THE LAST BALLAD | ナノ
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#17 夜間遊泳

 王と憲兵団に守られた安全なウォール・シーナ内地は五年前のように情報が錯綜し、混乱していた。内地では今回の件で新聞が出回り、内地の裕福な者達がその記事を見ながら信じられないと言わんばかりの表情を浮かべている。

 ――トロスト区南門に突如出現した「超大型巨人」によって扉は破壊され…一時トロスト区全域を巨人に占拠されるも決死の奪還作戦が成功し、扉の封鎖を果たす。

「おい、本当なのか?人間に味方した巨人が居るって」

「ただの噂に決まってる。奪還は失敗してウォール・ローゼの人間が大量に逃げ込んでくるかもしれん」

「そんなことになったらたちまち食糧不足じゃないか」

「なぁ、もしかして人間に味方した巨人ってローゼのヤツと一緒になって攻め込んできたりするんじゃないだろうな?」

 ――ウォール・ローゼ内地

「こいつはすげぇことだぞ!! 俺達に味方する巨人が現れたんだ!」

「もしかしたらウォール・マリアだって取り戻せるかもしれねぇ!!」

「言ってみりゃ救世主だぁ!!」

「しかもウォール・マリアの天使の正体がまさか元調査兵団の分隊長だったなんて驚きだよなぁ!!」

「小さな身体で襲い来る巨人を何体も倒したらしい!引退した今はトロスト区に住んでるらしいぞ!!」

「本当か!? ぜひ生の天使に会ってみたいものだ!」

 シーナとローゼで飛び交う噂は壁で隔たれ憶測も交じり様々な噂が飛び交っていた。そして、調査兵団本部ではトロスト区奪還作戦で大いに戦力として貢献した女性がこの五年間行方不明だったウミであり、負傷した彼女が調査兵団本部にリヴァイが連れて帰ってきたと知った今も生き残っている調査兵団の幹部たちの間では大騒ぎとなっていた。
 未だ目覚めない親友に会いに頻繁におとずれていたハンジが楽しみに彼女の目覚めを待っていたのだが…。イルゼ・ラングナーの戦果のおかげで本格化した巨人捕獲作戦により今回のトロスト区攻防戦で捕獲した2体の巨人、ソニーとビーンに夢中になっている間にウミはまるで幻のようにリヴァイの部屋から忽然と姿を消してしまっていたのだった。

「ええっ! ウミったら久々に会えたのに何にも言わずにそのまま帰っちゃったの!?」
「そうみたいなんですよ。せっかくだから私も会いたかったんですが…」

 第四部隊ハンジ班所属でハンジの副分隊長を務めるのモブリット・バーナー。彼も五年前からの生き残りであるのでウミとは面識があるのだ。それを知らせに来たクライスも納得がいかないと言った顔をしている。

「まるで逃げるようにいなくなったみてぇだな」
「そんな……ウミ、私に会いたくなかったのかな?」
「まさか! 違いますよ! それに、ハンジ分隊長は巨人の対応で忙しかったから仕方ありませんよ」
「なんかさ……ろくに会話も出来ないまままた会えなくなってしまったから、この三日間はまさか幻、なわけないよね?」
「(そんなにあいつに会いたくねぇと、よっぽど嫌われたのか。かわいそうにな)」

 久しぶりに見かけた彼女は幻ではなかったのだと調査兵団の幹部たちは消えてしまった彼女の面影を思い起こしていた。まさか生きてここに運ばれてくるとは、思いもしなかっただろう。
 クライスもあの時別れたきりで彼女が目を覚ましたならせめて行く前に会いたかったと元上官の寂しそうな後ろ姿を思い返していた。本人はリヴァイに会うことなく逃げるようにいなくなった。申し訳なさと、気まずさで今更合わせる顔がないと言わんばかりに。クライスは部屋から出てこようとしない男を想像しハンジにくぎを打った。

「オイ、だからってリヴァイに気安く話しかけねぇ方がいいぞ、あいつ調査兵団に来たばかりの時みてぇな顔してやがるからよ、本気で骨折られるだけじゃすまなくなりそうだぜ?」
「そうでしょうね。まだ死にたくはないですからね」
「そうなの? 試しに話しかけに行ってみる??」
「分隊長! あんた本当に死にますよ!!」
「ねぇねぇ、クライス! 一緒にリヴァイ励ましに行かない??」
「いやいやいや!!!! 俺はいかねぇぞ、今度こそ安静にしなきゃねぇのに足が使い物にならなくなっちまう。ま、あいつもエレンが調査兵団預かりになったら子守で忙しくなるから少し気でも紛らわせばいいんだ」

