THE LAST BALLAD | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

#117 カーニバルに集え

 報われない思いがこうして報われる日が、いつか巡り巡ってくる日などこの人生で無いのだと噛み締めていた。
 しかし、人生は何が起きるかわからないのが常である。
 もう二度と、そう思った淡いこの感情はやがて永遠として確かな物へと姿を変えつつあった。
 まるで全身に鋭いナイフを突き立てられたようなこの感覚。射るように自分を見つめるこの人の鋭い双眼がいつまでも自分を映し続けてくれていることを願い続けていた。
 こうして彼の温もりが自分の身体をなぞるように触れて確かめる度に自分は彼にこうして愛されているのだと、求め合うこの身体があるからこそ、彼の事をいつまでも思うのだと。
 揃いの指輪が何よりの証だった。
 この指輪さえあれば、自分はいつも自分のままで居られた。くじけそうな心をいつも奮い立たせてくれていたのは言わずもがな、彼の存在だった。

 彼の重みを受けて沈むこの身体、恥じらいからのささやかな抵抗さえも簡単にあしらわれ、彼のなされるがままに反応し順応に招かれて躍動する、彼の眼差しに自分の目が映る。

 そしていつも実感するのだ。もしかしたら、これが最後の夜かもしれない、と。
 いつも彼に触れられる度、そんなことを思っていた。

 しかし、自分は、自らの意志で彼と離れる事を決めた。この国に渡ると決めた。
 誰の相談もなく、一人で。
 腹を痛めて産んだ子供を置き去りにしてまで自分はジオラルド家の人間としてマーレで生きていくのだ。
 幸いにも自分には支えがある。この指輪に誓い、何としても。
 家族を捨ててまで成し遂げたい思いがあった。

「(あの島には、誰も手出しはさせない……例え、悪魔に魂を売っても、死神に命を狩られても)」

 戦う手段を持たない自分は別の方法であの島を守るべく戦っている。ただがむしゃらに剣を持ち馬を駆け巨人を駆っていたあの時代が今はもうはるか遠く昔の事のように感じるのだ。
 その決意がいよいよ動き出す決戦前夜。彼は突如として自分の目の前に現れた。久しぶりの再会と言う名の抱擁、仕組まれた甘い蜜に酔わされた自分を彼は飽きることなく幾度も抱いた。

――「ウミ……必ず戻って来い、俺の傍に……誰よりも……俺の近くに、」

 途切れそうな意識の中、焼き切れてしまいそうな記憶、薬の効用で何度も何度も高みに追いやられても彼が自分を求める手は止まらない。
 繰り返される彼からの惜しみない寵愛を受け、呼吸さえもままならなくて、果ての無い意識の中、断続的に叩き込まれるこの痛みさえもが悦びとなって。
 苦し紛れの彼の言葉が脳内で残響のようにゆっくりと鳴り響いた。
 耳元で囁く彼の声にこれは自分の想像が見せた幻じゃないと言い聞かせて。祈るように、どうかこれが最後の抱擁ではない事を願いゆっくりと目を閉じた。

 そして、次にウミが目が覚めた時には彼の姿はなく、あの豚男が隣で大きないびきをかいてひっくり返っていた。
 身に纏っていた服はきっちりボタンが留められており、昨晩の微かな余韻がまだ残る全身を怠さがのしかかっていた。
 あれは自分の夢が見せた都合のいい幻想だったのだろうか。いや、それは違う、衣服に顔を埋めれば、恋しいと今も本能が叫ぶ、記憶の中で何度も何度も、刻み込んで来た男の嗅ぎ慣れた残り香が彼女を包んでいた。



 昨日の給仕により色んな神経を使い疲弊して眠っていたアヴェリアだったが、突如として騒々しく鳴り響く派手に耳をつんざく音楽に強制的に眠りから呼び起こされ、その顔には怒りが良く似合う。

「何だよ、うるせぇな……チクショウ」

 チッ、と盛大に悪態突くその姿、眉間によるしわや口調はまるで自分と血を分けた今も焦がれて止まないその自由の翼を纏うあの男に近づくべくその背中をただ目指してひたむきに走り続ける自分が理想とする人間、その残像と重なる。

「あっ、おはようアヴェリア!!」
「お、はようございます……ピークさん」
「突然の音楽にびっくりしただろう、今日はお祭りだよ、さ、行こう」
「は、いや俺は別にいいです……」
「まぁまぁ、そんな事言うなって、せっかくの祭りだ、夕方まで楽しもうぜ」
「あっ、ちょっと」

