THE LAST BALLAD | ナノ
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#135 Helpless World

 ただ、傍で微笑むだけで確かに感じられた。彼女の愛を切望していたのは紛れもなく自分だった。
 愛していた、大切な子、誰よりも、守りたいと傍に居たいと、願って止まらなくて、成就した思いは今も変わらず。

 自分達はどんな時も一緒だった、離れることなく、どんな時もいつだって二人で乗り越えて来たじゃないか。
 それが今は、どうしてこんなことになってしまったのだと。
 永遠に戻らない時の流れの中で離れないでとつないでいた手は気付いた時には解け、彼女はもう何処にも居ない。

「リヴァイ、」

 囁く声に揺さぶられ、甘い香りの中で目を覚ました。目の前にはさっき見た悪い夢を消し去るほどに朗らかなウミの笑顔が傍にあった。

「おはよう、起きた?」

 まだこの夢見心地の中に居たい。彼女の中に自分を受け入れて欲しい。抱き締める自分の腕の中漏れる吐息ごと引き寄せればウミは恥ずかしそうに自分に微笑んでいた。
そっと、頬に触れれば柔らかな皮膚に自分の指が沈んでいく、愛しい温もりに今は酔いしれていたい。

「起きてる。奥さん、」
「ふふ、相変わらず寝癖すごいね、旦那さん」

 お互いの事を気恥しそうにそう呼びあい、何の気も無しに戯れに口づけを落とせばお互いにまた真新しいシーツにくるまりながら夢を描く。
 これからは戦いのない平穏な世界で生きていけるんだ。2人は慣れることなく、夢を描きながら。もう暫くこうして居たいが、昨晩も散々こうしていたじゃないか、子供達を起こして早く出かけよう。

「今日は街まで育てたお野菜とか小麦粉を商会に持って行く日でしょう?」
「あぁ、」
「街まで行くのなら、子供たちのお洋服の布を見たいなぁ。もう子供達も皆すっかり大きくなってきたから……あと、エヴァと双子ちゃんともお揃いの服が着たいの」
「確かに、お前もついに子供達に背を越されるのも時間の問題になってきたからな」
「なっ、そっ、そんなことないったら!」
「お前はそのままでいい、」
「そう?」
「そうだ」

 窓から見える景色の美しさに目を奪われるようだ。眼前に広がる見晴らしのいいこの山小屋が今の自分達の住まいである。
 子供達を連れ、穏やかな余生。畑を耕し、作物を育て、たまに山から町に下りては子供達と買い物を楽しみ、作物を市場やリーブス商会に卸したお金や食糧は殆んど自分達で育てた者達で賄えているのだからで生活は満足に行えている。

「悪い夢か、……そうだな」
「どうか、した?」
「何でもねぇ、気にするな、嫌な雲だな、ここも雨が降る」

 どうか、あれは悪い夢であってほしい、そうだ、彼女は今こうして自分の目の前で呼吸をし、微笑み、そして触れてくれる。
 子供達が寝静まり夫婦二人の時間になれば彼女を好きなだけ自分の腕の中に閉じ込めて。普段は子供達を産み育てる母と父だが、その後は自分だけのウミになり、何年も変わらず初々しい恋人同士のままで居られる。

 それなのに、どうして触れる彼女の肌の温度がどんどん冷たくなっていくのだろう。違う、そんなことない、これは悪い夢であり、彼女のいつも温かく癒してくれた肌の温度は、こんな、こんな筈ではない。

「リヴァイ?」

 全てを脱がせれば彼女の生身の温度を感じられる。自分だけしか知らない無垢な肌に触れ、振り向いて、抱き締め口づけた温度だけが二人を繋いでいた。
 もう二度と、決して離さない、この手を。そう決めて抱き合い見つめ合って、それだけで幸せだった。
 それなのに、柔らかなシーツに横たえた彼の身体はまるで。冷たい、触れた部分から冷えていく。

