THE LAST BALLAD | ナノ
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#89 BALLAD

 エレンがグリシャから巨人の力を引き継ぎ。そして父親を捕食した忌まわしきあの日の悪夢を見ていたのはキースだけではなかった。ウミも同じ、彼女も無力な傍観者だった。そして解散式の夜に自分に謝りそして微笑んでいた笑顔は幻ではなかったと知る。今は遥か遠く感じた。彼女は今何をしているのだろう、何を思い、何を祈り、そして――……。
 エレンの硬質化実験成功は巨人に領土を奪われ追い込まれて各地に散ったウォール・マリアの住人たちにとって明るい希望だった。あの装置さえあればウォール・マリア内を我が物顔で蹂躙する巨人たちを一掃できるだろう。そうすれば壁外の巨人もこの世界から一掃することが可能になるという大きな希望だった。
 中央が独占していた全ての技術は今調査兵団のウォールマリア奪還作戦への大事な準備として莫大な資産が注ぎ込まれていた。それゆえに課せられた役目は重い、誰もが税金泥棒だと蔑んでいた。かつてはその存在自体が危ぶまれていた調査兵団達が今はウォール・マリア奪還作戦に向かう勇敢なる英雄たちとして崇められていた。
 その声に呼応するように他の二兵団からも調査兵団を志願し、自らもその栄光を手にその門を叩いていた。
 新兵から三カ月。新生リヴァイ班として今や欠かせない存在となったミカサ達が筆頭に他兵団から異動してきた新兵達への教育を行いつつ、誰もがウミの事を案じていた。いい加減におかしい、彼女は本当にどこに行ってしまったのか。
 日が経つにつれて顔色の悪くなるリヴァイに誰も聞けないまま彼女は眠りについていた。せめて夢の中だけでは笑っていて欲しい。それだけをリヴァイは望んでいた。
 新たな新兵器達は休む間もなく産声を上げていた。新兵器の轟音が響く中、いよいよ奪われた地平を奪い返し、真実への進撃は目前に迫りつつある。
 最後の追い込みにかかる短期間の厳しい訓練について行く新兵達、最後の戦いは近い。
 迫る戦いの中でリヴァイはふ、と机の資料に目を通しながらも思考はここではないどこかを見ていた。
 そうして遅れて会議に登場したザックレーが姿を見せ、ハンジが疲労困憊の状態でも成果の報告に今回の実験から生まれた兵器について嬉しそうに、生き生きと話している。

「ほう……巨人の処刑台か。よくやってくれたな調査兵団」
「ウォール・マリア奪還が現実味を増してきたな。シガンシナ区への夜間順路開拓はどうなっている」
「はい、現在で半分を越えた距離まで確保しました。これもあの光る鉱石があって成しえた作業進度です」
「これでウォール・マリア奪還作戦を決行する日が見えてきました。例の新兵器の実用導入を含め、およそ数日以内にはすべての準備が完了いたします」

 エルヴィンが告げた言葉に上層部の人間達がざわめき出す。いよいよ作戦が始まるのだと緊張が走る。

「思いの外早いな。しかし……失敗は許されんぞ」
「何せ我々兵団が重税を課した貴族の反乱を抑えられているのも、調査兵団への破格の資金投資も。すべては失われた領土の奪還(ウォール・マリア)が前提なのだからな。それをしくじれば、すべてご破算だぞ」
「ん……兵士長どの。何かご進言でも?」
「……いえ、何も。おっしゃる通りかと」

 その様子をただ見ていただけなのだが、人類最強が持つその威圧感に圧倒された上層部の人間が思わずそう問いかけて来たがリヴァイは静かに、普段使わない口調でそう答えた。
 調査兵団に入団した際も団長であるキースや副団長のウミの父親にさえも敬語口調で話したことが無かったリヴァイが変わったものだ。文字の読み書きもロクな教育を受けられない、無法地帯育ちのアウトローの彼が。
 もし、ここにウミが居たら、どんな反応をするだろう。

「すべてはウォール・マリア奪還の大義の下……。我々は壁の外でも壁の中でも血を流し合いました。我々といたしましては、そのために失われた兵士の魂が報われるよう死力を尽くし挑む所存です」
「あぁ……君もそろそろ報われてよいはずだ。シガンシナの地下室に、君の望む宝が眠っていることを祈っているよ」

 そこで会議はお開きとなる。しかし、退出してゆく上層部たちを見届け終えるとエルヴィン・リヴァイらはそのまま別室へと移動した。その机の上にはケニー・アッカーマンが死に際に託したあの巨人化となる成分が含まれた薬液と注射器の収められていた黒い正方形の箱が置かれていた。