 他の戦士候補生と違い戦士隊のメンバーと未だに打ち解けず、そしてぎこちない態度のアヴェリアにそれでも戦士隊のメンバーは気さくに声をかけ、同じエルディアの血が流れている戦士を目指す者同士、絆を深めるべく交流を求めてくるピークやライナーに対しては色々煮え切らない思いがあっても他の戦士候補生や戦士隊にはよき兄貴分として振舞うポルコ。今日は夜から始まるヴィリー・タイバーによる演劇の為だろうかいつもきれいにセットされている髪型はいつも以上に気合を感じる整いっぷりだ。
 それとは真逆に素材は良いが、何処か陰鬱とした空気の中でいつも野暮ったい隙のある滑降、それが逆に男心をくすぐっているのだが無自覚で愛嬌と色香を持ち合わせるピーク。

「じゃーん!! どう!? すごい盛り上がりだよねぇ〜」
「はい……」
「もう〜せっかくのお祭りなのに、テンション低いね」
「まだ寝起きなので……」

 自分の手を引き、無邪気な笑顔を浮かべて。やたらと自分に話しかけてくるピークに腕を引かれさりげなく自分に腕を絡めてきた。
 途中廊下を歩いていたライナーも加わり戦士隊とそして候補生の自分とで街を闊歩する。彼らエルディア戦士隊はこの地区で暮らすエルディア人の大きな希望でもあるのだ。
 格格のいいライナーからの圧がすごいが、普段生きてるのか死んでるのかもわかりづらい程に憔悴しているライナーもこの祭りの空気に本来の彼の笑顔が戻ってきたような気がした。
 島でライナーがどんな風に過ごしていたのか知らないアヴェリアだが、ライナーも本来はこういう陰鬱な性格ではないのだと、時折見せる寂しそうな笑顔からわかっていた。
 しかし、彼が自分の母の故郷を奪ったことに事実は違いない。
 それに、島の悪魔の自分とあの島を滅ぼそうとかつて自分の両親と死闘を繰り広げた戦士隊のメンバーを今は同じ仲間として同じ空気を吸う中でアヴェリアにもある変化が生まれつつあった。

「(島の悪魔もこっちの悪魔も関係ねぇ、皆等しく祭りを楽しむ気持ちは同じなんだ)」

 母の故郷シガンシナ区でも復興を記念して行われた祭りの出店で楽しい一夜を過ごした時のような高揚感、日が傾くにつれて沈みゆく太陽を眺めてはアヴェリアはかつて父親と母親とそして生まれたばかりの妹、四人で朝が来るで特別に今日だけは夜更かしをしてもいいと、そうして過ごしたシガンシナ区の復興祭の夜に思い馳せていた。

「(親父、……母さん、エヴァ……こっちの祭りも楽しそうだぞ)」

 もうすぐシガンシナ区と同じ惨劇に包まれるこの街の最期の日が沈む。そして、夜は静かに音もなく彼らにも迫る。
 引きずられるようにエルディアの街並みを見物にと連行される中で明るい口調でピークは今日の祭典に向けて盛り上がる自身が生まれ育ったホームタウンの変わりようを島から来た悪魔だと伏せ、外国からここへ流れて来て戦士候補生となったと、嘘の経緯を持つアヴェリアへ丁寧に教えてくれた。
 よく話を聞けば彼女は見た目こそあの車力の巨人とは顔つきが全く違うし、誰に対しても気さくで愛嬌も良く、そんな彼女はエルディア人だと言うのにとマーレからもとりわけ人気が高いのもうなずける。彼女は人の心を掴むのが上手いのだ、そして、決して女を押し出してくるのではない自然な歩み寄り方で忽ち男性たちを虜にする魔性の一面も併せ持っている。長い間巨人体で居るからなのか髪は無造作だし野暮ったい服装ではあるが素材は悪くない、何より、戦士の中でアニが不在の今唯一の紅一点。

「ご親切にどうも」
「いいえ、」

 鮮やかに装飾されたいつもは静かで物々しい雰囲気のこの街並みに並ぶ出店達はいつも通りかかっていた出店とは全く様子が違う。
 レベリオ区内にあるエルディア人が住む居住区では聞いた事のない明るい音楽を奏でる奏者や芸を披露する道化師の姿までもが。パラディ島や書物でも見たこともない祭りの光景に驚きを隠せない。

