THE LAST BALLAD | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

#98 白.夜.夢

――「まずはシガンシナ区を取り戻したら、僕たちで海を見に行こうよ!! 地平線まですべて塩水!! そこにしか住めない魚もいるんだ!! ウミもエレンもまだ疑っているんだろ!? 絶対あるんだから! 今に見てろよ!」
「しょうがねぇな。そりゃ実際見るしかねぇな」
「約束だからね!? 絶対だよ!? もちろん、ウミも一緒じゃなきゃ意味が無い、みんなで行こう! もしリヴァイ兵長が危ないからウミはダメだって言っても僕が連れて行くよ!」

「何も捨てることが出来ない人には、何も変えることは出来ない!!」

「エレン……わかってるよね? 一緒に海に行くって約束しただろ? 僕がエレンにウソついたことあった? だから、何があっても……! 僕の作戦。守ってくれよ!?」

 ミカサは、目の前の光景に、ただ、呆然と立ち尽くしていた。ズキズキと、誰かを失うその度に痛みだす頭はまるで自分の壊れてしまいそうな心を喪失から守る為の信号のようでもあった。
 頭部を押さえてその場に立ち尽くしていた。目の前で繰り広げられているその光景が信じられなくて、歳の離れた姉のようだったウミが必死に心臓マッサージを繰り返し、そして、その遺体にしか見えない焼死体に何度も何度も、抵抗感も無く、彼を救うために、いつか見た、愛する人と抱き合い交わし歌う様に愛を叫んでいたその唇は今、彼を救うべく、幾度も酸素を送っていた。
 全身が焦げ、高熱であぶられ熱気を放っているその誰が、誰なのか、わからない身体をアルミンだと呼びかけ、そしてその焼け焦げた身体は苦し気に、未だ呼吸をしていた。

「やった!! やったぞウミ!! アルミンが息を吹き返した!!」
「あぁ、……よかった、アルミン! 頑張って、頑張るのよ!! 約束した……私が……あなたのおじいさんと同じ場所にはまだ行かせない。と、絶対に、あなたを助けるからね」

 ”アルミン”だと、目の前の幼馴染でありミカサの全て。何にも代えがたい家族であるエレンの声が響いた。

「がんばれアルミン!! ほら、もっと息吸え!!」

 そして目の前の少年は確かにその黒焦げのかつては人間だったのだろう存在へと、そう呼びかけた。”アルミン”そう呼ばれた黒焦げの身体は今にも消えそうなか細い声、浅い呼吸を繰り返している。
 こんな状態になりながら。それでも生きながらえているアルミン。それは、紛れもなく共に壁外へ思い馳せ瞳を輝かせながら夢を口にした、アルミンだった筈の肉体。ミカサはエレンと彼女の口にした彼を形作るその単語に驚愕した。

「……アル……ミ……ン?」

 アルミンの決意の声が聞こえた気がした。女型の巨人捕獲作戦を繰り広げた夕闇に染まるストヘス区での惨劇、あの時の情景が蘇る。自らの身を灼熱よりも高温に燃え盛る炎へ捧げ、そして自らの命を持ってこの戦いを制した勇敢なる者の名を、ミカサの形のいい涼やかな唇が、目の前の黒焦げでほぼ虫の息の人間に寄ってたかって自分の幼馴染だった彼の名を呼んでいる。同じく幼馴染で家族ぐるみでシガンシナ区の故郷を奪われたあの時、孤独な五年間を共に支え苦難を乗り越えてきた2人を見て、認識させられた。この黒焦げ状態の「誰か」は「アルミン」だと。



「(俺の手で……せめて、安らかに……眠れ、ウミ。……たとえお前と結ばれる未来が一度も描けなかったとしても……俺に心を、愛をくれたのはお前だ)」

 リヴァイ自らの手で、彼女の首の骨を折るのは、あまりにも、容易だった。こんなに彼女は細かっただろうか、こんなにも硬かっただろうか。嫌な夢を見ていた。しかし、それがまさか現実のものとなるとは、信じたくはなかった。
 名も無き兵士たちが散った壁の向こう、シガンシナ区では屋根の上に見る影もない真っ黒焦げに焼かれ消し炭と化したアルミンの変わり果てた姿が転がっていた。
 引きずり落とし、余力も無く四肢を切り落とされ気絶したように眠るベルトルトを傍らに、自らの手で故郷を地獄に変えた因縁の相手をエレンは巨人化能力ではなく、自らの手で、仕留めたのだ。
 大きな、それは大きなまるで兄弟のように育った、大切な幼馴染を、犠牲に捧げる事で……。決戦前夜の前祝の夜は語らい、夢を話していた希望に満ちた、彼の眼はもう二度と開くことは、無いのだ。