「どうかしたの、リヴァイ……あなたの顔、……血まみれだよ……」
「な、」

 そう指摘したウミも。気付けば、どちらも血まみれだった。リヴァイは思わず目の前の血まみれの彼女を見て堪らず「ひゅっ」と、息を飲み込んでいた。
 心配そうにウミが自分の顔に触れた瞬間、激しい雷鳴のような音がとどろいた。かと思えば、自分の顔に触れていたウミの指先が消えている。
 そして、視界が定まらずふらつく足取り、その姿はまるで死に際に見たかつての叔父だった男の死に際。
 自分に生きる術を教えてくれて、そして姿を消した男の残像が鏡に映る今の自分と重なった。
 そして、次に見たウミの声は、爆音にかき消された悲鳴とすり替わる。

――「いや……嫌よ、もう、こんな……こんな、嘘……! 信じない! 私はっ、もう、信じないっ! うああ――――ッ! うあああああっ!! クソッ、クソクソクソクソ!!!! 憎い! 憎い!! この世界が! なんで、どうしてよおっ!! やっと、やっと、私を愛してくれる人に、っ! 待っていたのに、ようやく、この身体として私は再びこの世界に生まれてようやくっ、私を愛してくれるたった一人の男に出逢えたのに!!! 何でよおおおおっ、ふざけるなぁああああ!!! うあ゛―――っっ!!! ア゛ァ―――っっ! あ゛―――っっ!」

 その声は、自分がこれまで聞いた事の無い程にすさまじく言葉にならない、彼女の声なのかと疑わしい程にその耳をつんざくような痛々しい悲鳴があまりにも切なく痛々しく自分の耳に響く。
 喉元を斬り裂くような声、吹き出す血だまりの中、ウミは自分の目の前に彼女の爆発で吹き飛ばされた生首だけが転がって――。
 いつも自分の腕の中にすっぽり収まっていた彼女の身体はもう、今は。

 傷つけあうだけ傷つけあって、底知れぬ悲しみのその深さに人はあっという間に飲み込まれて、転がり落ちるように転落していく、愛した彼はもう二度と、自分の元に戻ることは無い。
 なら、それならば、彼の居ないこの世界に何の未練が残るのだろうか。彼との間に宿した子供たちが自分の傷を埋めてくれたとしても、きっと心の底から笑える日など来ない、誰よりも愛した人、大切な人の変わり果てた姿にどれだけ気持ちを保ち続けてきたとしてもその愛する人への思いが強すぎて、とっさに我を忘れて、そして見失ったその隙を突くかのように、容赦なく入り込んで来た隙間に自分はあっという間に付け込まれて飲み込まれたのだ。

「(あぁ、寒い……冷たい……そうだ、俺は、)」

 あの幸せな夢は自分の未来の願いだろうか、お互い兵士ではない別の人間として、山の奥地にある小屋にひっそりと子供達や最愛の女と生計を共にして、飽きるほど幸せな夢の中で、既に虫の息のリヴァイはそれでも命を繋いでいた。
 彼の目から溢れたのは涙の代わりの血、降りやまぬ冷たい雨はまるで静かに自分の身体の熱をじわじわと奪っていくようだった。
 そして、命さえも奪う様な残酷なほどに無情な冷酷の雨はいつも自分を濡らし続ける。
 激痛と共にそれ以上に痛むのは、自分の目の前ではじけ飛んだウミ。
 生首だけになってしまった彼女の目を覆いたくなるような悲惨な姿を見つめただ、ただ、嘆く事しか出来なかった。

 それはあの日の喪失と同じ、果てしない無力感が自分を襲う。
 イザベルとファーランと初めて挑んだ壁外調査、初めての外、感じた自由、鳥かごの鳥はかごの中に居たからこそ不自由で幸せだったのだと噛み締めたあの雨の中で自分の選択は大きな後悔となって。
 イザベルとファーラン、地下街で共に過ごしてきた大事な仲間は変わり果てた姿となり自分の目の前で転がっていたのを今も忘れられない。
 目を覆いたくなる現状をいつも見続けて、心のどこかで麻痺していたのかもしれない、流れる風に身を任せ、悲しみを消して、戸惑いを捨て、仲間達の死を踏みしめてそれでも仲間達の死に意味を持たせるために、仲間達が捧げた心臓の行方を見届けるべく、仲間達の死の犠牲には意味があったのだと。
 突き進んできた。それでも生きてきた意味はあったのだと。
 だが、最愛の彼女の死を目の前にして、男も重傷を負った、守り続けてきた愛してきた女の死によりそれでも精神の均衡を保ち続けていた男には唯一あった帰る場所。
 今はもう、何も感じられない。痛みさえも、悲しみさえも。

