THE LAST BALLAD | ナノ
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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
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#116 許されざる逢瀬

 巨人大戦時代、巨人を打ち滅ぼしたマーレの英雄・へ―ロス像が佇む中庭の光景を見つめ、正装に袖を通した女は精悍な顔つきで馬車から降りる。

「ウミ、寒くは無いか?」
「はい、大丈夫です」

 呼びかけられた声に振り向けば明らかに自分よりもかなり年の離れた肥えた男がふがふがと鼻息荒くしてウミの剥き出しの肩に触れた。漆黒の布の面積が少ない総レースのドレスを身に纏い、太腿から深く入ったスリットからは生足が覗いている。その装いに相応しく飾られた真珠の宝石。これから始まる豪華な宴。

「今日はこんなにも美しく着飾れた君を我が妻として紹介できることを大変光栄に思うよ」
「まぁ……こちらこそ、大変光栄です。貴方のような高貴な方の妻としてこれからはこの国に貢献していける事をこちらこそ大変うれしく思います」
「しかし本当に……今日の君はまるで黒く輝く宝石のようだ……あの悪魔の島から命からがら亡命して、そしてこの国に来てくれたことで君が僕のお嫁さんになれる事がとても嬉しいよ……待っていたんだぁ……ジオラルド家のご令嬢が生まれるのを、こうして初老になってもずううっとねぇ……」

 後に歴史に語られることになる惨劇の舞台となるレベリオの地。着々と進む。悲劇の前夜そっと膜は開かれる。大国マーレの真の支配者である高貴な一族の呼びかけとなればここがエルディア人が暮らしている囲まれた区内。だとしても、各国の要人が招かれ、翌日に行われるであろう「祭事」の前夜祭は粛々と準備が進められていた。
 そんな新聞などでしか見た事が無い各国を代表する有名な顔ぶれに、戦士候補生としていつも訓練に明け暮れている5人も今日は給仕として任務に就いている。

「すごいな……」
「新聞で見た人たちばかりだ……」
「余計な話しない。私たちは訓練通り給仕をこなす。ほら――。空いたグラスが出て来た」

 戦士候補生として培ってきた素早さを生かして。今日はエルディア人戦士候補生ではなくもてなされた各国の要人たちへ精一杯の奉仕を。
 前夜祭の給仕係として務める、ガビ、ファルコ、ウド、ゾフィア、そしてアヴェリア達は早速各界の要人たちが会食に楽しめるように最大限の奉仕をすべく任務に取り掛かった。

 その横を通り過ぎたウミ。次々と空になるワイングラスへワインを注ぐアヴェリアとすれ違う最中、穏やかな笑みでウミは微笑んでいた。彼とここで会えることを最初から分かっていたような笑みを浮かべて。

「何だ? 穢れた血が皿を運んでいるぞ」
「あぁ〜どおりで飯が臭うわけだな」

 勿論エルディア人である証の腕章はつけたままで給仕をこなす中で、食事終えた皿を片付けようとしたウドに突如背後から彼を馬鹿にしたような、明らかにエルディア人を侮辱するような発言をされた事に動揺し、蔑まれたと、振り返ったその時、手に持っていた飲み残しのワインの中身が揺れ、その拍子に背後にいた凛とした佇まいと涼しげな目鼻立ち、東洋の民族衣装でもある上等な布で作られた「着物」に盛大に跳ねて、彼女の着物を汚してしまったのだ。

「あっ、も……申し訳……ございません」

 しまった……この世界の各国の要人たちの中でも最高位の武家の一族である東洋人に大変な事を 
をしてしまったのだ。
 ただでさえ自分達はかつて巨人大戦で多くの民族を虐殺してきた過去を持つエルディア人だと言うのに、この国でも戦士候補生と言われながらも実際自分達は残り寿命を減らしてマーレに貢献している奴隷のような立場の自分達が……一瞬にして思考が止まるウド。
 奴隷扱いの自分達からすれば雲の上のような存在への無礼。これからどんな仕打ちが待っているか。蒼ざめ謝罪するウドにその女性は凛とした佇まいを崩さずに「しっ、騒がないで」とウドに向かって一指し指を立てた。
「し、しかし……立派なお召し物が……」
「ご婦人、いかがなされましたか?」
「お恥ずかしい。ワインを着物に零してしまいまして……。この子の手を借りていましたの」

