THE LAST BALLAD | ナノ
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「#寸止め」のBL小説を読む
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君へ届かぬ葬宴

 これが自分の最良の人生なのだろうか。大切なものを失い続けたその先で、何が待っているのだろうか。今は未だわからない、ただ、進むしか、残された道は無い。白骨で出来たこの街で、一度彼女は死んだ。そして、もう一度彼女はここで死ぬ。
 永遠の愛を誓った彼女を残して。今までどれだけの死を、見届けて来たか、そして、これからもその死を見届けるのだろう。人間のそれでも生きる力を、この残酷な世界に咲き誇る花を追い求めて。それでも、これまで失われてきた命を糧に自ら進み続ける。

――「止せ、後悔はするな。後悔の記憶は次の決断を鈍らせる。そして、決断を、他人に委ねようとするだろう。そうなれば後は死ぬだけだ。結果など、誰にも分らないんだ。ひとつの決断が、次の決断の為の材料にして初めて意味を持つ」
「リヴァイ、必ず、戻ってきて、あなたが獣を必ず討ち取る。その瞬間が私には見える。どうか信じて。私たちがその瞬間を、見ている、から」

「(ウミ……お前は、今、どんな顔で、どんな目をしてる……? なぁ、ウミ。お前とは、ずいぶん遠回りもしたが……お前は俺に出会ったことが最良だと、それなら、今はどんな気持ちでお前はそっち側に行こうとしてる)」
――「リヴァイ、あの日、あの時、あなたに出会えたこと、見つけてもらえたこと、きっと女神さまが私にくれた、私の人生で最良の出来事、だった」
「(俺は、どんな姿でも、お前と、もっと一緒に居たかったよ)」

 次から次へ、男は無我夢中で刃を振るい続けていた。巨人の返り血が乾く前に飛んでいく男は多くの兵士達がその命を英霊にすることで切り開かれた屍の道を血に染め、ただひたすらに突き進んでいた。
 愛しい面影を、断ち切るように。自らその背に宿した交差した翼は自由の証。容赦なく獲物を切り裂いた刃を、ガスを蒸かし静かにその悲劇の現況を断ち切るために忌まわしき獣の容赦ない礫を自らの手で封じるために。
 返り血を浴びながら男は静かに最期に交わした信頼すべき上官でありこの美しく残酷な世界に身を投じた切っ掛けとなった男とのやり取りを静かに見据えていた。

――「……何? 俺だけ立体機動で獣に接近しろと!? 獣の周りは更地だぞ!? 利用できるような木も家もねぇ」
「いいや……丁度いい高さの立体物が、並んで突っ立っているだろ? リヴァイ。お前にしか出来ない。俺たちが必ず獣の囮として最後までお前を支援する。お前は、巨人を伝って忍び寄り、獣の巨人を奇襲しろ!!」

 エルヴィンが下した最後の作戦、残された切り札として、自分以外の遺された兵士たち、戦う術を持たない新兵、右腕を無くした団長、そして余命幾ばくもないウミが囮となり、その隙に立体起動で周囲を取り囲んでいる獣の巨人の操る大型巨人を利用して「獣の巨人」をサイドから狙う決死の最後の特攻作戦だ。
 祖国を守る為、自らの命を賭け、それはまるで春に吹くとされる強い疾風のように。特攻を続ける兵士たちの横顔にはこれから偉大なる死に赴き、容赦なく飛んでくるこの大地を更地にする勢いのあの強烈なつぶてを全身に受けるのだ。喜んで死ぬものなど、居ない、どうせ全員、死ぬのだ。なら、それでも突き進むのだ、哀れな自分達の死を無駄なものではなかったと自分達の死は決して犬死にではなかったと、後の兵士に託すのだ。
 恐怖から逃れるような悲痛な叫びがこだまする中、馬に跨り、突き進む新兵達を横目にリヴァイは飛躍し高い地点からその下の地獄をただ、眺めることしか出来なかった。
 獣の巨人へ特攻を仕掛ける兵士たちの顔には恐怖しかない。当たり前だ、進むことも戻ることも出来ないこの地で、これから自らの命で壮絶なる死、待ち受ける地獄にその顔は強ばっている。

「(っ……すまない)」

 リヴァイは心の中、悲痛に眉を寄せ、ただ、詫びるしか無かった。己の無力さ。不甲斐なさを痛烈に感じた。何が人類最強の男だ。何一つ、守れやしない。この手は、いつも仲間の無念を握り締めてきた。
 夢を語らい自分を信じ、そして仲間を信じてくれと告げたイザベルもファーラン、自分を慕い、最後まで信じて着いてきてくれた自分が選抜したことを光栄だと喜んで着いてきてくれた、特別作戦班である当時のリヴァイ班。
 愛らしい容姿からはとても調査兵団向きではないと分かっていた。それなのに、彼女は自分に憧れて調査兵団への門を叩いた。
 自分を追いかけ、何処までも食らいついてきたペトラの笑顔にウミを失い喪失に暮れたこの心がどれだけ癒されたか分からない。同胞たちも、仲間も、母も、ケニーも、クライスも、みんな死んだ。自分には滋賀取り巻く世界でそれでも生きていくしかないのだ。その死を無駄にはしない、己の手で、この立ち塞がる脅威を晴らして見せよう。自分は仲間の死を踏み台に、戦い続ける事でしか、意義はない。
 自分にしか出来ないこの役割を、理解している。自ら危険を承知で先陣を走る白銀の美しい毛並みが見えた。その上に跨るのは、いつどんな時も、笑みを絶やさない、正面ではなくこちらを見て微笑んでいた。最後の顔を恐怖に引きつった顔ではなく、これから原型が無くなるほどぐちゃぐちゃにあの石の礫に押しつぶされる顔ではなく、一番きれいな自分を覚えていて欲しいと。
 恐らく、ウミの遺体は回収できない。自分達が次にここに来る時には、もう彼女の肉体は、幾度も触れて、確かめ合った温もり全てが、灰色に色あせていくのだろう。
 もう二度と、抱き締めていたあの日のこの手はもう握り締めても何も残さないこの手がウミに触れることは永遠に無いのだ。無情な世界いに吐き気さえ抱く。この世界は、最期の別れさえ、許してくれない。



――「我々はここで死に!! 次の生者に意味を託す!! それこそ唯一!! この残酷な世界に抗う術なのだ!! 兵士よ怒れ!! 兵士よ叫べ!! 兵士よ戦ええええ!!」

 団長自らが先陣を切り立ち向かう姿。しかし、いつも勇敢である彼の今の表情には団長としての威厳はない、彼でさえも、隠し切れない恐怖がありありと浮かんでいる。
 これから迫る死と得体の知れないすさまじい投石攻撃の渦中へ生身で飛び込むエルヴィンから先陣を切る言葉を受け、それでも恐怖を振り切り走り抜ける名もなき新兵達。
 しかし、その勇敢と紙一重の無謀さを憂いた獣の巨人の手により震える手により、目くらましにもならない気休めで撃ち上げられた緑の軌跡は容赦なく引き裂かれた。
 次々と、鋭利な刃と化した剛速球はストレート。容赦なく恐怖を振り切り進む彼らに容赦なく降り注いだ。
 投げられた石はまるで波紋のように広がり、何もかも、希望さえもを打ち壊すように一直線に、エルヴィンの腹へ風穴を開け、エルヴィンの確かな意思の込められた瞳が虚ろに閉ざされた。

「(エルヴィン……!!)」

 声にならない絶望がウミの思考を埋め尽くした、エルヴィンの返り血が、第一波の攻撃をまともに食らった兵士たちが絶叫と共に地面へ転がり落ちた。
 腹に致命傷を受けたエルヴィンはウミの目の前で、愛馬の嘶きと共に、そのまま地面を転げるように回転し、そのまま動かなくなった。
 声にしてしまえば、今すぐ落馬してエルヴィンの元に行ってしまいそうになる。彼が、死んでしまった。こんなにも、早く、あまりにも、あっけなく。この作戦が始まる数時間前までは普通に、当たり前のように壁上で話していたのに……!
 もう彼の瞳が自分を映すことは無い、死んだ、もう何も残らない、リヴァイをここまで導いてくれたのは……自分ではなく、紛れもなくエルヴィン。ただ一人というのに、彼にはエルヴィンが必要なのに、彼は。

