THE LAST BALLAD | ナノ
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「#年下攻め」のBL小説を読む
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#90 このままで時が止まるならば

 人間の脳とは感情・思考・生命維持その他神経活動の全てを司っている。人間は脳が機能しなければ生きていけない。しかし、そんな状況下で今、ウミの脳内がこの壁の世界の文明ではどうすることも出来ないいつ爆発するかわからない恐ろしい時限爆弾がその職種を伸ばし、今も蝕みつつあった。ウミが残され余命は幾ばくもない。
 これから二人で手を取り合い生きていこう。クーデターを乗り越えそうしてようやく結ばれた二人。しかし、その願いは到底叶いそうもないという残酷な現実が待ち受けていた。
 2人の前にはこの壁よりも強固な現実が聳えていた。どうしようもない現実の前に、ただひれ伏し。そうして、抱き合い涙する二人の間を行き交う言葉はもうどこにも存在していなかった。最後の時は刻一刻と迫っていた。
 リヴァイはその事に対して気付いていた。気付いていて、知らぬふりをした、それは医師の誤診で、単なる思い違いだと、だって、目の前の彼女はこんなにも…自分に笑っているじゃないか。
 彼女の犯した罪は証拠不十分で不起訴処分となった。しかし、いつか、ウミがその事実を知った時、彼女は何を望むのだろう。そして、リヴァイは考えた。自分はそんな彼女に何をしてやれるのだろうか。
 そんな時、ふと脳裏に過ぎるのは先ほどエルヴィンから最も生存率の高い自分へ託されたあの巨人化の注射器の箱の存在。そう、この注射器を使えば彼女は醜い巨人にはなるが、ライナーかベルトルト、どちらかの巨人の力を引き継げば彼女の病は治るのではないか、軌跡さえも信じた。
 それか、彼女が死の淵に立たされたとして。彼女はもしかしたらシガンシナ区で生き残る可能性も高い、その時に、彼女を……巨人化させて。

「俺は……何を考えてる……?」

 リヴァイは馬鹿か、と自分を責めた。使用を判断する権限の全てはこの自分に託されたのだ。リヴァイは苦悩した。選択肢は自分に委ねられている。シガンシナ区で余命幾ばくもないウミにこの注射を与え…そして、ウミを巨人化させる。彼女の両親の命を奪った巨人にさせる……。なんとおぞましい考えだ。嫌がる彼女を無理やり巨人化させて、そうして憎い巨人となり生きていく…。我ながらどれだけ精神的に追い込まれているか……考えたくもない。
 しかし、考え出すと止まらない。どうにかしてウミを、この世につなぎ止めようとしている。

「(ウミ……ウミ……ウミ……お前が一番不安でたまらねぇのに……俺は、お前が俺の前からいなくなる未来の事ばかり……)」

 5年間、ウミと離れて思い知った。この世界は一人で生きていくにはあまりにも人が死にすぎる……。過酷で残酷で寂しすぎるのだ、誰しもが1人ではこの人生を、生き抜けない……。それは、例外なく自分もだ。
 最後の戦いの日は近い。そして、ウミの最後も。彼女がエレンやアルミン達と話していた。せめて「海」を見せてやりたい。
 自分が持つ全てで包み込み最後の瞬間、笑って、幸せだったと…ただ、愛したい。そして、最後の時まで一緒だと約束した。全てはあのシガンシナ区を取り戻してもう一度あの空を見上げる為。
 奪われた地平を取り戻すために進軍を開始する自分たちを迎え撃つ巨人達と、どちらかの命が。そして最後の一人になるまで熾烈な戦いを続けると誓った。兵士長としての責務を全うする立場の観でありながら、一人の男としての自分はウミを失いたくないと強く願っていた。彼女を思い浮かべ男はウミの為に、堪え切れず涙を流した。
 もう彼女はどこにも居ない。それでも、愛している……。これは悪い夢の続きだと、未だ目覚めていないのだと、やみくもに信じていた。



「……つまり、エレンの父グリシャ・イェーガーもウミの父親と同じ、「壁の外から来た人間」である可能性が高いと…」

 王都からトロスト区に戻って来たリヴァイとウミ。ウォールマリア奪還作戦の最終打ち合わせが行われており、一応ウミも兵団幹部の人間に交ざって話し合いに参加していた。テーブルを囲む幹部から離れた場所でリヴァイとイスに並んで腰をかけて、これまで離れていた空白の期間の間に調査兵団がこれまで準備してきた事に、起きた出来事にただ耳を澄ませていた。