 異変に気づいたマーレ人の給仕人が彼女に何が起きたのかと、声を掛けるが、その女性は明るい笑顔を浮かべ、自分でワインを着物にこぼしてしまい自分の手を借りていた、とウドを庇い微笑んだのだ。

「それは大変です、どうぞこちらへ」
「ありがとう」

 どうして彼女はエルディア人である自分を……下手すれば悪魔の島に楽園送りになる可能性もある自分を庇ったのだろう。ウドが小声で着物姿の女性へ問いかけた。

「……どうして……」
「……もしこの事が公になってご覧なさい。あなたが、どんな目に遭うかわからないでしょ」

 エルディア人を庇う理由も価値もない。これまで嫌って程世界中の憎悪を向けられてきたからこそ自分が犯したことにこれからの処遇を想像して戸惑うウドに彼女は耳打ちして、別室へとそのまま案内されていくのだった。

「キヨミ様、」

 そんな彼女に声をかける人物にガビは気付いた。緩やかな髪を一つに結い上げ、剥き出しの背中や総レースの隙間から見える肌は艶か敷く、しかし、その顔立ちはどこかあどけなさも残している。

「まぁ、ウミ。あなたも来ていたのね」
「えぇ、ヴィリー様にお呼ばれされまして。大丈夫でしたか?」
「大丈夫よ、気にしないで、それに、外の空気に少し触れたいのもあるし、ちょうどいいわ。貴方も来るかしら?」

 それはあの脂ぎった男の妻として紹介されるウミを気遣っての発言だと言う事はウミも知っていた。彼女の民族の特性なのだろうか、思慮深く気配りやおもてなしの心が生まれつき備わっている。

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「(あ、あの人は……たぶん東洋から来たヒィズル国の人だ)じゃあ、あの黒いドレスの人は……?」

 去って行く黒いドレスの女性と、そして黒髪の着物姿の女性のそ背中の部分には「A」に似た形の紋章が縁取られているのをガビは遠巻きに見つめていた。

「ウド……大丈夫なのか?」
「あぁ……助けてもらった。俺をエルディア人だと知ってて……」

 どうして彼女はエルディアの血が流れる自分達をそれでも助けてくれたのだろうか。各界の要人たちの中でもワインをかけてしまうと言う失態を犯したウドが下手すれば戦士どころかこのまま楽園送りになるかもしれない危機。しかし、ウドがエルディア人だと知りながらも助けてくれて危機を回避したウドに駆け寄るファルコ達も不思議そうにその後姿を見つめていた。
 そして、ファルコは黒い艶やかなドレス姿の女性にどこかで見た様な錯覚を抱くのだった。

「おぉ、ヴィリーだ」
「お久しぶりです。オグウェノ大使」
「ヴィリー!! 救世の末裔よ!!」

 その2人が去った頃、会場内では、この前夜祭を企画し、エルディア人の居住する区域に招いたヴィリーが各国の要人方に挨拶を交わしていた。やはり彼は同じエルディア人だとしても彼の顔ぶれを見る限り、自分達と全くその差は歴然だ。
 エルディア人だと言うのに周りはそんなことも構わず彼の手を取り、あっという間の彼を中心に人だかりが出来ていた。その様子を目の端に止めたガビ。

「あの人がタイバー家の……あの時、マガト隊長と話していた人??」

 以前舞台の前でマガトと話していた紛争していた人物である彼こそがこの舞台の立役者であるヴィリーだと気付くガビはそっとアヴェリアへ耳打ちするも彼の姿が見当たらない一体何をしているのか、ワインなどがしまわれている部屋へ向かうと暗がりの中でアヴェリアは何と自分達よりもまだ子供だと言うのに当たり前のようにワインを味見していたのだ。

