THE LAST BALLAD | ナノ
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#92 殺された街の叫び

 迫る死期の足音が聞こえる。自分で望んだ最後の場所を選びたかった。最後に辿り着いた夢にまで描いたこの景色。
 悲願の地――……シガンシナ区。

 遺志を引き継ぎ壁の王となったヒストリア女王は最南端の激戦の地がある方角の窓際に腰かけ、静かに夜明けを待続けていた。今この最果てにはウォール・マリア奪還をかけ決死の作戦へ旅立った仲間達。どうか無事に、作戦の成功と領土を取り戻した英雄たちが帰還することをこの壁の中心でどうか無事に帰って来れるように、深い祈りを捧げていた。
 この世界には三重の壁しか存在しないと思っていた。三重の壁の世界の一番外の壁、ウォール・マリア領は、人類に残された領土の3分の1にあたる。
 5年前のあの忌まわしき惨劇の日。何の前触れもなく突如としてウォール・マリア南突出都市・シガンシナ区城郭都市に突如出現した「超大型巨人」によって粉々に破壊され、多くの人の平穏な日常が奪われた。
 そしてシガンシナ区とウォール・マリアを繋ぐ内門が「鎧の巨人」によって破壊され、この領土を失った人類は多大な財産と人命を失った。そして、それらの損失は始まりでしかない。残された二枚の壁の中で誰もがそう悟った。「私達はもう、生きてはいけないのだと」なぜなら人類は。巨人に勝てないのだから

――「駆逐してやる!! この世から……一匹……残らず!!」

 だが、ある少年の心に抱いた小さな刃が。巨人を突き殺し、その巨大な頭を大地に踏みつけた。それを見た人類は、何を思ったのだろう。
 ある者は「安寧」を、ある者は「誇り」を。ある者は「希望」を。ある者は「怒り」を叫びだした。
 では……ウォール・マリアを奪還したなら。人類は何を叫ぶだろう。人類は、生きていいのだと信じることができるだろうか。

「進めぇ―――!!!」

 自らの運命は自らで決定できると信じさせることができるだろうか。ウォール・マリアさえ。奪還すれば――……。



 新月の日没前。リフトでマリアの大地に降り立った兵士達。馬上に跨りついに激戦の地、シガンシナ区に向けて進軍を開始した調査兵団達。新月の夜は暗く、手元のランプの明かりだけが唯一の頼り。夏が近い空はもう朝の訪れが早い。
 登る朝日、今日はいつもの朝ではない。もしかしたらこれが最後の夜、そして迎えた朝かもしれない。命を賭けた最終決戦の日。白む空の夜明けは未だ冷える。暖を取る様にいい香りのする温かい飲み物を飲むライナー、ベルトルト、そして、もう一人。ライナーを負かし、ミケやクライスを殺害。そしてコニーの故郷を惨劇の地に変え、月明かりの晩にウトガルドの城を襲撃した原因「獣の巨人」その本体で在る長身の髭面の男が焚火を囲んで壁上で野営をして作戦会議をしている。

「だからぁ……アニちゃんなら きっと大丈夫だよ。拷問なんか受けちゃいないって。大体考えにくい話じゃない? 俺達の能力があれば傷一つで大概のことは何とかできるんだから。ましてや要領のいいアニちゃんのことだ。どこかに身を隠してキックの練習とかしてんだよ。どーせ」

 そう告げ、猫舌の彼は息を吹きかけそのいい香りのするこの壁内では流通していない黒い飲み物を飲みながら不安げな顔をする若き戦士を励ました。

「しかし……正体がバレていることは確かなんです」
「……いくらアニでも……」
「へぇー……まだ決意が固まってないってこと?」

 気の抜けた声調だった「獣の巨人」の本体である丸眼鏡をかけた白に近い金色の髪をした髭の男はこの壁内に囚われたアニ救出を賭けて争い、自分が持つ投球能力の前に負けたにもかかわらず、アニの身を案じ続けるアニの同期である戦士二人に厳しい目を投げかけた。
 男はエレンが持つ能力である始祖の巨人が持つ全ての巨人を支配する力「座標」奪還がこの壁に来た理由だと説く。「獣」と「鎧」のアニを賭けた壮絶な戦いによって5年前に死んだこの街の外観は更に朽ち、ゴーストタウンに拍車をかけてしまっている。完膚なきまでに叩きのめしたライナーへ獣の巨人の本体は変わらず厳しい目線を投げかけ、敗者に低い声で決定打を打つ。