「そう……アニやライナー・ベルトルトと同じように、彼は巨人の力を持っていたしね。でもその3人と違うのは……壁の中の人類に協力的だったってこと」
「調査兵団に興味を持ってたって話なら、もっと協力してくれても……よかったんだがなぁ」
「確かにそうだよな、突然調査兵団に入れてくれって現れたカイト副団長みたいに……」
「どうかな……。元副団長とグリシャさんは恐らくは互いの存在を今となっては確証できないし。それに、結局真実を知る前にどこかの逃げ出した団長と違い、勇敢な副団長は亡くなられてしまったからね。ウミ本人もライナー達から聞かされて驚いていたみたいだし。この壁に入ってから独力で王政を探るなどしていたんだろうし、物知りなグリシャさんなら、レイス家に受け継がれる思想の正体すらも何か知っていたのかもしれない。であれば……王政に悟られまいとして情報を広めることはしなかった。しかしウォール・マリアが突破された瞬間、彼は王政の本体であるレイス家の元まですっ飛んで行き狂気の沙汰に及んだ。凄まじい意識と覚悟がなきゃ、到底できることじゃない。そんなお父さんが調査兵団に入りたいと言った10歳の息子に見せたかった家の地下室……死に際にそこにすべてがあると言い残した地下室……。そこには一体、何があると思う?」
「言ってはいけなかったこと……。イヤ。グリシャ・イェーガーが言いたくても言えなかったこと。つまり、初代レイス王が我々の記憶から消してしまった「世界の記憶」……だと思いたいが。ここで考えたところでわかるわけがない、彼はウミの父親とも、親交があったようだな」
 エレンの父であるグリシャ・イェーガーが自分の父親と同じ壁外の人間と聞かされ、ウミはどうしてあんな一番壁が破られたら真っ先に狙われる危険な場所に居住を構えていたのか、そして、隣近所のエレンの家族と親交があった事、それは自分達の父親同士が壁外から来た秘密を持つ人間だったと知る者同士だった。
 合点がいった。考え込むウミを心配そうにリヴァイの目線が注がれるが、ウミは大丈夫だと微笑む。

「本日ですべての準備は整った。予定通りにウォール・マリア奪還作戦は7日後に決行する」

 エルヴィンから告げられた奪還作戦の予告。いよいよ始まる。一同はより緊張感を高めた表情を浮かべて互いの顔をそれぞれ見合わせていた。

「地下室には何があるのか? 知りたければ見に行けばいい。それが……調査兵団だろ?」

 彼の言葉に誰もが緊迫していた表情から一転し、穏やかな笑みを浮かべて奪還作戦を必ず成功させようとそれぞれが決意を胸に士気を高め合う。
 そうだ、この前代未聞の作戦に恐れを抱きながらも、しかし、エルヴィンの言葉の通りだ。まだ自分達には知らない世界がこの先には広がって居る。その為に進撃を続ける、それが自分達真実を求め歩みを続ける調査兵団でもある。

「では、各班を任せたぞ」
「あぁ。くれぐれも秘密裏にな」
「でもせめて作戦開始前には奪還作戦への前祝がてらに肉を食ってもいいですよね?」
「そうだな……たまにはガキ共に大人の甲斐性を見せつけてやらねぇと」
「シャーディス団長の隠匿罪についてはどうする?」

 これまでの秘密をずっと隠していたキース・シャーディスへの処遇を訪ねると彼の本心を知り幻滅したハンジが辛らつな口調でそれを跳ねのけた。

「ほっとけばいい。私たちはもうあんなのにかまってる暇は無いよ」
「ショックだよなハンジ……あんたの憧れだったのに」
「うるさい、だまれ」

 憧れの存在だった人間は「自分が特別ではない」そんな劣等感を抱え、挙句一般の女性に八つ当たりするような器の小さな人間だったと、憧れを抱いていたからこそ尚の事その嫌悪感は大きい。
 からかわれて珍しく怒っているハンジを宥めながら、ウミは団長室を退出しながらシャーディスと五年前に見た光景を思い返していた。彼が隠匿罪ならば、当事者である自分も間違いなく同罪だ。
 あの光を見なかった事には出来ない。しかし、彼はそれを知りながらも自分を庇ってくれている…ここで自分がまた罪を告白すればまた同じことの繰り返しになる。牢屋に捕まり死期を待つくらいなら、開いた手を強く握り締めて、ウミは顔を上げトロスト区よりも南へ目を向けていた。

