祈るような願うようなペトラの声はエレンに深く染入るようだった。そしてペトラの記憶はあの日に立ち戻る。まだ結成されたばかりのリヴァイ班。エレンが巨人化する原理がわからなかった頃に予告なく巨人化して皆に刃を向けてしまったあの事件の一連の出来事。エレンもまだ巨人に自分がどうして変身できるのか、まだ分からないことばかりで不安だらけの全員の手には自分へ刃を向けた謝罪の証である自傷行為の真似事の傷が刻まれているのが見えた。
女型の巨人の脅威から逃れるため、馬を駆けるリヴァイ班をしつこく追いかける女型の巨人の姿を横目にペトラのキャラメル色の瞳に見つめられて手を握りしめたまま巨人化することに迷いを抱いている。
その背後から女型の追跡を止めようと奮戦する兵士がワイヤーを使い女型の巨人の周りを飛び回っている中、未だ選択を迷うエレンにとうとうリヴァイの怒号が飛んだ。
「エレン! 遅い! さっさと決めろ!!」
「進みます!!」
「(エレン……)」
時間は待ってくれない、一瞬で判断することも求められる。そして、大きく息を吸い込んで、エレンは選択し、そして叫んだ。仲間を信じて突き進むことを選択したのだ。悔いなき選択それは、誰にも分からないものであって、そして、それがたとえ今後の彼をどのように変えてしまうかもわからないものだとしても。
リヴァイは若い頃の自分の自問自答の答えに対してようやく見出して選んだ答えを問い返し、エレンの覚悟をしかと受け止めた。
「ありがとう、エレン!!」
そうして、決断したエレンの選択を嬉しそうに微笑みながら振り向いたウミ。全員に聞こえるように、大きな声で叫んだエレンの覚悟を受け止め、一同もエレンの選択が、自分達を信じてくれたことへ安堵したようだった。一人巨人化して戦う前に進むと選択してくれたエレン。だからこそ、その信頼に応え、何が起ころうともエレンを守り抜こう。そう全員が決意した。
「うあああああぁぁ!! はなせぇぇぇ」
自分達を守るべく奮戦する仲間たちの犠牲を糧にそれでも進むことを選択したエレン。翻弄していた兵士を邪魔だと全ての障害を無残に破壊していく女型の巨人に捕まえられた兵士はそのまま女型に腹部を掴まれたまま木に上半身をジュウウッとこすりつけられ、抉り取られた上半身がぐちゃぐちゃに粉砕され、物言わぬ下半身部分をポイッと森の片隅にぶん投げた。
「……! ごめんなさい……!!」
残虐な末路の果てに朽ちた肉片と化した兵士に青い顔をしてごめんさないとしきりに謝罪を繰り返すエレンは目を強く閉じた。
見るも無残に次々と殺されていく兵士に謝る事しか出来なかった。これが自分の選択した道だからその死の分まで自分の選択を仲間を信じて突き進まねばならないと。
しかし、リヴァイは馬を走らせながら隣で先ほどまでエレンに優しい笑顔を浮かべていたのにその光景を目の当たりにした彼女が今は一転して唇を強く噛み締め、それはすべての恨みをその顔に凝縮して剣を構えた恐ろしい風貌のウミにリヴァイは目を配らせた。
「ウミ……まさかお前が囮になろうなんざ考えてんじゃねぇだろうな?」
「……してやる……」
「あ?」
ブツブツと何かをしきりに呟くウミは無言でリヴァイの眼を見つめ返している。剣を収めずまるで呪いの呪文のように女型の巨人への恨みをより強いものにしている。
「殺してやる……あの女型の巨人……許さない……本体を引きずり出して殺してやる……」
「ウミ、命令だ。そのまま走り続けろ。言う事を聞け」
「っ……うぅ……」
「このまま走り続けろって言ってんのがわかんねぇのか、お前じゃうっかり殺しちまうだろ、ここで殺すのはマズイんだよ、お前が一番調査兵団に所属してた時期が長ぇ。分かってんだろ」
自分に似てしまって本来の口調から何とも恐ろしい物騒な言葉を繰り返すウミ。彼女を怒らせてしまったあの巨人は間違いなくウミがこのままにしていたら一人勝手に行動して瞬く間に殺しかねない。
「ッ……!! ううッ!! 分かってる……! 分かってる!! だけど、っ!このままじゃあ追いつかれちゃう!!」
「お前は手加減を知らねぇ……今すぐその剣を収めねぇとお前はソニーとビーン殺した奴と同類だ。俺はお前においたはしたくねぇ」
