久しぶりのひとりのベッドの中で温もりも感じぬまま、静かに眠りについたウミ。
外では新兵達二人ずつがペアで交代しながら見張りにあたっている。一体ここを誰から隠しているのか、誰から自分達が見つからないように見張るのか、誰もが疑問符を抱く中でウミは確かに迫る敵の足音がいつここを見つける日がいつなのか、得体の知れない恐怖、迫る危機をヒシヒシと感じていた。
今の自分はおそらく王政に必要とされているエレンやヒストリアとは違い、この壁には余計な存在であり、始末される対象になっている。
自分が生まれた場所は変わらずここなのに。ニック司祭と同じように自分も保護されているようなものなのだと噛み締める。父親がただ壁外から来たかもしれないと言うだけで。
別に、自分は逃げも隠れもしないし、どんな相手でも自分の姿を見つけるなり襲ってくる巨人に比べたら怖くなどない、真っ向から戦う覚悟は出来ている。
ああ、もう余計な事は考えずにそのまま寝よう。明日からハンジ班と合流してエレンの硬質化の本格的な実験も始まる。
ライナーとベルトルトとの戦いの時に負傷した彼らは自分たちを取り戻すためにハンジが先陣を切って必死に戦ってくれたそうだ。
ギュッと強く目を閉じて意識を夢の世界に預けようとしても、今日起きたあの出来事が忘れられず、今も脳裏に焼き付いて離れてくれない。
嫌でも思い出してしまう。肌に感じた視線、冷たい刃物が肌をなぞる得体の知れない感触。
目に見えない大きな力。巨大な壁の中で逃げ場もなく。つきつけられた力の前に自分はなす術も無く屈服するしかないのか。
リヴァイの口調によく似たあの声、最後までその面は拝めなかったが……ああ、やはりだめだ……眠れない。
自分の隣ではヒストリアが、一番窓際のベッドではミカサが眠っていた。入口側はサシャが眠るベッドがあるが、今彼女が見張り当番の為もぬけの殻。
満月が近いのか、窓からは月明かりが射しこみ、人形のように整った顔立ちである二人の美少女の美しい造形を明るく浮かび上がらせ、照らしていた。
今回の新兵達は美形揃いだとウミは思う。ミカサはとびきり美人だし、ヒストリアはとびきり可愛いし、サシャだって食い意地の張った芋女だとジャンはよく言うけれど、まだ10代半ばとは思えないスレンダーな体系でとてもスタイルがいい。
いつまでもいつまでも、成長出来ないまま、それどころかもう後は老いていくだけの小柄で年齢よりも幼く見られてしまう自分からすれば羨ましいものだ。
そう、彼らはこれからの、成長期真っただ中のまだ若い未来ある少年少女達なのだ。過酷な戦いに巻き込まれながらもそれでも必死についてくる彼らの手本とならねばならない中で弱音など吐いている場合ではない。
しかし、そんな自分を支えてくれた自分の存在していた班の時からの生き残りだったクライスを、父親を亡くし、そしてエレンたちを引き取り不安だった自分を支え、仕事の援助もしてくれたハンネスを亡くした悲しみは今も癒えてはいない。
ミケ班の面々、まだ、どうしても信じられずにいた。彼らまでもがもう二度と会えない楽園に行ってしまったなんて信じたくはない。しかし、これからも戦いが熾烈さを増せば増すほどに次々と犠牲になる仲間が、あまりにも多すぎる。
トロスト区に戻れば探さなくてもいつでも彼らに会える気がしていた。
酒を酌み交わし、楽しく未来を語り合った彼らはもう何処にもいない。
「(もう二度と……仲間を失う苦しみを味わうのは、こんな思いをするのは、私ひとりでいいのよ)」
さらり、と、最愛の支えであったユミルと離れたヒストリアの金色の髪に触れ、ウミはひとまず水でも飲んで落ち着こうかと、一人ベッドからするりと足音も立てずに抜け出してキッチンに向かった。その後ろ姿を気配に敏感なミカサが心配そうに見つめていたことも知らず。
