうなるだろうな……お前らがエレンとクリスタをよこさねぇせいで人がごまんと死ぬだろう……。それで? 俺の部下とこの街の住民を餓死させねぇためなら人類の奇跡をくれるってのか!?」
「その通りだ。エレンとクリスタをお前らにやる」
「は?」
「えぇ!?」
「リヴァイ兵士長!?」
何と言う事だ。突然の上官の発言に後ろで控えてその光景を見守っていたミカサとコニーとサシャが素っ頓狂な声を上げ、ミカサはエレンをリーブス商会にやると聞き、エレンを結局悪の親玉に差し出すのかと、その聞き捨てならない台詞を聞き、その判断に抗議しようと急ぎ足で駆け寄ろうとするミカサの声を遮り、リヴァイは静かに三本の指を立てた。
「ただし……今から調査兵団が提示する条件を3つ受け入れろ。1つ。リーブス商会は今後、調査兵団の傘下に入り中央憲兵や王政・法に背くこととする」
「まさか……あんたらにつけと……!? この壁の権力者共と戦争始めようって言ってんのか!?」
「憲兵御用達のあんたたちなら、出来ることもあるだろう? 2つ。リーブス商会は調査兵団を心の底から信用すること」
「……信用だと? そりゃ俺ら商人の世界じゃ冗談を言う時にしか使われねぇ言葉だぞ?」
「商人? 俺は今あんたと…ディモ・リーブスと話をしている。あんたの生き方を聞いてるんだ。あんたはどんな奴だ? あんたの部下と街の住民を死なせて敗北するか? それとも俺達と一緒に人類最高の権力を相手に戦うか? どうせ正解なんかわかりゃしねぇよ……あんたの好きな方を選べ」
「それで街と俺の部下が餓死するのを、止められるってのか? いや……条件をすべて聞かずに契約するバカがいるか」
「保証はしない。だがそのために動くことだけは信用してもらっていい……おっと、失礼した 3つ目だ。今後リーブス商会が入手した珍しい食材・嗜好品等は優先的に調査兵団に回せ、特に紅茶とか……後は……肉だな」
リヴァイは一瞬サシャを見ると、肉を付けたし、お肉も食べ物が大好きな部下であるサシャは興奮した様子でよだれを垂らしながらリヴァイの条件に即座に賛同した。
「すばらしい!! すばらしい条件じゃないですか会長!!」
「オイ!? お前……」
「あんた……ただの商人よりも欲が深いらしい。気に入ったよ」
そうしてリヴァイが示した条件と、可能性に胸を打たれた男は自らその手を差し出した。
「あんたは頭がいい」
「交渉成立だ」
リヴァイとリーブスはお互いの利害の一致に固い握手を交わした。この歴史的な場所で歴史に残る出来事が生まれたのだ。それは今までさんざんな扱いを受けていた調査兵団未だかつてない事だ。
トロスト区でも有数の権力者であり流通の要であるリーブス商会を見事に味方につけたのだから。
そして、それを成し遂げたのは紛れもなくリヴァイである。
「しかし、まさかあの時は見事にお嬢ちゃんにやられたよ……見事囮に成りすましたな……あんたの女か??」
「……そうだ、俺にとって文句なしのな……最高の女だ。添い遂げるならあいつしかいねぇ……」
「そうか……どうやらあんたの方がぞっこんじゃねぇか……だが、あんたにはあのくらいの腕っぷしと気丈さが無い女じゃねぇと、人類最強の女の肩書には釣り合わねぇか」
「ああ、……そうだな。あいつがただ見た目のいい女なら見向きもしなかった」
「そりゃあそうか……あんた狙いの女ならこの街には大勢いたからな……」
「ああ。……ただ見た目がいいだけじゃねぇ…健気で俺によく尽くしてくれる。俺に万が一の事が起きたとしてもどんな感情も切り捨て即座に戦うだろうな。部下としても俺の「妻」としても申し分のねぇ女だ。あんたならわかるだろう、何かと危険が絡む俺達にはどんな状況でも即座に対応できる女じゃねぇと安心して留守に出来ねぇし、支障が出る」
男は外で戦い、女は中でその家族を守る為に戦う。たとえ自分達に万が一の事が起きて二度と帰らなくなったとしても、その後も決して悲観に暮れずに気丈に家族を守る。そして戦うだろう。
見た目は儚くて今にも消え入りそうな存在、しかし、それは見掛け倒しで腕っぷしも強く強情なほど芯のある女、それがリヴァイにとってのウミだ。
「はっはっはっ、ああ……大したもんだよ。世間では「人類最強」と呼ばれる割に女に関しては浮いた噂もないあんたにはもうとっくに女が居たんだな……。あんたを惚れさせるだけある……本当に俺達に対しても臆することなく歯向かってきてな……。本当にいい目つきをした、たいした子だ……。こんな状況で俺達をあぶり出す為に囮として乗り込むだけはある。それなのにさっきは本当に俺の部下が申し訳ないことをした……だが、殺さないでくれたのもあの子のお陰だな、」
「そうだな……あいつの慈悲深さには本当に俺も逆らえねぇな」
「若い奥さんが可愛くて仕方ないんだろうな……式は挙げたのか?」
「形だけでも女は憧れるもんなんだろう? この状況が片付けば…幾らでも。それをあいつが望んでいるならな」
「男としてのけじめってやつか……それならリーブス商会が総出を上げてその時は祝ってやろう」
「そうか、それはぜひお願いしたい、あいつに似合う上等なドレスも卸してもらわねぇとな」
「ああ、王都から上等なやつを用意させる。今はやりの染め物のな。それに……人類最強のあんたに似合う礼装もな」
壁上でディモ・リーブスは調査兵団での抜きんでた活躍と、そして馬上からしか見かけなかった人類最強と呼ばれたリヴァイと間近で対話して肩を並べて知るのだった。
彼は自分達を救おうとしているのだと。この街の復興も、自分達の商会のこれからの存続も約束すると。
地下街での劣悪な環境で生まれ育った彼がただ最強と言う名のままでここまでその身でのし上がり、有名になったのではないと、彼の漢気に触れ見事にリーブス商会は調査兵団の初めての大きなスポンサーとなることを承諾した。
あの時、屈強な男達やこの街でも権力のある自分に臆することなく恫喝してきたあの少女は彼の中に潜む闇の中の恐ろしい獣を再び眠らせた。
恐らく彼にとって彼女の存在は何にも代えがたいのだろう。
あの微笑みが彼を変えたのだろう。
「あんた、あの子は大人しそうな顔してだいぶ尻に敷くタイプそうだが」
「それは見ての通りだ。俺はむしろそっちの方がいい。俺はもう若くねぇ……家庭内ではせめて寛ぎてぇ。どこでも人類最強と扱われると疲れちまう」
「ははっ! そうか! それはいい事だ、いつまでも自由の翼背負ってたら疲れるか、人類最強も時には羽根くらい休ませねぇとな」
「何よりもこれが済んでからな。それもひっくるめて調査兵団と商会の未来を何としてもここで消すわけにもいかねぇ、その為にあんたらの協力が必要だ。早速だが作戦に移る。エレンとヒストリアを付け狙う影を捕らえに行く」
「ああ、それで……どういう考えなんだ?」
ようやく見えざる敵の尻尾は掴んだ。後はここに引きずり出し確かめる。もう逃がしはしない、殺された司祭の無念を、今こそ晴らすときだ。
これからが調査兵団の本領発揮だと男は一人非情な目つきで街を見下ろすのだった。
2020.01.22
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