「(牢屋や冷たいベッドの上でいつか来る死を待つなら、罪人らしく死地に飛び込んで……そして潔く人類の為に心臓を捧げて死ねばいい……)」

 この病は自分のこれまでの人生の答えだと甘んじて受け入れよう。その選択がいずれ、彼を悲しませる事になったとしても。
 彼には自分と違い、未来がある。こんな子供も産めない自分とは別れて、人類最強の遺伝子が欲しい、彼の子供を産みたいと望む女ならこの世にごまんといるだろう。あの人はきっと一人になることは無い、私が居なくても彼ならやり遂げてくれるはずだ、そう信じている。

「ウミ、それで……体調は……大丈夫なの……?」
「ハンジ、うん、私は全然大丈夫だよ、そんなに言われるほど全然自覚症状とかも無いし、……あ、でも最近体がだるくて……」
「もしかして、生理?」
「ううん、それは無いよ。だって私……」

 部屋から去る中、リヴァイは思いつめた表情でハンジ達を押し出すように重みのある体躯がドアに凭れかかり、そのままドアを閉めた。自分の顔を見て不安そうなウミがドアを閉め出そうとした直前に見えたが、その切なげな表情を見ないようにして全員追い出した。その部屋にはリヴァイとエルヴィンの2人きりになる。残ったリヴァイの思い詰めたような、何処か不安を孕んだ眼差しから悟り、エルヴィンが冷静に応える。

「何だ? リヴァイ」
「気の早い話だが……ウォール・マリアを奪還した後はどうする? 何より、防衛策の確立が先だと思うが……その後は「脅威の排除だ。壁の外には、どうしても我々を巨人に食わせたいと思ってる奴がいるらしいからな…もっとも…それが何なのかは。地下室に答えがあると踏んでいる。だからさっき言った通りだ、地下室に行った後に考えよう」
「……お前がそこまで生きてるかわからねぇから聞いてんだぜ? その体はもう以前のようには動かせねぇ……さしずめ巨人の格好のエサだ。現場の指揮はハンジに託せ。ウミも頭に時限爆弾抱えた状態で……。余計なお荷物抱えんのはまっぴらだ。せめてお前はここで果報を待て。連中には俺がそうゴネたと説明する。イヤ、実際そうするつもりだ。……それでいいな?」

 リヴァイは口にした。ウミもそうだ、亡くしたくない。しかし、ウミは今作戦への参加を拒否して止めようが止めまいがいずれは死んでしまう。ウォールマリア奪還作戦が成功したとしてもしばらくは故郷であるシガンシナ区には帰れない。復興作業が終わるまでに彼女が生きている可能性がゼロに等しいから、ならば彼女をこのまま連れて行ってやりたいとさえ、思う。
 それに比べてエルヴィンは生きている。隻腕でも彼の知恵や作戦は変わらず健在だ。そしてこれからも調査兵団の団長の力は必要になる。彼なしにはクーデターも完成しなかった。団長であるエルヴィンにまだ死なれては困るのだ。そう、後にも先にも壁内人類にはエルヴィンという存在は絶対に必要だからだ。
 伸ばした左腕が永久に失われたもうない右腕に触れながらエルヴィンはリヴァイの言葉を受け止める。リヴァイの言う通り、隻腕の自分では何の役にも立たない。隻腕での立体機動は何とか形にはなったがそれだけだ。剣を振るえないそんな中で自分は巨人の囮にもなりはしない。しかし、エルヴィンの脳裏には幼き日に交わした自分と父の姿が浮かぶのだ。

「ダメだ。エサで構わない。囮に使え。指揮権の序列もこれまで通り。私がダメならハンジ。ハンジがダメならウミだ。確かに困難な作戦になると予想されるが、人類にとってもっとも重要な作戦になる。そのために手は尽くしている。すべて私の発案だ。私がやらなければ成功率も下がる」

 自分がやらなければ。そう言いながらもリヴァイの脳裏には巨人の正体が人間かもしれないと疑念を抱いた時に驚く中一人微笑んだあの時のエルヴィンの子供のような笑みに隠された本心、それは建前で、探求心の強いエルヴィンは本当はこの壁の世界の真実を知りたいと思っていることを見抜いていた。だからこそリヴァイは何としても彼をここで説得させてお留守番をしろと促す。