「……こうなることは、わかってたはずなのに……。でも……お前の力に頼るしかなくて……。アルミン……お前は、どうして……逃げないんだよ……」

 呆然と膝を着いたまま、エレンは傍らにベルトルトを横たわらせ、真っ黒焦げに見るも無残な面影を残したアルミンに話しかけるエレンは変わり果てた友人の姿に涙を浮かべていた。その周囲で自分が仕留めた事で超大型巨人の肉体が静かに蒸発していく姿が見えた。
 その時、傍らで爆発のような音がした。急ぎそちらの方向へ顔を向けるエレン。その視界に見えたのは、獣の巨人を陰で支え、自分自身は戦闘には参加せずにサポート役に回っていた馬面の四足歩行の巨人。
 そして、その荷台の上に鎮座した自分と同じ、顔に巨人化の痕跡を残したどこか穏やかな面差しをした無精ひげをたっぷり蓄え、柔らかな毛質をした筋肉質な男の姿だった。

「……巨人!?」

 そこに居たのは、リヴァイの猛撃から逃れ、ウォール・マリア側の壁を超え、命からがらシガンシナ区側へ逃げてきた獣の巨人の本体を背に乗せた四足歩行巨人。それが屋根伝いにこっちに向かって一気に飛び込んで来たのだ。

「クソッ……!! それ以上、近付いてみろ!! こいつを奪われるくらいなら、殺すからよ!!」

 このまま敵勢力に巨人化の能力を持ち、リヴァイが所持しているあの注射液を使える条件を満たしているベルトルトをみすみす奪われてたまるか。と、慌ててエレンは黒焦げになったアルミンに向けていた目線から無力化され力を使い果たし眠ったように四肢をもがれ動けないベルトルトを引き寄せ、すぐに構えていたブレードの鈍色の刃をベルトルトの頸動脈へピタリと当て、勇ましく睨みつけた。少しでも、動けばそくこのまま巨人化の継承が出来なくても奪われるくらいなら、寸分の狂いなくベルトルトの首に刃を突き立て、めり込んだ刃からは血がドプリと溢れた。
 激情を露わにしながらも冷静に、思考の片隅で金髪に近い黄色の毛並みはまるで彼の髭のようだ。現れた親玉に警戒心を強める。しかし、そこには、彼を懐かしむかのような視線で見つめるジークの姿が、あった。
 お互いに緊迫した状況の中、エレンは四足歩行の巨人の方から確かに聞き覚えのある女性の声を聴いたのだ。

「ちょっと!! やめて!! 彼はダメよ、エレンに手を出さないで!!」
「は?? 何で、ウミ……」

 エレンに気付いたウミが急ぎ滑り落ちるように四足歩行の巨人の荷台から抜け出し、エレンの元へと向かう。
 四足歩行の巨人は自分達をこのまま連れて壁外へ連れ去ろうとしているのだと気付いたウミはこの壁内の希望の象徴であるエレンを巻き込むわけにはいかないと、エレンを庇うように彼の前に立ちはだかった。
 ウミがエレンの名を呼んだその時、彼女を再び連れ戻そうと生えていない伸ばしかけの手を伸ばした獣の巨人の本体であるジークはウミの口にしたエレンの名前、そして、こちらを睨むエレンの意志の強さを感じられる母親似のその大きな瞳を見るなり、一瞬にしてその顔つきと名前を見比べ静かに、確かめるようにエレンの名前を口にした。

「(何だ、こいつ……。目の周りに巨人化の跡が…「獣の巨人」の本体か!?)」
「エレン……!? お前が……エ、レン…イェーガーか?」
「(ダメだ、こいつ(ベルトルト)だけでも――!!)」

 取り巻いたその状況について行けないまま。エレンは母親に似たアーモンドのような眼を凛々しく、あらぬ憎悪を孕んだ眼で睨みつけたまま静かにその男へ眼を向け。耳を貸さずに奪われるくらいならここでベルトルトの命を絶とうと刃を青々とした血脈へ刃を突き立てた。その瞬間、だった。

「全然親父と似てないな…」
「……何…?」
「エレン……。俺は理解者だ。信じて欲しい、俺達はあの父親の被害者……。お前は父親に洗脳されている」

 ドクン、心臓が大きな音を立てた。エレンは、目の前のジークのその顔に、そして眼差しに、確かに自分へ巨人化能力を託し、巨人化能力を得た自分に捕食されて死亡した父親であるグリシャ・イェーガーの面影がその目の前の男に見事に重なったのだ。

「父…さん!?」
「え……?」

 ウミも驚いたように二人の顔を見比べた。思いがけぬ父親の話題に硬直したエレンが彼に向かって言葉を紡いだ、その時だった。
 エレンとジークの会話を遮るように、壁上に突如として白煙を纏った黒い人影が現れたのだ。それは紛れもなく。エルヴィンとの誓いを果たす、それだけの執念だけでクライスの幻を見ながらも獣の巨人の生き根を止めるべく残り僅かなガスト体力を怨念にも似た執念だけで追いかけてきた化け物じみた姿のリヴァイの変わり果てた姿全身血まみれでボロボロの姿だった。