「これが祭りかぁぁ!」
「行くぞぉぉぉぉお!!」

 その時、向こう側の方から聞き慣れた少年と少女のやかましい掛け声が聞こえると、その甲高い声の主が誰かすぐに分かり、アヴェリアはうっ、と明らかに嫌そうな顔をしたが。背後にはその親族がいる、彼女の事を悪く言うのはよろしくない、黙り込んでいると、自分と同じく戦士を志す昨日行われた前夜祭の給仕で顔を合わせた四人も騒ぎを聞きつけどうやらお金の入った布袋を手に色々で店で買いこんでいるようだった。
 あれもこれも、と鉄板で焼いたモチモチした白い生地やら見た事もない海鮮系の贖罪やら、目で見るだけでも十分楽しめる。あれこれ買いあさりとうとうお金がなくなった四人の元へ向かえば、四人は物欲しそうな目でその目線は一心にライナーへ注がれた。
 甘いフルーツでデコレーションされた生クリームの乗ったデニッシュにサンドイッチにそしてマーレの名物の小麦粉を発行させた生地の上に真っ赤なトマトとバジルを乗せ、それにたっぷりのカマンベールチーズ、それを炭火で焼いたマルゲリータ・ピッツァ。
 戦士として貢献し金持ちのライナーが仕方なく財布から現金を出してやると、途端に笑顔になる戦士候補生たち。
 まだまだ子供の彼らにかつての自分達を重ねて。ライナーもまた自然と笑みがこぼれていた。
 ちゃつかりピークとポルコの分までご馳走するハメになっているが今の彼にはこの祭りの空気が束の間の罪悪感を取りはらってくれていたように感じた。

「おら、ライナーが奢ってくれんだからお前も遠慮しないで食えよ?」
「はい……」

 自分を巨人にしたくないがためにアニは自らを犠牲にし、そしてあの島で巨人に食われて本来の目的を果たすことなくその生涯を終えたマルセル。そんな兄の意志を引き継ぎユミルが自らを捧げて犠牲となったことで兄と同じ巨人となったポルコ、ライナーに対しては辛らつだが、面倒見のいい彼は四人と違い境遇も違うのもあり馴染もうとしない自分にも気さくに話しかけてよく声をかけてくれる。
 言われるがままに手渡されたピッツァ一切れ受け取り、初めての味に思わず目を見開いた。

「美味い……」
「だろ? マーレには美味い食い物が多いんだからお前も遠慮せずに食わねぇとでかくなんねぇぞ!!」
「(小さいのは嫌だ……)」

 小柄な部類の両親の姿に自分の姿を重ね、自分はそうなってたまるかと束の間の抵抗。そのまま用意された屋台飯にありついたのだった。

「うううぅ……苦しいよぉ……」
「お前が欲張るからだろうが」

 ライナーのおごりに調子に乗って、閉鎖された区画で生きてきたガビを待っていた初めての祭り。陽が沈むにつれて盛り上がる祭り特有の空気や湧き上がる高揚感もあり思う存分食べつくし、お腹が膨れ動けなくなったガビをまるで荷物のように手を引き、そのまま靴先を引き摺り連れて行くライナー。

「毎日、こうしてお祭りすればいいのにね……」
「……そうだな、」
「何だかね。最近初めてのことばっかり起きるの」
「そうだな、」
「何だか……何かが変わりそうな気がするの」
「あぁ……そうだな」

 うっとりとその目を蕩けさせながら、ガビは穏やかで満たされた表情で微笑んでいた。これから起こる未だかつてない惨劇、繰り返される歴史の上でこの街は悲劇の舞台へと変わる。
 待ち受ける惨劇を知りもせずに、明るい兆しさえ感じられる高まる祭りの深まる夜への期待に胸を高鳴らせてガビは夢見心地でライナーに語り掛ける。
 かつて自分にもあったその純粋に何かを楽しむ気持ち、戦士とて英雄になりたくても慣れなかったまま残された自責の念に精神を病み今も苦しむライナーはガビの言葉に相槌を打つ。
 そんなライナーにも、これから始まる劇の裏舞台で、まさにこの舞台の裏舞台に相応しい衝撃的な再会がこの後待っているとは、思いもしないだろう。