頼りない足取りで廊下をひたひたと歩むが、先が見えない自分の未来を歩いているかのような錯覚を抱き酷くその足は震えていた。なんだか胸が焼けるように熱く、気持ち悪い。しかし吐くまではいかない。何となく怠い気がしたが気のせいだと言い聞かせる。
マキシ丈の白い胸元が切替レースの夜着を身に纏い、暗がりの中を廊下を壁伝いに手探りで駆け抜けながらウミはキッチンに向かう。
「っ!?……そこに居るのは? だ、れ……?」
その時、背後に感じた鋭い視線に気付き、怯えながら振り向いた。
なんと、そこに居たのは。
「やだ……びっくりしたじゃない……リヴァイだったのね」
小柄で細身に見える肢体を防寒具のマントでくるんだリヴァイの姿だった。その背には猟銃が背負われている。ナイフを構えようにも護身用にずっと隠し持っていた父親のナイフは結局あのままライナーに奪われたままだ。
「リヴァイ……っもう、急に後ろに立っているなんて、」
「先に振り向いたのはお前だろ」
「そっかぁ、起きてたんだね」
「ああ。今の今まで見張りだ。今サシャとジャンに交代した」
「そうだったんだね、一人で大変だったよね。お疲れ様」
ペアを組んで交代で見張りにあたっているが、 リヴァイはたった一人で大丈夫だと、まだ若い彼らを少しでも休ませようと配慮しているのか、警備対象のヒストリアとエレンとまだ怪我から病み上がりのウミ以外のメンバーで二人ずつとリヴァイで(人類最強の男が見張り役なら確かに彼一人で全然問題ないし、むしろ世界一安心で大丈夫だろう)順番に見張りをしてくれていたのだ。
「そうだったんだね、ごめんね。本当は私も見張りに参加すれば皆もう少しゆっくり休めるのに、一人で大変だったでしょう……あっ!」
「お前は気にするな、また誰かに連れ去らわれちまう方が心臓に悪……オイ……多すぎだろ」
「ああっ……ご、ごめんね、お水入れすぎちゃった……もったいないから飲んで。ね?」
「お前な……こんなに並々飲めるかよ、真夏でもねぇのに」
ウミはリヴァイにも飲み水をと、井戸から持ってきた水を与えた。しかし突然話しかけられ、普段の彼ではなく兵士長としての彼に何故か酷く緊張してしまい、震える手がグラスになみなみとその水を注いでしまった。
呆れたように余計に疲労の色を濃くしてため息をつくリヴァイにその水を手渡しながら、ウミもグラスに注いだ水を咽せながらも勢いよく飲み干した。
リヴァイもごくごくと水を飲み干し、その度に彼の綺麗な喉仏が上下し、その喉元をウミは盗み見るようにまた自分のグラスに水を継ぎ足した。
傍目から見てもこうして見せる男らしい部分に堪らず魅了される自分の浅はかさ。
もし、たとえ人類最強と呼び声の高い彼に自分のようなただの兵士の自分が釣り合わないと理解しても。
彼をこの先、誰にも渡したくないと純粋に思った。彼が優れているのは見た目だけではない、どんな巨人が相手でも圧倒的な強さを持ち、そして彼の燃ゆる心の美しさを、優しさを自分は知っている。
だからこそ、今もこんなにも彼に焦がれてやまない。リヴァイが飲み切れなかったグラスから漏れた水が顎を伝い、それを無意識に拭うと半端に残した水の入ったグラスをウミに返した。
「お前も早く寝ろ、明日から硬質化の実験でお前にも働いてもらうからな」
「あ……うん。あ! 待って。ねぇっ、どうして、」
「あ?」
「……あ、ごめんなさい、やっぱり、何でもない……」
「……ウミ、俺とお前の間に隠し事は無しだ、」
「くだらない事かもしれないから……」
「下らねぇかどうかの判断は……お前じゃねぇ。決めるのは俺だ、」
言いかけた言葉を閉ざし、そして俯きながら背を背けるウミを逃がさないようにとその見かけよりも屈強で太い腕が背後から抱き締め、耳元で囁く。その低い声に、鋭い双眼に見つめられウミは静かに切り出した。