「っ!! ちょっと、何してんのよあんた!! ってかそもそもまだ未成年でしょうが!!」
「いいじゃねぇか、味見くらい、酒なら親父のとか少し飲んだことあんだろ」
「私はそんなことした事しない!!」
「一口飲んでみたかっただけだよ、喉乾いたし、お前も飲めよ」
「良いから止めな!! それに、私はまだ未成年だし、まして各国の偉い人が集まる籍の為に用意された明らかに高級なそのワインをエルディア人としてその罪を償わなければならない私が飲むわけないでしょう!! エルディア人の私たちがそんな高級なものを味見したらどんな目に遭うか……」
「はぁ……お前、エルディア人は、エルディア人はって、うるせぇな。壊れたラジオみてぇに同じことしか言えねぇのかよ……それに、各界のお偉いさん型にワイン注ぐのは俺達だ。見つからなきゃ、問題ねぇだろう……、お前もいちいちエルディア人が、エルディア人として、偉そうに押しつけがましく説教してくんなよ……」
「うるさい、あんたはエルディア人としての自覚やその立場を自覚しての立ち振る舞いが全くなってない。それじゃあいつまでたっても私たちは島の悪魔と同じ扱いを受け続けるだけかもしれないのに、私たちは島の悪魔とは違う、善良なエルディアの民として罪を償いますって態度で居なきゃいけないのに。アンタみたいな人を舐めてるような人間がそのうちにいつか必ず楽園送りに……」

 エルディアの民として忌み嫌われてそしてその罪を償うために戦士として志願し、いつか必ず分かってもらえると信じてひたむきに訓練を続けるガビを見てアヴェリアは彼女のその声さえも耳障りだと耳を塞ぎながらハイハイと軽く流すと再びワインのコルクを思いきりねじ込んで聞く耳持たずの状態だ。
 マーレの洗脳教育の慣れの果て、まして誰よりも純粋でひたむきなガビは尚の事その思考に完全に支配されている。
 あの島に住む人間は悪魔の末裔だと、自分達とは違う、滅すべき敵だと。ライナーの母親の思想の影響もうけ幼い彼女は潜在意識的にその思考を刷り込まれているのだ。
 部屋を後にするアヴェリアの後に続くようにガビが問いかける。

「この前の舞台の前で隊長と話していた人ってまさか、あの人がヴィリー・タイバーだったの、あんたは気付いてた!?」
「……当たり前だろうが……俺はとっくにあの男がヴィリーだろうなって思ってたぞ、お前、今更気付いたのか……」
「どうして顔も知らないのに、分ったの……?」

 すれ違い様に、手渡された。その紙切れを大切そうに握り締めて少年は鋭い双眼をガビへ向ける。

「すべてはあの男の手の中だよ」

 アヴェリアが誰にも聞こえない声でそう呟いた時、そこへグラスを鳴らす音が鳴り響いた。

「紳士淑女の皆様、今宵は誠にありがとうございます。我々はつい先日まで資源を求め醜い争いを演じて参りました、しかし、昨日の敵は今日も敵!! いや失礼、昨日の敵は今日の友!! 過去にあった出来事はまぁ、酒と共にトイレに流し、新たな祝杯をあげようではありませんか、それでは、末永き平和に……「ありがとうございます。大使殿のジョークは大変高度な代物でした。しかし、お客様は共通語が聞き取れなかったようなのであとは私にお任せを」

 グラスに豪華な銀食器を鳴らして仰々しく登場したのはマーレ外交大使だった。彼が周囲の注目を集めると、大きな咳ばらいをし、挨拶を始めますが、すでに酒を飲んで出来上がっているのか、各国から呼び寄せられて集められた位の高い身分の者達の前で発するにはあまりも下品なその物言いに各界の要人方は不快感をあらわにしていた。
 せっかくの舞台の前夜祭だと言うのにこれでは……見かねたヴィリーがそっとその会話を遮るように一礼すれば、ごく自然な流れで彼に注目が集められ、なおかつ彼の粋な計らいを見た要人たちからは割れんばかりの拍手が一斉に沸き起こったのだった。