「そーですか。じゃあ、この間決定したことは一体何だったのでしょうか? もう一度やってもいいんだぞ、ライナー? ただし、次お前が負けたらその「鎧」は他の戦士に譲ってもらう」

 巨人の能力は先代から引き継がれそうして任期を終えれば再びその能力はまた別のものが継承する。その巨人の能力を生かせない器には用は無い。ライナーは彼の言葉に怯えながら否定した。

「い……いえ……そんなつもりは……」
「じゃあしっかりしようよ。目標は一つだろ? ここで「座標」を奪還して、この呪われた歴史に終止符を打つ……。もう、終わらせよう。終わりにしたいんだよ。俺達で」
「わかりました アニのことは一旦頭から離します。こんな地獄はもう俺達だけで十分だ。もう……終わらせましょう」
「ベルトルト……」

 ベルトルトの脳裏には、自分達の引き起こしたトロスト区攻防戦の事が脳裏に浮かんだ。3年間訓練兵団時代を共に過ごして来た仲間でもあったマルコ。しかし、聡明な彼は偶然自分達の本当の目的をたまたま耳にしてしまった。自分達の目的を知られるわけにはいかない、口封じとして翼を失った彼を見殺して巨人に捕食させた、あの悪夢の事。もうあんな気持ちは繰り返したくないと、普段大人しい彼が自らの思いを口にし、彼に同意した。
 壁内人類は悪魔だと言い聞かせられていたのに、壁内で苦楽を共にした仲間達は自分達と同じ人間だった。仲間であるマルコの死は今も3人を苦しめ、その事からライナーは「戦士」である自分と「兵士」である自分との間の境が分からなくなり、人格障害に苦しんでいる。だからこそ、もうこの苦しみの連鎖はここで早く終わらせ、自分の故郷へ帰ろうとジークは既に疲労の色が濃い二人へ祖国への帰還を促した。この壁内人類の忌まわしき罪、そのこれからの末路を嘆き、この壁内の楽園に終止符を打つべく、呪われた身体に流れる忌まわしき一族の歴史を消す為に。その時。決意を秘める3人の前に、突然壁の下から低い声が聞こえた。

「ジーク戦士長」

 聞こえた声に慌てて壁上から下を覗き込む3人の前に姿を見せたのは。背中には樽を積み、四足歩行の面長でお世辞にも秀麗とは言い難い馬面の巨人だった。獣の巨人と同じようにこの巨人も人語を話せるらしい。そう、今調査兵団が対峙する敵はライナー達だけではなかった。史上最強の巨人たちが調査兵団達を根絶やしにすべく待ち受ける。
4足歩行の馬面のお世辞にも美しい容姿とは形容しがたいその巨人は獣と同等の知性を有していたようだった。人語を話し、その俊敏な機動力を生かして周囲を見張っていた。

「敵兵力多数接近。麓まで来ています」

 4足歩行の巨人「車力の巨人」と呼ばれる鎧や獣や超大型や女型に続くこの壁内人類において脅威となるその名前。彼らのサポート役として周囲を警戒し、敵の接近を知らせに来た。そうして獣の巨人の正体である男は彼らの戦士たちの間では「ジーク戦士長」と呼ばれているらしい。階級や実力は調査兵団で言うリヴァイと同じかそれ以上か。この「始祖奪還作戦」において決定権力を持っている。もう刻は近い。ジークと戦士長と呼ばれた丸眼鏡の男はゆっくり立ち上がると、香ばしい匂いのする温かい飲み物が並々と注がれた鉄製のポッドを掲げた。