「リヴァイ……」

 満身創痍だが、リヴァイは獣の巨人との死闘を潜り抜け生きていたのだ。その安堵から思わずウミから零れた彼の名前。彼女の顔には明らかな安堵が見えた。ジークはそしてすべてを物語る、まさか、彼女もそうだと言うのか、彼女の父親だけではなく、その娘までもが大地の悪魔側の壁内人類の人間と、愛を交わしたと言うのか、その血は紛れもなくこちら側の人間なのに。ジークはやはりこの悲劇の連鎖を早く止めなくてはと思った。
 彼らの仲間で敵勢力側の総大将でもあるジークはその姿を見ては、地獄より蘇ってきた彼を不死の化け物だと畏怖した。
 まさか、追っ手を絶つように自分の支配下の大型巨人全員差し向けた中、リヴァイはただ一つの誓いで自分を殺す為、ここまで追って来るなんて。
 ジークはリヴァイの持つ底知れぬ恐ろしさからひきつったような声を上げた。

「オオイ……!? ウッソだろ!? ここまで追って来やがった……ガスも装備もないのに……化け物め」

 先ほど自分に音も無く接近して一気に本体を引きずり出した男の姿にジークは恐怖し、忌々し気に彼を睨みつけた。
 全身巨人の返り血まみれになりそれでもゆらりとまるで地獄の底から舞い戻ったかのようなリヴァイの姿を見て、ジークはそう呟いた。ここまで追ってきたと言う事は自分が解き放ったあの巨人たちは既に、原型を留めていないだろう。ウォール・マリア側に放たれたジークの操る巨人たちを全て壊滅させたリヴァイは残された精神力と執念でジークを追い詰める。多くの仲間の死と、怒りを秘めた彼を突き動かすもの、それは紛れもなく。

 そのまま壁上から飛び降り、力なくリヴァイはそのまま両足の靴を滑らせながら壁を滑り落ちるように。こちらの屋根へ向かってくる。その姿を見てジークは目の前の2人と瀕死のベルトルトをここで連れて行くのを諦めざるを得なかった。
 見るからに分が悪いのは明らかにこちらだ。人類最強の男に先程、完膚なきまでにやられたジークは彼の姿をもう二度と観たくないと、改めて思うのだった。

「……あぁ……わかったよ、リヴァイ。ここは痛み分けで手を打とう。ベルトルト……悪いが……お前はここまでらしい……」

 リヴァイに接近されたら今の状況では勝ち目はない、全滅は免れない、危機を抱いたジークの指示を受け、彼を乗せた四足歩行巨人は「超大型巨人」の能力を持つベルトルトを、ここで諦めるしか無く。急ぎその場を去って行く。しかし、真実をまだ知らないウミは思わず去り行く彼に、手を伸ばして、本心が、叫んでいた。誰も知らない、父亡き今、尚封じられたこの自分の体に流れる血を知るであろう、ジークへ必死に本当は自分が何者か知らない不安感から、呼びかけていた。

「待って……! 行かないで……! お願い、獣の巨人の本体……。私も一緒に壁外に連れて行って……!」
「オイ、ウミ!!」
「私の、お父さんの事を教えて! 言い逃げしないで最後までちゃんと言って欲しいよ!! 答えてよ!!! 壁外で私のお父さんは何をしたの?? そもそも。ジオラルド家は何なの!?」

 自分の過去の断片、もしかしたら知れるかもしれないこの手の中に秘められた事実、しかし、自分の今は亡き父親の秘められたルーツを知る重要人物が去ってしまう。このままでは。
 向こう側の敵勢力の総大将にしては穏やかな目をした男は慈愛を込めた眼差しで2人へ呼びかけていた。

「エレン、ジオラルド家のご令嬢…いつかお前らを救い出してやるからな…」

 その言葉だけを残し、四足歩行の巨人とジークは自分達とベルトルトを壁外へ連れ去る事はここまで殆ど気力だけで追いかけてきたリヴァイに捕まる方が危険だと、残念ながらと諦めその場から逃げるように、屋根を飛び越え行ってしまった。

「は……!? 逃げた??」

 その後を決して逃がしはしない、急ぎエレンの元へ駆けつけるリヴァイ。全身血まみれで見る影もない。

「兵長!!」

 駆け寄るウミの無事には目もくれず、リヴァイはエレンの装備を急ぎ寄越せと自身の装備を取り外し屋根から投げ捨てる。

「今のでガスが完全に切れた、奴を追う、ガスと刃すべてよこせ!!」
「……はい!」
「急げ!!」

 普段の冷静さなど無い、獣の巨人を殺す、それだけの思いでここまで必死になって駆けずり回っていたリヴァイに急かされ、エレンは慌てて金具音を立てながた装備を外す。
 ウミは静かになった周囲の様子を、シガンシナ区側の景色を見渡していた。
 そのエレンの後ろ。横たわる四肢の無いベルトルトと、そして、真っ黒こげに焼けた変わり果てた人間を見つけ思わずその姿に息を呑んだ。

 その時、その黒焦げの人間だったものから確かに小さな生の呼吸が聞こえたのだ。
 エレンが装備を外している中、屋根の上で倒れていたその黒焦げの人間の元の姿は大切な幼馴染で、ウォール・マリア奪還作戦で生き残り、助けられなかった大切な彼の祖父を見殺しにした自分が託された大切なアルミンだと、エレンのアルミンを呼ぶその声でウミは知るのだった。