「大したことじゃないからよ……。どうして……今更になって急に。本部でも私に部屋をくれなかったのに、どうして、今になって……寝室を分けたの?」
自分を副官にしてくれたのだから、それと同じようにてっきり本部の時と同じように自分と同じ寝室にしてくれるものだと思っていたのに。
確かに、ウミが不在時、最初にこの小屋に来た部屋割りの際に提案はされたのだ。
もう夫婦同然のような二人。寝室は同室にしなくてもいいのか?と。しかし、それを誰もが反発はしないが、良しとはしなかった。
上官同士の色事に巻き込まれる青少年に対して大人としてそれはどうなのかと。彼らのように多感な年頃の若者達が男女の二人きりの意味を知らないわけがない(サシャとコニーは別だが)
ミカサは未だに自分達の面倒を見てくれた姉のように慕うウミが自分のような男の毒牙に掛けられてしまったと、内心思っているだろう。
それに兵士として上官として婚約者と同じ班にしかも直属の補佐官に置くなんて。と、不服そうに眉を寄せているのも幾度か感じている。
だからこそ敢えて自分達を引き離した。今はこの腕に安らぎを求めている場合ではない。安らぎの中では真に背後に迫る敵に気付けない。
しかし、ウミはもうこの五年間ずっと気を張りつめていて、今はその重荷から解き放たれ彼の腕の中で微睡みながら眠る事で緩んでしまい、もう離れたくないと切に願い請う。突然引き離された事が不安なのだと口にする。
愛する者を手にした今の自分は弱い。些細な事でも不安に思って悩んでしまう。こうして夜眠れないくらいに。
「オイ、お前仮にも元分隊長だろうが。上官が公私混同してガキ共に示しがつかないことくらいわからねぇのか?」
「そ、それは分かってるよ。だけど……、もうとっくに私が副官の時点で公私混同なんて有ってないようなものでしょう? それに、それが理由だけじゃないんじゃないの?
ねぇ、リヴァイ。本当は何かあったの? 私にも話せない事?? 一人で、考えたいことでもあったの? 私が今日中央第一憲兵団に連れて行かれそうになった事と関係があるの? リヴァイ?」
しかし、リヴァイは不安そうに問いかけるウミに対して何も答えない。隠し事は無しだとお互いに約束したのに。
この一週間、隙間が無いほど抱き合いあんなに近くに居た彼が、今はとても遠い。互いに失う事が怖くて、言葉が拙い二人はただ静かに重ね合って抱き合うだけで分かり合えたのは気のせいなのか。
リヴァイが果たして何を考え、思っているのだろう。今の彼はもう何を考えているのか、分からなくてウミは戸惑っていた。
「お前はもう休んでろ…。今は、まだ俺の勘違いであってほしい、それだけだ」
「勘違い?」
「俺自身の過去の問題だ」
「リヴァイの過去?」
「お前にもいつか話そうと思っていたが……俺を育てたある男の話だ」
「え、えっと……地下街でリヴァイを育てた人のこと?」
「そうだ、俺がガキの頃、一緒に暮らしたヤツの事だ。俺はヤツから生きる術を学んだ。地下街で生き延びる術を。ヤツは俺に言った、「この世で1番偉いのはこの世で1番強いヤツ」なのだと。あの時……だから俺は、」
リヴァイは無言でウミを抱き締め、そして安心させるようにまるで親が子供にするように目線の下にある自分よりも小さなウミの短くなった髪にサラリと触れ、そして額にキスを落とした。
「もうガキの頃とは違う。俺にはお前がいる……安心しろ、お前は俺が守る。余計なことは考えなくていい。だからもう寝ろ」
「うん……」
「オイ、何泣きそうな顔してやがる、」
「ごめん、」
「チッ、泣くんじゃねぇ。お前はそんなになよなよして弱い女じゃねぇはずだ……」
「ごめんなさい……だけど……分からない、眠れないのか、眠りたくないのか……私、」
「少し、声を抑えろ」
「リヴァイ?」