「勇敢なる戦士達よ。ここで決着をつけ、我々の使命を果たそうじゃないか」

 開戦の前の勝利の前祝いと作戦の成功を祝して乾杯をするジークとライナーとベルトルトは鉄製のポッドをカチンと小気味よく鳴らしてそれぞれその飲み物を口へと運んでいた。

「熱ッ!!」

 しかし、ジークは猫舌らしく、鉄製のポッドのまだ冷めない湯気の立つ飲み物に驚いていた。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れ、一気に流し込み飲み終わったカップなどを全てはるか下にある壁の下に蹴り落としてここで野営をしていたと敵に知られる前に証拠を隠滅すると、それぞれの持ち場へと急いだ。

「行くぞ!」
「あぁ」

 空が白み、太陽が地平線から顔を出した。もうこれで最後にしよう、互いにそれを思い進む中で準備の為にそれぞれ行動に移り壁上を小走りで駆けるライナーが後ろからついてくるベルトルトに投げかける。

「ベルトルト」
「ん?」
「散々言ってきたことだが…。俺とはこれから離れた位置につくわけだ。これから少しは自分で考えて行動しろよ?」
「あ……あぁ」
「俺の指示ばっか仰ぐんじゃなくてな、」

 念を押すように、そう告げるライナーに対してベルトルトも戸惑いながらもエレンを奪い返しに来たかつての同期達へ泣き叫んでいたあの時の自分を思い返していた。

「あぁ……、わかってる」
「本当は誰よりも高い能力を持ってるはずなのに。肝心な所で人任せだ。正直今まで頼りにならなかったぜ」
「……わかってるよ」
「……今まではな。終わらせるんだろ? ここで」
「そうさ……ここで勝って終わらせてやる……!」

 もうあの時みたいに泣いて許しを請うのはもう終わりにし、「戦士」としてかつての仲間と命を賭けて戦う事を誓う。

「その調子で愛しのアニの元まで踏ん張ろうぜ」
「だッ……! だからそんなんじゃ……」

 同じ戦士同士、幼い頃からずっとアニへ抱いている淡い思いをライナーに見抜かれ赤面するベルトルトをリラックスさせるようにライナーは明るくベルトルトを励ました。かつての仲間との対峙に迷いがないと言えばうそになる、しかし、自分達には大きな役目がある、そして命がかかっているのだ。

「アニだって絶対絶命の窮地に駆けつける野郎が現れれば王子様だと誤認するはずだ。たとえお前でもな。そして……クリスタとウミだ……」
「……あぁ」
「彼女はこの壁の中に居ていい人間じゃない。絶対に死なせてはいけない……。そして、クリスタはユミルとの約束だからな、絶対に救い出してやるぞ」
「あぁ……絶対に」
「じゃあな。頼んだぞ相棒」

 ライナーは背中を向け合い、ベルトルトの背中にドン、と拳を突き出し、彼なりに声援を送る。

「任せろ」

 ライナ―の声援に応えるかのように、ベルトルトもライナーの背中に強く拳を押し返して、決意を秘めた彼の声が反響した。それぞれが互いの持ち場へと別れ、行動を開始した。日が昇る。いよいよ戦いの火蓋はこのシガンシナの地で落とされる。



 月も見えない新月の夜の山の中を調査兵団達は馬から降り、ゆっくり足音を立てぬように闇の中に紛れ込み進んでいた。馬を引き連れ暗がりの中、1人体力温存の為にとタヴァサの上に跨りウミは周囲を見渡していた。ランプだけが頼りの中、足元を照らしながら馬たちが岩に足を取られてバランスを崩したりしないように。細心の注意を払いながら進む。その時、後ろを歩いていた兵士が岩に足を取られて馬ごとバランスを崩し、その拍子に地面にレイス卿領地の礼拝堂の鉱石を元に完成したランプを別の兵士が落としてしまった。

「わわ……っ」
「オイ!」
「す……すいません」
「ちゃんと足元を照らせ!」

 森の中、何処に巨人が潜んでいるかもわからない状況だ。そんな中で馬の嘶きや自分達の声で巨人が気付いて戦闘にでもなれば大損害になり、ここでしくじればシガンシナ区までのルート開拓の苦労が無駄になる。厳しい言葉を投げかけながらリヴァイは周囲を警戒しながら、未だに見えないシガンシナ区へ焦れたように問いかける。