「(アルミン、なの……)」



 シガンシナ区側の市街地側の激戦を制したのは雷槍を用いて104期生のかつての兄貴分、頼るライナー彼を捉えた一撃だった。そんな彼らに駆け付けたのは超大型巨人の巨人化の爆風に巻き込まれ、生死不明となっていたエルヴィンに次期団長を明示らえているハンジだった。ライナーの四肢を切り落とし、そして視界をも塞がれたライナーはこの状態では逃げることも出来ず、ハンジのされるがままにそのまま家屋の壁に立てかけられたまま、尋問を受けていた。

「いてて」
「ごめん、」

 ハンジのその背後では雷槍と鎧の巨人との激闘で負傷し屋根の破片が刺さったジャンの手当をミカサが行っていたが、力が有り余ったのか、出血部分を止血しようと思いきり包帯を締めたようでジャンが少し呻いた。

 問い詰めるハンジの手に握られた鉄の小さなケース。金属音を鳴らしその中身が危険物で無いかを確かめるべく、自分が巨人化した時の衝撃でもそう簡単に壊れないようにと見越して厳重にケースに保管していたのが伺えた。
 彼の懐に何かが入っているのを見つけ、問いただすハンジ。普段の明るく巨人に目が無くて、嬉々と巨人や自分の知りたい分野についていつも目を輝かせて変人ぶりを披露していたハンジだが、今その面影は何処にも無い、鋭い目つきは満身創痍で動けないライナーを睨んでいた。

「ライナー。この左胸に入ってた鉄のケースは何だい? 君の手足を切り落とされる前……最後の力で取り出そうとしたものだぞ。自決用の薬? それとも爆弾か?」
「……てがみ」
「手紙? 何の手紙?」
「ユミルの……手紙だ。クリスタに……必ず……渡してほしい……」
「……中身を改めてからね」

 その銀の小箱の中にはユミルが最愛の少女であるクリスタ、今ヒストリアへの全ての思いがつらつらと書き連ねられているのだろう。それほどまでに大事にライナーがその手紙を懐に抱え、壁外から戻って来た。エレンの座標により窮地に陥っていたライナー達を、かつて巨人として彷徨っていたユミルがもう一度人間になれたのは、彼らの大切な仲間をあの時自分が食べてその力を得たから。
 その恩返しとして自分達を助けてくれた、そして土産となったことで自分達は祖国の地を踏めたのだ。
 あの時助けたユミルへの恩義に応えたい同期でもあり、感謝の思いで溢れてここまで秘密裏に大事に懐にしまっていたライナーの気持ち。
 だが、ハンジからの質問に弱々しい声で答えたライナーの声は今はあまりにも頼りなくて。耳をよく澄まさないと聞こえない。超大型巨人の爆発の衝撃により左目を失明したハンジは流れる血を包帯で覆いながら、ライナーが肌身離さず持っていたその手紙の入ったケースを同じく大切に懐にしまうと、そのままスッと立ち上がり、スラリとブレードを手元から抜いた。
 これから始まるのは壁外の人間であるライナーへの尋問だ。その顔には明らかなる怒りとそして、殺意があった。もし彼が少しでも有益な情報を口にしないのなら、彼は抵抗する術もないままハンジにその剣で巨人としての能力を誰かに引き継ぐことも無くその命を、絶やしここで死ぬことになるだろう。

「さて……、ライナー。君に聞きたいことは、山ほどある……んだけど。君の口も、鎧のように固そうに見える。君は……私達が知りたいことを教えてくれるかな?」
「いいや」
「……ありがとう。覚悟ができてて助かるよ」

 交渉は決裂した、尋問をしても彼は最後まで敵側に残す情報など何もないと口を重く閉ざし続けるのだろう。敵に有益な情報を流すくらい那波、自ら死ぬ覚悟を決めたライナー。ハンジは一気に彼へ止めを刺すべく巨人化能力を持つ彼でも再生不可能である首を切断しようと、彼の首へ真横にしたブレードを一気に埋め込んだハンジに、ジャンはたまらず静止の声を投げかけていた。

「……待ってください!!」
「グッ……」

 真横にブレードを押し当てられたライナーの首からはおびただしい量の血が滴り落ちている。ジャンからの必死に呼びかけにライナーの命を絶とうとしていたその手を止めたハンジ。だが、首へ埋め込んだブレードの力は決して緩めない。
 ジャンはかつての同期の変わり果てた姿、そして命を賭けた死闘の果てに、その命が絶たれそうになりかけたその瞬間。思わず叫んでいた。しかし、ジャンは同期でもあり、敵勢力側のライナーがここでハンジに成す術もなく殺されるより、エルヴィンがかつて提示した注射薬の使い道について、その可能性を、説いていた。