誰よりも優しくて穏やかな性格しかし、その分一度キレたら彼女を取り返しのつかない魔物が襲い掛かり制御を失う。その思いやりの強さがより巨人への憎しみを強固なモノにしているのをリヴァイは理解するからこそウミを引き留めるために諭す。温厚な性格なのに一度キレればまるでスイッチが入ったかのように自分でも手が付けられないほどに手加減ということを忘れて皆殺しにするだろうウミの手綱をここでしっかり握らねば。やはり彼女は自身の班に招いてよかった、腕っぷしの強さも威勢のよさも相変わらずのようだ。いざとなれば彼女は誰よりも有能な兵士となる。
「ウミ、」
目で訴えられてウミは黙り込んだ。その瞳が全てを物語る、その刃よりも鋭い瞳に凄まれ、ウミはなんとか思い留まった。生け捕りにするべき対象を殺せば内なる敵は謎のままになってしまう。仲間を散々殺されて悔しいのはウミだけではない、リヴァイも、他のリヴァイ班のメンバーも同じだ。仲間を殺した憎しみ怒り。それを強靭な精神力で抑え込んでいるだけなのだ。そうこうしているうちに、その眼差しが他の巨人を後ろから追いかけ疾走する森の木々をかき分け走り続けていた緋色の風が姿を現した。やはり生きていた。ウミの不安をかき消す男の笑みにウミは安堵し、思わず爆発しそうな怒りが一瞬にして吹っ飛んだ。
「そのまま走れ! おおいクソ女型の巨人! こっちだ!!」
「クライス! よかった!! 生きてたのね」
「勝手に殺してもらっちゃあ困るな?」
「しぶといゴキブリ野郎だな、踏みつぶされても死なねぇのか」
「なぁにぃ!? ウルッセェんだよ!!」
慣れない馬を走らせ、森の中ひたすら女型の巨人を追いかけてきたため髪の毛には小枝や葉っぱが絡まり、今までの仲間の返り血を浴びてより赤く染めている。果敢にも後ろから呼びかけ自分たちの班に追いつき女型の巨人の周りをジグザグにクライスではなく優秀な馬のおかげで走り回り妨害するクライスのせいでエレンへ近づけず、女型の巨人はクライスを引き離そうと低空姿勢になると、ずっと走り続けているのにどこにそんな体力があるのか、さらに速度を増して加速したのだ!
「なっ!? 早っ!」
「目標、加速します!!」
「走れ!! このまま逃げ切る!!」
「(不可能だ……逃げ切るなんて……このまま背中を向けて走っていれば全員ペチャンコになる……でも……死にそうだけど……仲間を見殺しにしても……みんな前に進むことを選んだ。リヴァイ兵長は前を見続けている。ウミも、必死に我慢してる。クライスさんが俺達の為に囮になろうとしている!先輩達も……兵長を信じてすべてを託してる。オレも……彼らを信じるんだ。彼らがオレを信じてくれたように……オレは……オレは……そうだ……オレは……欲しかった)」
「兵長!」
「進め!!」
「(新しい信頼を、あいつらといる時のような心の拠り所を……。もうたくさんなんだ、化け物扱いは……仲間外れはもう……だから…仲間を信じることは正しいことだって…そう思いたかっただけなんだ…そっちの方が…都合がいいから)」
エレンは頭上に迫る女型の巨人を見上げた。すると、女型の巨人の青い瞳と目が合い思わず硬直した。その手はもう目の前のエレンに触れんばかりの距離まで迫ってきている。もう駄目だ!捕まる!!エレンが強く瞳を閉じたその時。
「撃てええぇ!!」
反撃の刃。それは一斉に放たれた。次々と馬で駆け抜けていく自分達が全員通り過ぎた瞬間、女型の視界に飛び込んで来たのはー…。
木の影に隠れて自分達がここまで女型の巨人を引き連れて来るのを待ち構えていた精鋭たちが一斉に動いた。
リヴァイが撃ち上げた音響弾を合図に、木上に待機していたエルヴィンが女型に向けて合図し一斉に発射されたのは新たに開発して荷馬車の中に擬態させて隠していたハンジが巨人捕獲の際にソニーとビーンの研究の際に得たデータをもとに体現させた新兵器「対特定目標拘束兵器」だ。
エルヴィンの合図と共に火を噴き、女型の背後を追いかけていたクライスが慌てて馬の手綱を引き急停止した拍子に茂みの方に飛んでいく。四方八方から火薬の力で無数の矢じりが一斉に飛び出し、それに引かれたワイヤーが女型の巨人に一気に襲い掛かり、女型の巨人はとっさに両手を挙げて弱点のうなじを庇い、その兵器は女型の動きを一気に拘束して完全に足止めさせたのだ!
