THE LAST BALLAD | ナノ
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#02 マリアの落涙

 あの日に受けた屈辱を今も覚えている。見上げた美しい空に見えた、壁からこちらを覗き込む不気味な巨人。壊れた当たり前の平穏な日々。断片的な記憶の中でウミは思い出していた。
 鳥達は一斉に羽ばたき壁の向こうの自由な世界へと飛んでいってしまった。キィン、と耳鳴りがする程不気味に静まり、西に傾いた太陽が全てを赤く染めていた。

「ん……あれ? ……巨人は?」

 おかしい、確かに自分は見たのに。筋肉組織丸出しの蒸気のような煙を迸らせた見たこともないくらい長大な巨人があの壁の向こうから覗き込んで居たはずだったのに。目を覚ますとさっきまで壁の向こうにいたあの巨人は幻か嘘だったかのように忽然と姿を消していたのだ。
 あんな大きな巨体が手品のように瞬く間に消えるなど聞いたことがない、有り得ない。ならばどこへ?
 破片や熱風を浴びて割れそうに頭がズキズキと痛む。あちこちの痛みを堪えつつ必死に立ち上がろうとしながらもウミは消えた超大型サイズの巨人の行方を探す。
 震える手を握り締め初めて巨人と対峙した時のことを思い返しながら。降ってきた壁の破片はまるで矢のように。突き刺されば恐らくただでは済まされない。現に頭の片隅ではウォール・マリアの最前線のシガンシナの壁を破壊された事、守られた壁の崩落、それは、つまり。
 この壁の外の世界には巨人達が我がもの顔で闊歩していて。巨人は、人を襲う。そう、その壁が崩されたということは。

「カルラ……さん……?」
「ウミ……良かった……無事だね?」

 シュウシュウと立ち上る砂煙の先で家の無事を確かめようとするもその視界の先にあったイェーガー家も、隣にあった自分の家さえも、もう何処にもない。あの超大型の巨人が壁を破壊したことによって飛んできた岩は容赦なく日々の暮らしと、家の中にいた母親もカルラも押しつぶしていたのだ。しかもピンポイントで他の家は無傷なのに対して自分とイェーガー家の家だけが破片の雨により原型を留めていなかった。

「カルラさん!お母さん!! うそ、うそ、でしょ……う?」

 やがて、バタバタと騒がしくなる周囲。瓦礫に押しつぶされた人、飛んできた破片が命中し肉片と化した人、泣き叫ぶ子供。逃げ惑うシガンシナの人々、阿鼻叫喚が行き交うここはまさにこの世の地獄だ。咆哮と激しい地鳴りを伴い破壊された壁から次々と巨人達が姿を現した。我が物顔で巨人達は今まで飢えてきた山のようなご馳走にありついた子供のように、それは至極満足そうな笑みすら浮かべてるようにウミには見えた。

「カルラさん、今、助けます!」

 多くの巨人に取り囲まれ逃げ惑う人々に今のウミ達を助けるものは誰もいない。早く逃げなければ、ここにも間もなく巨人がやってくる。しかしカルラの足は瓦礫に押しつぶされているし、母親は果たして無事かどうかさえも分からない。
 巨人達に見つかればひとたまりもない、早く早く、ウミは必死に瓦礫を動かした。

「くっ……んんっ!! 動いて……っ!」
「ウミ、いいんだよ、無理だよ。それよりもあんたのお母さんを助けないと……私はいいんだ、ウミの力だけではびくともしないよ」
「っ……だからといってカルラさんを置いてなんて!! そんなこと、出来ません!」

 阿鼻叫喚の中で近くの住民が巨人に捕食されて行く。自分にはどうすることも出来ないまま何の罪もない人々が瞬く間に巨人の餌食となっていくのを横目にウミはせめて目の前の大切な人だけでも守ろうと奮起した。

「ぎゃあああ!」

「助けて!助けてぇえ!いやぁーー!」

「巨人が入ってきたぞ!」

 シガンシナ区は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。大小様々な巨人の群れ、嫌な骨の折れる音と血の匂い。無差別に捕食されてゆく人々の群れの中で、得体の知れない不安とともにウミは拳を握り締めた。

「すみません! 瓦礫に人が埋まってるんです、手伝ってください!」
「うるせぇ!」
「きゃっ!」

 逃げ惑う人々、周囲は逃げ惑う人達でパニックに陥り、誰も助けてはくれない。もうじきここにも巨人がやってくる。だから早くカルラを助けなければ・・・。巨人が捕食しに来る前に。立体機動装置も馬も無ければ自分はあまりにも小さくて非力で助ける術さえもない。なんの為に自分は今まで巨人と戦ってきたのか。愛する人たちを守るためではなかったのか。結局、何のために自分は調査兵団の分隊長まで上り詰めたのか。