「(ウミ……俺は死んでなんかいねぇ……だから、泣くな、約束した、お前を悲しませるものは全て俺が……駄目だ、身体が、……指先ひとつも……動かせねぇ……)」

 焼けつくような激痛に声さえも挙げられぬままリヴァイはそのまま自分の視界が血に染まったままの世界の中絶望の中目を閉じた。己の不甲斐なさを全身に刻み付けながら……。

「(俺は、死ぬのか……こんなところで……お前を、お前が産んでくれた子供達を……遺して……これが……仲間達の屍を踏み台にし続けてきた……俺に相応しい末路か?)」

 動かない指先の感覚も感じられない、立体機動装置のワイヤーを操作するのに絶対に必要不可欠な指の先が爆発により欠損して知性巨人能力者では無い自分の力では傷ついた肉体を再生することは不可能、もうどうすることも出来ない。

「(この指じゃ……お前の流れる涙をもう拭ってもやれねぇな……。
 目も見えねぇ……この目じゃ……もう、お前と見つめ合えねぇ……。
 誰よりも、寂しがり屋で、泣き虫なお前を、俺はもう。この手に抱き締めてやれることも、してやれない……)」

 己の無力さと、最愛のウミが爆死した、見たくもない現実だけが残されていた。呆れるくらいに幸せな夢のせいでより一層現実の対比が目覚めたくないと拒む。どんなにこれまで戦い続けて仲間を失い続けても自分が立ち上がれたのは、這い上がれたのは、それでも傍に居てくれた最愛の少女。愛していた、誰よりも、世界の全て、もし離れたとしてもこの島で彼女が暮らし生きていけるのならそれで自分はよかった。
 だが、彼女は自分から離れ、今その心は戻らない、深い絶望の中、リヴァイはそっと目を閉じて己の無力さに打ちのめされ、深い闇の底へと沈んでいく。もう二度と目覚める事の無い暗黒の闇、心臓を捧げ散って逝った多くの仲間達は皆こうして決して安らかな最期ではなく、こんなにも不安で心細い気持ちのまま散って逝ってしまったのかと。仲間達が待つ楽園へ自分も召されるのだと感じながら。

 ▼

 降りしきる雨の中で、うつろな目で空を見上げるジークの姿があった。彼自身が腹に突き刺さっていた雷槍を無理やり引き抜いた事でもたらされたこの招かれざる悲惨な結末。

「(静か……だな……。何も……聞こえない……。何も見えなくなる……。だめ……か……やっぱり……死ぬ……か……巨人の回復能力も、もう使えない)」

 自ら誰かにこの力を奪われて殺されるくらいなら。と、エレンと合流すべく足掻いたジークの意識は徐々に遠のいていくようだった。
 死の淵に居たのはリヴァイだけではなかったジークも巨人化能力者であるが、自らの身を犠牲にしてまでも危機を脱した代償はアッカーマンの血を持つリヴァイでさえも戦闘不能に陥らせることが出来たが、その自分でさえもその回復は見込めず、力を込めるどころか込めた所から忽ち力が抜けていくようだった。

 ――「壁の王が「始祖の巨人」を封じるために課した「不戦の契り」これを打ち破る方法がある。図らずも……ジーク。その方法は君だから可能になる。「王家の血を引く巨人」であれば「始祖の巨人」の保有者と接触することによってその能力を引き出すことができるはずだ。だが……しかし、始祖の力を使えるのは君じゃない。その決定権は始祖の保有者に委ねられる。言わば君の役割は鍵だ。誰か……信頼のできる者に始祖を託すんだ。私達の……「安楽死計画」を理解してくれる誰かに。信頼できる誰かに……君ならきっと見つかる。私はいつでも見ているからな。ジーク」
 ――「必ず、見つけてみせるよ。……父さん」