「(成功した!!)」
煙が立ち込める中、その衝撃音を耳に自分たちの背後で捕らえられた女型。馬を走らせ続ける一同は突然の光景に呆然としている。良かった。間に合った…先ほどの怒りに任せて危うくこの作戦を台無しにしかけた自分、リヴァイが止めてくれなかったら今頃どうなっていただろうか…突然の出来事に呆然としながら、この作戦の意図をようやく理解したリヴァイ班と女型の巨人の生け捕りに成功したことにほっとウミが安堵する中でリヴァイは驚いている班員を取り残して馬上で立体機動を展開すると冷静に次の指示を下す。
「全員、少し進んだ所で馬を繋いだら立体起動に移れ。俺とは一旦別行動だ。班の指揮はエルドに任せる。適切な距離であの巨人からエレンを隠せ。馬は任せたぞ。ウミ、お前も来い」
「リヴァイ。ごめん……私、ここに残りたい」
手を差し伸べた男の手をウミは首を振りその呼びかけと愛しいその手を拒んだ。精鋭班で女型の巨人の本体を引きずり出す。それには本作戦参加者のウミも立ち会うはず。だが、ウミは事前の打ち合わせ通りにリヴァイの指示に従わなかった。彼女も彼女なりに考えた選択をリヴァイに示したのだ。
「オイ、ウミ。どういうつもりだ」
「……お願い。そっちにはミケさんもクライスもいるじゃない、私は役不足。それに、エレンの護衛なら私もいた方がいいかなって、私にも選択させてよ、いいでしょう?」
「……チッ、本当にお前は……仕方ねぇな。おい、くれぐれもウミが暴走しないように見張ってろよ、凶暴な小動物だから気を付けておけ、下手すりゃ噛み千切られるぞ」
「了解です!」
「ちょっと!」
エレンがそんなに大事で束の間でも離れたくないのか、とでも言いたげにリヴァイはいぶかしげに眉を寄せる。しかし、彼の母親を救えなかったウミの心残り、大切な人の忘れ形見を守る、生きる意味を見失っていた自分に生きる意味をくれた3人は大切な人なのだと、その償いとして幼い彼らを面倒見てきた分彼への思いは一入なのだろう。
確かに戦力の分散を考えるならウミがこっちにいた方がいいかもしれないと、惚れた弱みで結局彼女の望みをかなえてやった。もう時間もない、リヴァイはあっさり引き下がり、アンカーを木に射出してそのまま先ほど女型の巨人が拘束されているポイントまであっという間に飛んで行ってしまったのだった。きっとウミなら大丈夫だなんて、自分はまたあの日の事を繰り返すのだろうか。調査兵団に入ってからは別れの日々で、今も、これからも、自分は見送り続けるのだろうか。
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巨大樹の中を飛んでいくその背後の霧が晴れていけば、そこには女型の巨人がワイヤーと矢が絡まって完全に身動きが取れなくなっている姿が見えてきた。そうして、ようやく気が付くのだった。本作戦の目的となぜこの森だったのか。第57回壁外調査とは名ばかりの、女型の巨人を生け捕りにするべくエレンを餌にして本作戦は初めて成功を果たしたのだった。
「まさか……あの巨人を生け捕りに……!?」
リヴァイ班の皆と顔を見合わせるエレンを安堵したような表情を浮かべるぺトラとどこか勝ち誇ったようなエルドが微笑み返し、お互いに顔を見合わせた。
「どーだエレン。見たか!! あの巨人を捕らえたんだぞ!?」
「これが調査兵団の力だ!! 舐めてんじゃねぇぞこのバカ! どうだ!? わかったか!?」
「はい!!」
勝ち誇ったようにそうエレンに投げかけるオルオの言葉。本作戦の意味を知り、そして自分の選択が正しかったことを、仲間を信じて選んだ選択に応えてくれた先輩や調査兵団、信じてよかった、信じて貰えた喜びと高揚感、噛み締め嬉しそうにエレンはようやく笑顔を見せたのだった。ウミはリヴァイの背中を見送りながら自分の選択を信じてくれた彼の無事を信じ、ただ祈ったのだった。女型の巨人はきっと彼らの手によって日の元に晒されるのだろう。
その一方で、絶え間なく発射される「対特定目標拘束兵器」が火を噴く。
「よし!! 関節の固定完了!!」
ハンジが嬉しそうに完全に今までさんざん仲間たちを蹂躙してきた女型の巨人の動きを完全に封じてしまった。