「いいぞヴィリー!!」
「救世主の末裔!!」
「明日は、皆様をここより先のレベリオ収容区に招待させていただきます。そこはかつて多くの国の民を虐殺した……私と同じ血が流れる民族、エルディア人と言う悪魔が住む家です。遥か昔の歴史の中でも、最も虐げられたマーレは、その悪魔を使って他国を虐げ、悲劇は繰り返されました……。エルディア人の根絶を願う気持ちはよくわかります。私は、この終わりの無い問題に対して一つの解答を導き出しました。その解答を明日、私が初演出を務める舞台で、披露させていただきます。偉大なる劇作家と、歴史の目撃者に」
「「劇作家と目撃者に!!」」

 先程の大使殿の下品な発言は彼の気品あふれる振る舞いと、そしてその乾杯のあいさつに相応しい言葉達に明日への舞台に要人たちは沸き立っていた。ワイングラスを掲げて見事乾杯の挨拶を締めるヴィリーへグラスが捧げられた。

「それでは、もう一つ紹介しましょう。今回、私の初演出となる舞台で大役を果たす悪魔の島から亡命し、我々マーレへ惜しみない協力を申し出てくれた」

 そして、ヒィズル国の要人であるキヨミ・アズマビトと共に部屋をいったん退出したウミが再びドアを開け艶やかな漆黒のドレスを纏いその姿を各界の要人たちへと披露するのだった。

「遥か昔、我々タイバー家と英雄へ―ロス、共に手を取り合い自らを犠牲にしてまで巨人を打ち滅ぼした真の英雄であるかつて数10年前に自らその手で全てを焼き払い、ジオラルド家を自らの代で終わらせようとした私の古くからの友人でもあるカイト・ジオラルド。彼のその遺伝子はあの悪魔の島でこうして育まれていたのです。紛れもなく彼女が現ジオラルド家当主・ウミ・ジオラルドです」

 割れんばかりの拍手と歓声の雨を受けて、微笑みを浮かべてウミがそっと頭を下げる。

「失われたジオラルド家の遺産は全て父が秘密裏に隠し持ちそして島へ亡命しました。その責任を果たすべく私は真実を知り、そして再びこの国に貢献すべく戻ってまいりました。そして、明日。兼ねてより親交のあったジオラルド家に女児が生まれた暁には婚礼の儀を結ぶため。今も潔白で居られたエストリア家の末裔であるラルド様と正式な夫婦となります」
「本当か!?」
「それはおめでたい事だ、」
「ラルド、良かったな、こんなにも若く気品あふれたジオラルド家待望の女児、そして今やこんなにも立派なご令嬢と婚約できるとは……羨ましすぎてたまらないね」
「いやぁ、本当にそうだよ……こんなに若くてすべすべな肌の女性をお前の好きに出来るなんて、君と出会えることを、ジオラルド家に待望の女児が生まれるのを俺はずううっと待っていたから……幸せだよ……本当に、ねぇ、ウミ」

 当たり前のように自分の肩に触れて、そしてニヤニヤと下世話な笑みには彼の歪んだ欲望さえ見え隠れしているような、そんな気がしてウミは内心顔を歪めていたことを、アヴェリアだけが知っていた。

「ジオラルド家って、あのジオラルド家……教科書に載ってた英雄の末裔」
「かつて巨人大戦でタイバー家や英雄へ―ロスと共に教科書に載っていたのに悪魔の島に亡命したんでしょう? 巨人科学の一人者だったのにその資料も残さず燃やし尽くして……」
「だけど、それでもあんなに有名な名家でもあんな初老の小太りのジジイと結婚するためにわざわざ島から逃げて来るなんてね……」
「……俺もそれは同意だ」

 冷めた目で明らかにウミを見る眼差しが変態じみているその男を見つめながらゾフィアはため息をついている。アヴェリアもそれは全くの同意見だった。しかし、それだけの覚悟を持ち彼女はあの島を捨てそしてこの国で生きる事を決めた本当の意味を知る、だからこそ、固唾を呑んで見守るしかないのだ。

「(母さん……)」

 人知れずにそう呟いて、アヴェリアは彼女がすれ違い様に投げてよこした紙切れに書かれた「心配しないで。そしてもうすぐお父さんが迎えに来るから言う事を聞いて戦争ごっこの真似はやめなさい」と、書かれた紙きれを見つからない様に懐にしまいこんだのだった。