 自分を心から救ってくれた愛してくれなかった父親と母親の代わりに本当の自分を見てくれたのは、自分に「獣の巨人」の能力をくれたのは恩人でもあり、本当の父のように接してくれたトム・クサヴァー、彼だった。
 彼はエルディア人でありながらマーレ人との間に子供を授かった。自分がエルディア人であることを秘密にして、だ。だが、その事実を知った妻は子供とともに自らの命を絶ってしまった。
 もう、二度とそんな悲劇が起きてはいけない、これは自分達がいつか終わる願い。
 もう、これ以上不幸な子供を生み出せないように身体を作り替えて、そして自分達は静かにこの世界に恨まれる事無く消えていこうと。
 その時、意識が途切れそうな巨人の持つ再生能力も通じないまま絶命を迎えようとしていたジークのもとに、バケツを手にした虚ろな目に光を宿した少女が一瞬ウミと重なって見えたその時。

「(ウミ……ちゃん?)」

 背後から一体の巨人が動かない両脚を引きずりながらやってくる。腹の大きな巨人はまるでお腹に赤子を宿しているように見えた。
 その巨人は両足を使わずに足を引きずり、両腕を使って移動しているようで、その巨人はジークにどんどん近づいてくると、突然、瀕死状態のジークの目の前で、ブチブチブチ、と嫌な音を立てて自らの腹の皮を引きちぎって見せたのだ。
 虚ろな目をするジークを、上半身だけになったジークをつかみ取り、内臓が露出している引きちぎった腹の中へそのままジークを突っ込むと、彼を腹の中に取り込んだまま、うつ伏せになり動かなくなった。

 ――「(私が終わらせるから。ずっと、待ち続けていたの。私を救い出してくれる人、私を愛してくれた人、あなたはそう、私の全てであり、命であり)」

 ウミだった器はこの世に道を通じてようやくこの世界に蘇るのだ。
 名前は始祖ユミル・フリッツは王の血を引く彼こそ自分が使えるべき人間だという認識の元、自らの意志でジークの身体を再生した。

 ジークたちの付近でフロック達に拘束されたハンジは丸腰での移動を命じられていた。リヴァイと一部の兵士と部外者だが、リヴァイの部下たちの根回しで連れて来られた彼の息子であるアヴェリアしか知らないジークの拘留地に向かい雨の中馬を走らせていた。
 その時、聞こえた雷鳴に誰もが耳を済ませる中その音は確実にハンジの耳に届き、そして、その先で一体何が起きたのか嫌な予感に張り裂けそうな胸を押さえる。
 ドクン、嫌な音がする。
 兵士たちは雨も降っているから落雷だと口にする中で、ハンジにはその音が落雷ではなく雷槍がもたらした音だと、そもそもそれを開発したのは自分だ。さっきの音が雷槍だとすぐに察知した。

 リヴァイに確かに連れて行かれたはずのウミが逃げ出し、エレンも逃げ出した、そして。ここに拘留されているジークも恐らくは何らかのアクションを起こした筈だ。シガンシナ区の支部へ向かう途中、ジークの脊髄液入りのワインを飲まされたと話していたファルコが、そしてピクシスたちも彼が叫んだことで身体の異変に気が付いた。