 トロスト区奪還作戦から三日が経過し、調査兵団のベテラン精鋭班のおかげで掃討されたその甲斐あってトロスト区の一部区間の消毒洗浄や遺体の片付けなどが滞りなく終わり避難民たちも帰れるようになっていたが、清掃が済んだのはまだ一部であり、完全に終わるまではもう少しかかりそうだった。しかし、幸いなことにウミの家は避難区域から解除された区域であり、無事に戻れるようになっていたので数日前に戻れないと決意して飛び出した部屋に舞い戻っていたが。

「どうしよう」

 「超大型巨人」が壁を破壊したことによる今回の衝撃的な事件はウミの普通の女性としての生活さえも奪った。自分を雇ってくれたオーナーと就職予定だった店も木っ端微塵に破壊され、新生活初日から仕事もなくした状況でウミは今後の生活をどうすればいいのか頭を抱えていた。しかも今回の作戦で自分の家がある集合住宅も無残に破壊されていた。家もなく仕事もなく、ウミは目の前に横たわる現実に呆然としていた。

「はぁ……本当にツイてない、厄日かな?」

 まさか一瞬にして家も仕事も無くすなんて。ホームレスとなってしまったウミは頭を抱えることしか出来なかった。働くにしても内地に行くには通行許可証がない。時給のよさそうな内地に仕事を探しに行こうとしたって資格がなければ気軽に内地にはいけないのだ。
 だからと言って調査兵団本部に戻るわけにはいかない。あそこにはもう自分が戻る場所はない。3日間彼のベッドで寝込んだ身体に深く染み込んだ紅茶の香りがほのに残る。着ていた服は清潔そうな真っ白い生地のひざ下丈のワンピース一枚であっという間に夜になり、まだ肌寒く、羽織るものがない。とにかく何かするにしても寒さをしのぎたいし、生活を立て直すのにもお金が必要である。仕事を探すにしても健全で衣食住揃った仕事がいい。

「お嬢ちゃん幾ら?」
「あの、すみません。私、身売りじゃありません!」

 のんきに後ろから話しかけてきた小太りの下品な顔をした男に突然三本指を見せられウミは一瞬面食らったが、そのままぎろりとその小太りの男を睨みつけると小走りでその場から離れた。てくてくと歩きながら今は被災地となったトロスト区の夜の暗い街灯を眺めながら一人水の流れる川べりに腰かけた。昼間はいいとしても夜の寒さと眠る場所は確保しなければならない。きっとまだ宿屋や店も再開しているのはごく一部で浮浪者もいるだろうし、夜に一人で歩くには立体機動装置も結局無くし、立体機動装置もない。今この街は治安が悪く、危険なのはわかる。そう、なんとも心もとない状態なのだ。

「タヴァサをこっそり売ったら……ああ、ダメダメ、なんてこと、かわいそうだしお父さんの形見!!」

 そうしてふ、と浮かんだのはいつも優しい父親の笑顔だった。アニも父から対人格闘術を教わったとのことでアニとはよくお互いの父の話をしたものだ。アニとは背丈も同じくらいでクリスタ、アニと並んでちびっこトリオとからかわれた訓練所での懐かしい記憶を思い出していた。
 104期生のみんなは元気だろうか。誰も死んでいなければいいなと、無理だとわかっていても、みんな無事でいてほしい。それだけが、気がかりだった。
 どうしてこんな時に思い出すのだろう。父が居て母が居たあの頃に戻りたい。シガンシナ区はいったい今はどうなっているのだろう。いつかきっと立派に調査兵団になったエレンが取り戻してくれる。そう信じていても今現在の心境では帰る場所がないというのは本当に堪える。しかしあまりにも泣くということを我慢しすぎたのかどんなにつらくて泣きたくても泣けなくなってしまったのだ。
 いや、辛くはなかったのだ。彼の愛を失ったあの時の自分にはまだ家族も帰る家(シガンシナ区)もあった。何も言わずに泣きそうなウミをお帰りと迎えてくれた美しい緩やかな黒髪の母が居たから。エレン、ミカサ、アルミン。三人が居たから。
 彼らに交じって遊んでいる間は少なくとも自分は一人ではなかったから。夜はよくエレンの父親と酒を飲んだりもした、そんなエレンの父親・グリシャもあの避難所の夜の時にエレンを連れていなくなったきり、果たしてどこに行ってしまったのか。しかし、もう自分には帰る場所も、今まで一緒だった母親代わりに見守ってきた三人も巣立って行ってしまった。