「麓はまだか? 夜が明けちまうぞ」
「この山さえ越えれば、シガンシナ区はすぐそこだ」

 手にした地図を頼りに進む調査兵団達。ウミは心配そうに見渡す中でここの景色に見覚えがあると感じながらシガンシナ区が近いことを知る。とうとう帰って来たのだ、5年前のあの日に死んだ街で…。

「わりぃな……俺の馬まで」
「あなたはここで体力を使うべきじゃない」
「あぁ、わかってる」

 この作戦の要であるエレンの体力を温存するためにミカサは自分とエレンの馬も引いて進んでいた。ミカサに助けられてばかりで申し訳なさそうなエレンに休めと促したコニーだが、この作戦のそもそもの意味が無くなるとジャンが注意した。

「そうだぞ、休んどけよエレン」
「バカ、名前で呼ぶな」
「そうだった! ……すまん」
「周りは常に敵だらけだと思えって――……っ!? 左に巨人!! 全体停止!! 周囲を照らせ!!」

 歩いていたジャンがたまたま目線を向けたその先。岩に凭れ込んで座り込んだ巨人の気配に気付き周囲の兵士に声を張り上げた。一気に緊張に包まれる。すかさず兵士たちが立体機動装置のブレードを引き抜き一斉に厳戒態勢に入る中で冷汗を垂らしながらも冷静にハンジが巨人を見れば巨人は静かに眠っていた。

「皆……大丈夫。ぐっすり寝てる。この子も夜に動くっていう新種ではないようだね…。ハハッ……残念だな、ほっといてやろう」

 ライトを下げ再び歩き出す中で安堵から気が抜けるエレン。ハンジも冷静になだめながらも肝を冷やしたらしい。

「ふ――……」
「……こんな距離まで近付かないと気付かないなんて」
「あぁ…まったくだ。普段なら真夜中に森を散歩するのはオススメしないけど、私達はきっとこの闇夜に守られてる。コニーとヒストリアが夜に動く巨人と遭遇したのは月明かりの夜だった。月の光は太陽光の反射だからね。新種の巨人は、その微量な月光を糧にして動いているって仮説が正しければだけど。新月を選んで正解だった。あの時と同じことが起こらない保証はないからね。今の子も「月光の巨人」だったかもしれないからね…いつか捕獲てきたらなぁぁ〜っ」

 うっとりしたようなハンジが不気味に眼鏡を光らせ進む中、突如ライトを持っていたエレンの手が寒くもないのに震え出し、呼吸が乱れ出した。

「(震えが……!? ……何だ!? 何がそんなに怖いんだ!? クソッ、……こんな調子で……ウォール・マリア奪還作戦に失敗したら……!? どれだけの人が失望すると思う!? また次の機会なんてもんがあると思うか!? やっぱりオレじゃダメなのか……?  こんな奴が……どうやって人類を救うっていうんだよ? こんな奴が、どうやって?」

 慣れ親しんだ故郷へ思いを馳せる中で、街に近づくにつれて震えが出てくるエレンが震えを止めようと右手に持っていた震えで音を立てるランプを押さえつけるように左手で抑え込んだ彼の変化にミカサとアルミンが気付いて心配そうに顔を寄せた。

「……エレン、」
「どうしたの震えて!? 怖いの?」
「っ、は……はぁ!? 怖くねぇし!!」
「ええ? ウソだぁ、手が震えてるもん」
「これは……寒いんだよ……! 手が何かすっげぇ寒い」
「そうなの? 僕なんかずっと震えが止まんないんだけど……ほら」

 アルミンは自分はさっきからずっと震えが止まらないと、ライトを持っている右手が震えていることを見せる。恐怖を抱くアルミンの手はエレンよりも震えていた。

「エレンって巨人が怖いと思ったことはある? 普通は皆、巨人が怖いんだよ。僕なんか……初めて巨人と対峙した時、まったく動けなくなったんだ……。でも……そんな僕を……君は、巨人の口から出してくれたんだ。……何で君はあんなことができたの? 君が僕の身代わりになるなんて……あってはならなかったんだよ……」
「思い出したんだ……お前がオレに本を見せた時のことを……。それまで壁の外の事なんて考えた事もなかったんだ。毎日雲を見て過ごしていたっけ。あの時、お前の話を聞いて、お前の目を見るまでは」
「目?」
「あぁ。お前は楽しそうに夢を見てるのに。オレには……何にも無かった。そこで初めて知ったんだ。オレは不自由なんだって、オレはずっと鳥籠の中で暮らしていたんだって気付いたんだ。広い世界の小さな籠でわけわかんねぇ奴らから自由を奪われてる。それがわかった時、許せないと思った。何でか知らねぇけど……オレは、自由を取り返すためなら、……そう、力が湧いてくるんだ。……ありがとうな、もう大丈夫だ」