 自分達はイェーガー派に拘束され背後から突き付けられているライフルに逃げる事も出来ない。ただ従わされるだけの団長として何の役にも立てない自分がもどかしい。
 己の無力さを呪いながらハンジは自分が団長でありながら兵団組織がバラバラになり、昨日までの仲間が今は対峙する敵であり脅威となっている現状をどうすることも出来ない。
 もし自分ではなくエルヴィンならきっとこんな風に兵団の支配を許さなかっただろうし、きっとワインも、島の兵団組織の人間たちに決して振るわなかった筈だ。
 かつて拷問して吐かせた古いしがらみを打ち滅ぼした自分達が今度は別の新しく秘密裏に自分達の兵団内部で発足し、今の自分達の体制を見て週末に向かうこの島を救うべく今打ち滅ぼされようとしている。
 新しい組織の改革によりかつて共に戦った街の住人達からも今じゃ非難の目を向けられて。
 リヴァイと合流すればきっとこの現状を彼なら打破してくれる突破口を見出してくれるはずだ、ハンジにとってもう残されたのはリヴァイの存在、それだけが今のハンジを支えていた。

「音の方向に何かあるはずだ、」

 何か起きたと確信したフロック。雨により急激に増水した川を流れていく激しい激流の流れる箸を超え、近づく巨大樹の森の近くでは蒸気が漂い、その中心では粉々になった馬車の残骸と焼け焦げた馬達が苦し気に呻いており、あちこちに肉体が四散していた。焼け焦げた様な嫌なにおいが鼻を突く。

「……な」
「一体……何が……!?」
「気をつけろ!! 巨人がいるぞ!!」
「体も散らばっているぞ!!」

 あちこちに四散したその肉片、嫌な予感にハンジの背中に嫌な汗が伝う。無意識にその荷馬車だった残骸へ近づこうとすると、イェーガー派の兵士がそれを止めようとする。

「ハンジ団長、勝手に動かないで下さい!!」
「荷馬車が雷槍に吹き飛ばされたのか……?」

 嫌な予感に心拍数が高鳴る。紛れもなくそれは雷槍が荷馬車を直撃したと分かるすさまじい光景であった。その時、川の淵に誰かが倒れているのをハンジは見つけた。
 降りしきる雨の中、その背中には調査兵団を象徴する自由の翼が見える。うつぶせに倒れそのまま増水した川に顔を突っ込みそうだ。その後ろ姿、背格好にハンジは激しく動揺し、心拍数が急激に上がった気がして雨の寒さではない消えないいやな予感に震えた。

「誰かいる!!」

 その誰かの言葉に、ハンジは強く願った。頼む、どうか、どうか、彼ではありませんようにと、どうか違う人間であってくれ。
 この森に一カ月もの長い間、家族とも会えぬままジークをエレンとあの子を接触させてはいけないとバラバラに引き離して彼の監視すべく自分達の領域であるこの森に滞在を命じた彼ではないことを強く願ってハンジは、倒れている調査兵団員の元へと駆け寄った。

 震える手で、重量のある小柄で細身の割にずっしりとした肉体の兵士を腕に抱き上げた。
 その重みに、そして見えた黒髪、綺麗に刈り上げられて、そうだ、よく怒られながらあの子が彼の手の届かない部分を刈り上げていた、あの子がいなくなってからリヴァイは自分で刈り上げて、鏡越しによく確認を求められていた。

 でもあの子がするよりリヴァイが自分でやった方が綺麗だと言えば、彼は無言で、それでも不器用な手つきでもしかしたら皮膚を傷つけられてもあの子がいいと、思っていたんだ。

 その刈り上げに見覚えがあった。どれだけ彼にアドバイスをしても決して新しい立体機動装置を使わなかった彼のこだわり。心臓を捧げ散って逝った仲間達の分まで今も戦っている、だから自分は旧装備を使い続けていると、盟友のマントを離さないと。
 今となっては兵団内で旧型の立体機動装置を使うのは彼しかいない。

「オイ!! 生きてるか!?」

 それは自分の口から洩れた紛れもない本音であり、彼への確認でもあった。
 遅くなってごめん、来たよ。と、うつ伏せの身体を抱き起こして自分の方へその身体を向けた瞬間、ハンジの震える声が空気に掠れて消えた。