 ▼

 宴が終わりを迎えた頃、今夜各国の要人たちは全員レベリオ区で宿泊することが決まっており、ウミも一室を用意されていた。

「今日はとても誇らしかったよ……ウミ……」

 ジオラルド家を繁栄させる。そのために。この小太りの豚を婿養子として……名前だけは有名な財力だけのエストリア家のこの男を夫として迎える訳だが、結婚前夜と言う事で同じ部屋にされたのはウミにとって大きな誤算であった。
 先程の漆黒のドレスから今度は真っ白な潔白を示すように。その身にはネグリジェを纏い、ドレッサーに腰かけ、彼が寝付くのを髪を何度も何度も櫛で梳いたり肌に化粧水を浸してみたり、と、ごく自然な振る舞いで待っていたのだが、彼はいつまでたっても、まるで自分が隣に並んで眠るのを待つまで起きていると言わんばかりにだらんとたるんだ腹をさらけ出して自分を背後から抱き締めてきたのだ。
 先程の料理や酒を口にしてから彼は歯を磨かないのだろうか、どぎつい口臭と鼻を突く香りに思わず吐き気がこみ上げた。

「そ、そうかな……ありがとう、ございます」
「あのドレスを着て大勢の前で君が僕の妻だと見せつける瞬間程、誇らしいものは無いよ……君は本当に僕の美しい全てだ」
「あ、ありがとうございます。でも、……勿体ないお言葉ばかり頂いて申し訳ないです、高級な料理も衣装も贈り物まで頂いて、どうお返しすればいいのか……」
「なぁんだ……そんなこと、問題ないよ」

 するすると肌をなぞる様な男のその手つき、湧き上がるその感触は決していいものではない。かつてヒストリアの身代わりに囚われたあの時、幾ら変装の為とは言え酔った男に無理やり自分の意志と反して3年間訓練兵団として過ごしてきて自分の事もよく知るジャンや、おそらくその光景を強靭な精神力でそれでも半殺しにするのを堪えていたであろうリヴァイ達の目の前で全身を触れられた時の悪夢が蘇る。
 ――沸き立つ不快感に身の毛がよだつような恐怖がウミを足元から支配していく……。

「(っ……力が、入らない……どうして)」
「明日の婚礼衣装はマーレ中のデザイナーを集めて最高に美しい君の為の衣装を用意するからね……ぜひ僕に見せておくれ」

 こうして出会ってから彼はここぞとばかりに自分を着せ替え人形の様に、あらゆる衣服を与え、着飾り楽しんでいた。
 まるで人形の様に。一体そんなに自分に色んな服装を着させて何をするつもりなのだろうか。見せる相手などいないと言うのに着せ替え人形の様に色んな服を着せられる自分側からすればばかばかしい話だ。
 さっきから無遠慮に触られて嫌でたまらないのに、もし許されるなら今すぐ背後からその背中を蹴っ飛ばしてやりたいがそんなことをすれば自分が本来ここに存在している事は許されない筈なのに、権力と金で全てをもみ消すこの男の協力は絶対に必要なのに。
 ぐらぐらと歪む視界の中でウミは自分の身体の異変に気が付くのだった。次第に悲しくもないのに瞳に涙がじわじわと盛り上がり、そして、目の前が熱く燃えるようだ。震える手でそっと自分の身体を撫でまわすその腕をさりげなく引き離そうとするもその力はまるで水のように受け流されていく。
 そして、回る視界の中でウミは気が付く、尋常じゃない程に脈が速くなり鼓動を刻む。下半身の中心から甘く痺れるような感覚、この感覚にはかつて覚えがあった。

「(まさか……)」
「ジオラルド家の家系はまさに文武両道を地で行く高貴な一族だと聞いた。君はとても強いんだろう、ジオラルド家に生まれる女性は皆、女傑、だと……君がいつも僕以外の誰かを頭に描いていたのは知っているよ、結婚まで君には手を出さない、そのつもりで居たんだけど、でもどうせ遅かれ早かれ君の事をお嫁さんにするならもっと早くこうすべきだった、奥ゆかしい君の為に、少し先ほど飲んだ寝酒にほんの少しだけ、」