「ハンジさん、いいんですか? その力……奪えるかもしれないのに」

 そのジャンからの呼びかけにハンジは表情を変えぬまま、静かに食後の兵団の食堂でエルヴィンが提示した注射薬の使い道と、その術を思い出していた。

――「今日説明するのは。この注射薬の最も有効な活用方法についだ。この薬を使えば、「超大型巨人」や「鎧の巨人」「獣の巨人」らの力を奪うことができる。その術とは、この注射を打たれた者が巨人となりエレンのように『巨人化できる人間』を食うこと、正確には対象の背骨を噛み砕き、脊髄液を体内に摂取することである。そうすることで一旦は知性の無い巨人となった者も人間に戻り、「巨人の力を操る人』となるのだ。ここにいる全員にそれを担う可能性と覚悟を求める。今作戦の優先目標が『知性を持つ巨人の死滅』並びに『ウォール・マリアの奪還』であることに変わりはない。それが果たせれば、巨人の力や情報を得られるばかりではなく、「瀕死に至った人間をも、甦らせることができる」。もし巨人の力を持つ敵を捕らえ、四肢を切断した後、安全が確保されたなら、リヴァイ兵士長を呼び求めよ。注射器はこの一本限り、この使用権は、生存率の高いリヴァイ兵士長に託してある。再度伝えるが、くれぐれも承知してほしい。注射薬はこの一本限りだ」

 そう、エルヴィンはこの決戦前に自分達が揃った食堂でそう口にし、その注射器の入った箱を、リヴァイへと手渡した。その注射薬は、リヴァイが今懐に持っている、そう、こちら側からは見えないマリア側の領域で、彼が生きているのか、それさえも分からない中で。

「私は条件が揃ったとは思わない。今はリヴァイやあちらの状況がわからない。それを確認する時間も余裕も無いと思うね。なぜならこいつらの底力は、我々には到底計り知れないからだ……!! 首をはねてもまだ……!! 安心できないよ」

 ハンジが突き刺した刃からは止めどなく鮮血があふれ出し、痛覚は残されているために、血を噴き出しながら苦しむライナーを見つめるジャン。ハンジがわからないなら、確かめるために。真実を追い求めること。敵対する相手に真っ向から戦いよりも話し合いを望む姿勢を保っているハンジには今明らかに余裕はない、隻眼となったハンジはまだうまく間隔を掴めない状態で、今目の前の自分達の未知の領域を突き詰める事よりも、口を割らないライナーへ時間を費やすことを止めるためにこのまま逃げられるくらいならばこの手で敵勢力の一人であるライナーの息の根を止める事を優先しようとしている。
 まさに手に届く真実が今ここに在るのに、そんなハンジへ、ジャンは静かにハンジへ呼びかけていた。

「ハンジさんらしく……ないですね。わからないものは、わからない。と蓋をして。この先どうやったら俺達は巨人に勝てるんですか?」
「ジャン……」
「俺達が敵を計り知れるようになるのは…いつですか?」

 自分たちは、あまりにも巨人に対して、そしてこの世界を、取り巻く現状に対して無知だ。ジャンの言葉にハンジは静かにライナーへ真横に突き刺していたブレードの手を緩め、ミカサへと目を配らせた。
 ここで真実を殺してしまえば、自分達が手にできるはずの情報を手にすることも出来なくなる。と説きながらも内心はジャンは先ほどの戦闘で戸惑うサシャやコニーを叱咤したにもかかわらず、今、ハンジの手でその命を刈り取られようとしている同期の姿を見て、ジャンはこんな時に躊躇ってしまった。
 今ここで四肢を切断され、視界を塞がれ痛みに苦悶の声を発するかつての同期であるライナーが死ぬことに対して、躊躇いを抱いているから、そんな感情を抱いたのだろうか。
 ジャンは自分でも混乱していた。このまま得られるかもしれない情報やライナーが持つ巨人の力、知らないことに蓋をして、今目の前の事実から目を背けていいのだろうか、と。
 そうして戸惑いを投げかけるジャンの言葉を受けたハンジ、ウォール・マリアの壁を破壊し、あの日、壁が破壊された日、彼らの手により多くの人たちが巻き込まれただけではなく、腹心であるモブリットの死も、ハンジの刃に力を籠める。
 だが、冷静に返る事でハンジは知らない者があるなら見に行けばいい、その言葉の意味を今噛み締めていた。

「……ミカサ」
「はい」
「ガスはあとどれくらいある?」
「……もう、ほとんど残っていません……。ですが、エレンとアルミンの元への片道分はあります」
「……私よりはあるな……。ミカサ、すぐにエレン達の状況を見てきてくれ。そしてガスを補給しリヴァイから注射薬を貰ってこい。何らかの理由でそれが叶わない場合には、信煙弾を撃て。それを合図にライナーを絶つ」
「了解です」

 ハンジからの指示を受けたミカサがガスを節約しながらエレンとアルミンに任せたマリア側の壁で恐らくベルトルトを仕留めた二人の元へと急ぎ飛んでいった。ライナーへ沈めていた刃を離し、ライナーは口からおびただしい血の量を吐き出しながらもギリギリまで生かされた事に安堵しつつ、周囲を警戒しながらハンジはジャンが上官へ意見した中でまだライナーを殺すことへのためらいもはらんでいたと口にしようとしたが、これは自分の判断だから木にするなと撥ね退けた。