それでも不安をかき消すように。リヴァイの腕に抱き締められ、その温もりに包まれながらもウミはまだ不安を消せずにいた。触れているのに触れた場所からどんどん冷えていくような気がして。
堪らずに縋り付き揺れる意識の中、その愛情の海の中、ただ溺れてしまわないように必死にその温もりに縋り付いていた。
この温もりを失いたくない、ただ、ただ、月明かりの下で願う。触れてしまえばあまりにも儚くて、頼りない後ろ姿。手を離してしまえばたちまち消えてしまいそうな。分からなくなる。自分が、果たして誰なのか。
▼
次の交代でミカサが起きる前に戻らなければ。ふらふらとした足取りで、誰にも見つからないように部屋に戻ったウミの背中を見届けながら、リヴァイは迫る戦いの火蓋に蘇るかつての過去の記憶が、今になって思い出していた自分の目の前から去って行ったヤツの記憶の中の声が、足音が今静かに記憶の中で蘇ってきた。
強靭な精神力で押さえ込んだ本能の中に燻る熱が、ウミに触れて今もまだ燃えているようだった。
「(どうして今になって思い出す……? ヤツが、近くに紛れ込んでいる? ヤツはガキの俺の前から姿を消した、理由もなく、突然と。あれから何十年が過ぎた……? 俺はもうあの頃の何も出来ねぇガキじゃねぇんだよ……ケニー……愛した女一人も守れねぇろくでもない弱い男になったつもりはねぇ、俺が不出来で、そのせいでいなくなったなら、てめぇにこの身を持って証明してやる……)」
突然だった。あの男は一本のナイフを手渡してこの身体に流れる血を支配しろと言った。逆手に持つことでその刃は鋭さを増していくのだと。
この身体に流れる忌々しい呪われた血が、愛する者さえもいずれ失う事になる。あの男は言った、守るものがあると人は弱くなる。その守るものさえも切り捨ててだからこそ今まであの地下街で生きてこれたのだ。それなのに時々わからなくなる、
愛したいのに、誰よりも慈しみたいと、思えば思うほど何もかもが目の前で音を立てて壊れていくのは。
「(俺はもう二度とこいつを失わねぇように……その為に……)」
答えは出ない。静かに部屋に戻ろうとしたリヴァイは、ふと、背後に感じた目線に今度は自分がその気配に手を伸ばす番だった。
「何だ。びっくりしたじゃねぇか……お前こんな夜遅くに何してやがる」
「ウミが戻ってこないので心配になってついてきてしまいました」
「チッ、脅かすんじゃねぇよ、幽霊みたいに現れやがって」
「すみません」
そうして、リヴァイの前に姿を見せたのはいつから起きていたのか、今までの会話のやり取りのどこまで聞いていたかわからないが、次の見張り交代の時間に備え寝間着から私服に着替えたミカサだった。2人の間に緊迫した空気が流れる。
その時、ミカサは静かにずっと秘めてきた思いを口に出したのだ。
「リヴァイ兵長……ウミをこれからもこの先の戦いに巻き込むんですか?」
ミカサが口にしたのはウミの名前だった。あまりにも唐突過ぎてリヴァイは静かに何故だと問う。
「いきなり何でお前の口からウミの名前が出る。あいつは俺の副官だ、何を当たり前のことを今更」
「上官に対して……不謹慎だと自覚しています。でも、ウミはリヴァイ兵長、あなたの隣にいていい子じゃない、と私は思う」
「は……そんなの、ウミが決めることじゃねぇか。お前にも俺にもあいつの選択した事に口を挟む権利はねぇだろうが」
「それは理解しています。それでも……。あなたは知らないだろうから教えておきたい。あなたと離れていた間、誰よりも近くに居た私たちをウミが養うために…どんなことをして生計を立ててきたのか、」
「ああ、あいつを見れば大体の事は想像がつく。あいつは嘘をついたり、物事を隠すのが下手クソだからな」
その先の言葉に詰まりながらミカサはリヴァイに口にした。ウミは生活の為にどんなことでもした。