「あぁ……っ、う……うっ……(エルヴィン…エルヴィン!! どうしてよぉ、何で、どうして……っ)」

 ウミは悲痛に、彼へ叫んだ。しかし、こんなところで恐怖に飲み込まれそうな、今にも走る事から逃げ出したくなるような絶望の元で残された新兵達の中で誰が先陣を切ると言うのだ。引くことも、戻る事も罪だ。ウミは今すぐ、嫌だ、誰か助けて、死にたくない、その悲痛なまでの叫びを超え泣き続ける心をだまし、気持ちを堪え、そして、正面を向きながらも目線の横、そこにはリヴァイが居る……!
 団長自らが犠牲となった。もう自分たち新兵達だけで獣の巨人へ突っ込むしかない。真っ先に投石の犠牲となったエルヴィンの姿に誰もが絶望した。

「団長が……!!」
「全員、振り返らないで進んで!!」
「え……?」

 落馬するエルヴィン団長を傍目に、それでも。もう自分達の先陣を駆ける人間は居ない、後はもう、間近に迫る恐怖。しかし、それを振り切る様に駆け抜けるマルロ達新兵の前に先行するように彼らを死地へ導くのは。
 タヴァサの腹を蹴り、普段大人しい彼女の声は有事になると張る。彼女にもその資質はある。兵士達を地獄へ導く、彼の後釜。そう、自分は誰だ。自分は。そうだ、五年前、確かにこの地に起きたあの惨劇を忘れたわけではない。この世界に死を運ぶ。もう一度、死をもたらす死神になる。
 後ろから聞こえた先陣を失い恐怖に支配されてただ走り続けていた新兵に向かってまるで叱るよりは共に行こう。まるで死地へ導く死神。
 ただならぬ声に顔を上げれば、その背に自由の翼を背負った白銀のたてがみを光らせ、た馬に乗り、これから死へ向かうとは思えない勇敢な出で立ちに信煙弾の緑の煙の中から颯爽と姿を現したウミの姿、だった。

「ウミ!!」

 こんな状況下でも、彼女はそれでも終わらないと。ウミの言葉と気迫には圧倒的な説得力があった。あの巨人たちの群れを掻い潜り、やがて見えたリヴァイ。彼がどうか獣の巨人に奇襲する瞬間まで彼が見つからぬよう自分達が叫び獣の巨人の眼から隠すのだ。

「(――リヴァイ、あなただけは何としても死なせない、あなたは、私が守る……その為ならこの身体が肉片と化しても、私は最後まで兵士として死ぬ……!)」

 見つからないように、自らの命を賭けて彼を守るその為に。己の捨てられるものはもうこれしかない。自らの身で玉砕を誓い、特攻を仕掛ける。
 新兵達を一人残らず連れて行こう、片手で引き抜いた。スラリと調査兵団の一員として幾多も降り続けてきた超硬質ブレードを掲げ、正面を見据えた。

「振り返るなぁっ!! ウミ副官に続いて進めぇえええええ!!」
「ぉおおおぉおぉお!!!!!」

 その勇敢な彼女の背が先陣を駆け、どんどん新兵達と距離を取り遠ざかっていく。ウミを乗せて走るタヴァサは今自らの命を賭け、この荒野を走り続けているのだ。
 怖くはない、ウミが居る、彼女の両親から受け継がれ、そして幼い頃から自分と共に過ごした彼女が最後まで一緒だと。タヴァサは一心不乱に走り続けていた。生き物は、限界を超えると死んでしまう。だが、馬は違う、馬は、限界を超えても尚も全力だ、だから、その不可に心臓が耐えきれず死んでしまう生き物なのだ。
 人はおのずと自らの限界を超える前に本能が警鐘を鳴らす、しかし、馬には存在しない。タヴァサもここで自らの命を燃やしていた。速度を増し、走る抜けるウミ。
 誰よりも先に自らあの岩に特攻を仕掛けるつもりでいた。マルロは震える声で叫び、そしてフロックも。誰もが、覚悟を決めて恐怖を振り切るように叫んで馬で走り抜ける。
 その光景を見て、聞こえた悲痛な叫び、それでも果敢に立ち向かう顔には恐怖の色が浮かんでいて、見ているこちらが哀れに思う程だ。平気で命を捧げてしまう、そのおぞましい光景を見て、怒りに震えたのは、獣の巨人の中に居る、本体の男だった。

『哀れだ……歴史の過ちを学んでいないとは…レイス王によって『世界の記憶』を奪われたのは悲劇だ。だから何度も過ちを繰り返す。しまいには壁の中の奴ら全員、年寄りから子供まで特攻させるんだろうな……。どうせ誇り高き死がどうとか言い出すぞ…発想が貧困でワンパターンな奴らのことだ』

 次の投石用に握り締めていた手が、岩が怒りにより、震えている。目の前の光景に、どうしようもなく、憤りを感じたのだ。獣の巨人の本体が荒い口調と、汚い言葉で罵った。悪魔の民族の凄絶な歴史と共に。

『……ふざけやがって』

 感情を露わに思わず掴んでいた石を粉々に握り潰した。一瞬で粉々に砕け、原形を無くした岩はさらさらの砂へ一気に帰した。
 獣の巨人は次の打球を考えながら、哀れな。バッドも持たずに打球を打てる訳がない。ノーヘルメットでバッターボックスに立つだけの無防備に自ら死球を喰らいに来ただけの兵士たちに感情移入しすぎたと、自嘲した。

『……あ……粉々にしちゃったか……ハハ……何やってんだ俺。何、本気(マジ)になってんだよ? お前は父親とは違うだろ?』

 我に返った獣の巨人は再び新しく手にした四足歩行の巨人が用意したボールに手を伸ばした。ガラガラと音を立てて石を砕き、そして、一気に振りかぶる。

『そうだ、クサヴァーさん……ああ。そうだ、何事も楽しまなくちゃ。みんなを誇り高き肉片にしてあげようぜ。悪魔の民族……そもそも……俺達は、みんな、みんな、生まれてくるべきでなかったんだから』

 大きく両手を上げ二次攻撃への転換。振りかぶる「獣の巨人」。投石が迫る。マルロがそれを見て恐怖に普段の声ではない明らかな裏声で大きく叫んだ。エルヴィンがいなくなり、もう自分達を導くものは、彼女しかいない。

「二発目来るぞ!!」
「考えるな、進め!! 全員合図とともに、撃て!!」

 振り返ったウミの普段の温厚な口調ではない、元分隊長の面影がそこにはあった。女の顔を捨て、兵士として最期の瞬間まで、自らの責務を全うする。
 怒声と声と共に、一斉に。
 獣の巨人に向け信煙弾を打つ新兵とウミ、目の前で広がる緑の信煙弾の軌跡が曇天の空にわずかに差し込む朝日が映り、綺麗だと、思った。
 これが自分が最後に見る光景なら、どれだけ素晴らしいのだろう、どれだけこの命が愛おしいのだろう、本当に、素晴らしい人生だった。
 もう悔いはない、思い残すことは無い。愛する者の思いと共に、自分は、ここでこの命を美しく鮮やかに散らし、そして。逝こう。

「(生まれ変われるなら、いいえ、生まれ変われなくてもいい、もう、あなたに会えたこの人生を、二度と失いたくない……さよなら……リヴァイ……私は貴方を、守る、ずっと、見守っている……愛してる、永遠に)」

 どうか、彼には自分の本来の姿だけを覚えていて欲しい。醜い肉片となった自分だけは知られたくない。どうか自分の原形がわからないくらいに滅茶苦茶にしてくれと獣の巨人にお願いしよう。ウミは自らの手で、彼からもらった指輪を引き抜き馬上から投げ捨てた。身に着けていた装飾品を全て、捨て、遺体から自分だとわからないようにその証を消した。
 元々団服のジャケットは動きづらくて苦手なため普段身に着けていない。ジャケットを着ていない死体を見たらすぐ自分だと分ってしまうだろう。見えぬようマントをきつく巻いた。
 それは自分の「兵士」ではなく「女」としての願いだった。こんな時まで兵士ではなく女であろうとする。浅ましさに、笑みが浮かぶ。退団を勧めた元団長、キース・シャーディスの言葉がふつふつと蘇る。