「ははははッ!! どうだ、アルフォード家の財産ほとんどつぎ込んでやったんだからな、成功しなけりや技術班に殴り込みに行くレベルだぞ」
「本当に助かるよクライス、戦力だけじゃなくて資金も援助してもらって…それより、なんだか全身ボロボロだけど大丈夫?」
「疲れた……立体機動装置も壊れちまうし全身打撲でいってぇよ」
「ニファ!! 予備の立体機動装置はあるかい?」
「はい、分隊長!」
そうしてクライスとはまた違う赤い髪をしたニファがすぐにクライスに新しい立体機動装置と、仲間たちの返り血を浴びた頭にタオルを手渡してくれたのだった。そして次々放たれた反撃の矢とワイヤーで締め付けられ完全に固定されて動けない女型の巨人の姿を傍観しているエルヴィンの元に飛んできたリヴァイが着地した。
「動きは止まったようだな」
「まだ油断はできない。しかし、よくこのポイントまで誘導してくれた」
「ウミが多少ヤバかったがな……、後列の班が命を賭して戦ってくれたお陰で時間が稼げた。あれが無ければ不可能だった」
「そうか」
「そうだ」
仲間を見殺しにするのかとエレンが非難したが、一番に女型の巨人に対して恨みと憎しみを抱いたのはリヴァイであるという事をエレンは知らない、誰よりも仲間を失う事を恐れているのは彼なのだということを。たくさんの仲間を色んな手段で斬殺した当の本人を前に湧き上がる怒り。ギシギシと音を立ててそれでも何とか動こうとする完全に捕獲され身動きが取れない女型の巨人を睨みつけながらリヴァイは静かに呟いた。
「彼らのお陰で……こいつのうなじの中にいるヤツと会える。中で小便漏らしてねぇといいんだが……」
こんな兵器を用意していたとは、全く知らなかった…。エレンを捕まえることに夢中になりすぎてしまったと。悔しそうに歯を噛み締める女型の巨人。両腕を上げてそれでも咄嗟にうなじをガード出来たのまでは良かったがこれでは完全に身動きが取れない。捕獲対象のエレンは遥か彼方。
そしてそんな自分を睨みつけるは調査兵団の精鋭たち。そして人類最強と呼び声の高い男がこちらをじっと睨みつけている。
その目に囚われた巨人はもう、逃げられない…ここ迄だ。スラリと剣を抜き、今までさんざん仲間を惨殺した当の本人諸悪の根源を目の当たりにしてリヴァイが切りかかろうとしたその時、同じく抜剣したエルヴィンがそれを制止した。
「待て、リヴァイ。念には念をだ。第二第三波、撃てぇええ!! 虚位を突け!!」
更に爆発音を立てて集中砲火を浴びせるエルヴィン、目やとにかく余すことなく女型の巨人の身体に打ち込んでいく、くさびを眺めながらクライスはウミの姿が無いことに違和感と、そして食いしばられた口元の歯を見つめていた。口元は果たして塞がなくていいのか。と、
▼
104期生たちは先ほどから背後の森の奥で聞こえる火薬を爆発させたような爆音に耳を澄まして木を登り手を伸ばしてくる巨人たちを見下ろしている。うん、うん、言いながらクリスタに迫る巨人を本作戦を知るナナバが冷静に少し冗談交じりにどいてあげようかなと言ったり、撤退を示唆したり、ベルトルトに尋ねたクリスタの存在を気にかけるユミル。爆発音が響く中、ライナーは荷馬車の中に大砲が隠されていたことなど聞いていない、と、内心この音の正体を探りながらコニーはもう何でもいいから早く帰らせてくれと上の空である。
ジャンが立体起動装置に木に手を掛け追いかけてきたおかっぱ頭の巨人から距離を取りながら近くに居たアルミンと話を続けていた。
「アルミン、今森の奥で何かやってるみてぇだが……何となく察しがついてきたぞ。あの女型巨人を捕獲するためにここまで誘いこんだんだな?もっと正確に言えば、ヤツの中に居る人間の捕獲だ……エルヴィン団長の狙いは……お前も、そう思ってたんだろう? 兵団の中に」
「うん、居ると思う……」
ドシーン!! と、それは大樹が揺れるくらいの派手な音を立て、木を登っていたおかっぱ頭の巨人が落下して大きくしりもちをついたのを横目にジャンはこれまでの状況と、そして、エルヴィンがこれまでずっと本作戦の事を黙っていた事、それによって犠牲になった多く者を切り捨ててまでこの作戦を刊行したその非情な判断に対して憂いていた。