 公に捧げた自分の兵士の心臓が激しくドクドクドクと早鐘を打つようだ。目の前で動かぬままの、自分の腕の中で横たわる身体。
 目の前に変わり果てたこれまで長年苦楽を共にし、共に励まし合い駆け抜けてきた兵団幹部の中で唯一生き残りである人類最強の男の姿。
 フロックに拘留されている自分が救いを求めた唯一の存在、彼に会えばきっと彼が何とかしてくれる、そう信じて期待して辿り着いた場所で待っていたのは絶望だった。

 漏れるような吐息からわななく唇が告げたのは自分とこれまで共に歩んできた仲間であるリヴァイ。変わり果てた彼の姿に敵対している筈の兵士達も息を呑んだ。
 見るからにその傷は明らかで、重症だと。

「リヴァイ、――?」

 ハンジは変わり果てたリヴァイの姿に言葉を失った。寒さではなく、共にこれまで死線を潜り抜けてきた相棒のような存在だった彼がもう虫の息で、その肉体が今死の淵に居る事に酷く震えているのだ。
 近くに転がっていたウミの吹っ飛ばされた頭部はもうここにはない。ここで起きた出来事を知る者は誰一人として、いない。

 一体何が起きたというのだろう、ハンジは理解に苦しむ。
 彼の顔の右半分を走るぱっくりと割れた大きな傷からはおびただしい量の血が溢れている。
 左目を失明した自分とは向き合えば真逆の右目の光は奪われ残された左目はどす黒く染まり虚ろな目が自分を捉えているがいつもの眼光鋭いその目には光を感じられない。
 端麗な男の顔中に突き刺さった雷槍の破片が痛々しい。
 その全身から、特に直撃をもろに受けた顔は流れる血がまるで彼の生命を奪う様にぐっしょりと染まっている。
 そして雨により冷えた身体はとても冷たく、震えている。深緑のマントも彼のどす黒い血によって完全に色を変えている状況だ。

「リヴァイ?」

 ハンジの声に気が付いたイェーガー派が急ぎハンジの元にやってくる。その傍らには、リヴァイのものであると思われる、折れたブレードと、雷槍の直撃をダイレクトに食らったことで吹っ飛んだ彼の人差し指と中指がトリガー部分に引っかかっている。
 これでは、もう彼の芸当であるあの巧みな立体機動装置も、回転切りもお披露目できないだろう。

「……何があったか知らねぇけど……運がいい。一番の脅威が血塗れになってる」
「いや、死んでいるかまだ分かりません。確実に頭に一発撃ち込んでおきましょう」
「死んでるよ。至近距離から雷槍の爆発を受けたんだろう。訓練時に同様の事故を見てきたが、外傷以上に内蔵がズタズタになって即死だ」

 兵士たちが自分達の革命に一番立ちはだかるであろう障害が虫の息であることを好都合にこのままかろうじて残された最後の命の灯まで奪おうとしていることにハンジはとっさにフロック達にそう告げた。人類最強の称号を持つこの男は――死んだと。

「本当にそう思いますか? いや、俺も脈ぐらい計れるので見せて下さい」

 止めを刺そうと頭を撃ち抜こうと銃を向けているようだった。ハンジは微かにリヴァイに命の欠片が残されていることに気付いていた。
 だが、それをフロック達が見抜けない筈が無い、見せろと迫られハンジが絶体絶命のその時、リヴァイから離れた場所でうつ伏せのまま動かなかった巨人が突如蒸気を発するのではなく、まるでその漂う蒸気を吸い込むように吸収しながらどんどんその姿を消していく。
 一斉に人類最強に向けられていた意識と銃口がそっちの巨人の方向へと向けられた。