――「お前はもう、ただの「女」だ。分隊長からただの女になり下がったお前に、もう兵士としての道は無いに同じ。お前は今、自分の身の在り方を、ゆっくりと見つめ直して考えてもいい時期だ」
「(キース団長、お世話になりました。一足先に、私は逝きます。あの時本来、死ぬべきだった、この地で)」

 これはあの時の贖罪だ。自分は既にあの最初の四年前のウォール・マリア奪還作戦で本来なら死んでいたのだ。アルミンの祖父を見殺しにした自分は、ここでその罪を償い、そしてあの三人の未来を信じた。

「(私は、兵士にはなれなかった……。エレン、ミカサ、アルミン、どうか、生き延びて。私の代わりに、海を見て)」

 振りかぶり、振りかぶったその岩をリリースした瞬間、それは一瞬で粉々の鋭い礫へと変化した。一気にスリークォーターから繰り出されたのはストレートではなく、縦に向かって、急降下するスライダーだ。要望通り獣の巨人は突っ込んでくる兵士たちを全員肉片に返す事にしたのだ。飛んでくる岩を避ける手段はない。
 愛する者と手を取り、そして、その愛するその命を、腹に宿したこと、女としての至上の喜びを抱けて死ねる、何て、最良の末路だろう。
 彼女の列と並んだマルロは飛んできた投石を見て、思わず息を呑んだ。涙が、溢れた。止まらないのだ、そして、迫る自分の死の気配を感じた。マルロは決戦前夜のあの肉の奪い合いの時に交わしたジャンの言葉を思い返していた。

――「確かに俺はまだ弱いが…だからこそ前線で敵の出方を探るにはうってつけじゃないか?」
「何だ?一丁前に自己犠牲語って勇敢気取りか?」
「しかしその精神がなければ全体を機能させることができないだろ?」
「(来る――……。これが死か。自己犠牲の精神。自分で言ってたのが、これだ。ヒッチは今頃何を……イヤ……あいつはまだ寝てるか……)」

 走馬灯のようによみがえるこれまでのやりとり、そして、マルロはこれまで共に過ごしてきた同僚であるヒッチの無防備に口を開けてよだれを垂らしているのがありありと分かる。そして、彼は純粋に、自分はこれから死ぬ中で、彼女は憲兵団に残り、そして調査兵団へ異動を申し出た自分の事を、酷く責めた事を。

「(あぁ……いいなぁ〜……わからない、何で、俺は……今頃――)」

 マルロのつぶやきは誰に聞かれる事もなく、乱れる呼吸が恐怖を物語る中、やがて音が止むと、一気に。ドドドドドドドドド!!!と激しい轟音が大地を貫く勢いのままに飛んできた獣の巨人のサイドスローの投石が無情にもその叫びを引き裂いた。

『ッしゃああああああ ゲームセットォ!! ハハッ、わかるか!? 投げ方を変えたんだよ。これならイチコロでしょ〜?』

 今ので無謀にも特攻を仕掛けてきた兵士たちはこれで粉々になっただろう。嬉しそうに自らの閃いた投球はバッドに当たる事もなく吹っ飛んだと、これで試合終了だと安堵し、まるで子供の様に無邪気に喜ぶ彼の前で、今も叫び続ける兵士たちの残響がした。

「撃てぇぇぇ!!!!!」

 先程の自分の投げた打球が全ての新兵達へまんべんなく根絶やしにならなかったと言うのか??わずかに生き残った新兵たちが再度残された信煙弾を装填して目隠しにと撃ちながらそれでも進撃を続ける。
 まだ、それでもあがくのか、この徳行をそれでも辞めないと言うのか。新兵達の放った信煙弾が獣の巨人を通り抜けながら、呆然とその光景を見ていた獣の巨人は怒りを爆発させた。
 そして、あと少しで完封出来たのに、塁へ進ませてしまったこと、気付けば真下にまで接近した兵士たちを見て、抱いたのは、激しい怒りだった。
 そのまま岩を真下へ向かって叩きつけた。これでは投球ではない苛立ちに地面へ叩きつけた、ただの一方的なボークだ。

『だからぁ……そんなもん撃って何になるってんだよ……そんなに叫んで――何の意味があるってんだよおおぉぉっ!!!!』

 真下から降り注いだ獣の巨人の直近からの投石により、新兵達はまともにそれをくらい、無残にも吹き飛ばされていった。信煙弾の煙だけが虚しく周囲を覆う。そこには、目を覆いたくなるような血みどろの地獄絵図が、広がって居た。
 内臓も肉片も何が何だかわからないその断片は紛れもなく先程まで確かに生き長らえていた兵士たちの無残な亡骸だった。望み通りに彼らは大地に戻る。還る肉体はもう誰が誰かも認識できない。まるでそれはどす黒い、濃い鉄の臭い、屍の道が広がっていた。
 どうせ、自分達の身体に流れる血はいずれ全員、こうなると言うのに。無駄なことを繰り返す壁内人類の哀れな末路を、嘆いた。

『あ〜あ……かわいそうに…』

 風に流されていく兵士たちが最後まで死に物狂いで走り抜けた事で、撃ち上げられた信煙弾の軌跡が流されていく中、呟いた獣の巨人の傍らでドサッと、確かに何か倒れ込む大きな音がした。
 そこに目線を向ければ、それは明らかに目の前で名も無き兵士たちが無言の肉の断片となり朽ちて倒れ込んだ音ではない。
 名も無き兵士たちの逃げ道を絶つように並ばせ、右側に待機させて並んでいた大型巨人が蒸発して跡形も無く消えている。そして、今自分に一番近い巨人がうつ伏せのまま断末魔の叫びをあげることなく倒れていたことに気付いたのだ。

『……何だ? 俺の巨人が倒れて――』

 何時の間にか。そう、音も無く。地面に倒れたまま動かない大型巨人達からは蒸気が立ち上っている。明らかにそれは誰かの手によって仕留められている。ウミと新兵達の特攻作戦に気を取られ、その異変に気付いた時には、もう時は既に遅かった。
 それとほぼ同時に、周囲に漂う緑の信煙弾の隙間から、飛び出してきた調査兵団が使う立体機動装置のアンカーが体毛で覆われた獣の巨人の右肩に突き刺さったのだ。
 濃緑の信煙弾の煙に覆われてその先は見えない。獣の巨人が突き刺さったアンカーの先へ目線を向け、飛んできた方向に向かって顔を上げたその瞬間、そこには巨人を屠った返り血を浴び、血まみれの恐ろしい鬼のような形相をしたリヴァイが滞空していた。
 彼の顔は並々ならぬあらゆる怒りと絶望とそして、仲間の屍で出来た道を突き進んできた男は普段の冷静な顔を恐ろしい形相に変え、仲間の築き上げた死体を目の当たりにし、尚も。信煙弾の軌跡を回転しながら引き裂き、緑の渦を纏い獣の巨人に向かって急下降してきたのだ!