「正しいとは言えねぇだろ……内部の情報を把握してる巨人の存在を知っていたらよ、対応も違ってたはずだ。お前んとこの班長達だって」
調査兵団に入団した際に自分達の面倒を見てくれた明るく愛馬と共に自己紹介してくれたネスの事を思い返してながらアルミンはそれでもエルヴィンの判断は決して間違っていなかったと告げる。
「いや……間違ってないよ」
「は? 何が間違ってないって?兵士がどれだけ余計に死んだと思ってんだ?」
「ジャン……後で「こうすべきだった」って言うことは簡単だ。でも……!結果なんて誰にも分らないよ。わからなくても選択の時は必ず来るし、しなきゃいけない。100人の仲間の命と壁の中の人類の命――……。団長は選んだんだ。100人の仲間の命を切り捨てることを選んだ。大して長くも生きてないけど、確信していることがあるんだ。何かを変えることの出来る人間が居るとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることが出来る人だ。化け物をも凌ぐ必要に迫られたのなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ。何も捨てることができない人には何も変えることはできないだろう」
アルミンの脳裏に次々浮かぶのは先月のトロスト区奪還作戦に置いて犠牲になった駐屯兵団精鋭班のイアン。そしてウミ、そして駐屯兵団のピクシス司令、そして最後にエレンを活かすことを判断した大総統のザックレー。アルミンの中で何かを変えることが出来る人間達は皆自分の考えに及ばない場所まで到達していた。
「撃てぇ!!」
ハンジが自らの足で装置を引っ張って積載した樽の中に隠した「対特定目標拘束兵器」を発射すると筒の中から飛び出した七本の矢じりを両端に付けたワイヤーがらせん状に飛び出して女型の巨人の形のいい尻付近に突き刺さった。
クライスが上から下までその巨人の割に恵まれたプロポーションの女型の巨人のスタイルに口笛を吹くと、先程まで自分(エレン)達をしつこくどこまでも追いかけていた女型の巨人は今や完全に拘束され、完全にその動きは封じられてしまっており、喋る事の出来ない口だけが唯一自由。
さんざん仲間を殺した巨人は今や身じろぎ一つ出来ない状態だ。しかし、その背後の道には女型の巨人を阻止しようと果敢に戦いを挑み犠牲になった兵士たちの者言わぬ亡骸が転がっていた。ハンジは新たに開発した兵器の甲斐あって女型を捉えることが出来テンションうなぎのぼりだ。息をはぁはぁと乱して嬉しそうに微笑む。
「これでどう? もうかゆいとこあっても掻けないよ? 身じろぎ一つできないよ。多分、一生。傷を塞げば塞ぐほど、関節がより強固に固まっていく仕組みだ……! へっへっへへへぇ……しっかし肝心の中身さんはまだ出せないのか? 何やってんだよリヴァイとミケは……クライスも無理かな?」
ギシギシと音を立てて固定された身体はもう完全に女型の巨人本人がどうすることも出来ないままだ。
リヴァイやミケが立体起動でスピードをつけ、精鋭の中でも限られた人にしかできない芸当の上空からの回転斬りで女型の巨人のうなじを守る両手に刃を打ち付けているが、うなじをガードした女型の巨人の両手はまるで堅い岩石のように硬化して刃を跳ね返し、それは粉々に砕かれリヴァイが悔し気に顔を歪める。
2人が上空から降ってきたクライスに気が付きサッと左右にどけるとクライスがその硬化したタイミングを避けて回転斬りを浴びせるも、まるで攻撃が全部見えているかのようにクライスの刃もことごとく破壊されてしまうのだった。ミケが欠けてしまった刃を手にしたまま、肩を竦めてエルヴィンに駄目だと首を横に振っている。あの硬化する手は厄介だ、これではいつまでも埒が明かない。
「(体の一部の表面を硬質な皮膚で覆うことができる能力か…話に聞く「鎧の巨人」と似通った性質……)」
女型の硬化した指がボロボロと崩れていくのを見届けながらエルヴィンは敵と対峙してもあくまで冷静だった。
「(立体起動の白刃攻撃をこのまま続ければ弱っていくのか? 試している時間は無い。ならば……)」
エルヴィンが手を上げると一人の兵士がエルヴィンの元へと降り立ち、歩み寄った。
「はい」