「お母さん……カルラさん……待ってて……!!」

 ウミは悲痛に唇をかみ己の無力さを痛感していた。立体機動装置が無ければ自分はただの非力な女でしかないのだと。
 完全に破壊された家屋。全く声もしない母親のことも気がかりだが、ウミは内心覚悟はしていた。足のない母親はきっと助かったとしてもきっと逃げられない。本人も理解し母は・・・

「(お母さん……ごめん、ごめんね……お父さん、私の力じゃ、お母さん、助けられそうもないよ……ごめんね、だからせめてカルラさんだけでも……!)」

 もしここに父親が居たら、グリシャも居ない中頼れるのは自分自身だけ。もう居ない人へ救いを求めてどうするのだろうか。ならばせめて自分の視界に映る者を助けたい。しかし、そう願うのにカルラの下半身は倒壊した家屋が重くのしかかり動くことが出来ない。今はアドレナリンが出ているから痛みを感じてはいないがきっとその両足は瓦礫により無残にも押しつぶされきっと巨人から走って逃げる事は出来ない。
 ウミの思いとは裏腹に瓦礫はビクともせず時間ばかりが過ぎてゆく。このままでは2人とも巨人に食われてしまう。今の自分は立体機動装置という翼がないただの捕食対象だ。必死に瓦礫をどかそうとあの手この手で奮闘するウミを静かに見つめカルラは何かを決めたかのようにウミの腕を握り締め悲痛に叫んだ。

「ウミ! お願い! 私のことよりもエレンとミカサを!!」
「けど、カルラさん……」
「私のことはいいから! お願いだから、エレンとミカサを先に安全な場所まで、どうか守って!」

 この混乱の最中で……カルラに骨が軋むほど思い切り腕を握られウミは顔を顰めた。必死の剣幕に押し黙る。自分の身よりも愛する腹を痛めて産んだまだ幼い子供たちの身を案じ、そして母親が必死の剣幕で放った願いをウミは無視することなんて出来なかった。
 我が身よりも我が子を、それが母親として当たり前の感情、カルラは自分の事など二の次に息子の安否を願う。ウミは理解し、その思いを汲んだ。1歩家屋から下がると忽ち不安げなその表情を凛々しいものへと変えて。

「カルラさん、エレンとミカサは私が護ります。そして、この家屋を退かす為に助けを連れてここに必ず戻ります……! だから、お願い……カルラさん、もう少しだけ耐えてください。じっとしてて、息はなるべく潜めて。巨人に見つからないようにだけ」

 自分にとってもエレンとミカサとアルミンの3人はは大切な存在だ。握られた手に自分の手をそっと重ねて。かつての自分が蘇る。そう、あの時と同じ。立体機動装置と2対のブレードを手に果敢に巨人に切り込んでいた。しかし、もう今の自分は。ただの一般人。それでも出来ることがあるはずだ。くるりと背中を向けてウミは巨人に遭遇しないように慎重に、しかしさっきエレンが向かった方向を目指して走り出した。

 ズシン、ズシン、と地鳴りと共に響く音。シガンシナのいつもの穏やかな風景はそこには無かった。巨人達が我が物顔で徘徊し、人間を見つければ迷わず手を伸ばしあの汚い口の中に放り込み満足そうに頬張り辺りには鮮血が迸り目の前で恋人を食われた女は呆然と立ち尽くしていた。
 その横をすり抜け汗を流し、巨人にいつ遭遇して食われるか、怯えながら足をもつれさせ必死に走るウミ。膝下のワンピースが邪魔だ。いっそ裾を切ってしまいたい。回りに目もくれずとにかく走って、走って必死に駆け抜けた。巨人の脅威から逃れるように。助けを、誰か。
 今にも泣きそうになりながら過去の巨人と対峙していた自分に静かに戻ってゆく。迫り来る巨人に遭遇しないよう避けつつ駆けていると途中の角で誰かにぶつかりウミは尻もちを着いてしまったが、ぶつかった相手が見知った男で安堵した。

「ウミ! 大丈夫か!?」
「ハンネスさん!」

 ブロンドの短髪にブロンドの髭を生やした長身の男。父親とも親しかったかつての友人、ハンネス。自分たちとは別の兵団に属する駐屯兵団の兵士だ。今は母子家庭となった自分達をシガンシナ配属の駐屯兵団達と共に代わる代わる見守ってくれている。
 ハンネスがウミに手を伸ばすより先に即座にハンネスに縋り付くように立ち上がった勢いでウミは飛びついた。そう、ハンネスの腰からぶら下がる見慣れたその装置・・・かつて身につけていた立体機動装置を手にするために。