『オオォォオオオオ!!』

 いつのまに、全く気付かなかった間に彼の接近を許した。
 突如として信煙弾の煙をブチ破り、眼前に姿を現したリヴァイの予期せぬ奇襲により獣の巨人が咆哮を上げ、リヴァイを握り潰そうと彼に向かって左手を伸ばした。しかし、それがどんな結末を齎す事になるか。
 その瞬間、リヴァイが絶叫と共に獣の巨人が自分を握り潰そうとしたその左腕をアンカーを引き抜き、巻き取る勢いで一気にガスを噴出し、そのまま回転しながら獣の巨人の指諸共をズタズタに切り裂いたのだ。
 自分の目の前で体毛に覆われた腕や指がバラバラになり血が飛んだ。その血しぶきを真っ向から浴びたリヴァイの尋常ではないその速さに獣の巨人はこの戦闘が始まってから初めて明らかな畏怖の感情を抱いた。
 獣の巨人の本体であるジーク戦士長の脳裏で、決戦前にライナーとベルトルトが口にした、ある畏怖の存在の名前を口にしていたことを、思い返していた。

――「え?一人の兵士に気を付けろって?」
「はい…リヴァイ兵長は危険です」

 一体何を気を付けろと言うのだ、巨人の前では人間など彼らなど自分が持つこの投石能力の前では無に等しい存在、何を恐れる必要があると言うのだ。だがライナーの忠告を思い出す獣の巨人の本体。そして、ようやく察した。

『(まさか、こいつが――……リヴァイか!! マズイ!! うなじを―――!!)』

 自分の左腕を一瞬にして鮮やかな手つきで切り裂いたその相手がライナーとベルトルトが恐れていた「リヴァイ」だと気付く前にリヴァイは一瞬でガスを蒸かして左腕を斬り裂くとそのまま項にアンカーが突き刺さる!!!
 マズイ!!慌てて獣の巨人がうなじを斬り裂かれていない方の手で獣の巨人の本体が危機に察知し慌ててガードしたその瞬間、リヴァイは獣のうなじを狙ったと見せかけ無力化を図るべく一瞬で獣の巨人の眼を引き裂いて視力を奪ったのだ。
 かつて旧リヴァイ班へ彼が与えた知識、巨人は目を潰せ、視力さえ奪えば、回復する間もなく、暗黒の世界へ一気に突き落とせる。
 あまりの速さに情報処理の追い付かない獣へ畳みかけるように背後から血走った眼付が飛び込む。
 その顔を最後に、獣は両目を斬り裂かれ、ブシュウウウと、血がまるで花弁の様に鮮やかに散り、それを最後に焼き付け、一気に視力を失った!

『(何だ!? 何も見えない!! 目をやられたのか!?)』

 そうこうしている間にもリヴァイは足元まで急降下し、彼の人間離れした動きに骨が激しく軋むが全身を覆う筋肉がその人間離れした動きを助長する。
 彼の持ち前の腕力で一気に両足の腱を二対の刃で切り裂き、その巨体を地面へ強制的に叩き落としたのだ。

『(な!? 足が――!?)』

 ガクンと足元から崩れる巨体。成す術も無く視界を奪われ、そして息をつく暇も無く一瞬にしてリヴァイは獣の巨人の巨体を縦横無尽に飛ぶ。重力さえも彼の手のなるままに。遥か真下へ急降下し、回り込み、獣の巨人の両足首を切り刻むリヴァイの尋常ではないその圧倒的な剣裁きの速さに対応できぬまま、両足を失った巨人の王は成す術もなく顔面から地面へ叩きつけられ、激しく顎を強打した衝撃でその分厚い唇がぶるんと、激しく揺れた。

「さっきはずいぶんと、楽しそうだったな――」

 弱点の中に居るうなじから憎き本体を引きずり出すためには、まずその巨体をうつ伏せ状態にしなけらばならない。仰向けでは敵の思うまま。短時間で脳内処理を終え、大地に成す術も無く伏せた獣の巨人の上空からリヴァイが飛来した。ガスを蒸かし滞空した中、静かにその背後の彼へ呼びかけた。

『(くッ――!! 硬質化!! ――ダメだ、間に合わな「もっと、楽しんでくれよぉおおっ!!!」

 人類最強の残酷なまでに冷徹な咆哮が響いた。急ぎうなじの硬質化を試みる獣の巨人だが、彼の圧倒的なまでに無情な攻撃速度では間に合わない、硬質化する前に容赦なく彼のうなじを守ろうとしたその手すらもその剛腕が全て切り裂いた。
 獣の巨人の背中に着地したリヴァイがその重みのある腕力で一気にその肉体を切りにかかる、肉の裂ける音と迸る血がリヴァイの顔を汚すのも厭わず、全身を血まみれにしながら仲間を思うリヴァイの唸りと咆哮と共に切り裂かれ、獣の巨人の本体は絶叫した。
 ズタズタに切り開かれたうなじからジーク戦士長が勢いよく飛び出し、獣の巨人から引きずり出された!

「ぐッ!!」

 振り返る間もなく、それと同時にジークの口に向かって勢いよくその刃を突き刺し動きを封じたリヴァイ。
 巨人体から肉体を切り離され、既に蒸発しつつある獣の巨人の肉体に押し倒され、息を激しく乱したリヴァイは肩を揺らしてゼイゼイと呼吸を荒げ、獣の巨人の本体の男に問いかける。

「巨人化直後…体を激しく損傷し回復に手一杯な内は巨人化できない。そうだったよなぁ?」

 咥内まで深々と突き刺さり埋め込まれたその剣により本体であるジークは返事すらまともに出来る状況ではない。が、口を開く隙すら与えてくれないのに、気の長くない男はそのまま口にぶっ刺していた剣を深く沈め、皮膚を斬り裂いた超硬質スチールはズブズブと右目の皮膚を貫いたのだ。

「オイ、返事をしろよ。失礼な奴だな…」
「んんんんんんんんんんん……」

 うつ伏せのまま動けず、両腕は切断、両足首はありえない方向にひん曲げられた醜い獣の巨人の体がシュウゥウウと音を立てて蒸発していく中でリヴァイは周囲を見渡した。

「(こいつは、まだ……殺せない――)」

 本来なら、ここでこのまま本体を殺せばこの戦争に終止符を打つことが出来る。エルヴィンとの約束を果たしたリヴァイは獣の巨人をここで仕留めることが出来る、だが、それは今ではない、まだ、まだ、殺したい、憎い、だが、殺してはいけない、自分は亡き叔父に託されたあれを使わなければならないのだ。リヴァイは煙が晴れ、ようやく見えてきた残骸たちに言葉を無くした。
 立ち込める死臭と血、仲間達の無念が、残骸として散らばっている。その中にきっと、

「(誰か……生きてる奴はいねぇのか? 瀕死でもいい、まだ。息さえあれば……)」

 リヴァイの心臓が嫌な音を立て、獣の巨人の右目を貫いた刃が微かに震える。その誰かを、リヴァイは血眼になり探していた。ウミを、エルヴィンを。誰でも良いと言いながらその目は、まだ、希望を捨てきれずにいた。
 もう肉片さえ残っていないのかもしれなくても、それでも。

「(この注射を使って 巨人にする。そいつに、こいつを食わせて「獣の巨人」の力を奪う――誰か……一人だけ、生き返らせることが――)」

 その脳裏に浮かぶのは、エルヴィン。そして、彼女が――……脳裏に浮かぶ二人の笑顔、リヴァイはまだあきらめることが出来ない、どうか二人のどちらかだけでも生きててほしい、彼の祈り、しかし、それが命取りだった。
 獣の巨人を仕留め、本体をほじくり出しアッカーマンの能力を爆散させ息を切らしたリヴァイが微かに見せてしまった隙、彼は無意識よりも早くアンカーを射出し、背後から接近していた「四足歩行の巨人」の大口がリヴァイの小柄な体を丸のみする勢いで口を大きく開けて迫る気配を察知し、立体機動装置を展開してギリギリのところで避けた。
 しかし、避けた事で「四足歩行の巨人」は人類最強の男であるリヴァイの凶刃から零れ落ち傷ついたジークを救出する為に大口を開けリヴァイの注意を強制的に反らしたのだ。
 エルヴィンとウミの死により彼は平常心を無くしたまま。気付いた時には無情にもリヴァイの一瞬の隙、迷いはそのまま仕留められたジークをまんまと取り逃がしてしまったのだった。
 愛馬も無い。ガスの残量も残り僅かのままリヴァイは平野に取り残され、呆然とその背中をフラフラとした足取りで追いかけるが、四足歩行巨人のその速さには誰もかなわない。
 一瞬で起きた出来事に思考が追い付かないまま、虚ろな目が、口が、静止画像のように流れる四足歩行巨人の後ろ姿と、その口に挟まれ連れて行かれ遠ざかる獣の巨人の本体。尋問も途中、真意さえも、知る事もなく。ジークを連れ四足歩行巨人はシガンシナ区側へと颯爽と走り去ってしまう。

「オイ……どこに行く……止まれ……」

 駆け足で追いかけようと、振り絞る低い声で吐き捨てたリヴァイに向かって無情にも四足歩行の巨人に命からがら救われたジークは血ベトを吐き、全身を襲う激痛に悶絶しながら、まだ生き残っている壁の役割としての為に静止していた大型巨人達を一斉にリヴァイに向かって解き放ったのだ!!