「それで……瓶の中身は解明できそうかの?」
「それがどうも……我々の技術ではこれ以上探ることはできないようです。エレンとヒストリアから聞いたように、人間の脊髄液由来の成分ではあるようなのですが……この液体は空気に触れるとたちまち気化してしまい、分析は困難です。やはり我々とは比較にならないほど高度な代物です。レイス家が作ったのだとしたら一体どうやって……」
「……ならば下手に扱うよりも、当初の目的に使用する他なかろう」
「すると誰に委ねる? エルヴィン……君か?」

 そう、この注射器を用いて必ず対立するはずである「鎧」か「超大型」の巨人化の力を有しているあの二人を倒し、万が一誰かがその力を奪うことが出来れば…。しかし、過酷を増す戦いの中誰がそれを所持しておくかその行く先を決めかねていた。団長であり調査兵団を率いる彼が判断して誰に使うか決める、それならエルヴィンが持っているのが正しいと思うが……。
 しかし、エルヴィンは隻腕での生活に慣れたとはいえ、それでも彼はそっとウミにより切り落とされた右腕に触れそれを拒んだ。

「いえ……私は兵士としては手負いの身です。この箱は−最も生存率の高い。優れた兵士に委ねるべきかと。リヴァイ、引き受けてくれるか?」
「……任務なら命令すればいい。なぜそんなことを聞く?」

 リヴァイはエルヴィンが巨人の正体が人間だと知った時に見せた笑顔以来、信頼関係を築いてきた彼に対して小さな疑心が生まれていた。

「……これを使用する際はどんな状況下かわからない。つまり、現場の判断も含めて君に託すことになりそうだ。状況によっては誰に使用するべきか……君が決めることになる。任せてもいいか?」
「お前の夢ってのが叶ったら……その後はどうする」
「……それは……わからない。叶えてみないことにはな」
「そうか……わかった。了解だ」

 エルヴィンの言葉に異を唱えながらも巨人化の薬はこの中で一番生存率の高い人類最強の称号を持つリヴァイが管理することになったのだった。大事そうにその箱を懐に仕舞うリヴァイ。
 この手のひらサイズのちっぽけなこの箱がその数日後、行われる悲劇をもたらす全ての諸悪の根源になるとも知らず。

「ううむ……所で。そろそろ私の作品を披露したいのだが…。考えてくれたか?」
「まだ諦めておらんかったか。あのようなおぞましいもの民衆に晒してみよ。兵団への信頼も地に叩き落されるぞ」
「……芸術をわからん奴め」

 嘆かわしいとぼやきながらザックレーは相変わらず王政を捉えた際に用意していたあの人体の排泄と食事を反転させたあの悪趣味な作品を披露する機会を狙っていたようだった。それをピクシスに跳ねのけられながらピクシスリヴァイへ問いかけた。

「して、リヴァイ。ウミは無事に審議所から連れ出せたのか?」
「……問題ない、今ヒストリアの方で囲ってもらって治療にあたっている」
「そうか……おぬしもこの反乱が終わり堂々と出歩ける中、ゆっくり過ごしたかったじゃろうに……」

 その言葉にリヴァイは返事をすることは無く、静かにその色素の薄い瞳を伏せていた。



――「リヴァイ、話し合おう! どう考えてもお前一人で行くのがいいとは思えない! それこそ危険だ! お前に何かあったらウミはどうするんだよ??」
「外へ行くときは四人一緒に……だろ!? 忘れたのか??」
「もう絶対地下には戻らない」
「そうだよアニキ、いつでも四人で乗り切ったろ? 巨人だって同じだ! 一緒にやろうぜ!」
「リヴァイ、俺たちを……信じてくれ」
「分かった、信じよう……」

 満天の星空の下で、静かに微笑んだリヴァイの笑顔。もう見られなくなってからどれだけの月日が流れたのだろう。2人は死んでしまった。もう二度と会えない、二人の大切なリヴァイを託されたと言うのに、私は彼を悲しませることしか出来ない。もう行き交う2人の間には隙間風が吹き荒んでいる。再会して思いを重ね合い、だけど、思い知るだけだ。

――「私にはあなたを幸せにする資格がない……。あんなに愛してくれたのに、だけど、そう思う程にこんな私を愛そうとしてくれるあなたに対して罪悪感しか残らないの……。あなたは私をどうにか繋ぎ止めようとする。それが。今は身を引き裂く程に辛い…。このまま、どうせならいっそ一思いに死んでしまえば……あなたはようやく私と言う亡霊から……離れられるのかなって」
「目を覚まして……お願い。ウミ……」