 幼かった純粋な自分が鳥かごの中に囚われた狭い世界の人間だと知った日の事を覚えている。それからアルミンとは街のはみ出し者同士交流を重ね、そして今調査兵団として奪われた故郷を取り戻し、そして今度こそ産みを見に行こうと夢を追いかける。幼少の頃からの付き合いであるアルミンとの夢の話、エレンは先ほどまで震えていた右手の震えが落ち着いたことに安堵し、改めて互いの夢を目指し進む。目先の不安に囚われてはいけない、目先ではなく、もっと先に待つ未来、夢を見るのだ。夢がある限り、希望が潰えることは無い。

「多分来年の今頃オレ達は海を見ているよ」
「……うん、」

 エレンの言葉、それは奪還作戦の前祝の夜に誓い合った夢の先。そう、この恐怖を乗り越えれば海が見れる。必ず海はあると信じて…。その時、ミカサは明るくなり始めた周囲の木々を見て5年前の記憶が蘇る。思い馳せていた故郷を忘れることは無い、そうだ、ここに見覚えがあると気付いた。

「……! この辺り……見覚えがある。確か、薪を拾いに来たことが……」
「麓が見えたぞ!! 街道跡がある!!」
「もう…すぐそこだ」
「川の音が聞こえる!!」
「僕達…帰って来たんだ……あの日……ここから逃げて以来……僕達の、故郷に――……」

 夜明けと共に白む視界にようやくシガンシナ区の壁が見えてきたのだ。それは馬上に乗るウミにもよく見える。

「あぁ……」

 懐かしの故郷、思わず胸がいっぱいになり、懐かしさから口元が緩み、視界が朝日に滲む…。ウミは感嘆の吐息を漏らしていた。脳裏に幾度も描いた故郷はもう目と鼻の先だ。

「シガンシナ区……もう、近い……、帰って来たんだ……」

 風の匂い、何ひとつ、代わらない。846年に起きた最初のウォール・マリア奪還作戦から4年の歳月が流れた。口減らしの為の王政の政策により多くのウォール・マリア住人の死体の中で蹲り、それでも死ねない自分の姿が重なる。
 あの場所に母が居る。自分の家、街並み、懐かしさから今すぐ駆けだしたくなる気持ちを抑えウミは感嘆のため息を漏らす。しかし、これは里帰りではない、あの地でこれから史上最大の作戦が始まるのだ。

「お前は作戦開始まで体力を温存していろ。いいな」
「うん、」
「ウミ……」
「すみません、はい、です」

 夫婦で同じ兵団の人間というのはとてもやりにくいものがある。他の兵士の示しにならないと他の兵士以上に厳しく接するリヴァイ、幾ら夫婦となったからと言って公私混同をするつもりはない。
 あの6日間で誓ったはずだ。私語は厳禁、自分は女としてではなく兵士として傍に居たい、作戦中は公私混同を捨てて上官と兵士として接すると、自分と同じ兵士で居るために約束したと言うのに懐かしの故郷に思わず素が出るウミにリヴァイは厳しく接する。

「作戦が開始したらすぐに行動を開始する。故郷を懐かしんでヘマをしたらお前を壁から突き落とすからな」
「ハイ、リヴァイ兵長」

 作戦中は俺の傍を離れるな。無謀な行動をしたら一生寝たきりの絶対安静を実行する。そう告げたリヴァイと最後に交わした約束を忘れたわけではない。しかし、これは調査兵団の全てを賭けた作戦であり決戦なのだ。いつ、巨人が攻めて来るか、作戦の前に必ず立ち塞がる彼らをどうなるのかわからない。脳に大病を抱えた余命幾ばくもない中でそれでも兵士として、ウミは凛と前を向いた。