――「お前らぁあっ!! あいつを殺せ!!」

 体力を使い果たし、残り僅かな装備の彼を、今ここで殺せと。今まで壁の役割として突っ立っていただけの巨人たちがジークの命令を受けた瞬間、即座に行使すべく生き残っていた反対側の大型巨人が一斉にリヴァイに向かって駆けだしたのだ。敵側は用意周到、千載一遇の勝機を逃したリヴァイへ一切の追撃を与えない。

「痛ぇ……! やりやがったなリヴァイ……っ、ああっ、痛ぇよぉ……!! だが、その武器はもう使い果たした頃だろ。お前らはこれで全滅。かなり危なかったが、我々の勝ちだ」

 恨みを募らせ逃げていく「四足歩行の巨人」に助けられた獣の巨人本体の背中、その移動速度も通常の二足歩行の巨人よりも早い。そして、眼前に迫る大型巨人達の群れを見てリヴァイは静かなる怒りを燃やしていた。今のリヴァイに残されたこの身体を突き動かすは執念だ。

「……待てよ……。俺は、あいつに、あいつらに、誓ったんだ……、必ず、お前を殺すと……誓った!!」

 走り去る四足歩行巨人とジーク。しかし、リヴァイはここで終わる人間ではない、何の為に自分は、仲間達が自らの命を英霊に捧げて犠牲になりこの道を血に染めてまで作り上げたと言うのか。絶対に、このまま逃してなるものか。リヴァイは獣の巨人をズタズタに切り裂きすっかりボロボロになってしまった刃を射出し、カランカランと、金属音と立てて平野に散る。次に装着した刃。残り一本となった刃、ガスは、もう残り僅か。ドウドウドウと音を立て迫りくる巨人に囲まれたリヴァイは最後の余力を込め、アンカーを射出し、迫り来る巨人へ飛んだ!



「何で……俺……生きてる……のか? オーイ……誰か、生き残ったやつは、いないのか……?」

 獣の投石攻撃を受けた兵士達の肉片達が散乱した平野は壮絶な有様となっていた。先程まで見知った人間たちは皆が、変わり果てた姿と化し、物言わぬ骸と化し、沈黙している中をフロックはなぜか自分だけは無傷の状態で、1人、宛もなく生者の香りのしない平野をふらふらと、まるで幽霊のようにさ迷っていた。

「誰か……」

 その時、フロックは確かに聞いた。何度も何度も呼び掛ける女性にしては甘くない落ち着いたソプラノボイス。弾む音、ドンドンドン、と、心臓の鼓動のような激しいリズミカルな音楽が亡骸の中で響いていた。

「エルヴィン……エルヴィン……っ! お願い、お願いよ、息をして、目を、覚ましてっ!」

 それは彼女が血まみれの手で、同じ血まみれのエルヴィンの心臓を何度も何度も叩くようにバウンドしながら彼に跨り必死に医療知識のあったクライスから取得した心肺蘇生術を延々と繰り返していた。
 彼女が弾む度にエルヴィンの物言わぬ肉体が弾み、彼女の体から溢れる血、そして何のためらいもなく彼女は彼の冷たい唇へと己の血に染まる唇を重ね、息を吹き込んでいた。

「エルヴィン……エルヴィン……戻ってきて! まだ、皆の所へ、逝かないで……!!」

 意味が無い、もう手遅れだとしても、リヴァイが獣の巨人を仕留めてくれれば、最後の食事でエルヴィンが話した巨人化薬の注射器を彼に撃ち込めば、彼の怪我は治る、それと引き換えに彼は巨人になる。

「クライス、っ、どうしたらいいの、エルヴィン…エルヴィン…が死んじゃう……っ、どうして居ないの、クライス……何で、私に黙って死んじゃうの、エルヴィン、っ、」

 何度も何度も、彼の上に馬乗りになり弾む小さな背中。全身血まみれになり彼女も深手を受けながらも内臓を負傷し、虫の息である巨体を抱えてここまで引きずって来たのだろう、横たえた我らが調査兵団団長の無残な姿にフロックはこれまでの地獄絵図と阿鼻叫喚の壮絶な特攻作戦の結末を辿り、思い出していた。
 あの猛烈な投石をゼロ距離で浴び人間の生身の肉体は一瞬でバラバラに吹っ飛んで。断末魔の叫びをあげる事もなく。恐怖の顔を浮かべたまま死んでしまった兵士達を眺めながらフロックはウミの行動を見て、スラリと引き抜いた剣を今すぐ仲間達を肉片へ変えろと特攻を命じた張本人へ、最後の止めを刺そうと静かに歩み寄った。

「フロック……幽霊じゃないなら、聞くけど……何をするつもりなの」
「こ、この人が、俺達新兵の命を、囮にしろと命令して……殺した、だから」
「だから、まだギリギリで生きてるこの人を殺すって言うの!? そんなの駄目、私がさせない!!」
「止めるなよ! みんな、みんなはなぁ……っ、この人のせいで……みんな死んだんだ! 最後は恐怖しか感じないでみんなバラバラにされた……っ、この現状はなんだ!? あんたら、悪魔だっ!人類のために喜び勇んで死ぬやつなんか! 化け物だ!」
「おい!! おい……、今なんて言った??? 悪魔だと?? 私たちが? 黙れ! 黙れよっ! そんなの、当たり前でしょう!? 調査兵団団長をここで見殺しにしろと!?」

 フロックの言葉に、ウミは鈍器で頭をぶん殴られるような激しい衝撃を受けた。しかし、ウミは止まらない。赤く紅蓮の血に染まった目付きが伸ばされた小さな手が新兵に襲いかかる。
 ウミの原型を無くした恐ろしい豹変ぶりに思わず振りかぶる彼女のその手を、刃で振り払うと、ウミは躊躇い無くその刃を握り締め、それごとフロックの胸ぐらを掴んでいた。
 小柄なウミはフロックとのその身長差を埋めるべく引き寄せその眼前に息がかかる程に近い彼女の顔に畏怖の念を抱いた。

「あんたには分からない……悪魔呼ばわり、大いに結構。調査兵団の人間は生まれながらに悪魔になったとでも思うの?? この世界、この現実が私たちを悪魔へ、変えた、私たちは、悪魔に、ならざるを得なかったのよ。彼が、エルヴィン団長が、今まで、どれだけこの世界に、調査兵団団長として、今までの何の成果も得られずに居た歴代の団長たちよりも大きく貢献してきたのか!!」

 フロックの向けた剣を何と彼女は素手で握り締め、思いきり力を込めた。ぶしゅうううと、流れる血は巨人の血と違い、蒸発せずにそのままタラタラと刃を伝って地面へ落ちた。
 この現状にウミは痛みを感じることなくその剣を再び鞘へ納めさせると胸ぐらを掴んでフロックへ凄んだ。その恐ろしい彼女の顔つきにフロックは確かに彼女の中に眠る死神を見た。
 訓練兵時代、いつも皆を見守り、笑顔で微笑んでいた彼女は今は全身血まみれになりながら血走った眼付きで自分を目線だけで殺そうとしている。
 まことしやかに囁かれてきた彼女の忌むべき異名「死神」は確かに今のウミに相応しかった。