「フロック!! 巨人の様子がおかしい!!」
「消えている? 死んだのか!?」
「イヤ……普通……蒸気が吸い込まれるようにして消えたりはしない」

 その時、砂の城のように消えていく巨人の蒸気と共に訪れた静寂が一瞬にして雨を奪い、そして急に先ほどまで土砂降りだった雨は消え、次第に雨雲が流れて淀んだ空から光が差し、そして急激に晴れてきたのだ。そして次の瞬間、消えていく巨人の蒸気の中から肌を露出した人間が這い出てきた。
 警戒を解かず、フロック達はそのまま出て来た人物へと銃を向けたままその様子を見つめている中でハンジは物言わぬリヴァイを抱いたままその様子を見つめて――。
 周囲を探しながらハンジは必死にリヴァイはまだ生きていることを確信し、この場から逃げきるために今すぐ泣きたくなりそうなのを堪え共にこれまで生き残ってきた大切な仲間でもあり、自分の大切なあの少女の思い人を決して死なせやしないと突破口を見出すべく探る。
 蒸気と共に消えていく巨人の骨となった身体から出てきたのは、なんと、全身何も身に纏っていないジークだった。

 それを見て、固まるフロック達。ハンジは一瞬リヴァイに向けられた銃が姿を現したジークに驚きこちらの注意が解かれた隙を見逃さず、傷つき、ズタズタの虫の息の人類最強の男を抱き抱えたまま、ここに居ては自分達の、彼の生命が危ないと、彼を救うべくこの場から逃れるために勢いよく雨が止んでも激流のままとなっている川へ、着の身着のままもつれ合う様に飛び込んだのだ。

「あ!?」
「追え!!」
「逃がすな!!」

 フロックの号令を聞き、何人かのイェーガー派が馬に乗って川に飛び込んだハンジ達へ発砲するが、激流に翻弄される二人の身体を誰が撃ち抜けるものか。
 そのままイェーガー派の兵士達が川へ逃げたハンジ達を執拗に追いかけ川へ向かって何発かの銃弾を浴びせている。
 フロックは突然巨人の中から出てきたジークに話しかけた。彼もエレンがジークと通じた時以来から密かに密会してきたからなのか、彼を気さくに「ジークさん」と呼称して呼ぶ。

「ジークさん。何があったんですか?」
「……わからない。気が付いたら、ウミちゃんが居たんだよ……。そしたら、ウミちゃんが知らない少女になっていた……」
「ウミが、森に来たんですか?? 待ち合わせ場所に向かってたんじゃ……」
「俺を殺そうとしたリヴァイと、巨人に襲われた息子を救いにわざわざ来たみたいだった。そして、そのウミちゃんの肉体をした少女は俺の傍に来て、突然、土をこねて俺の体を作った。知らない場所で……ただそれを見ていた。何年も……そうしていたような気がするし、一瞬だったような気もするが……あれは……そうか……あれが……「道」……なのか……何本もの光の柱が集まっていて、すごく綺麗な景色で」
「……ジークさん。あなたを拘束していた調査兵約30名は全員ジークさんのワインで巨人にして従えたのですよね? 彼らはどこに?」
「まぁ……色々あって。今はもう居ないし、俺達の邪魔をする奴らはうここにはいない。行こう。エレンとの待ち合わせに間に合わなくなる。俺達は、ただ進むだけだよな」「エレン。それと、ありがとう、ウミちゃん。やっと君は器の役割を果たしたんだね」

 もう、誰も居ないその場に居た筈のただ一つの祈りを誓いに変え突き進んできた共に分かち合った彼女は恐らく死んだ。
 そして、彼女の死により、彼女の近くでその肉体が器となるのを見守っていた少女がいた。その少女は、それにより彼女の肉体を通じてこの世に再来する事を望んでいたウミが取り込んだ「原始の巨人」の脊髄液を頼りに、悲しき少女「始祖ユミル・フリッツ」はこの世に姿を出現、ウミの四散した肉体を再生、自分の命を救い、そして死の淵に居た王家の血を引く者であるジークの身体を再生した。

 さぁ、行こう、一糸纏わぬ姿のまま歩み出したジークの後に続くフロック率いるイェーガー派たち、目指す先はシガンシナ区、エレンの元へ。待ち合わせからだいぶ時間が過ぎてしまった。だが、それでも天は、女神はリヴァイではなく自分に微笑み、そして自分を選んだのだと。急ぎシガンシナ区へと向かう。この先にある筈だ、自分の願い、望む世界すべてが手に入る場所へと向かおう。

2021.10.18
2022.01.25加筆修正
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