「発破の用意だ。目標の手を吹き飛ばせ」
「は……しかし、常備している物の威力では中身事吹き飛ばしてしまう可能性があります」
「ならば……手首を切断するように仕掛けてみよう。合図を送ったら一斉に仕掛ける」
「了解!」
一方で女型の巨人の頭の上ではリヴァイが先ほどまでさんざん自分達を追っかけていた脅威を前にして言葉数多くその女型を巨人の中身に、話しかけていた。
「オイ……いい加減に出てきてくれないか? こっちはそんなに暇じゃないんだが。なぁ? お前はこれからどうなると思う? お前はこの状況から抜け出すことができると思うのか? こっちの迷惑も少し考えてほしいもんだ。お前は確か……色々なやり方で部下を殺していたが……あれは楽しかったりするのか? 俺は今楽しいぞ、なぁ……?お前もそうだろう? お前なら……俺を理解してくれるだろう? そうだ……一つ聞きたいことがあった、お前の手足は切断しても大丈夫か? また生えてくるんだろう? お前自身の本体の方だ。死なれたりしたら、困るからな」
人類最強の男が自分の頭上から恐ろしい顔つきで話口調は普段通りなのに、今は怒気迫る勢いでその瞳には並々ならぬ何ともいえないさまざまな感情が巡っているようだった。忙しく発破の用意の準備に取り掛かる兵士達を待つ間、再度女型の巨人との会話を続けようとしたその時、女型の巨人の口が薄く開き スウウゥゥゥと空気を吸い込むのに気付くリヴァイ、身構えたその瞬間。
「きぃやああああああぁぁああぁぁああああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
次の瞬間、まるでそれは断末魔のようなすさまじい叫び声が放たれ、耳をつんざくようなその叫びが、リヴァイはその場にいた兵士たちが一斉に慌てて耳を塞ぎ、それは入り口で待機しているアルミンたち104期生や待機しているエレン達、とにかく巨大樹の森一体に響き渡ったのだった!
「……てめぇ……びっくりしたじゃねぇか……」
周囲がシンと静まり返り、黙り込んだ女型の巨人。ようやく静寂に包まれた巨大樹の森の中でその光景を驚愕で見つめているハンジやリヴァイたち。特にその頭上に居たリヴァイは耳の鼓膜が破れたのではないかと思う程だった。そんなにリアクションが大きいわけではないリヴァイなりにびっくりしたようだ。
「断末魔……ってヤツですか?」
耳を塞ぎ乍ら冷静に分析するモブリット。クライスはその悲鳴にこの巨人が何かをしかけたことに気が付き、そして相変わらず表情を変えずに樹上から女型を見下ろすエルヴィンは静かにこの状況を判断したその時、何かを嗅ぎつけた鼻がいいミケが、はじけ飛んだようにミケがエルヴィンの元に着地して危機を知らせる。
「エルヴィン! 匂うぞ!!」
「方角は?」
「全方位から多数! 同時に!」
ミケがエルヴィンに危機を知らせたその瞬間、アルミンたちを捕食しようと木を登ることを覚えだした巨人たちが一斉に捕食対象であったアルミンたちから離れ、木から飛び降りると一斉に森の中心に向かって、まるで女型の巨人の叫びに呼応するように。あっという間に駆け出して行ってしまったのだ。
「え!?」
「なんだ!? こいつら! 一斉に森の中に!? 何で急に俺らを無視すんだ!?」
アルミン達のいる木を素通りして、巨人たちが一斉に森の中へ駆け出しぼんやりしていたコニーが不思議そうに班長に問えば班長の号令で新兵達は当初の与えられた任務を遂行するために一斉に飛び出していく。
「こいつら全部、奇行種だったのかよ!?」
「何でもいい!! ここを通すな!! 戦闘開始ぃ!!」
駆け足で続々と森の中央にまるで操られたかのように駆けていく。その光景を目にミカサも戦闘に加わるべく不思議そうにいきなり何が起きたのかと冷静に剣を抜くとサシャがミカサを引き留めて注意を促した。それはかつて自分が当たり前に過ごしてきた村で経た彼女なりの処世術。
「突然、何?」
「待って下さいミカサ! さっきの悲鳴、聞いたことがあります! 私がいた森の中で……!! 追いつめられた生き物がすべてを投げ打つ時の声……狩りの最後ほど、注意が必要だって、お父さんに教えられました!」