「この特攻作戦で我が身を肉片にしてでも成し遂げなければならなかった任務で……こうして自分の命を犠牲にしながら、それでもおめおめと生き残った私達は目の前で瀕死のエルヴィン団長を助ける為に生かされた……。幸いリヴァイは私たちと同じ場所にいる。エルヴィンだけは、何としても死なせるわけにはいかないのよ。新兵何百人の命以上の価値がある。あなたにエルヴィンの代わりにこの先の指揮を執る事が出来る!? シガンシナ区側の戦況とこっち側の戦況を見て、私たちが多くの犠牲の上で奪還作戦を成功させたとして、調査兵団を改革、壁内人類の希望であるエルヴィン団長とリヴァイ兵長が死んだとなれば、私たちの作戦成功を信じてこれまで膨大な財力や人材を投資してくれた壁内人類は希望を失うわ!! 戦いはまだ、これからも続く。次は壁の外……あんなにまでして多くの犠牲の上にようやく悲願が叶った、調査兵団で今までたくさんの人たちが死んで、その死体を私たちは踏みしめて、ここまで辿り着いた。エルヴィンが死んだら、調査兵団の未来がここできっと、潰えるわ! そんな未来が来ないためならば私は何でもする、エルヴィン団長を生き返らせることが出来るリヴァイの持っているあの注射を今すぐ使って! あなたが彼を悪魔だと言うのなら、私たちの手で悪魔をこの地獄に呼び戻すのよ! フロック」

 指示した視線の先で、ウミはリヴァイが死に物狂いで装備もガスもほとんどカラカラの状態で尚もジークが放った大型巨人相手に刃を振るう姿を肉眼で追っていた。

「リヴァイを追って、早く、もう悪魔でも地獄でも何でもいい、彼を助けなければ……エルヴィンだけは、もう、失うわけにはいかない……」

 見えたのだ。その全身を血に染めながらそれでも突き進むその姿を見たフロックはまさに彼を悪魔だと思った。地上に住む悪魔の化身、そう、それは彼女の事だ。

「なぁ、……ウミ……巨人を滅ぼすことが出来るのは、悪魔なんだな……」
「悪魔でも死神でも、巨人を滅ぼすためなら、悪魔だと言われようと、私たち調査兵団はそれでも進む、仲間の死を、忘れない為に。さぁ、フロック、ここで生かされてしまった罪の意識から逃れたいのなら、出来る事をして、生き残った意味を自分で見つけて動くの。私も同じ、それは一生続く。それがここで生き残ってしまったあなたと私の、罪よ。時間が無い。私の馬を使って。この子はもうほとんど目が見えないけど、まだ走れる。リヴァイの匂いを辿れる……この子も最後まで走るわ、注射器を持ってるのはリヴァイだから、彼を追わないと……」

 自ら、ぽつりぽつりと、納得したようなフロックの言葉に対してウミも自らが一大決心をして臨んだ作戦により獣の巨人を討ち取ったリヴァイの光景を見届け、そしてすぐに周囲の死体の中で生き残った自分達の罪を、痛感した。
 屍を踏みしめ辿り着いた。虫の息のエルヴィン。

「フロック、がよみがえらせるのよ……」
「俺が、悪魔を……」

 自身のマントを引きずり出し真っ白なシャツは血に染まっていた。獣の巨人の投石で貫かれた腹の臓物を無理やり押し込むと、出血が止まらない腹に近くで転がっていた馬の荷物の中から応急処置用の包帯をグルグルと巻き付け、振り落とされないようにフロックと協力して背が高ければ体格もいい、重量のあるエルヴィンの身体をフロックへ背負わせしっかり固定した。

「ウミはどうするんだ」
「私ではエルヴィンを抱えて走れない、全員はこの子には乗れない。だから、こんな時にフロック。あなたが生きててくれて、よかった」
「ウミ」
「あなたが生き残った意味は必ずある、意味が欲しいならあげるから……タヴァサももうじき死ぬ、だから、早くリヴァイを追って、まだ彼は息がある! 早くリヴァイを探すのよ。彼にあの注射薬を使わないと、息は吹き返したけど今にも消える、手遅れになる前に早く!」

 フロックが叫ぶも、武器もない状態では彼はエルヴィンを連れてシガンシナ区側へ向かうしかない。満身創痍のタヴァサが走ろうとするも、彼女は大きく腹を岩で貫かれ、視力もほとんど見えない、それでも、幼い頃から共にしてきた大切な両親から譲り受け、どんな危険な場所でも果敢に走り抜けてきた今は勇猛な兵士へと変貌を遂げたウミの為に。

「タヴァサ、ありがとう、最後まで我儘な飼い主で、ごめんね、タヴァサ。お願い、この子を、リヴァイの元へ導いて、」

 ウミは今は未だ何とか残されたアッカーマンの持つ生命力で意識を保っていた。彼女に飛んできた岩は彼女の頭部に深く突き刺さっていた。しかし、出血は無くその破片の部分に触れても痛みはない。むしろこの岩がもしかしたら自分の命を繋いでいるのかもしれない。下手すれば、脳の重要な器官の奥深くまで届いているだろう。周囲は不気味なほど静かで大型巨人を次々と駆逐しているリヴァイの獣のうめき声のような咆哮も次第に聞こえなくなり、リヴァイは恐らくこのマリア側を包囲していた獣の巨人が引き連れてきた巨人を全て滅ぼしたのだろう。

「エルヴィンがまだ生きてる……早く、リヴァイに知らせなきゃ、私に構わないでリヴァイを追って、ちなみに私が死にかけている事は絶対に彼に言わなくていい、まぁ、言ったとしても彼は私より間違いなく、エルヴィンを生き返らせた方がいいって事をちゃんと理解して彼なら正しく注射器を使うと信じてるから」
「ウミ……お前、ここで死ぬつもりか、」
「……違う、私はもう助からないだけ。どの道死ぬ、少し死ぬ時間が遅くなっただけよ」

 口にしながら送り出そうとしているウミも全身、見るも無残にズタボロの状態で、それでも、尚も、彼女は生きていた。同じくもう見る影もない愛馬に、エルヴィンと、不幸の幸いの中、無傷のフロックを乗せて。
 たったひとり、投石の雨の中をひた走った白銀の毛並みはどす黒い赤、新兵達の肉片を浴びて。まるで、執念だけで生きる屍と化した死体。しかし、紛れもなく彼女だった。フロックとタヴァサを見送り、ウミは沈黙の中で、どうどうどうと、激しく大地を揺らして聞こえた足音に巨人の生き残りだと覚悟した。だが、これでいい。

「エルヴィン、もう大丈夫よ、この戦争は私たちが、勝った!!!! リヴァイは約束を果たしてくれた。獣の巨人はきっとリヴァイが、後はあなたがあの獣の巨人を食べれば、無効化できる。」

 彼女はまさか思いもしないだろう、捨て身で挑んだ自分達の囮作戦でリヴァイは確かに獣の巨人を屠った。だが、一瞬の隙をついて四足歩行の巨人の手により奪われて、そして、取り逃がして今刺客として放たれた配下の巨人を相手取りギリギリの装備で死闘を繰り広げているなどと知れば。彼女はその事実を知らずにこの地で息絶えるのならそれはそれで、幸せかもしれない。

「ウォール・マリア奪還作戦……あの時も、たくさんの人がこうやって、亡くなった」

 近づく足音に耳を澄ませた。恐らく巨人だろう、自分はもう武器もガスもない、ここで死ぬのが自分の定めだと思ったのに、まだ、死ぬことは許されずにおめおめと生き長らえたのは自分もフロックも一緒だ。そう、彼の言う通り巨人を滅ぼすことが出来るのは悪魔だ。
 自分達は何故、呪われた大地の悪魔と恨まれるのだろうか。だが。もう戻れない道を自ら選んだ。いつか終わるこの人生を、もしまだこの人生が続くと言うのならば、己のルーツを、辿りたい。
 そして、知りたい。ジオラルド家とは一体、何者なのか。父親は何故祖国を捨てこの地に辿り着き何を見て母親を愛し、そして自分を産んだのだろう。己は何のために生まれ、ここでも生かされた。