――「お前ら――……!こうなる覚悟はもうとっくに済ませたハズだろ!? やるぞ!! 俺達の手で終わらせるんだよ!!」
「……ハンジさん。俺は……」
「私の判断だ。君のは判断材料」
「(俺は……何だ? まさか、この期に及んで……)」

 覚悟を決めてウォール・マリア奪還作戦に臨んだはず、それなのに、まだ残る三年間共にした彼らへの未練。

「しかし、どうする?」
「はい?」
「巨人になるとしたら……命に別状は無いが、重傷を負ったサシャか。もっと……相応しい誰かか……」

 巨人化薬を所有しているリヴァイに判断が委ねられることになるが、この決断、そしてあの注射薬は一度きり。だから、よく考えて使わなければならない。そして、その注射薬はたった一つしかない。この決断が、これから大きな反乱を招く事になるとは。ハンジもジャンも、誰も、知らない。ハンジのその言葉はまるでこれから起きる悲しい争いを予期させる事になるとは、思いもしないで。そして、このジャンの言葉、ハンジの下した判断が大きな後悔を呼ぶ事になる事も。



 ミカサは大切な人を失う度に痛む頭を押さえ、目の前の広がる光景に呆然と立ち尽くしていた。
 黒焦げの人間に向かって何度も何度も「アルミン」と呼ぶ[FN:ウミ]とエレン。
 2人がそう呼ぶ人間は必死に杯で呼吸をしている。今にも消えそうな命の灯は確かにまだ消えかかってはいるが、何とか生きようとしている。弱々しくも繰り返される呼吸に二人は兵士ではなくアルミンの大切な仲間、友人、いや、故郷を追われたあの日から兄弟以上の絆で結ばれている、そんな彼を助ける為なら。

「やった!! やったぞ! ウミ! アルミンが息を吹き返した!!
「うん……まだ、生きている、アルミンは、生きてるよっ……アルミン、まだ、まだあきらめないで、お願い、ここで死んだら許さない!! 生き延びて!! 頑張るってアルミン!! お願いだから息をして、息さえあれば、大丈夫、リヴァイの持ってる注射薬で、早く治してあげるから!!」
「がんばれ!! もっと息吸え!!」
「(アルミン……?)」

 目の前の変わり果てた黒焦げの人間がアルミンだと知り、幼馴染の彼が、今にもその命が絶えてしまいそうだと知るなり、またズキッと鈍痛が脳内を貫いた。

「リヴァイ、お願い、早く!! 注射器を!」
「兵長!! 注射を早く下さい!!」

 アルミンが息絶える前ならまだ注射器が使えるから、と急かすウミとエレンに対し、リヴァイは自分が装備していた激戦によりスカスカの装備から急ぎジークたちの後を追うべくエレンからもらった立体機動装置をカチャカチャと無言で装着する。
 しかし、ウミから見ても、リヴァイは俯いたまま、とても急いでいるようには見えない、それに、その表情は何を考えているのか、自分が嫌いな、顔をしている。何を考えているのか分からない顔を浮かべ、立体機動装置を装備している。注射器を使うまでの時間稼ぎでもするかのように……まるで、後に、ここに来るであろう誰かを待っているような。
 ここに来て一度に起きた出来事に完全に飲み込まれてすっかり混乱しているウミの思考、動揺から完全に高揚していた気持ちをリヴァイの目の前の血まみれの表情で冷静さを取り戻しながら。
 ウミはリヴァイの顔に、アルミンの黒焦げの遺体を見た事ですっかり飲み込まれていた記憶を再度、蘇えらせるのだった。リヴァイは心のどこかで、まだ、きっと彼を待っている。自分と同じ、彼を。

「もぅ、焦らさないでよ!! リヴァイ、カチャカチャカチャカチャ何を手間どっ……は……え、……あ、なた……もしかして――!!」
「兵長!? アルミンを巨人にして…!!  ベルトルトを食わせるんですよ!! 早く注射をください!」
「……あぁ」

 すぐに打たなければアルミンが死んでしまう、それかベルトルトが回復してしまう、どちらかが欠けても巨人化薬は使えないと急かすウミとエレンの眼は明らかに冷静ではない。
 ベルトルト引き寄せ首を抱えながら必死の剣幕で訴えるエレンにリヴァイは静かにようやく懐から血まみれの手で注射器の箱を取り出した。
 アルミンの変わり果てた姿に完全に普段の冷静さを失い、涙を流して動揺していたミカサ。慌てて我に返りハンジから受けていた指示を思い出し、懐から取り出した連絡用の壁外調査では巨人出現時に使う遠目からでも目立つ赤い信煙弾を上空へ撃ち上げた。



 それは、待機してマリア側の壁を見ていたハンジたちの元にも伸びていく赤い信煙弾の軌跡が見える。その時、ジャン達の背後から聞こえた足音に目をやれば、先ほどリヴァイの追っ手から命からがら逃げた獣の巨人本体であるジークを乗せた四足歩行の巨人が出現し、そのまま進行方向である路の真ん中に立っていたハンジを背後から飲み込もうとしたのだ!!