危機迫る様子のサシャはうっかり自身の村の方言が出ないように気を付けながらもミカサに注意を促す。
「だから……注意しろと?」
「いつもより百倍注意して下さい! 森なめたら死にますよあなた!!」
「私も、山育ちなんだけど……」
「野菜作ってた子にはわからないですよっ!」
「そう(確かにサシャの勘は結構当たる……それも、主に悪い予感の時だけ……。アルミンは中列後方にウミとエレンがいそうだって言ってたっけ…でも、きっとエレンの傍にはウミがいる。ウミは強い、だから、エレンはきっと大丈夫……)」
まるで野生化したかのようにグルルルルと、周囲を警戒するサシャを冷静に見つめるミカサ。その森の中央では次々と聞こえる巨大な足音に慌ただしく、そして迎撃態勢にあたった。
「発破用意を急げ!」
「エルヴィン! 先に東から来る、すぐそこだ!」
「荷馬車護衛班迎え撃て!!」
ハンジ班の精鋭のアーベルら兵士達数人が、一斉に立体機動でミケが嗅ぎつけた方向から姿を現し、その群れに向かって飛んでいく。しかし、巨人達は彼らを素通りしていくではないか。
「無視だと!? 奇行種なのか!?」
「3体突破します!!」
女型の頭上で様子を窺うリヴァイの前に次々と姿を見せる巨人達、まるで女型に呼び寄せられたかのような光景にリヴァイが顔を歪め迫る巨人どもを睨みつける。
「リヴァイ兵長!」
「オイ……てめぇ……さっき何かしやがったな」
ブーツの踵で女型の巨人の頭をゴツゴツ蹴るリヴァイ、激しく足音を立てて彼に迫ってきた二体の奇行種、いったんここから離れなければならない。
忌々し気にリヴァイは危機を知らせ自分の名を呼ぶ声に耳をすまし、素早く立体機動を作動させると横へ移動するように、そのまま回転すると瞬く間に巨人を2体同時に仕留めた。
が、仕留め損ねた一体の小柄な巨人が、女型の巨人の脛にそのまま飛びつくとかじりついたのだ。
「(女型の巨人を狙っているのか!!)」
女型の巨人は齧られても動じずその光景を拘束され自由を奪われた状態で静かに眺めている。まるで自らそう、仕向けたかのように。
「全方位から巨人出現!!」
その声に導かれるように数えきれないほど大勢の巨人達が四方八方から現れて襲い掛かる。
「全員戦闘開始!! 女型の巨人を死守せよ!!」
エルヴィンの指示が飛び、一斉に巨人の群れに飛び込んでいく精鋭班たち。クライスも飛び込み鮮やかな手つきで舞うかのように巨人を蹴散らしていくが削いでも削いでもそれでも捕食対象の自分達よりも巨人の数が圧倒的に多い、多すぎる。
同じ巨人であるはずの女型を食う行為を止めない巨人たち。群れに飛び込んで剣を振るっても、巨人達は女型の巨人を食うことに集中しており、こっちには一切目もくれないで一心不乱に女型を捕食し続けている。女型も一切の抵抗を拒否し黙ったまま自身の身体を差し出して食われ続けている。まるで動けない自分の代わりに巨人たちに命令してその拘束から逃れて証拠を消すかのように。エルヴィンは無言でその光景を見た後、静かに目を閉じ――……。
「総員撤退!! 巨人達が女型の巨人の残骸に集中している内に馬に移れ! 荷馬車はすべてここに置いていく!! 巨大樹の森、西方向に集結し陣形を再展開! カラネス区に帰還せよ!!」
彼の声に反応して女型の巨人近くから離脱するリヴァイ達、息を乱し、巨人の返り血にまみれながら精鋭たちでも巨人の群れにはかなわなかった。リヴァイはエルヴィンが居る木の面に着地して問い掛ける。
「やられたよ」
「……何って面だてめぇ……そりゃあ」
「敵にはすべてを捨て去る覚悟があったということだ。まさか……自分ごと巨人に食わせて情報を抹消するとは」
そう、エルヴィンの見たままに。女型の巨人は拘束され身じろぎ出来ない状態から脱するためにぐちゃぐちゃと女型の巨人を捕食する巨人達。
あらゆる策で女型の巨人の裏をかいたと思ったらまさかさらに誰よりも恐れる知能を持つアルミンが判断した何かを変えるためな何かを捨てられる人物のエルヴィンよりもその上手を女型の巨人の本体は行っていたというのか。エルヴィンの視界の先には巨人の群れの間から、女型の巨人の骨だけが見えていた。