「せめて、この命がまだあるのなら、少しでも人類の役に立ってから、死なせて……」

 あの当時の出来事がまるで走馬灯のように、目を閉じるだけで容易によみがえる。
 地獄をまたこの同じ土地で味わう事になるとは、思いもしなかった。あの時は政府が食い扶持を減らす為にマリア領の人間を徴収してけしかけた忌まわしき過去。何の罪もない多くの市民がみんな脆弱な装備しか与えられないまま、巨人などに人間が勝てるはずがない。そのまま死んだ。
 あの当時、調査兵団は愚か見知った兵士は居なかった。だから理解した、そして今、今度は政府や食い扶持減らしではない、真実への進撃の為に自分達はこうして命を散らしたのだ。
 見る影もないバラバラの肉片になった兵士たちを壁内へ連れて帰る事は困難だとしても、せめて。彼らは確かにそこに居たのだ。誰が誰か見分けのつかない状態でも、ウミは兵士の肉片を集め、少しでも発見した人が見つけやすいようにと黙々と並べ始めた。
 それを待たずして立ち込めた蒸気と共に迫る足音に伏せていた顔を上げると、目に見えた光景にウミは思わず立ち上がった。
 あの巨人たちを倒していたリヴァイの姿はもうそこにはない。そして目の前に姿を見せたのは。

「間違いない、……良かった、まさかこっち側に居るなんて、良かった、生きてて」
「(この人、顔に、エレンと同じ、巨人化の痕)あなたは、獣の巨人の本体……?」

 見覚えのある顔にウミは不思議な感覚を抱いた。獣の巨人の本体である血まみれの姿をした男に、ウミは見知った面影を、思い出していた。その時、四足歩行の巨人に抱えられた獣の巨人の代わりに、襲いかかろうとした四足歩行の巨人にその巨人化の痕を顔に残した男が静止の言葉を投げつけたのだ。
 彼が獣の巨人の本体であるなら、ウミは眩暈を覚えてその場にしゃがみ込んだ、それならば、彼がここで四足歩行の巨人といるのなら、どうして、リヴァイが仕留めた筈ではないのか、それなら、リヴァイは今あの巨人たちに取り囲まれていると言う事か!?ウミは目の前の現実に打ちひしがれそうになっている中で、四足歩行の巨人がウミへ迫っていた。

「待て、殺すな……!! この子だ……ウミ……。あぁ、間違いない、父親に顔が、君は本当に、よく似ている、とにかく、良かった。ここで会ったのもきっとこれが、君と俺との縁かもしれない、」
「どうして、生きているの……あなたは、リヴァイが、仕留めた、筈じゃ、」
「……残念だけど、君が言うそのリヴァイは俺が差し向けた巨人に食われて今頃死んでるよ。君たちのその装備は補給しないと持続しないんだろう? あの男、俺を仕留める事に全力を尽くした後で呼吸さえもロクに出来ない、残念だけど、この戦い、俺たちの勝ちだ。それがどう言う意味が分からない君ではないだろう」

 ブツブツと呟きながら死の恐怖を間近にしながら投石を掻い潜る恐怖は相当な精神力を持つ者でも疲弊したはずだ、武器もない、這いつくばってここまでたどり着いた、その心労と共に、仲間を失い、動かない彼女を眺め、ジークは叫ぶ。
 ウミは今ここで満身創痍である獣の巨人本体と四足歩行巨人に恐ろしい剣幕で詰め寄る。全身肉片と血まみれのウミはまるで墓場から蘇る死の化身にしか見えない。装備もなく詰め寄るなんて無茶だ。フロックもこの現状を見てリヴァイが獣を討ち滅ぼせなかったことを理解していたが、それでもウミは信じたくなかった。
 ウミは、獣の巨人の本体との対話に耳を澄ましていた。リヴァイが死んだとは信じたくない、だが、ここで、自分のルーツを知る「ジオラルド」の意味を理解しているであろう目の前の男をここで逃がしたら。

「話せば長い、だけど、君にはこんな危険なところに居てもらったら困るんだ。悪い話じゃない、俺たちに着いてきてくれれば、全てを話そう、君の身体に流れる血のことも、全て、知る限り」
「っ……」
「君の父親の事だ、俺達と一緒に、来て欲しい、知りたいんだろう? この世界の事を、君たちの事を、何故、君たちが悪魔と、そう呼ばれるのか。説明するからついてきて来れないか、俺が君の身を保証する、君は俺達の国では、守られた存在だ」

 最愛の彼が見せたあの時の泣き崩れた時に見せた顔を忘れたくなかった。意識を遮断したあの時、こんな姿になっても醜い生き様を晒しても自分は尚も生きていた、息をしていた。多くの死を見届けてそれでも生きている。
 浅ましくも願ってしまいたくなる。この世界で、生きている意味を、探して、それでもあがいて。生き長らえた意味を。

「大丈夫。俺は、君の味方だよ」

 ここで死ぬか、彼について行くのか、有無を言わせぬ獣の巨人本体からの禁断の提案。
 自分が生まれたこの世界の他に未知なる世界があるなんて。そんな事いきなり言われても信じられる筈が無い、のに、目の前の彼は、さっきまで自分達を肉片に変えた恐ろしい獣の巨人の本体であるのに、どうしてそんなに優しい目をしているの。
 ジークの提示した選択肢の前に彼女は動けなかった。こうして生き長らえた今、自分の知りたかった真実に手を伸ばす、この手を。四足歩行の巨人が大口を開けて自分に迫る。決断の時にウミの脳内で確かに鈍い痛みが、走った。



 リヴァイは、獣の巨人を仕留め損なった無様な己を悔いた。そして襲い来る大型巨人を葬ったその後で、リヴァイは巨人たちの返り血を全身に浴びながらぜいぜいと息を荒げ、その場に座り込んでいた。
 息が上手く出来ない、肺が今にも破裂しそうだ、全ての持ちうる最大限の力とガスを使い果たしそれでも何とか襲い来る獣の巨人本体の放った刺客である大型巨人達を仕留め終え、まだ自分は生きていると実感した。もう、自分に微笑みかけてくれた、支えはないと、言うのに。

「逃がさねぇ……。てめぇだけは、何としても……俺の、命を賭けて……てめぇを殺す……そう決めた」

 早く、獣の巨人を追わねばならない、今の自分にはそれしか脳内を占める、になかった。
 誓いを果たす、それだけの為に、自分が突き進むことを信じて英霊になった新兵やウミやエルヴィンにこれでは誓いを果たせぬままおめおめと壁外へ逃がすつもりはない、立ち塞がる敵は、全員この手で。
 だと、言うのに。

「(消えねぇ、あいつの声が、ウミ……エルヴィン……俺は……)」

 リヴァイはぐらつく視線に自分は殆どもう限界を超え最後の余力で目の前で蒸発していく巨人たちを葬ったのだと気付く。
 目の前の景色が霞んで見えないのだ。

「(獣の巨人……てめぇだけは……逃がさねぇ……この手で……仕留めると、あいつらに誓った。あいつらの死に報いるために、絶対に、生きて祖国の地を踏ませはしねぇ、それなのに何故だ、どうして動かねぇ……)」

 ウミと愛を交わしたのはわずか数日前の出来事だった、それが、まさか、本当に永遠に彼女の愛を失ってしまうなど、思いもしなかっただろう、心のどこかで、本当は分かっていたのに、これまでにない大作戦。
 もしかしたら、自分と彼女、どちらかが、死ぬかもしれないと、あんなになるまで抱いたのに、もっと、こんなことなら彼女に触れていたかった。
 もうこの血まみれの手では彼女の間隔は遠ざかるばかりだ。いつか、あのチャペルではない、彼女の、生まれ育ったあのシガンシナの故郷で。兵士を引退したら、二人年老いたその手と手を取り、静かに暮らす事を夢見ていた未来。
 それは永遠に閉ざされ、これまで何度も危ない目に遭いながら生き延びてきたあの強い少女は、あの投石を受けて死んだのだ。彼女の遺体を回収することはこの現状では無理だろう、いや、もしかしたら自分もここで終わるかもしれない、もうこの先、彼女と歩む未来が見えないのならば、それなら自分はこの手で何としても誓いを果たすと、そう決めたのだ。刺し違えてでも殺すと決めた。