「(リヴァイにこれ以上誰かを看取る役目を与えたくない……。お母さんに会うまでは私は、死ねない――……!)」

 死ぬのなら医師に告げられた残り僅かの余命を生き延び、せめて彼と一緒に海を見たい……。
 安らかにベッドに眠りたい。こんな冷たい土のベッドで生涯を終えたくないと誓う。朝焼けに包まれて。次第にランプ無しでも肉眼でシガンシナ区が目前だと言う事がわかるようになり、エルヴィンの指示を受けた兵士たちは一斉に馬に跨ると、フードを深く被り直した。
 これは第57回壁外調査においてアルミン達が女型の巨人と遭遇した際にアルミンが発見した。エレンが誰か、フードを深く被り顔を隠してカモフラージュして誰がエレンか敵側に悟られないように。
 一斉にウォール・マリアの破壊された内門へと馬を走らせ疾走する。

「日が昇ってきたぞ!! 物陰に潜む巨人に警戒せよ!! これより作戦を開始する!! 総員立体機動に移れ――!!」

 エルヴィンの号令を受け、深くフードを被った調査兵団達は総員立体機動に移り、次々と馬上から飛び出し壁上へと向かう。

「また後でね、タヴァサ、」

 馬たちはシガンシナ区の前の内門前で待機する。そのまま白銀の毛並みが美しい愛馬へ別れを告げ、ウミも馬上でゆっくりと立ち上がると、立体機動装置のトリガーを引きガスを噴出させながら久方ぶりの立体機動で上空へ舞い上がり曇天の朝に弧を描いて壁上へ着地したのだった。

「塞ぐべき門は二つ。内門と外門だ。これによってシガンシナ区を独立させ、中に残った巨人を殲滅する。我々の動きを知れば、敵はエレンを狙って来るだろう。敵の目的はエレンを奪うことにある。敵がエレンに壁を塞ぐ能力があると知っているかどうかはわからないが、我々がそこに向かっていると知った時点で壁を塞ぎに来たと判断するだろう。そして破壊された外門を塞ぐと踏んでいるはずだ。我々の目的が壁の修復以外にシガンシナ区内のどこかにある「地下室」の調査だと言うことは既に敵に伝えてある。ならば先に塞ぐ外門にエレンは必ず現れる」

 ウォール・マリア奪還作戦の最終調整の際にエルヴィンが告げた今回の作戦通り、次々と兵士達が壁上へ到達する。エルヴィンが隻腕で着地したその背後では何百人ものフードを被った自由の翼が一世に舞い上がる。

「ここにいるのはフードで顔を隠した、総員100名の兵士。誰がエレンかわかった時は既に外門を塞いだ後だ」

 壁上に着地したウミはその高さに目がくらみながらもその下、内門から見えた変わり果てたシガンシナ区の街の姿にただ。言葉を失い立ち尽くした。

「(これが、5年間人の居ない街の姿……)」

 5年という長い歳月を経て。街は確実に人々が確かに存在していた活気が失われてて草に覆われ無人と化した街は巨人に蹂躙され死んでいったことが分かる。

「(おか、あさん……)」

 こんな街に一人ぼっちのまま、四季を跨いで、息絶え今はもう見る影もない美しい母へ。思い馳せ涙がこみ上げる。しかし、こんなところで立ち止まり故郷を思い母を思い涙を流している場合ではない。ウミはマントで涙を拭うと引き続き周囲の警戒に努めた。

 兵士達のカモフラージュにより襲撃を受けずに無事壁上に辿り着いたエレン達シガンシナ組達にもこの街の変わり果てた光景が見えるだろう。

「止まるな!! 外門を目指せ!!」
「ッ!! ……了解!!」

 その通りに変わり果てた故郷にすっかり目を奪われているエレンに後ろからリヴァイの怒号が飛ぶ。時間勝負だ、敵に気付かれ妨害されるその前に。一刻も早く巨人化して硬質化の能力で外門を塞いで巨人の侵入を止めなければ。
 壁上を素早く駆け抜けながらエレンの巨人化を妨害される前にその護衛として外門へ向かうリヴァイとは反対にエルヴィンの居る内門に残るウミ。言葉は交わさずともお互いの思いは同じだ。