「(訓練所に戻る?)」

 元シャーディス団長がいる現ウォール・ローゼ南方訓練兵団に頼んでまた住み込みで働かせてもらおうか。しかし、きっともう居所は知れてる。けど、リヴァイはきっともう自分を追いかけてはこないだろう。自惚れではない、彼の兵士長という立場は一人の女をおいかけ気軽に出歩けるほど軽くはないだから。

「(これで、いいの、これで、よかったの)」

 確かに存在していた二人の誓い、彼とならきっと…そんなことを思ったことがある。誰も知らない世界二人で暮らしたい。そんな叶いもしない願いを口にして。自分は本当に大バカ者だ、彼は調査兵団に欠かせない貴重な戦力であり、この壁の世界に救世主として現れたのだ。巨人に支配される人類から彼を奪うなんて自分は本当にとんでもないことをしたのだと、振り切るように歩き出す。
 もう会うことはない、きっと彼に会ったら洗いざらい話してしまいそうになる。そこにある愛も捨てて今自分はどうしようもなく一人、なのだと。
 もうとっくに彼とは別れたはずなのに、どんなに生活が困窮しても自分を安売りすることだけは出来なかった。彼だけを知るこの身体がこの先、彼以外の人に抱かれるなど、想像もつかなかった。
 だって、自分は彼とこのまま結婚すると、そう、信じて疑わなかったから。恋も愛も知らなかった自分に人を好きになることがどれだけこの世界に幸せと安らぎを与えてくれたか…調査兵団に所属する身でありながらも明日の保障さえない立場なら恋なんかすべきではないとわかっていたのにそれでも彼を永遠に愛していた。常に死を覚悟しながらそれでも強い自分でいられた。彼といられるときは確かに世界の残酷さを忘れられることが出来ていた。
 愛し方を教えてくれた最初で最後の相手はこの先も彼だけでいいと、彼と別れてからもそれなりの出会いはあったし独り身の自分を気遣って紹介などもされたがうまくすり抜けてきた。
 そっと暗闇から逃げるようにウミは路地の片隅で営業を再開しているバーを見つけてそこに駆け込んだ。こんな夜はどうしても心細くこれから先の事を考えると一杯飲まずにはいられなかった。こうしてお酒を飲むのも何年振りだろうか。巨人がいつ襲ってくるかわからないと、あとは体調も考慮してお酒は控えていたから。守るべき対象はもう巣立ち少しくらい自分にご褒美でも、ウミはとりあえず赤いワインを一杯頼むと静かにグラスを傾け口づける。久しぶりのアルコールは喉に染みるように熱くお酒に強いと自負していたがずっと禁酒していた身体に急にアルコールを流し込んだので一気に熱を帯びたように熱くなった。

「姉ちゃん、ひとりかい?」

 今度はなんだ? ウミは面倒くさそうに隣に腰かけてきた男を見ると……。地下街での因縁浅からぬ仲、リヴァイからの警告と、自分達が地上に上がったことでもう二度と、永久的に会うことはないとおもっていたのに。久方ぶりに見たその顔に驚愕した。

「どうして、ここに?」
「久しぶりだなぁ、本当に驚いたよ、まさかこんなところで出くわすとはな、」

 ウミは目を見開き思わず持っていたグラスを落としそうになった。目の前でにやにやと微笑む少し老けた男にウミはうんざりしたかのように眉を吊り上げ、懐に当てられた冷たく光るそれにため息をついた。するりと滑った手はウミの太ももを撫でている。気持ち悪い手つきにゾッとした。

「……なぁ、また、俺達の相手してくれよ。地下街では途中でリヴァイの邪魔が入っちまったからなぁ」

 地下街、その単語と自分を知るその男には見覚えがあった。

「駄目よ、私なんて使い物にならないわ」
「あんたみたいな素人がいいんだよ」
「大声出すわよ……」
「出してみろよ、こんな時に誰も助けに何か来やしねぇさ」

 そして逃げようと立ち上がると背後にいた大柄な男たちが逃げ道を塞ぐようにウミを取り囲んでいた。いつから尾行されていたのだろうか、そしてその手には自分の肖像画が描かれていた記事があった。