「(お前も、そこに居るのか、ウミ。俺が見えるか、)」

 描いた未来の景色、それはもう夢でしかない。自分にはもう目の前の視界さえも血に染まり膝が震えて動けない、追い掛けようにもガスはもう無い。馬もない、走って追いかけるにはあまりにも距離がありすぎる。こんな末路で誓いを果たせないまま自分はここで朽ちるのだろうか。

「ウミ……エルヴィン……」

 振り返れば、これまで犠牲になった仲間達の中で確かにウミとエルヴィンが微笑んでいるように見えた。
 これまで共にした、紛れもなく自分へ力を与えた二人の死に、リヴァイは絶望に悲観しながらもそれでも尚も、ふらふらとした足取りで四足歩行の巨人に咥えられた状態で逃げ切ろうと走り去ったジークの影を追いかける。
 お前達を永遠に失った。俺の手から離れた。ケニーから託され、そして懐に収まるこの注射器を必要としている人間がいる、条件を揃えて誰かへこの巨人薬の注射を注入しなければ、ならない。マリア側の人間の生存は絶望的だ、なら、シガンシナ区へ向かわなければ、ふらふらとした足取りで壁上を目指す中、リヴァイは後ろから聞こえた馬の嘶きに思わず耳を澄ませた。まさか、彼女だと言うのか??この厳しい現状下の中、それでも彼女は生きていたと言うのだろうか。いや、それは無理だ、あの投石の中をいくら彼女の愛馬が優秀だとしても潜り抜けることなど無理だ、これは自分の都合のいい妄想でしかない。そう言い聞かせた中で、聞こえた。思いがけぬ声に。リヴァイは極度の疲労と限界を等に越していた膝からガクリと崩れた。

「メーデーメーデー! どなたかいらっしゃいますぅ?」

 どんなに緊迫した状況でもどこかふざけているのは緊張した兵士を気遣う為だと。その気を抜くのが命取りだとどれだけ言っても止めない。だが、資金繰りで苦しむ調査兵団に莫大な資産を与え、自分に群がる女性を全員奪ったあの男の無駄に美麗な顔を原形が無くなるまで蹴り飛ばしたいとどれだけ思ったか。

「てめぇ、何だそれは、遭難信号をするのはお前じゃねぇだろうが。相変わらずの馬鹿だな」
「よぉ、久しぶりだな。何だ? お前、また見ねぇ間に老けたな」
「今は悠長にてめぇと話してる時間はねぇんだよ。どうやら俺もいかれちまったらしいな。死んだお前が見えるなんて……」
「そうそう、リヴァイ・イカレ・アッカーマンさん。楽園からお迎えに上がりましたよ」

 相変わらず話すだけで疲れて仕方ない。死に際にケニーが放った言葉は紛れもない事実だ。忘れもしない、懐かしい男の見かけの割に低い声がふざけた事ばかりを抜かして。本当に良く喋る。自分が巨人を屠りまくって切り裂いた蒸気を切り抜け駆け抜けてきたのはこの曇天の空によく映えるワインレッドの頭髪だった。

「あぁ? 何だよ、誰か戦ってるな〜と思って駆け付けて来てみればお前か」
「は……」

 まさか、彼は楽園の使者として、彼女の愛馬に跨り遥かここまで、迎えに来たのだろうか、誓いを果たせずに来た自分をあざ笑いにでも来たと言うのか。

「オイ、待て待て待て、何でてめぇがここに居る、てめぇ、あの時死んだはずだろうが、やっぱり俺の頭がどうかしちまったのか?」
「あぁ? 久しぶりのイケメン先輩との感動の再会。ここはお前はむせび泣くシーンだろうが、そうかと思えば相変わらず何だその言い草は、相変わらずお里の知れる口調だ。地下育ちのゴロツキ野郎」
「うるせぇ苦労を知らねぇ金持ち坊ちゃんが、歳はてめぇの方が俺より下だ」
「うるせぇ、キャリアは俺の方が長い! とにかく乗れ、迎えに来た」
「あ? テメェ、そもそも何で生きてやがる。このまま楽園まで連れてくってか。生きてるか確かめる為に今すぐ綺麗にそのムカつく顔を削いでやるからそこに座れ」
「違ぇ、頼まれた。死の淵に近いあいつらの代わりに、まだ死の淵より浅い俺なら戻れると、お前を、ここで死なせないためだ」

 例えアッカーマンの持つ能力により体や骨格が人よりも丈夫な彼でも、壁外人類との最終決戦、獣の巨人との死闘は彼を疲弊させ、その後終わりなき連戦はタフなリヴァイだろうがあまりの激選に膝をおろして動けなくなり状態になるに決まっている。
 そんな彼の前に突如舞い降りたのは、紛れもなくあの時死んだはずのクライスだった。これは夢だろうか、しかし、それでもリヴァイには彼がまぎれもなく実体化してここに居るこの現実を疑う余力さえ、残されていなかった。

「お前が獣の巨人を仕留め損ねたとは、俺達の敵を討ってくれるんじゃなかったのか??」

 その言葉にリヴァイは知る、やはり、ミケとクライスは獣の巨人の手によって殺されたのだと。正確には彼の操る巨人たちの手によって、だが。

「もう二度とあんなヘマはしねぇ、いいからあの気持ちわりい馬面の顔を早く追いかけろ」
「その指輪、だいたいわかるが、お前とうとう男の操を立てたみてぇだな」
「うるせぇな、てめぇには関係ねぇだろうが」
「いいや、関係あるなぁ、俺達の大事な分隊長を、何にも知らないままでニコニコしてたあいつが、今は人類最強の男の女だと聞けば黙って居られねぇよ。てめぇは奪ったんだからな。誰も手出しできねぇからって堂々と、俺の女宣言したお前の周囲を見る眼付きをよ……天使を女にしたのがてめぇの運の尽き。責任を果たす義務は大いにあんだよ」
「それだけか、お前の言いたいことは」

 これが幻でも、リヴァイは真実を知ってから再会した彼が、今は母親は違えど、同じ種から生まれたこの男が自分の危機に自ら黄泉がえって、迎えに来たのかと思えば、折れた翼をもう一度授けに来てくれた。
 最後の最後まで、自分は彼という存在に支えられていたことを思い出す。

「俺の親父は……あんたの母親を身請けするつもりで居たんだ。本当さ、だが、世情がそれを許さなかった。お前の母親は娼館の火災に巻き込まれ死んだとばかり……それで、俺が生まれた。お前と俺は、ひょっとしたら、出会えてなかったのかもな」
「あぁ、確かに、そうに違いねぇ……。俺はお前のそのムカつく顔が忘れられないがな」
「今度こそ、泣かせんなよ。大事な大事な、あの子を、」

 かつて、自分を慕う様に、そう告げていたイザベルやファーランや地下の子供たち。だが、確かに家族としての血のつながりはなくとも、互いに親や兄弟の居ない中で、ただ同じ血が流れている身内以上に、強い絆で結ばれていた。
 あの平穏な地下街での不便だが自由な暮らしの中、それを変えたのは、紛れもなく突如として自分の前に舞い降りたウミ。
 そして、エルヴィンやクライスの存在だった。
 自分の本当の家族ではなかった。家族の居ない自分は家族の温かさもよく知らなかった。だが、今なら感じることが出来る。タヴァサに乗り楽園へ再び去っていったその背中を見て、自分は確かに母親に愛されて生まれたのだと。今なら確かに言える。

「お前なら、出来る、頼んだぞ、兄貴」

 この先待ち受けるものは、地獄か、それとも。だが、自分が今なすべきこと。リヴァイはケニーから託された注射薬を確かめ、鋭いその双眼へ揺るぎない闘志を宿したまま、静かに低い声で呟いていた。

「言われなくても、必ず……ヤツは俺の手で殺す。てめぇはもう休んでろ、お前は黙ってその瞬間だけ見てろ。なぁ、クライス……」

 最後、リヴァイが振り向いた時にはそこには確かに居た筈のクライスのあのどこか喰えないような顔も、どこにも居なかった。

To be continue…

2020.08.25
2021.03.17加筆修正
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