自分たちのために朝も夜も休みなく。ある日の晩、ウミがいつものように酒場から帰宅して浴室から出てこなかった時がある。
心配になり覗き込んだミカサが見たのは服を着たまま冷たいシャワーを浴びて、声を掻き殺すように泣いていたウミの小さな背中だった。
その手は赤く染まっていた。そしてしきりに誰かへの謝罪を口にしていた。その状況で彼女に何が起きたのかなんて、幼かった何も知らなかった少女ではなかったミカサは理解した。
自分もウミも同じだったのだと。ウミはいつの間にか自分より小さくて頼りなくて、広い荒野に投げ出されたような自分たちをその小さな頼りない手で守れないのに守ってくれて。
そして今も傍に居る。世界は残酷で、恐ろしくて、圧倒的に自分たちは無力だ。だから、非力な自分達がそうまでしなければ生きていけなかった。
ウミは秘密を隠してそれでも自分たちの為に笑顔を振りまいていた。だからミカサはあの日の事は忘れる事にした。
その心に彼女が受けたあの傷を、今も引きずっているのだとしたら、ミカサはそんなウミの過去をリヴァイは受け止められるのか試すような発言をした。
「私は、散々大変な思いをしてきたウミには普通の幸せを手にして欲しい……。あの人には、血なんか似合わない。いつ死ぬか、明日の命も知れないあなたではない、普通の人と結ばれて生きて欲しい」
「ああ、知ってる。お前の言い分は最もだ。俺が理解していないとでも思っていたのか?」
「それは……」
「俺のような何者かも疑わしい都の薄汚ぇ地下で育ったゴロツキの人間があいつみたいな女と不相応なのは、俺が1番理解してる。嫌って程にな。だが、俺の傍を望んだのはあいつの意志だ…あいつが望むなら俺は……添い遂げる覚悟ならとっくの昔に出来てんだよ。ウミはお前の親でも、ましてや姉じゃねぇ、あいつにはあいつの人生がある、いい加減親離れでもしたらどうだ」
「っ……、そんなの、わかってる……!」
「俺はとっくにあいつの運命を背負う覚悟はできている」
男はミカサが疑う以上にウミへの愛の深さ、寛大さを惜しげも無く口にした。
その愛の深さにミカサは見事に完敗し、もう何も言葉にすることは無かった。二度も親を亡くした彼女が、今は誰よりもウミを心配してその幸せを願っているのは理解している。
分かっている、自分の流れるこの血がきっとウミをいつの日か壊すことを身に染みて感じていた。両親に愛され大切に育てられてきたウミと自分が如何に育った環境も境遇もう違いすぎる事も。
ウミが思う以上に自分は様々な事を知りすぎている。普通の人間が知らなくていいレベルの事までも。しかし、それでもウミは何があっても彼に寄り添うと決めたのだ。その言葉の通りに、自分は――……。
▼
翌朝、リヴァイ班は全員私服からエレン硬質化実験の為に立体機動を装備し、軽装に着替えるとリヴァイによってヒストリアが過去を語り始めた食堂に集められ、今後の方針についての作戦会議を行っていた。
「まぁ……この短ぇ間には色々あったわけだが、当初の目標が変わったわけじゃねぇ。要するにウォール・マリアにある穴を塞げさえすりゃいい。それさえ叶えば大抵のことはどうだっていい。隣の奴が巨人になろうが」
「は!」「あ?」
「毛むくじゃらの巨人が岩を投げてこようが、壁の中に多少巨人が湧こうがな」
リヴァイの言葉にたまたま隣の席同士だった隣にいるジャンを見て距離を取るサシャ。
あくまで例えだがそのサシャの不審な行動に苛立ちながらジャンは腕を組み「俺は人間だ」とでも言わんばかりの表情でエレンに似て負け劣らずの馬……悪人面で睨みつけた。
リヴァイは尚も言葉を続ける。その隣で説明するリヴァイの話を聞くウミは昨晩からほどんど眠れずに居たのか顔色が悪く、今朝もトイレからなかなか出てこなかった。