「っ……」

 商会が回した回紙にはウォール・マリアの天使の正体と書かれた自分の顔が載っていて。自分を地下街に誘拐されて売られていた時から探し回っていたこの男はずっと復讐の機会を狙っていたのか、もうあの件から数年が経つし別れた彼とはもう何の関係もないのに。
 しかし、ここで声を出したり暴れれば自分を知る憲兵団も駆け付けるに違いない。エレンが捕らわれの身の中で彼の安否がわからない状態で捕まりたくない。
 せっかくピクシスのおかげで立体機動装置を盗んだ罪も帳消しになったというのに。ウミは今すぐここで何とか振り切って逃げたい衝動にかられたが必死に頭の中で状況を整理すると言われるがままこの男たちについていくしかなかった。

「残念だけど、私を痛めつけても彼は現れないわよ?」
「ああ……リヴァイの事か、今更あいつへの復讐なんか考えちゃいない。用があるのはお前だからな、ウミ」
「その名前を出さないで。彼は関係ない、もう私はなんのしがらみもない」

 言われるがまま連れてこられて辿り着いたのは裏路地であり、何か自分に取引をしようと接触してきたらしい。確かにこいつらは見覚えがあった。地下街にいた時にリヴァイと敵対していた窃盗団の残党達だ。私怨を自分で晴らそうとしているなら無駄なことだ。

「決まってんだろう? 俺達を牢に追いやった“復讐”だ」

 そうして後ろで逃げ道を塞いでいた男たちに両腕を掴むとそのまま後ろ手に組まされウミの小さな身体はそのまま前のめりに地面に押し倒されてしまったのだ。手を塞がれ完全に逃げ道がなくなる。

「ちょっと、離して!」
「いいじゃねぇか、俺はな……ずううっと、この機会を待ってたんだよ!」
「っ!! 離して!! やめて!」
「あいつがお前にまとわりついていたからお前になかなか近づけなかったが……あいつと縁が切れたのならこれでようやく邪魔者が居なくなってせいせいしたぜぇ? あいつとはもう終わったんだろ?」
「まとわりついていたのはあなたたちでしょう? リヴァイは関係ない! 私はどうなってもいいけど彼をもう巻き込まないで!」
「その名を呼ぶんじゃねぇ!!」

 足蹴にされ、腹部に命中し先ほど飲んだアルコールが胃袋の中を逆流する。せっかく着ていたワンピースが泥に染まってしまう。そうしている間にも服を破かれそうになりウミはされるがままに仰向けにされてそのまま上から男が覆いかぶさってきた。酒臭い息が顔にかかり唇が重なりそうになり思わず顔を背ける。

「(イヤだ……くさい、気持ち、悪い……)」

 立体機動装置があればこんな奴ら一瞬で……。まさか、釈放されてからリヴァイにはかなわないとわかったのかそのまま自分を探していたなんて思いもしなかった。調査兵団にいた時はリヴァイが居てくれたから……外出も彼と一緒だったし、彼が自分を守ってくれていたから安心だった。しかし、もう今の自分に彼の加護はない。今回の件で自分の顔が割れて情報も出回ってしまったのだろう。何故こんなに月日が流れてまでこの男は付きまとってくるのか……彼への私怨以上に自分はよほど彼に好かれてしまったらしい。変な人間ばかりに好かれるのも考え物だ。

 それにしても、接触したのはもう数年前だというのに恨みが深すぎる。だからと言ってここでおとなしくやられるわけにはいかない。ウミはふと目の前の視界に映った男を思いきり睨みつけた。

「(そもそも、こんなヤツらをのさばらせるためにみんなが……私たちが命懸けでトロスト区を守ったんじゃない……!!)」

 次々と脳裏に浮かぶ今回の作戦でまた多く命が落とされた人々の最期を考えれば考えるほどに苛立ちが沸き上がる。ようやく平和を取り戻したトロスト区をこんな奴らが自由に出歩いてまた誰かが犠牲になるなど。
 抵抗するな、動くなと行動を制すようにナイフをぴたりと首元に当てられる。まさか自分を狙いここまで追いかけてきたかと思うとその執念深さには本当に恐れ入るものだ。屈強な男たちに囲まれ自分の身の危険を感じたが、巨人の恐怖を知らないで壁の中で相変わらず憲兵団から釈放されても薬物や酒や女に染まって、暴行や悪事を働き変わらず狂っているやつらなどウミの敵ではない。いつも守ってくれた彼の手を煩わせるようなことがあってはいけないのだ。ウミのその目は怒りに燃えており、そして、手を塞がれたのならば、そう、