 どこか遠くで聞こえた声に耳を澄ましながら。ウミは緩やかに意識を浮上させた。
 しかし、見える景色が遠い。そして、自分の眼には紛れもなく自分が映っていた。俯瞰で見た自分の姿に、他人から見た自分はこんな風に見えるのかと冷静な思考の中でそんなことをぼんやりと思った。
 今見ているこの景色、これは自分の未来の図なのか。それとも幻なのか。横たわる自分はまるで人形の様に感じじられた。きっと、もう目覚めることは無く、その周囲を沢山の者達が囲んでいた。
 その中央に見えたのは紛れもなく「彼」だった。彼はもう言葉も何も話さない、無言でうなだれている。誰よりも強い彼が崩れ落ち蹲るように自分を見ている。その姿に自分もたまらず涙が込み上げた。これではあまりにも悲しい夢の続きのように感じられて。父親が死んだ時と同じ、あの時に感じた虚無感、母も死に、そしていつか自分達は死に連れて行かれるのだ。

――「泣かないで…リヴァイ……」

 永遠なんて存在しない、死がふたりを分かつまで。その言葉の通りにいつか自分達は遅かれ早かれ楽園に行く、だから死など、決して寂しくはないのだ。恐れる事ではない、いつかは誰もがその道筋を辿る。いつか楽園で会う日までの束の間のさよならだ。
 彼を一人にしないと誓った自分は結局嘘で塗り固めた心をかざしそして最後の瞬間まで息をするのだ。
 自分はまた彼を一人にするのだろう。しかし、死んだ人間はすぐに朽ちて楽園に行くわけではないそうだ。魂だけは肉体から離れても死者は自分が死んだことを受け入れられないまま、自分の骸を抱き雨に泣き崩れる親類なる者達の姿に寄り添い、そして、そこで自分の死を受け入れざるを得ないのだ。
 と、誰もが言う。そして肉体は還るが、その魂だけは永遠に消えない。まるで燃え盛る炎のように……。手を伸ばせば触れられた彼のその背には決して触れられない。

「ヒストリア……あ、女王…陛下……?」

 目が覚めたウミの視界に飛び込んで来たのは。美しい笑みを携え、この壁の国の真なる王として、立派に公務をこなすヒストリアの姿だった。ヒストリアは大きな青い瞳に大粒の涙を浮かべ、優しくウミに微笑むと、ゆっくりとベッドから身を起こしたウミに勢いよく抱き着いてきたのだ。
 ろくに風呂も入れていない身体なのに、これではヒストリアの高貴な服が汚れてしまう。しかし、ヒストリアがボロボロと大粒の涙を流して泣くから……ウミは拒むことが出来ない。

「ウミ……よりにもよって……戦った中央憲兵達と同じ審議所の牢屋に放り込まれるなんて……!! 助けるのが遅くなって本当にごめんね……ひどい怪我まで…!!」
「そんな…!! 謝らないでください、女王陛下……!! 悪いのは私なんです。私は罪人です。許されざる罪を犯したのですから……」
「ウミ。ちょっと、待ってよ……それ、イヤなの……公務じゃないから普通に、いつもみたいに呼んで。ウミにまでそんなよそよそしくされるなんてなんか嫌……寂しいよ」
「そう、だったね。ごめんねヒストリア……。うん、気を付けるね」

 謝るのは彼女ではない、悪いのは罪を犯した自分だというのに。どうして彼女はこんな自分の為に女王となって日も浅い中不慣れな公務で疲れているのにそれでも自分を助ける為に奔走してくれたのだろう。
 さっきまで冷たい牢獄の中に居たというのに。自分には冷たい牢獄が似合いの末路の中で今はこんなにも温かくて柔らかなベッドに身を横たえ、清潔な寝具を身に纏い。目の前に戴冠の儀の際、自分が教えた通りに編み込んだ髪を綺麗に束ねるのがすっかり上達したヒストリアが優しく微笑んで自分の安否をまるで自分の事の様に安堵して喜んでくれている。
 咎人にも弱者にも、この世に生まれてこなければよかった人間はいないと躊躇いなく手を差し伸べこの世界を良くしようと努力を辞めないヒストリア。女王様となった彼女は慈愛溢れる美しい女神様のように気高く、何人たりとも容易く触れてはならない、侵すことの出来ない存在へと押し上げられていた。
 さらり、元々伸びるのが早いのか肩下まで伸びた緩やかなウミの色素の薄い髪に触れる手が優しく頭を撫でると、時折頭に鈍い痛みが走る。