――「…ッ!!! ハンジさぁああんっ!!」

 ジャンの呼びかけに振り返るハンジ、しかし、ハンジが気付いた時にはもう目と鼻の先では大口を開けた四足歩行の巨人が迫る――!ハンジ諸共飲み込もうとその不気味な口を開かせたその瞬間、その隙間をアンカーが飛ぶ、間一髪のところでジャンが上官であるハンジを抱えて建物の隙間へ飛び込み、命からがら逃げきったが、しかし、それは。

「――まずい!!」

 向こうの不意打ち攻撃をかわしつつも、ジャンと共に吹っ飛ばされながらも急ぎ起き上がるハンジ。しかし、向こうの企み通りにその手中にはまった。立体機動装置のブレードを構えたハンジの目前には、自分達がその攻撃から避けた隙に立てかけていたままのライナーを口に咥えた四足歩行巨人の姿がそこにはあったからだ。
 屋根の上でサシャを見ていたコニーにもその姿が見えたようで、ハンジと暫し睨み合う四足歩行の巨人へ叫ぶように知らせた。

「ハンジさん!! ライナーを奪われました!!」

 ジークを背中に乗せ、そして満身創痍のライナーを口に咥えあっという間に走り去る四足歩行巨人に、顔面から地面へダイブして倒れ込んだまま失神していたジャンもその事態に気付き意識を呼び起こし、コニーも慌てて残り僅かの貴重なガスを蒸かし、立体機動装置で追いかけようとしたのをハンジが大声で止めた。

「クソッ!!」
「コニー!! 追わなくていい!!」

 ハンジからの決死の静止の言葉を受け、そのまま屋根の上に着地したコニーにハンジは張り上げていた声からいつもの平静の声に戻る。

「もうガスは、わずかしか無い…返り討ちにされるだけだ…」

 追っ手が来ないと知って、そのまま振り切り壁外へ走り去っていく四足歩行の巨人。ライナーをあと少しで!地面に拳を殴りつけ、ジャンは悔し気に叫んだ。

「くそおおおおおっ!! 俺のせいです……俺が……取り返しのつかないことを……」
「……私の判断だと言ったろ エレン達と合流しよう」

 悔し気に叫んだジャンを宥めるように、ハンジは起きた事は仕方がないと、彼を責めることは無い。これから二つの選択へ迫られる展開の待つ彼らの元へと向かおうと、そっと呼びかけるのだった。



 それは、ようやく永遠にも近い時間からやっとリヴァイの手から、エレンへ、ケニーから託されたあの時の巨人化の注射と薬液の詰まった小箱を渡そうとしたその時だった。

「リヴァイ……兵長。やっと追いついた……」

 屋根の上をよじ登って来た赤髪に気付き、振り向くリヴァイ。そして、先ほど彼と新兵の死体がゴロゴロと転がっている中、交わしたやりとりを思い出すように、その金髪へ眼を向け、口元を覆った。

「(フロック――……間に合った!!)」

 あの時、ウミと共に獣の巨人の投石から命からがら生き残ったフロック。彼へ託した悪魔を再びこの地獄へと舞い戻らせるべく。そうして、彼の背中に瀕死のエルヴィンを背負わせて。彼はその言葉通りに平野を走り抜けてきたのだ。そしてタヴァサがそんな彼をここまで導いてくれた、から、何とかここまでエルヴィンを連れて注射器薬を持っていたリヴァイを追いかけてきたのだった。

「エルヴィン団長が……重傷です、腹がエグれて……内蔵まで損傷してるため……血が止まりません……! 例の注射が役に立てばと思ったんですが、どうでしょうか?」

 その言葉を受け、アルミンへ使おうと提案して注射器を求めたエレンへ渡そうとした巨人化注射薬を再び自分の手元へ戻すリヴァイが居た。

「……え?」

 確かに、今受け取ろうと伸ばしていたエレンの手は。そして、リヴァイはその巨人化薬の注射器の入った箱を、再び大切そうにその胸に抱えて確かめた。
 エルヴィンが生きていれば、彼の望みが果たされた。

「フロック、ありがとう、ここまで来てくれて」
「ウミ……何で、俺より先に、こっちに?」
「話せば長くなる、詳しくは後で、ね。それよりも、フロックも、エルヴィンも、無事にここまで辿り着けて、本当によかった」
「けど、ウミの馬は、駄目だったよ、ここに着くなり、まるで安心したみたいに、倒れて動かなくなった……」
「(タヴァサ……)そう、……でも、ちゃんとここまであなたを導いてくれたのね、あの子は」