「ぐあっ!」

 怒りに任せてウミは思いきりのしかかってきた男の腹に動かせる足で膝蹴りを食らわせるとそのまま飛び上がる勢いで起き上がりその勢いで囲んでいた全員を一気に吹っ飛ばす。急いで木箱の上に飛び乗ると睨みつけてくる男たちを見下しながらウミはこの場から逃げることを放棄した。逃げても逃げてもきっと自分が生きている限りどこまでも追ってくるのだろう。それならば。

「てめぇ、やりやがったな……もう二度と人前に出られねぇような顔にしてやる。そんで、さんざん楽しませてもらった後に内地の変態貴族共に売り飛ばしてやる!お前はなぁ、どうあがいてもこっち側の人間なんだよ!!覚悟しろ!」
「それはこっちのセリフ。あの時はあの人があなたたちを殺そうとしたのを止めてしまったことを許してしまった私が甘かった。だから、今度は私の手で。もう二度と私の前に現れないようにしてやる」

 自分の甘かった過去が今カルマとなって巡り巡って今この状態で襲ってくるとは。怒りに身を任せ飛び掛かってきた男達の声と共に月の光を受け両腕を上げてファイティングポーズを取って身構えたウミの脳裏には、普段のクールな雰囲気から生き生きとした表情へ変わり、嬉しそうに自分たちを父親から教わった技術で次々と地面に伸してゆく小さな身体からはにわかに信じがたい強烈な脚力と身体能力、冷静な判断さを併せ持つアニの姿が思い浮かんだ。



 ――……それから数日後の朝、捕らわれの身のエレンが居る審議所の入り口前には聖獣を模した団服を着た男たちが立体機動装置の代わりに散弾銃を下げ、ある者の到着を待機していた。内地での命が保障された安全な暮らしと巨人との全く無縁の生活で秩序をつかさどりながらも他の兵団よりもすっかり腐りきっている兵団でもある。

「救世主とは……民衆はいつの時代も無責任なものだ」
「中央への反乱に利用されそうですか?」
「その前に、エレン・イェーガーは我々憲兵団が処分する。調査兵団の変人共には渡さん」

 そう言い放ったのは憲兵団師団長を務めるエルヴィンの同期でもあり、内地の秩序をつかさどるナイル・ドークが腕を組み靴を鳴らしながらどこか落ち着かない様子であたりを窺っていた。

「調査兵団といえば…前師団長にセクハラ行為を受けたと言って投げ飛ばしたあのウォール・マリアの天使だとかもてはやされているあの元調査兵団の女分隊長ですよね。暴漢に襲われたとのことで逆に過剰防衛で相手をしこたま蹴りまくって捕まったらしい…商会がよこした絵ではこんなにおとなしそうな顔をしているのに恐ろしい女ですね」
「そうか……相変わらず、父親と母親に似て腕っぷしと気の強さは変わらないみたいだな」
「ナイル師団長、知ってるんですか?」
「ああ、両親も知っている…彼女は…来るぞ! 整列!!」

 その時、馬車の音と共に見えた姿にナイルが声を張り上げた。馬車から降りてきた人物にすぐさま向き直る。

「総統閣下に敬礼!!」
「ふむ……暑いな」

 そうして姿を見せたのは三つの兵団を束ねる事実上、軍のトップでもある「総統」ダリス・ザックレーだった。普段着ないであろうかしこまった衣服に身を包み堅苦しい衣装にうんざりしつつ、ただそう一言だけ呟いた。
 その壁の上では、エルヴィンがピクシスと朝の散歩とは名ばかりのエレンの処遇を決める軍法会議に向けて着々と今後ウォール・マリア奪還作戦に必要なエレンを調査兵団に引き入れるための準備を行っていた。実質調査兵団のトップと駐屯兵団のトップの会談だ。