「そうだ、作戦は失敗するかもしれねぇ。その上お前がくたばったら後がねぇ。お前は椅子に座って頭を動かすだけで十分だ。巨人にとっちゃそれが一番迷惑な話で人間にとっちゃそれが一番いい選択のハズだ」
「いいや違う……一番はこの作戦にすべてを賭けることに――「オイオイオイオイ。待て待て。これ以上俺に建て前を使うなら、お前の両脚の骨を折る」

 しかし、本心を口にせず自分がこの作戦に全てを賭けるために現場で指揮を執ると譲らないエルヴィンにとうとうリヴァイは静止の言葉を投げかけた。彼は明らかに苛立ちを隠し切れずにいる。
 建前を使い本心を隠してシガンシナ区にあるエレンの家の地下室に眠るこの世界の真実をこの目で見たいと幼き日々に憧れた真実を見たいと譲らないエルヴィン、自分の死に場所をシガンシナ区だと決めたウミ。死を前にしても断固として諦めないその思いに。自分が脅し文句を告げても。

「安心しろ、足ならちゃんと後で繋がりやすいようにしてみせる。だがウォール・マリア奪還作戦は確実にお留守番しねぇとな。しばらくは便所に行くのも苦労するぜ?」

 人類最強が脅そうがエルヴィンは頑なに折れない。ウォールマリア奪還作戦への参加を曲げないエルヴィンに対しリヴァイが実力行使をすると告げるも、それでもエルヴィンの真実をこの目で見たいと思う意思は止められない。長年抱き続けてきた今は亡き父の仮説の答え合わせはもう目前に迫っているのだ。
 例えリヴァイでも。本当に嫌になる。ウミと言い、エルヴィンと言い、失いたくないから大人しくお留守番していて欲しいのに、死地に向かうというのに、自分の周りの人間は決して大人しく黙って帰りを待つようには躾けられていないのだろうか。

「ハハ……それは困るな……。確かにお前の言う通り……手負いの兵士は現場を退く頃かもしれない……。でもな、この世の真実が明らかになる瞬間には、私が立ち会わなければならない」
「それが……そんなに大事か? てめぇの脚より?」
「あぁ」
「人類の勝利より?」
「あぁ」
「……そうか……エルヴィン……。お前の判断を信じよう」
「よろしく頼む。リヴァイ」
「お前と言い、ウミと言い、本当に俺の忠告を無視してくれる奴等ばかりだな」
「彼女が余命幾ばくもないのは承知の上でウミは望んだのだろう、お前の傍にいる事を……最後は彼女の意思を尊重したいと思う君の気持ちも理解している……しかし、本当に残念だ」
「……そうだな」
「俺は、あの子の花嫁姿を見たかった、」
「見てぇのなら生き延びろ……お前が俺以外の見えねぇところで勝手に死ぬのだけは許さん」
「いや……幼い頃から大事に見守ってきた「大切な天使」が他の男に奪われる姿など見たくはない」
「は、今まで見向きもしなかったやつが今更その魅力に気付いたのか? もう遅ぇ、あいつはもうとっくに俺の女だ」
「だが、彼女から私に初めてのキスをくれた事実は変わらない」
「残念だな。俺はあいつの処女を貰った」
「……ははは、君に言われると余計に傷つくな」

 その言葉にリヴァイは無言で顔を上げる。惚れた女を見るこの男の眼がいつもどんな目をしていたかなんて理解している。だが、彼は彼女の求める声には答えずにいつ死ぬかわからぬ身で所帯を持つ事もなく戦地へ突き進むのだろう。
 リヴァイが長年の付き合いでもあるエルヴィンの本心を見抜けないわけがない。彼の本心、エルヴィンの夢。作戦の成功率とか、団長でもある自分の存在とか、そんなもの取っ払ってエルヴィンは自分の悲願であるエレンの家の地下室にあるとされるこの壁の世界の真実が明らかになるその歴史的瞬間に自分もぜひ立ち会いたいと。
 そう、思っている。それを押し隠してもエルヴィンは隻腕などハンデにもならないと作戦への参加を強行する。死に場所を選ぶウミを止められなかったように、エルヴィンも自分の脅し文句にも屈しずに揺るぎない意志で覚悟を決めていた。自分が実力行使に出てもエルヴィンは向かうだろう、そして、ウミも。

「そうだ、リヴァイ。頼みがある。作戦の前日までの一週間。君に本作戦の準備をしてもらいたい。作戦成功の為には戦力の底上げが必要だ。君にしか頼めない」
「それはお前の命令か? それとも、お願いか?」
「そうだな命令でもあるが……。まぁ、個人的な……頼みだ。明日にでも向かってくれ。ここが場所の地図だ。またとない機会だ」
「了解だ。エルヴィン」