「(気を付けて、)」
「(お前もな)」

 小声でそう告げウミとリヴァイはすれ違い様に互いの武運を祈った。祈るだけでは意味が無い、行動で互いは互いの無事を信じ、背垢合わせの二人は互いの道を行く。
 エルヴィン達が与えてくれたこの1週間を二人はゆっくりと過ごし噛み締めた。もうこれ以上ない程にお互いを知り合えた。5年間の空白を取り戻し、お互いを見つめ直し、そしてここまで来た。そう、これは永遠の別れじゃない。

「アルミン?」

 並走していたアルミンが突然足を止めた。体調でも悪いのだろうか…。それともこの状況に委縮しているのだろうか、ウミが心配そうに覗き込むと、壁上のある一部が焦げているのが見える。
 数分前だろうかまだ少し余熱が残っている。

「アルミン、これって……焚火の跡??」
「うん、たぶんここで野営してたのかもしれない……僕たちの接近に気付いて急いで下に落としたんだ!!」
「この焚火で野営していたのは……」
「いる……近くに ベルトルトとライナーが……!」

 焚き火の跡を見てベルトルトとライナーがすぐ近くにいたということを悟ったアルミンがすぐに装備していた立体機動装置のブレードを掲げ、片手を挙げエルヴィンに合図を送る!
 その一方でシガンシナ区の壁上を駆け抜け懐かしい街の変わり果てた姿を横目で負いながらエレンは自分の家があった場所を探していた。

「(オレの家はあの辺だ…あそこに――すべてを置いてきた)」

 自分を守るように後ろを飛ぶミカサの不安そうな顔を肩越しに見てエレンは決意を新たにガスをコントロールするグリップを強く握る。

「(大丈夫だ、ミカサ――。故郷なら、取り返してやる。オレにはできる)」

 決意を胸に、エレンは自分に言い聞かせた。壁上を素早く飛びながら周囲を警戒するハンジ達からの合図を待つが、ハンジ達は作戦を開始し、明らかにこの壁のどこかに潜んでいる筈のライナー達の姿が見えないことに対して警戒心を強めている。

「やっぱりおかしいな……何で……!? 周りにまったく巨人がいない!? イヤそれどころかここに来て一匹も見当たらない……やっぱりおかしい」

 一斉に駆け抜けシガンシナの外門側へ到達したが、周囲にはライナー達は愚か巨人の姿も見当たらない望遠鏡で見渡しても周囲は不気味なほど静寂に包まれている…。神妙そうな顔をするハンジに背中越しにリヴァイは作戦の続行を促した。敵が出ないのならそれならなおさら今外門を塞ぐしかない。もうここで切り上げて手ぶらでは帰れないのだから。

「ここは敵の懐の中ってわけだ……だが。やるしかねぇ……」
「ああ、作戦続行に支障無し、」

 リヴァイの声を受けハンジが緑の信煙弾を打ち上げると、合図とともにエレンがガスを噴き出して一斉に遥か遥か高い上空へと一気に上昇した!

「(オレにはできる……イヤ、オレ達ならできる…! なぜならオレ達は生まれた時から…皆、特別で――……自由だからだ!!!!」

 外門があるの壁の外へと、ガスを蒸かして目がくらみそうなくらいはるか遠くの高さまで。一気に上昇し、舞い上がったエレンの身体は内門のウミ達からも見えた。高く跳躍したエレンは、巨人化すると同時に硬質化してその姿形を保ったまま、ベルトルトが蹴破ったままの状態だった外門のぽっかり空いた空洞を塞ぐべく、親指の付け根を噛む。すると、エレンの頭上から雷が落ち、エレンは巨人へとその姿を変えた。そして、硬質化の光を放った瞬間、ビキビキと蜘蛛の巣上に広がった硬質化の光がぽっかり空いた壁の穴を見事に埋め尽くしていく。
 その様子をどこか隠れた場所から見つめるベルトルトとライナーの姿。調査兵団からも見えない場所で、エレンの硬質化により外門が塞がれた瞬間を、姿はひそめたまま、見届けたのだった。

To be continue…

2020.06.01
2021.03.13加筆修正
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