 同時刻、式典が開幕する夕方、レベリオ区内のエルディア人の収容区へ向かうべくウミはマーレ軍本部内のドアの前、タイバー家に宛がわれた部屋の入り口の前でヴィリーと待ち合わせをしていた。
 例の豚男は、今も眠っており、ゆすっても何をしても起きないからと理由をつけて置いて行くことにしたが、昨晩の出来事が正夢でなければ恐らくリヴァイは……。
 ウミはやはり昨日のは夢ではなかったのだと、今も薬の副作用で頭痛がする頭を抱え彼の温もりを思い返していた。
 彼の一撃が聞いて今も深い眠りに落ちている。それでいい、それでいいのだ。

「(もう、これで大丈夫、私は、この先何があろうとも……迷わずに進んでいける)」

 彼は自分の腕の中にまた自分が戻ってくる事を望んだ。しかし、自分が彼の腕の中に戻る事は、もう二度と無いかもしれない。
 だが、それでも突き進むと決めた。自分はリヴァイではなく、あの日、エレンの手を取ったのだ。

「(私は……あの子についていくと決めたの。例え、これからどれだけの多くの人が犠牲になろうとも……)」

 自分のこの決断が、必ずやあの島の未来を救う事に繋がる、そう信じた。
 今夜行われるヴィリー・タイバーの舞台ではウミも役者として参加して欲しいと頼まれ、役者として、そしてジオラルド家の末裔が今も生きていることを全世界へ発信する、その為に一緒に舞台へ向かう事になっている。
 舞台が終わり次第あの豚とその後は……しかし、ウミのその目は酷く冷めていた。
 あの豚男の嫁になると決めたのも、全てはこの日の為。反吐が出る程本心は彼以外の死かも初老の男の抱かれる事を望んではいない。
 悪趣味で露骨な布の面積が足りないあのドレスも、彼の着せ替え人形の様にマーレで最先端の色んな服を着せられても、あの島では口にする事もなかった豪華な食事や贈り物の宝石を身に着けても、久方ぶりに彼に愛されるべくして愛され、そして確かめ合う様に抱かれたこの気持ちが揺らぐことは永遠に無い。

「じゃあ、お父さん、行って来るから。お姉ちゃんの言う事をよく聞いていい子で居るんだぞ」
「お父さん何処にいくの?」
「僕も行く!!」
「ねぇーおとうさ〜ん!!」
「ごめんな、今日は駄目なんだ……」

 縋り付くように一緒に行きたいと輪になり、自分達の大事な父親のひざ元に縋り付いて離れない可愛い我が子たちの無垢な眼差しを一心に受けるヴィリー。
 一族の長として。そしてまた彼がどれほどこんなにも子供達からも愛され、好かれているか、彼は人間としても父親としても、人望の厚い人間であった。
 しかし、これから自分が秘密裏に計画したこの舞台が後のどんな悲劇をもたらすことになるのか、その後に待つ現実を、覚悟しているからこそ、ヴィリーは激しく心を乱された。
 これがもしかしたら、いや、間違いなく子供たち、家族との今生の別れが待つ舞台で残された最後の時間だと……知っているから。
 そんな彼の心情を察し、事情を知る子供たち以外の親族たちはこれから自分達タイバー家が背負う過酷な現実に重苦しい沈黙を貫き、誰も言葉を発せずに居る。

「こーら、あんたたち、わがまま言わないの!! お父さん困っちゃうでしょう?」
「フィーネ。いいね。兄妹皆仲良くな」
「うん、お仕事頑張ってね」
「あぁ、それじゃあ、行って来るよ」
「行ってらっしゃい」

 自分と同じ金髪の髪をお団子に束ねやんちゃ盛りの兄弟たちを見守るしっかり者の一番上の長女の髪を優しくなでる。
 ヴィリーはどうして連れて行ってくれないのと尋ねるこれまで築き上げてきた自分と同じ血が流れるこれから起こる事全てを理解して涙を浮かべて見送る愛すべき妻や血を分けた子供達と別れを惜しんでいた。
 本心は行きたくない。どれだけ後ろ髪を引かれる思いでこの場から去らねばならないか。彼の醸し出す表情からその悲痛な思いがひしひしと伝わる。
 しかし、遥か昔の意志、そして語り継いできたこの血がそれを許さない。タイバー家の人間として自分は果たさねばならないのだ。