それはこの作戦が失敗だと言う合図だった。ここまで資金も時間もかけ何度も話し合いの果てに実行したと言うのに。壁の中の内側から壁の破壊を、人類の破壊を目論む片鱗をまさか取り逃がしてしまうとは。
「ちくしょう、肺が、爆発しそうだ……・っ、」
巨人の返り血を浴びながら久しぶりの実戦と煙草の吸いすぎでクライスは苦しげに胸元のジャケットを掴みタバコの副作用で息をぜいぜいと切らして。息を荒くして膝をつきそのまま食われて骨になっていく女型の巨人の姿を悔しげに見つめていた。
ミケ、ハンジ、その他精鋭達も自分たちを認識していないかのように見向きもしないまま女型の巨人を喰らい尽くしている巨人たちを見つめていた。
疲れ切って動けない一同を眺めてリヴァイはエルヴィンに冷静にこの作戦の失敗を仲間たちに知らせるのだった。
「審議所であれだけ啖呵切った後でこのザマだ……このままのこのこ帰った所でエレンや俺達はどうなる?」
「帰った後で考えよう。今はこれ以上損害を出さずに帰還できるよう尽くす……今はな」
リヴァイの危惧はそれだった。ここで成果が出せなかった事、世間の非難を浴びるのは慣れているが、このままではきっとリヴァイ班は解体、エレンは再び王都に連れていかれて今度こそ殺される。そうなればウミはきっと、エレンを守るためにまた無茶をしかねない。そして彼女の故郷、壁の人類の悲願である故郷の奪還もまた叶わなくなる。
再び女型の巨人を見やるエルヴィンは冷静にその光景を眺めていた。このまま女型の巨人を捕食し終えて次に捕食対象となる自分達を守らねば。ただでさえ多くの仲間が死んでしまい、そして何の成果も得られなかった。
本当にこれこそが無駄足だ。続々と女型の巨人を食う巨人達の一帯からは、激しく蒸気が立ち込め視界を奪ってゆく。
「( 死骸の蒸気で視界が悪い……信号弾の連絡に支障が出かねない)」
あっという間に巨人の蒸気に紛れて消えてゆく女型の巨人の姿。彼の脳内には超大型巨人が蒸気を出している光景が浮かんで居るようだった。そんなエルヴィンの判断を知り、今はただ安全に壁内への帰還を。その判断を受け入れたリヴァイがエルヴィンに呼び掛けた。
「俺の班を呼んでくる」
「待て。リヴァイ、ガスと刃を補充していけ」
「時間が惜しい。十分足りると思うが……なぜだ?」
「命令だ。従え、」
多くの事や理由は口にせずとも、この6年でウミよりも調査兵団では付き合いが長い間柄となったリヴァイがエルヴィンと築き上げたものは大きかった。何故と問えば命令だとリヴァイに告げて。
「……了解だエルヴィン。お前の判断を信じよう」
消耗したガスと刃を補填して貰い、リヴァイは自身の班の待つ森の奥へと地を蹴り飛んだ。ウミが居るから大丈夫だろうが、何故か胸騒ぎが止まない。リヴァイの脳裏には昨晩愛を確かめ合い何度も抱き合い再会を果たした喜びに打ち震える身体を、愛しげに微笑んで優しかったウミの笑みを、穏やかな寝顔がちらついて離れてくれない。
何故か、酷く胸騒ぎがするのは何故か。彼女は強い、今までも生き延びてきた、そして何かあれば生き抜く知恵を持っている、それなのに。
撃ちあがる煙弾を見届け馬を走らせながら巨大樹の森を後にして撤退するジャンがアルミンにこの作戦の行方を尋ねる。
「撤退ってことは作戦はうまくいったのか?」
「だとすると……今頃あの女型巨人の中に居た人間の正体が分かったかも、」
「顔を拝みたいもんだな……それにしてもどうして団長はエレンが壁を出たらそいつが追ってくると確信できた?」
「それは……この間の襲撃の時、彼らが何故か途中で攻撃を止めてしまったからだと思う」
「は?」
「せっかくトロスト区の壁を破ったのに内門を破ろうともしないし、エレンが扉を塞ぐ時も放っておいた。恐らく……それどころではなくなったってことじゃないだろうか……」
「あ……それって、」
「壁の破壊よりも重要視する何かだよ。あの時起こった想定外の事、」
「……エレンの巨人化か?」
「それ以外に無いと思う」
「ってことは、つまり、」
「(あの時、あの場所で、エレンの巨人化を見ていた者の誰か)……そいつが巨人だ!」
2019.08.18
2021.01.27加筆修正
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