さらに、輪をかけて落ち込んでいることがあった。なんと、エレンがトイレで用を足しているのかと勘違いしたジャンに「てめえええ早くしろよ!この死に急ぎ野郎!!漏れちまうだろうが!」と、トイレのドアを連打でノックされ、何度も大声で叫ばれてただひたすら恥ずかしい思いをしたばかりなのだ。
その件で恥をかきまだ落ち込んでいるようにも見える。リヴァイに「朝っぱらからうるせぇんだよ」と怒られたジャンからの謝罪はあったが、恥ずかしさで今もこの場から逃げ出したくて仕方ないだろう。
リヴァイは今度はアルミンへと目を向ける。彼なりに新兵である104期生との交流をはかっているつもりでもあるのだろうが、世間では「人類最強」と呼ばれる「兵士長」の率いる精鋭班に加入した上に、続くそのやりとりに、まだ緊張が解けずにいる。
「おいアルミン。上手くいきゃ素早く壁を塞げると言ってた話だ……アレをもう一度言って聞かせろ」
「はい……巨人化したエレンの能力で壁の穴を塞ぐ……といった案です。壁は……どうやら硬質化した巨人の体から作られたようなので、穴を塞げるだけの質量をその現場で生み出すことができれば……もし……そんなことができればですが……。従来の作戦のように大きな資材を荷馬車で運び続ける必要はありません。つまり、天候次第では巨人の活動しない夜に現場を目指すやり方も考えられます。馬だけならトロスト区からシガンシナ区に続く道を一晩で駆けることができますし。この理想が叶ったら……ウォール・マリア奪還に掛かる作戦時間は……1日以下です」
誰もがアルミンのその言葉にザワついて思わず声を上げていた。今までの五年間、調査兵団がウォール・マリア奪還作戦のための果てのない拠点作りの苦労に比べればアルミンの打ち出した作戦はあまりにも至極単純で極端な作戦案に誰もが夢物語を観ているようでその驚愕に目を見開き驚きを隠せない。
「改めて話してみてもやっぱり雲を掴むような話に聞こえましたが」
「その雲を、雲じゃないものにできるかはこいつ次第だがな、エレン」
「……えぇ……。承知しています」
しかし、リヴァイはそのまだ現実味を帯びていない作戦を確実に、なんとしても実行させろとエレンに促し、そしてエレンも決意した。この壁を巨人で埋めつくし全員仲良くこの世の終わりを、迎えたくはない、溢れさせるわけには行かないと。
改めてエレンに求められるもの。その責任の重さが、壮大すぎた作戦の成功は全てエレンにかかっているのだと噛み締めていた。
エレンは母に似た大きな瞳を瞬き静かに受け入れる。
「時間だ。ハンジがエレンの実験を始めたくてうずうずして待ってるぞ」
「……はい、」
場所を移動し、人里離れた崖の麓の開けた場所へと向かう。ウミはエレンとヒストリアと同じようにフードですっぽり頭まで隠して、そのままタヴァサが連れた馬車に乗り込むのだった。
自分が負傷した後、それきりだった彼女。白銀の毛並みに触れながらウミは久しぶりの愛馬に寄り添っていた。タヴァサも一緒である事を喜びながら向かう。
大きく開けた場所の崖の下では立体機動装置を装備したハンジ班が待機していた。実験開始の合図が始まり、それぞれが持ち場につく。
ウォール・マリアを模した巨大な洞窟がある広大な崖の下でまずその洞窟を硬質化させて塞ぐ実験から開始した。
「エレン、練習だから無理しないでね、」
「……分かってる、けど、オレがやるしかねぇんだ」
エレンの準備は大丈夫だ。早く離れて合図となる信煙弾をウミは上空、崖上のリヴァイとハンジに見える位置で合図する。
しかし、エレンが硬質化で洞窟の穴を塞ごうとしたが案の定何も起こらなかった。
「よし、」
もし、何も起きなかったからそのまま巨人化エレンと共に耐久テストと知能テストをやることになる。もう巨人化のコツは掴んだのか難なくあの時を同じ15m級で巨人化を保ちながらエレンは次の指示を待っている。