 投石の攻撃を真っ向から受けたのは彼女だった。まるで自分を守るかのようにわざと自分を落馬させたのだ。あの子は。ウミは親の代から引き継がれてきて大切にしてきた、離れていた五年間も健気に自分以外の人間など乗せたくないと、抵抗し続けた自分によく似て強情な愛馬の死を受け、覚悟はしていたが、気を抜けばその場に崩れ落ちそうになるのをグッと堪え、悲しみを隠しながら、フロックを労う。
 その手は微かに震えていることはフロックにも伝わった。そして、共にエルヴィンをリヴァイの元へと連れて行く。

「ウミ、……兵長……?」

 立ち尽くすエレン、そしてミカサ、全身大やけどを負いながらも、それでも弱々しく頼りない呼吸だけど、今も生きながらえているアルミンを置き去りにしてウミはリヴァイの元へ行ってしまった。その行為が、まるで二人には親代わりに自分達を守ってきてくれたウミがあっさりエルヴィンがまだ生きているかもしれないと知るなり、さっさと虫の息のアルミンを見捨ててしまったかのように見えた。
 屋根の上にエルヴィンを横たわらせ、リヴァイはエルヴィンの口元へとそっとその手を伸ばした。

「まだ……生きてる」

 確かに感じられるエルヴィンのいのちの鼓動を受け、リヴァイは確信した。先ほどと打って変わり、アルミンではなく、明らかに立場や彼の必要性を知るリヴァイの様子を眺めるエレンとミカサ。
 ウミは先ほどまでアルミンへ注射器を使ってほしい、と、自分達と一緒になってリヴァイへ訴えていたのに。今の彼女はすっかりエルヴィンに意識を向けてしまっている。
 誰もが見るからにそう思うだろう、この注射薬は、今後欠かせない重要人物でもあり、現団長でもあるエルヴィンに、打つ、べきだと。
 ゆらりと立ち上がり注射器を使う権限のあるリヴァイは屋根の上に居る全員へ、ここまでくれば言わなくても分かる事だが、改めて告げたのだった。

「この注射は。エルヴィンに打つ」

 その言葉、重苦しい空気をより重圧な物へ変えた。そんなリヴァイの発言を受け、リヴァイへ一瞬にして距離を詰め寄るエレン。
 母親譲りのその大きな瞳には涙を浮かべ、明らかなる彼への失望や期待から一気に絶望へと突き落とされたように。

「兵長、さっき……アルミンに使うって……お願いしましたよね?」
「俺は、人類を救える方を生かす」

 まさか、こんなところで、こんな状況下で、たった一つの注射薬を巡ってこんな事になるなんて思わなかった。
 ただ、ウミと協力してここまで連れてきたエルヴィンを助ける為に使う、それはつまり生き長らえている瀕死のアルミンはここで見殺しにすると言う判断。
 エルヴィンかまだ三ケ月の新兵のアルミン、命の天秤にかける間もなく、リヴァイの決断に納得がいかないと、反旗を翻した同期たちの姿にフロックは戸惑いしか浮かばなかった。

「え……!? え!?」
「ッ!!」
「ミカサ……エレン……今すぐ、兵長から離れるのよ……」

 いつの間にか抜剣したミカサ。己の目よりも冷たい鈍色の光を持ち、ミカサは彼の背後から静かに歩み出す。そして、リヴァイへ目と鼻の距離まで一気に詰め寄るエレン、呆然と立ち尽くすウミ。
 涙を浮かべ、青ざめた表情で佇むミカサだけが持つ美しいその黒い瞳には感情の一切が、感じられなかった。
 彼女が震える手で引き抜いた刃は、まさか同じ志、壁内へ自由を取り戻す為に今まで命を賭けて戦い抜いていた男へ、向けられているのだ。
 そして――そんな幼なじみで、彼らをこの五年間自らの命を投げ打ってでも助け、守り抜いてきたまるでだけなかった自分の子供のような存在の2人へ、ウミが立ち上がり歩み出す。

「大丈夫。注射器は……私が、兵長から、奪うから……」

 そして、ウミは抑揚のない声で、思いがけぬ言葉を口にしたのだ。
 その口元には、歪んだような笑みすら、浮かべて。普段温厚なウミの底知れぬ恐ろしさは、肝を冷やす。
 その傍らで、ヒュ〜〜ヒュ〜〜と、焼け焦げた肺でそれでも何とか呼吸を繰り返すアルミン。そして、苦し気に肩でゼェゼェと息をするエルヴィンの姿、四肢を切断されたまま巨人の力を使い果たし未だに気を失ったままのベルトルト。
 三人が並んでリヴァイの持つ注射器がどのような結末を迎えるのかを待っている。
 リヴァイの上官である彼の非情なる決断が目の前の大切な、幼馴染の命を奪う事に対し、エレンとミカサは正気を無くしかけていた。
 その光景を遥か遠くの壁上から眺める四足歩行の巨人の上で肉体を修復しつつあるジークが優しい声でライナーへ語り掛けていた。

「ライナー……お前は運が、よかったね……」

 ベルトルトと、女型の巨人の力を持つアニを、壁内へ残して、ジークたちは命からがら壁外へ帰還した。物言わぬライナーを連れて。静かに去る。

To be continue…Part2
prevnext
[back to top]