 歪んだ笑みを浮かべて。無理やり振り向かされてウミは否が応でも小太りの男の視界に、自分の苦悶に歪めく顔を晒すことになるのだった。

「待って、私、結婚前までは男性とはこのようなことはしないと……決めているので」
「でも、もう待てないよ……だからこそこうして下準備をして、ちゃあんと、人払いも済ませたと言うのに」
「っ……」

 ほんの少しと言いながら混入された得体の知れない薬品がもたらすその効用作用は確実にウミの全身を駆け巡りそして蝕んでいた。じわじわと下半身から力が抜けて動けなくなると、それをいいことに体が持ち上げられたかと思うと、小太りの男にウミはそのまま大きなベッドへ投げ出されてしまった。

 投げ出されたシーツの海で抵抗しようと必死に腕の力を込めるも、薬の作用が効きすぎているのか酒のせいなのか、込めた部分からまるで力が抜けていくように感じられ、明日まで、どうにか堪えれば……しかし、目の前は滲む視界の中で真っ暗に染まるのだった。

「っ。お、重い……やだ、止めて下さい、っ、離れて!! 誰か、」

 しかし、懸命に叫んだウミの声は人払いを済ませたと言わんばかりに誰も答えない。うつぶせに沈んだウミの背後からさっきから小太りの男の「フゥ〜〜フゥ〜〜」と言う荒い息が執拗にウミの耳元を這っている。背中にズッシリと覆いかぶさりマウントを取られてしまえば幾ら元調査兵団の精鋭兵士だったとはいえ、薬の作用もあり動けないまま容赦なく男の体が密着してきて、臭い息に吐き気を催しそうになる。
 この国に来てから父親がどうして自分を遠ざけようとしたのか、普通の人間ではなく何かあれば戦える人間に育てたのか瞬時に理解する、しかし、エルディア人を奴隷とみなして彼らを利用して戦争をしているあまりにも平和に満ちたこの世界ではあっちの島とは仕込む薬の性能もけた違いだった。
 自白剤とはまた違う自分が気付かず服用したこの薬の名前は紛れもなく……。

「(嫌だ、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……しまった……本当に、油断した、私の馬鹿……どうしてこんな時に油断を……)」

 その重圧から逃れるべく必死にシーツを蹴りじたばたと暴れるが、髪を掴まれ額をシーツに無理やり押さえつけられてしまい、抵抗することは許さないと、ウミの両腕を束ねると何処からか取り出した紐であっという間にグルグル巻きに縛り上げてきたのだ。
 そのまま仰向けに押し倒し、優しく脱がせるというよりも荒々しい手つきでこれまでその容姿で女にまともに相手をされずに自分を待ち続けここまで来た男は力ずくでウミに似合うと用意した高級リネンのネグリジェの胸元を思いきり開くとボタンが無残にもはじけ飛んだ。

「綺麗な肌だね、まだ誰のものでもないんだね、それが今から僕が、僕が……」

 身に着けていた一般人では毎月の賃金でも買えない高級な衣服を瞬く間にむしり取られ、ギラギラとした欲望丸出しの手つきが若干興奮で汗ばんで震えているのがダイレクトに伝わり、その感覚が気持ち悪くて仕方ない。
 身に纏っていた総レースの下着も音を立て襤褸切れのようにされて床に投げ捨てられてしまい、ウミはあっという間に生まれたままの姿にされてしまった。

「お願い、こんな無理矢理は嫌です……考え直して、動物のようになるのは、紳士ではありません、止めて……下さい」

 しかし、弱々しい抵抗をするウミに対し、小太りの男はさっきまで凛とした立ち振る舞いで周囲に笑みを振りまいていたウミの屈服した姿という相反する2つのギャップにニタニタと君の悪い笑顔で首を横に振るのだった。

「君が怖がるから僕はその緊張をただほぐしてあげただけなんだ。大丈夫……言葉でどんなに嫌だと抵抗しても、君の身体が素直に反応してるから……僕に身を委ねてくれればいいんだよ……」

 歪む口元に覆いかぶさる男の顔が迫ってきて、もう、駄目だとウミが観念したその時、決して身軽ではない自分の今日食べた食事さえも贅沢な生活ですっかり肥え、その重量で吐き出させようとするくらいの重みで腹の上に跨って自分の身体を好き勝手に弄ぼうと、舌なめずりをしていた下衆男が一瞬にして吹っ飛んだのだ。