「ウミさん、元気そうでよかったです」
ウミと一緒に待機していたのはニファだった。彼女と話すのも久しぶりな感じがする。思えば最初自分はハンジの班に入れてもらう予定だったのだがそれきりだった。
「ありがとう。でも、私よりもニファが無事で本当によかった。他のケイジさんも、アーベルも無事で」
「いいえ、大したことはないです。私たちの受けた怪我はただの熱傷でしたので……あの咥内に飲み込まれてしまった時は本当に心配しましたが、無事で安心しました。ウミさん、」
「うん、ありがとう」
それから実験は続いた。まずは巨人化エレンとの意思の疎通の訓練、ハンジはスケッチブックを片手にエレンの状態をくまなく記録していた。
ウミはいつエレンが暴れてもいいように出来ればそうならないで欲しいと抜剣して周囲を警戒しながら様子を窺っていた。
「エレン……大丈夫かな……」
それからエレンは次第に意識を混濁させ始めた。脈絡のない言葉を地面に文字にし始め、それから自ら苦しみながら巨人化の中から出てきてしまったのだ。
休憩を挟んで二度目の巨人化をしたが、今度は13m級と小さな巨人になってしまっていたのだ。やはり硬質化は出来ないまま。
先程と同じように巨人化のエレンに知能テストをしたが――……。
「エレン、しっかりして!」
「ちょっ、ウミ!危ないって!」
ハンジが止める前にウミが勝手に暴れまわり先ほど自分が組み立てた家を破壊して食べ始めたエレンを何とかやめさせようと近づいたのだ。
案の定、久しぶりに感じる立体機動で接近してきたウミに向かってエレンが組み立てた家の木材を投げてきたのだ。
「エレン――……?」
突然向けられた牙、理性を失った獣と化したエレンが暴れながらウミに襲い掛かる。どうすることも出来ずにウミは振り上げられた拳に身構えたその時、上空から急降下して一気に彼女の腕を引いてさらったのはリヴァイだった。
「エレン!!」
「馬鹿野郎!! ウミてめぇ、何ボケっとしてやがる! エレンに踏み殺されてぇのか!?」
「ごめん、なさい……!」
ググッと、骨が軋む程にリヴァイと違い華奢な肩を痛い位に爪が食い込むほどの力で掴まれ、そのまま木の幹に押し付けられたウミは苦し気に呻いていた。リヴァイはこれまでにない程怒りに満ちた顔つきでウミを叱りつける。
今は兵士だと、敢えて厳しく接する。もう昨晩感じた穏やかで包まれるような優しさから離れ、微塵も思い出せない程に。
「お前はもういい。何もするな。大人しく引っ込んでろ、」
「でも……!」
「上官の判断に従えねぇと? お前も躾が必要か?」
「そ、それは……遠慮します」
リヴァイの「躾」がどのようなものか。審議所でまざまざと見せつけられたじゃないか。その凄みに圧倒されウミは押し黙る。吐き捨てるように、リヴァイは怒りをにじませながら再び立体機動を難なくこなし崖上に戻っていく。その場に膝をついたウミ。
もし、ここにリヴァイが居なければもしかしたら自分はエレンに潰されていたかもしれない。
エレンに自分を殺させていたなんて、エレンが知たら、それよりも、そんな人類の希望に殺された自分の姿を見たリヴァイがどんな顔をするのか。リヴァイの苦しげな表情が見せたその姿にただ、ただ、その場にへたり込むしかなかった。
「っ、いた……い……痛いよ、リヴァイ」
それは、失う事に本当は誰よりも臆病な男の心の叫びのようだった。くっきり指の跡がついたその部分に触れながらウミは骨が折れたかと思うほどの力に込められた彼の指先がいかに自分を思ってくれているのかと、身に染みるほどその思いを全身で思い知るのだった。
2019.12.30
2021.02.16加筆修正
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