「ピクシス司令。駐屯兵団司令官のあなたが、一調査兵団長の私と個別に会うのはあまりよく思わない者も居るのでは」
「ほう、噂通りの堅物らしいのう、エルヴィン・スミス。なぁに朝の散歩中。偶然出会っただけじゃ。で、これは散歩中の雑談だが、憲兵団もエレン・イェーガーを引き取りたいと言い出したのは、知っとるか?」
「はい、昨日通達がありました。そのために審議が開かれると」
「ふむ……調査兵団と憲兵団、どちらがにエレンを引き渡すか決定権はザックレーに委ねられた」
「ザックレー……、三兵団総統のダリス・ザックレーですか?」
「憲兵団・駐屯兵団・調査兵団。3つの兵団を束ねる男だ。ヤツの判断基準はただ一つ。利害の割合、人類にとって利か、害じゃ。もし害多しとみれば迷わずエレンを処分させる。それこそその場で。エレンを殺させたくはない。だが、我が駐屯兵団には残念ながらエレンの力を恐れる者が多くてのう……ワシにできるのはせいぜい憲兵団に賛同せぬことぐらいじゃあ、勝算はあるのか?」

 エルヴィンと朝の光を浴びながら少し一歩先を歩くピクシスは懐から取り出した銀色に輝く酒の入った繊細な彫刻が施された水筒を見つめていた。

「ありません。ですが、提案の用意はあります。うまくいくかどうかは審議の流れ次第かと」
「つまりは……出たとこ勝負じゃな?」
「壁外調査を主とする我々は常に出てからが勝負ですから」
「はっ、ふふふふふふ、お堅いだけの男でもなさそうじゃ」

 そう、調査兵団はいつだって予想だにしない出来事の連発だ、その不測の事態からの常に先を見越した柔軟な判断力が常に求められる。エレンを手に入れなければ人類に勝利は訪れない。多くの犠牲を覚悟していつも挑んできたように何としても、エルヴィンの瞳には壁内人類未来それだけを映していた。

「なぁ。エルヴィンよ、いい加減あの二人は結婚させてやらないのか?」

 ピクシスは静かに調査兵団の未来を担う変革の一翼と掃きだめのごみの中から這い出して突如舞い降りた救世主として名を馳せる男の話を始めた。

「誰でしょうか?」
「リヴァイとウミの事じゃよ、二人を引き離したのには理由があるのだろう?」

 そう、二人が離れたそもそもの原因。はたから見たら背も高く調査兵団の団長を務める立場、立ち振る舞いも紳士で優雅でダンディな美声のエルヴィンが未だに独身を貫く理由はそもそもそこにあった。

「彼女が姿を消したのはすべては人類の勝利の為です。ウミはリヴァイの戦闘力が今後もどれだけ調査兵団に貢献するか、成し遂げるためには彼の刃は欠かせないことを理解しています。彼女一人だけの男であってはならない。そんな人物だと理解してあの子は調査兵団を去った。リヴァイには来るウォール・マリア奪還に向けまだまだ調査兵団の兵士長として活躍してもらわなければいけません」
「そうかそうか……ならば、いっそ結婚させてやればよかったのではないかと思ったんじゃが。男たるもの所帯を持てば逆に張り合いが出てより何としても愛し合う互いの為に生き残って戻ってこようと、強くなれるものではないとは思わんか?確かに人は弱い部分をさらけ出し恋をするものじゃ。だが、互いに思う存在が居るからこそ人は強くなれる。ワシはそう信じておる」

 独身を貫いてきた男は孤独に戦い続けるリヴァイの刃がいつものように研ぎ澄まされ続けることを望んでいる。人類の為に死んでいった仲間の為に戦い続ける男には守るべき対象はいらないのだと。
 兵士たるもの巨人と命のやり取りをしているのだ。一瞬の油断、まして人類最強という称号を持つ男が女に心奪われることがあってはならないのだ。そして彼が独身だからこそ彼を羨望の眼差しで見つめる貴族共から壁外調査に消費される莫大な活動資金を回収することが出来るのだ。そして、

「今回のトロスト区奪還作戦での彼女の功績を見て…また調査兵団に戻ってもらうつもりです。いえ、戻るしか彼女にはもう選択肢は無い筈です」

 ウミが憲兵団の管轄にある留置場にとらわれているとの情報を手にしたエルヴィンは人類が再び壁の外に出るためにはどうしてもウォール・マリア奪還が今後必要になってくる事を、彼女の不在で改めて彼女の存在がどれだけ今の調査兵団の士気を盛り上げるのかを、思い知るのだった。

 
To be continue…

2019.07.20
2021.01.16加筆修正
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