「ちょうど良かった。お願い、お願いよ、ハンネスさん! これ、貸して……!!」
「ウミ! お前……」
「カルラさんが家の下敷きになっているの!このままじゃ巨人に見つかって食べられてしまう……助けなきゃ!」
「何!? 分かった!! 案内しろ!」
「エレンとミカサも居ない……見つけなくちゃ……!」
「ああ、今アルミンに頼まれてちょうどあの二人を追いかけてたとこだ。壁の破片が飛んで行ったのを見た。家に向かってるんだろうよ」
「そっか……良かった……!」
「何よりもお前もこうして無事で本当によかった。お前、小さいからあの破片に押しつぶされたらひとたまりもねぇ。天国の親父にお前ら親子の事、任されてるからな」
「ちっ、小さいは余計です!」

 腰の立体機動装置をガシャガシャと鳴らして奪おうとするウミを宥めてウミの普段とは違うその剣幕に半ば怯え驚きながらハンネスはカルラの名を聞いて走り出した。

「駐屯兵団達は出動してるの? 民間人の避難誘導は!? まさか酒浸りで酔いつぶれてないわよね?」
「当たり前だろ、こんな時に呑気に酒なんか飲んでられっかよ!」
「……でも、実際に巨人と戦ったことなんてないでしょ?」
「そうだな……。けどやるしかねぇだろ!今砲弾準備して住民達は船で避難させてる。アルミンと爺さんも一緒にな。だからお前も早くそっちに向かえ、シガンシナ区はもう放棄されるだろうな」
「……嘘!?」

 シガンシナ区を放棄すると知り、ウミはショックで息を飲んだ。しかし、人類の最先端であり言わば囮でもあるここを捨てねば街ひとつだけの犠牲所では済まされない。ウォールマリア全体が危機に晒され、そうなれば次のウォールシーナまで人類の活動領域は後退することになる。となればウォールシーナは多くの避難民で溢れかえりただでさえ食糧不足だというのに多くの人間が仕事や雨風を凌ぐ場所を失い困窮するだろう。知っている、この世界は巨人ではなく人間の醜い争いで内側から滅びてゆく事になる。

「……シガンシナ区は、巨人の支配を許すってことになる。悪い夢、じゃないんだよね」
「ああ、故郷を巨人に奪われちまうって事になる、しかも船も便が足りねぇ。残念だが、仕方ねぇ。けど、壁を塞がねぇ限りはどうしようもねぇんだ、俺達人類は」

 壁を塞がない限り巨人たちにここはどんどん攻められ瞬く間に巨人の領土になる。かつてウミの所属していた調査兵団。今回の壁外調査でも多数の犠牲者が出てしまったこと、さらに壁外調査が終われば調査兵団達は休暇が入る。その最悪なタイミングで巨人が襲来してくるなんて。恐らくもう精鋭達は本部に戻っただろうし、ウォールマリアの壁が破られたという伝達が伝わる頃にはもうここは巨人達に蹂躙される。間に合わない。
 きっと調査兵団のトップであるキース・シャーディス団長はただでさえ今回の壁外調査で多くの調査兵団の精鋭達が犠牲になったというのにその中の限られた人数を使ってシガンシナ区奪還のために今更引き返したりはしないだろう。

「所詮生き延びたところで。ううん、なんでもない。でも、アルミンとおじいさんは大丈夫なのね。ならエレンとミカサとカルラさんも早く、連れていかないと」
「お前の母親は!?」
「……私の家は……もう、飛んできた壁の破片でめちゃくちゃにされてしまって、お母さんも多分そのまま倒壊した家屋に押しつぶされてしまった。もう多分、お母さんを助ける事は出来ない」

 走りながらウミは無残に破壊された自分の家がもう無いことを受け止めようと必死に涙を堪えていた。

「ウミ……」
「でも、今ここで泣いたって仕方ないから、今は目の前の人を助けようと思うの。まして、イェーガー先生には私もお母さんもたくさんお世話になった、その恩人の家族を今こそ恩返しするチャンス。だから。それはハンネスさんもだよね?」
「ああ、そうだな」

 普段の酒に酔って豪快に笑っていたハンネスが一転し一刻も争う事態に立派な兵士と変貌しており普段の酔っぱらいの面影はどこにも無い。
 2人慌てて戻った道の先。これでカルラもエレン達も助かる。しかし、それはただの願望だ。もう既に何もかもが遅かったのだと悟るには遅すぎた。

 
To be continue…

2019.06.10
2021.01.03加筆修正
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