「……すまない、子供たちを頼む……」

 ウミにもヴィリーの声が聞こえていた。彼の決意がひしひしと伝わる。別れのキスを頬に落とす愛すべき夫とのもしかするとこれが最後の別れになる。黒髪の妻は涙を浮かべて隠し切れずにはらはらと雫を落としていた。

「行くぞ、」

 傍で仕えていたタイバー家のメイド、だろうか。女性が手荷物を持ち、彼の背後に続く。

「待たせたな、ウミ」
「いえ、大丈夫です」
「付き合わせて済まないな、今日はよろしく頼む」
「はい、もちろんです」

 そして、呼ばれた名前に当たり前のようにウミは既に覚悟なら等に出来ていると言わんばかりに、自分も馳せ参じるべく彼へ続くのだった。
 誰しもが思った、――これが最後の夜になる。

「……やはり、狙われるとしたら演説の最中だろう……か、」
「断言できませんが、その可能性が最も高いでしょう。マーレ軍幹部が公の場で一堂に会するのは……その時だけです。次点で幹部の移動時ですが、直前まで移動経路を決めない習わしが防衛策としてあり、馬車も様々な要人が利用します」

 街を走る馬車の室内では、ヴィリーとマガトがこれから始まる舞台における防衛策についてやりとりをしていた。移動経路を公にしないマーレのこの風習を使わない手立てはないと、ヴィリーへ提案した。

「ならば軍幹部は端の「特等席」へ。出来るだけ一か所にまとめておくように」

 これから起こる惨劇の舞台、奇襲を知りながらも敢えて用意した「特等席」へ軍幹部をまとめるようヴィリーはマガトへ命じた。この選択が吉と出るか凶と出るかはわからない、冷静な眼差しでそう告げるヴィリーへマガトは再度彼の意志を訪ねた。

「……本当によろしいのですか?」
「タイバー家もただ遊んでいたわけではない。先代に比べては、な。かねてより世界の上層階級と交流を深めては、エルディア人の地位向上に努め、パラディ島の動きに目を光らせていた……。だが、見るべきは足元だった。気付いた時には敵は海を渡り我々の首元まで迫っていた、もはや、いつ喉を斬り裂かれてもおかしくない。何より危惧すべきパラディ島勢力の協力者の影だが……依然その実体が掴めないままでいる……ご存知の通り我が国マーレは敵が多すぎる。軍の内部も例外ではない、敵をあぶり出す為ならケツに火をつけてやる。敵の襲撃計画を甘んじて受け、それを最大限に利用する。代案でもあるなら聞く、無ければ計画通りに」

 タイバー家はこれまで世界の上層階級と交流を深めることでエルディア人の地位向上に努め、パラディ島の動きも監視してきたのだ。しかし、自分が世界に目を向けて身近の悪魔の島の脅威を警戒していた。
 それが真にこのマーレを支配している彼らだからこそ。ジオラルド家の忌まわしき歴史、巨人を生け捕りにして人体実験を繰り返してその情報を巨人科学協会に横流しして生計を立てていたのだ。
 さらに、その遺伝子を利用して始祖ユミルを再生しようともくろみ、その成果を残しているというおぞましい真実。
 それを知ったウミの父親がその呪われた血の戒めからウミを守るために、そしてエルディア人の未来を憂い、嘆き、マーレを離れた時から暗躍して導いていた誇り高き一族として。
 しかし、自分達の目の届かない場所で敵は暗躍していた。パラディ島の悪魔たちは自分達より何倍も上手だった。
 気付いた時には敵は既に海を渡り、自分のすぐ首元まで迫っている。そしてこの舞台を始める前から自分達マーレはいつ島の悪魔たちに奇襲されてもおかしくない状況だと理解していた。
 もうマーレ軍に紛れ込んでいるかもしれない、そう気付いた時には、自分の国だと言うのに、自分が真の支配者だと言うのに、誰が味方で誰が敵なのかそれさえも分からない。
 馬車から見えた窓の外には黒いコートとハットを被り様子を伺う長身の男の姿があった。彼もまた、あの島から来た侵入者かもしれない。
 ヴィリーとマガトとは別の馬車で劇場へ向かう中で、マーレには敵が多すぎるために、パラディ島勢力の「影の協力者」が掴めていない事を危惧し、この状況で恐らく敵勢力の襲撃計画が実行されるなら、敢えてそれを許してあぶり出すことにした。
 自らの命を賭けて。