 またとない機会、その真意を測りかねるが、無言で立ち去ろうとしたその背中にエルヴィンが呼びかけた。こんな時に何をすればいいのか。一体何をしろというのか。新兵器の実戦演習だろうか。
 自室にはまだクーデターで処理しきれていない山盛りの書類もあるのに。部屋を後にしたリヴァイの背中に、エルヴィンは誰にも聞かれないような声でそっと呟いた。

「すまない、リヴァイ…。君にばかり負担をかけて。どうか許して欲しい、だからこそ、君にせめてもの結婚祝いを用意した、少しだが、受け取ってくれ」



 リヴァイは夕焼けに染まるトロスト区の街を背にエルヴィンに指定されたローゼにある森林へと馬を走らせると、見慣れた森の入り口が待っていた。思わず懐かしさがこみ上げる。そう、そこは三ケ月前、トロスト区奪還作戦を経て審議所に囚われていた旧リヴァイ班で人類の希望となりつつあるエレンの存在が見つからぬよう、彼を隠して実験するための根城として1か月間暮らしたあの旧調査兵団本部として利用されていた古城だった。
 数カ月前とはいえ人さと離れたこんな辺鄙な場所で何をしろというのかエルヴィンは。
 しぶしぶ馬から降りて城の扉を開けると陰鬱とした古城の冷たい空気が流れ込んでくる。
 ああ、思わず懐かしさがこみ上げる。あの時は、自分が選抜した部下であるグンタ、エルド、オルオ、ペトラ。そしてエレン、つかの間だが自分の腹違いの弟だとわかったクライスも滞在していた。そして、ウミがクライスと入れ違いでやって来た。どうしても自分の傍に置きたくてよそよそしい態度の彼女を手にした権力で得た。生存率の高い自分の傍に彼女が居れば死なせることは無いと。
 ウミと再び思いを通わせたこの場所で結ばれた、思い入れのある場所。今となってはあの日々は決して何気ない平穏な日々ではなかった。
 部下は全員女型に殺された。そしてクライスもミケも死んだ、もう誰も死なせたくないと思う、しかし、その思いと裏腹に人は死んでしまう。強さなど、ロクな物じゃない。
 どれだけ強さを手にしても、この手から零れ落ちる命たち。あの日々はもう永遠に帰らないのだとゆっくりと噛み締めれば嫌になるほど悲しみに溺れてしまいそうになる。情けなく泣いたせいなのか、ウミの迫る死に、ただ受け入れることしか出来ない自分の無力さに泣くなど、
 人類最強という称号など、肩書でしかない、自分が守れる命には限界がある。強さが何の役に立つというのか。何が人類最強だというのだ。ウミの病気をどうすることも出来ない、エルヴィンに右腕が戻る事もない無力なただの男でしかないというのに。

「あのぅ……どなたかいませんか??」

 責め続ける思いが剣を鈍らせるのならこの感情をこのままここに置き去りに閉じ込めてしまいたい、許されるのならここに来たばかりの頃に戻りたい。いや、もういっそ、初めてウミと出会ったあの日に戻りたい、イザベル、ファーラン、悔いなき選択を最初からやり直せるのなら…深く深い場所まで沈めていた思考の中で。古城の広い広間でふと聞き慣れた声がした。

「懐かしいなぁ……もう昔のように感じる……。ここを離れてまだ三カ月しか経ってないのに、ね」

 聞こえた足音と聞きなれた甘くないソプラノボイスにリヴァイは静かに振り返ると、そこに居たのは相変わらずジャケットは着ずシャツの上に自由の翼の刻まれたマントをくるんで囚人服から再びクーデター以来の団服姿のウミだった。しかし、暗がりの古城で自分の姿が見えていないのか、ウミは誰も居ないと思い一人で懐かしむようにブツブツ独り言を話ながら古城内を見渡して微笑んでいた。

「うるせぇ独り言だな」
「ひっ!!! で、でた……!? きゃああああああ〜〜!!!!」

 先に到着したリヴァイが居たと言うのに。入り口の厩舎に馬も繋いでいたのだが。突然聞こえたリヴァイの声に誰も居ないと思っていたウミは思った以上に驚いき、オルオと夜に怖いからと二人でおソロ襲る夜の古城のトイレで偶然鉢合わせしたリヴァイを見て叫んだ夜以上に大きなウミの声が古城内に反響していた。