 あまりにも一瞬の出来事により、何が起きたのか理解できないままのウミは仰向けのまま呆然と天井の豪華なシャンデリアを見上げていると。無言で動けない身体を抱きかかえられていた。

「大丈夫ですか、悲鳴が聞こえたので駆けつけてみれば……お楽しみの所を邪魔してしまったでしょうか」
「……いいえ。すみません、助かりました」

 そこに居たのは深く帽子を被ったマーレに従事するそこそこ上の階級の兵士だろうか。
腕章はつけていない。深く帽子を被っており、目の前の彼の表情は伺えないが、ウミは自分が助けられたのだと知ると、ほっと一息をつきそっと目を閉じた。
 顔の見えない小柄な背丈だが硬くて厚みのある体躯をした兵士はウミの悲鳴を聞き付け駆けつけてきたのだと言う。
しかし、一瞬で自分に伸しかかっていたこの小太りを蹴とばすとは……。一体どんな力が秘められていると言うのだ。
信じがたい光景だが紛れもなく現実だ。兵士は無言でその男をベッドに転がすと、そのままウミを豚の悪臭の漂うこの部屋から離れ別室へと連れて行った。

「っ、」

 ゆっくりと、先ほどの男とは真逆の状態からそっとベッドに降ろされる身体、しかし、先ほどのような不快感は感じない、しかし、盛られた薬の作用で目の焦点が合わない。頭の先から痺れるようにその痺れは全身に広がりウミを苦しめていた。
 苦しくてたまらない、全身を熱が駆け巡り、次第にそれは甘い甘い香りを纏い部屋中に充満するようだった。堪らなくなるのだ。もしあのまま組み敷かれていたらこの作用のままにあの男にいいようにされていたかもしれない。

「オイ、言った筈だ、前にも同じようなことがあった時に教えただろうが……平和な世界でもう忘れちまったのか?? 与えられたものはたとえどんなものでも、口にするなと……」

 ギシギシと音を立てて伸しかかって来た兵士が帽子を脱ぎ捨て隠された素顔を露わにする。決して忘れる事のない、見慣れた光景、彼が自分の上で満足そうな表情でいつも自分を組み敷くから。
 どうして彼がここに居るのか、そんな事よりも、今は。離れていた期間を思う日々の中彼の腕から逃れたのは自分なのに。それでも彼はいつも自分をどんな時でも見つけ出しそして、帰るのはこの腕の中のみだと、示すのだ。

「ごめんなさい……リヴァイ……」

 流れる涙が頬を伝う。謝るウミに対し、リヴァイはまるで最初からこうなることを理解して受け入れたように許しを請う彼女を受け止め孤独の戦いを続けていたウミへ「待たせたな。迎えに来たぞ」と、そっと口づけるのだった。

「俺しか知らねぇヤツが他の男に簡単に肌を触らせてんじゃねぇよ……馬鹿野郎が……」
「リヴァイ……苦しいの……助けて……」
「今すぐその辛さを楽にしてやる……安心しろ、ウミ……。お前はただ、俺に身を委ねてりゃあいい」

その言葉を封切りにいつの間にマーレに潜入してマーレ兵に成りすましていたリヴァイがウミの目の前に素顔を見せた。

「少し老けたな」
「それは、お互いさまでしょう……」
「そうだな、あれからもう何年だ……?俺達も歳をとるわけだな」

 久方ぶりの再会。
お互いに交わす言葉はもう必要無かった。
いつの間にか豚男に仕組まれ、飲まされた薬で前後不覚になるほど、酩酊状態のウミをリヴァイは喜びを噛み締めるように彼女は変わらず自分の腕の中にいるのだと噛み締めるように何度も抱いた。

「着せ替え人形みてぇにアレコレ着せられやがって……。あんな布の面積の少ないドレス……お前らしくもねぇ事を……お前はあの日からずっと俺の大事な女だ。お前だけだ……俺しか愛せないくせに……嘘ついてまで、俺の傍を離れていくんじゃねぇ……」

2021.03.28
2022.01.31加筆修正
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