 それをあぶり出すための命懸けの作戦を決行しようとしていた。自らの命を賭けてでもそれを果たすつもりなのだろう。彼はそれだけの覚悟を決めて今日この舞台に上がるのだ。
 それも同じ、自分もそうだ、

「……しかし、敵を釣るにしてもあまりにもエサが大きい」
「無能な幹部などくれてやればいい、敵の目的がマーレ軍に損害を加える事なら、まさに好都合じゃないか……。新たな軍の再建もあなたの人選通りに党は判を押す手筈だ」
「……しかし、大勢死にます……!」
「その大半はエルディア人だ!! 悪魔の末裔なんだろ!? 今更じゃないかマガト隊長……あなたも今までは大勢のエルディア人を敵の機関銃の前に……地雷原の中に送り込んだはずだ。軍服を着てようが着てまいが、同じ命だろ? あなたが今までやっていたことをやればいい……!!」
「……先に申し上げておきます。これは戦争ではありません。敵の正体や目的、攻撃手段が不明なまま。現場は不特定多数の群衆に囲まれています。タイバー公……私は恐らく、あなたを守ることができない。このままでは貴方は死にます」

 これから起こる舞台。不特定多数の群衆に囲まれる危険な状況に自らの命を持って挑むヴィリーの決意を受け止め、マガトは命を落とす危険性を告げた。マガトはとっくにその洞察力で見抜いていた。
 彼が古よりタイバー家に伝わる最強の「戦槌の巨人」本当にその身に宿しているのなら、迫る自らの死にそんなに怯える事もないだろう。

「貴方は、エサにしては大きすぎる」
「……当然、覚悟の上だ。私が表に立たなければ、世界は目を向けてくれない。軍も記者も、国々の大使も、一同にして集うことは無い。何より……私を含め、レべリオ収容区のエルディア人は哀れな被害者でなくてはならない……。「予期せぬ襲撃」の被害者だ。私だけそこから逃れていては世界を味方につけるどころではなくなる」
「エルディア人は、悪魔の末裔に違いありません。そして私達は、悪魔に違いない……」

 二人は馬車の中で沈みゆく夕日を背に、まるで互いにこれから背負う運命を共にしようと、そう言わんばかりに、これが最後の対話と予期しつつもあくまで友人として、同志として、初めての対面を果たした一か月前と同じように、ガッチリと固い握手を交わすのだった。



「(そうか……もう、すでにみんな、居るのね……リヴァイ)」

 昨晩、自分が薬を盛られてあの豚に無理やり行為に及ばれようとした刹那にタイミングよく姿を見せた彼もきっと、ずっと自分を見ていたのだろう、あのパーティーの時から。自分が身に纏っていた漆黒の総レースで出来たドレスを破り去ってまでも彼は危険を冒してまで自分と接触したのだ。
 離れたのは自分なのに、それでもリヴァイは、自分を守ろうとしてくれる、手を伸ばして今も自分を見つめている。
 彼と結ばれて、そのままの流れで家族となり、愛している彼の存在が尚更彼女を戦場へと駆り立てた。

「(どうか、あなたの記憶の中の私は、いつまでもあの日の、結婚式の時の私のままで居て、)」



「タイバー公。そろそろお時間です」
「あぁ……」

 夜になり、レベリオは明るい照明の中で照らされた舞台を前に大勢の観客やら幹部たち、各国の要人たち、全員が一同自分の初演出を務める舞台の幕が上がる瞬間を集い、そして今か今かと待ちわびていた。
 その控室ではいよいよ開幕の時を告げる声に鏡の前に立ち尽くす上等な空へ溶けていくような青が印象的な上等な劇衣装のローブを纏ったヴィリーの姿があった。舞台を前に、それともこれから起こる事を予期して、緊張しているのか。彼の表情はまるで先ほど家族と会話して居た時とは別人だ。恐怖に震える手、そして額には汗を浮かべていた。

「あらまぁ」
「……これはこれは、わざわざ激励にいらしてくださったのですか? ようこそアズマビト家の皆様」
「本番前のお邪魔だったかしらね。ごめんなさいね、少し顔を見に来ただけなの」

とそう上品に微笑む女性の背後には体格のいい黒いスーツを着た彼女を守護する男性を左右に従えている。
ヴィリーの前に姿を見せたのは、昨日はピシッとした和装姿を披露したヒィズル国の名家でもあるアズマビト家のキヨミだった。