「えっ……幽霊、じゃない……っ? きゃっ!」
「うるせぇ、静かにしろ。身体に障るだろ。それに、何でお前がここにいんだ。一人でむやみに出歩いたりしてんじゃねぇよ」
「リヴァイこそ……どうしてこんな所に? あの、私、二カ月も訓練していないから……今兵団で準備作業で騒がしいから作戦開始まで旧調査兵団本部で静かに静養しながら骨休めしてなさい、ってハンジに言、われて……」
「……お前もか、」

 どうやら自分たち以外でここに来た者はいないようだ。リヴァイはエルヴィンから、ウミはハンジから、どうやらそういう事らしい。こんな時に、いや、こんな時だからこそ、か。エルヴィンとハンジ、二人の計らいで2人きりになり、許された残り僅かな時間。
 あの時出来なかったウミを囲い誰にも邪魔される事のない自由の時間を今、与えられたという事になる。しかし、大事な作戦前にこんな風に二人の最期の時間を過ごしていてもいい物なのだろうか。
 しかし、逆にもう日が無いし、今から訓練して疲弊しても肝心の作戦に支障が出るとでも言いたいのだろうか。お互いまさかここにいるとは思わず驚きながらもウミを休ませるために食堂へ向かった。

「決戦前に2人でこんな風にのんびりしてていいのかなって思うけど……、今更厳しい訓練で肝心の作戦前に大きい怪我したら、大変だもん……ね。もし、エルヴィンとハンジがこうして私たちを2人きりにしたのなら……。今から始まる特別訓練で6日間か……」
「そう言う事になる。突然ここに行けと言われてなんだと思えばそういうことか」
「もしかしたら……こうして一緒にいられるのも最後かもしれないもん……ね、」

 あの山小屋で終わりを感じながら不安だが共に明かした幸せな夜、あれ以上の幸福は無いと、幽閉されていた期間、思い馳せ不安な夜を過ごしていた。二人だけの世界に行きたいと泣いていた彼女の涙が忘れられない。
 そんな中で思いを通わせあいながらも結ばれた時にこのクーデターが終われば二人で、そう交わした約束。今その思いをエルヴィンとハンジは叶えようとしてくれていた。
 目前に迫るこの壁の世界の生死を賭けた決死の作戦、そしてこれからの未来。リヴァイは作戦に対してのエルヴィンの個人的な夢の話やウミの余命、全てを一人抱え込んで今にも爆発しそうだった。しかし、そんな抱え込んだ感情を包み込むように癒すのも。ウミだけだ。

「抱え込んだ書類もまだ片付いてねぇが……本部にいるとなかなか落ち着けやしねぇ。確かにこんな辺鄙な場所に入り浸るのは俺たち以外に居ねぇ。それに、誰も来る気配もなさそうだな……」
「大丈夫、私も特訓に付き合ってほしいし、それにリヴァイが抱えた書類なら……私も、手伝うね……もう副官じゃないけど……、」
「またとない機会か……エルヴィンにそう言われた意味が分かった」

 こんな時に、しかし、もう迫る時刻は刻一刻と迫っていた。行きつく先は…未来は見えない、しかし、今の2人にはこの今が全て。今、この二人は調査兵団の精鋭ではない。兵団服を脱ぎ捨て、どこにでもいるごく普通の壁内でささやかな暮らしを望む夫婦として。クーデターの時に交わした約束のとおり。限りある2人だけの、最後の6日間を過ごす。
 この日が最後の静寂だった。この世界から消えようとしていた。そんなウミがハンジだけに告げた言葉。しかし、自ら姿を消さなくても、先にこの命の灯がもうじき消えようとしていた。
 いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えて、それでもリヴァイは変わらずに自分の傍に居てくれた。本当に二人きりの穏やかな時間。誰も訪ねて来ない古城での2人だけの生活。
 2人は無人の部屋からベッドを二つ並べて片時も離れないように寄り添い、まるで普通の夫婦の様に過ごした。病気の事や、この壁の事やお互いの過去や思い、二人で手を繋いでトロスト区の街並みを歩いた。
 微笑み合う2人は、周囲から見れば幸せに満ち溢れていた。かけがえのない瞬間を一つずつ刻み込んで。
 お互いにこうして過ごせるのはもう、最後かもしれない。そう、誰よりも分かっているから。こうして二人でいるこの時間を誰よりも慈しみ、愛し続けるように過ごした。

To be continue…

2020.05.23
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