「無様な顔でしょう? すっかりアガってしまいました」
「あなた方は勇敢です。我々の一族はよく知ってますもの」

 溢れて止まない冷汗をハンカチで誤魔化し、迫る自分の最期の舞台に内心今にも逃げ出したくてたまらない、それを笑みにすり替えてキヨミの前では無様な顔でしょうと告げるヴィリーに、あなた方は勇敢だと、意思のある声が響いた。

「無事にお役目を果たすことを祈っていますよ」
「痛み入ります、キヨミ様」

 手短にヴィリーとの握手を交わし、楽屋を後にするキヨミ、しかし、彼女は用意された席には座らず、大勢の人でごった返している舞台とは真逆の方向へと向かって歩いていくのだった。

「さぁ、行きましょうか……」

 まるで、これからこの舞台で起こる惨劇を予知しているかのように。そしてこれが最後のヴィリーの対話だと言う事も。



 陽もとっぷり暮れた頃、露店の食事を楽しみ満たされた戦士隊と候補生たちもようやく用意されたこの日の為の舞台へと戻って来た。
 其処には煙草をくわえたジークたちが先に席を確保して待っているようだった。

「お、楽しんで来たか?」

 しかし、その途中で知り合いを見つけたと告げ居なくなったファルコの姿はなく、先に待っていた兄のコルトはてっきりガビたちと祭りを楽しんでいるのだと思っていた弟の不在に首を傾げた。

「あれ、ファルコは?」
「あ、さっき知り合いを見つけたとかでって言ってどっか行きました」
「えぇ……? 大丈夫かあいつ、」
「まぁ、こんな日に堅い事言うなって」

 こんな時に何処に言ったのか、最近も頻繁に負傷兵の入院している病院へ足繁く通ったりと、何かと予想もしない行動をする弟に対して心配でたまらないと顔をゆがめる中で、そんな彼をポルコが励ました。

「あれ……戻って来たよ」
「ブラウン副長!!」
「あんた、どこ行ってたの?」

 その後、大勢の人の群れの中から遅れて戻って来たファルコは遅れた理由や単独で行動したことの説明をするその前にライナーを呼び出すのだった。

「ちょっと、いいですか?」
「今からか?」
「いいんじゃない? まだ開幕まで時間あるよ、」

 ファルコからの突然の申し出にもう間もなく部隊が始まると言うのについて来てくれと頼むコルトに促されたライナー。少しならいいんじゃないと、戦士隊のトップでもあるジークに促されたライナーは劇場から少し離れた建物のなぜか、地下へと案内されたのだった。

「こちらです」
「一体、どうしたんだ」
「行けば分かりますよ」

 ファルコが指し示すその先に、何が待っているのか。ニコニコと微笑むファルコにライナーは神妙そうに顔を歪め、はぁ、と。大きなため息をつきながらも、ただ言われるがままにその先に何があるのか、待ち受ける恐怖も知らず着いていく。

「クルーガーさん!! お待たせしてしまってすみません、ブラウン副長を連れて来ましたよ」

 階段を下りた先で待っていたのは。すっかり低くなったその声にはかつての死に急ぎ野郎の面影は残っていなかった。

「……よう、4年振りだな。ライナー。よかったな、帰りたかった故郷に帰れて」

――「なぁライナー。今お前がどんな顔してんのか知らねぇがお前ら本当にクソ野郎だよ。多分……人類史上こんなに悪いことした奴はいねぇよ。消さなきゃ……てめぇはこの世にいちゃいけねぇ奴だ。一体何考えてたんだ? 本当に気持ち悪いよ。お前の正義感に溢れたあの面構えを思い出すだけで……吐き気がしてくんだよ。このでけぇ害虫が。オレが今から駆除してやる」

 重厚な扉を開けたその先で待っていた衝撃的な光景。
 ランプに照らされ浮かび上がる輪郭をなぞるように。傍らには松葉杖が転がっており、乱雑で埃臭い地下の倉庫の中心の木製の椅子に鎮座する背の高い長い髪が野暮ったい男がいた。
 しかし、見知らぬはずのその男の面影にはライナーはとても見覚えがあった。
左足が欠損し、左目には包帯を巻いて。長い髪に無精ひげを蓄えた――共に訓練兵時代を過ごしそして四年前に対峙したあの時とはまるで違う、別人となったエレンのあの日の言葉がライナーに植え付けられた罪悪感をより加速させるのだった。

2021.03.30
prevnext
[back to top]