「ウミは……さっきの事は覚えてる?」

 その問い掛けにコクリとウミは静かに頷くと、ヒストリアは当時の状況を静かに話し始めた。
 大の男達によって囲まれたウミは背後から殴られ、頭から大量の血を流してそのまま気を失ったとの事だった。
 そのまま男達に取り囲まれたウミを助けに来たのは…。面会に来たヒストリアとリヴァイとハンジだった。リヴァイはすぐにウミを助けるべく牢屋からまだ審議中の身である咎人の彼女を迷わず抱え。自分と共に城へ運び、そしてすぐに王都の医師にそれを見せたそうだった。

「クーデターの際に捕まっていた中央憲兵の残党とまさか調査兵団のウミが同じ牢屋に入るなんて……信じられない! ただでさえ2カ月も牢屋に軟禁されて、体力も疲労も重なっていたのに。それを…しかも背後から割れた酒瓶で殴られるなんて……」
「大丈夫だよ、さすがに突然背後から殴られたのにはびっくりしたけど、怪我なら慣れてるし、痛みに耐える訓練なら今までもしてきたから……それなのに、どうして……。ヒストリアが泣くの?」
「それは……っ……! ウミ……ずっと、隠して戦っていたんでしょう……? そうだよね、ウミはずっと今まで色んなものその体に抱えきれないのに無理やり抱えて笑ってた、戦い続けて来たんだから!!」

 ヒストリアは涙を流し続けずっと自分を抱き締めたまま泣いて震えている。一体彼女の身に何が起きたのか。首を傾げるウミにヒストリアが告げた言葉は。

「ウミの頭の中には…血の塊があるって……それがいつどうなるか、わからないって……!!」

 ウミはすべて理解したように受け入れていた。ヒストリアの悲痛な声にそっと目を閉じ、とうとう周囲の知るところになると噛み締めていた。人生には必ず責任を、自由のツケを払う日が来る。
 これは罰だ。そう、この全ては自分が招いた事であり、この傷も痛みも。全ては自由の代償だ。自業自得だと受け入れている。それなのに、彼女は自分の事の様に胸を痛めて泣いている。もうそれ以上は泣かなくてもいい、どうか無理はしないでと、そう思うのに。

「ウミ……もうこれ以上戦わなくていいから……! ウォール・マリア奪還作戦なら必ずリヴァイ兵長やエレン達がやり遂げるから、今のそんな状態で無茶はさせない! もう兵士じゃない、1人の人として、ここで最善の治療を受けて大人しく静養して。もしそれでも言ううこと聞かないなら私が女王様としてどんな手を使っても、ここから出すことはしない。私がウミを殴ってでも止めるから…!!」
「ヒストリア……落ち着いて……殴ったら本当に破裂しちゃうよ? それに…どういう事? 私は中央憲兵と通じてた内通者だよ…? 審議の結果の後私はそのまま収容所へ移送される事になっている筈だよね……」
「審議の結果ならもう出たから。大丈夫、ウミの罪は証拠が不十分という事で不起訴、無罪だよ。ケニー・アッカーマンが残した記録にちゃんと証明されていた……」
「えっ……」
「ウミの事を最後まで守ろうとしてたんだね……あの人」

 久方ぶりに聞いた彼の名前に思わず言葉を失ったウミ。彼女の脳裏によみがえるケニー・アッカーマンのあの笑顔、そして彼が残した記録。中央憲兵や旧王政がクーデターによりその悪事が明るみになった時、中央政府は旧王政府が行ってきたすべての記録を押収したのだった。
 ありとあらゆる資料の中、ウミが中央憲兵の狗として報酬を得ていたという記録は一切残されていなかった。
 自分の意志で中央憲兵に情報を流す「狗」になったと言うのに。その確固たる罪の証はもうどこにも存在していないと言う事実であった。ケニーが隠蔽したのだろうか、いつか自分がこうなる事を見越して……。

「だからウミはもう大丈夫、戦わなくていいの……もう、どうかこれ以上は無理をしないで」

 最後、死に際のケニーの思いが今も焼き付いて離れない。ウミの視界がどんどん滲んで何も見えなくなる。

「な、っ……ケニー、さん……が。どうし、て……っ……ッ! ……こんな……ううっ、私が……、もう先行きも長くないのに……こうして生き長らえたところで、もう生きてる意味なんてないのに……私はもう、長くない、リヴァイの傍に居てあげられない……のに……」

 本当は怖い、死ぬのは嫌だ。今まで封じ込めて冷静に何でも受け入れようとしていたウミが本当は隠していた思いが解けて、今にも弾けそうになる。取り乱すウミを抱き締めながらヒストリアが宥めるように声を放つ。

「大丈夫……! 必ず私が、あなたを助けるから……! もう誰も死なせたりなんかしない! 生きてる意味なんてないなんて言わないで……! 私たちには、ううん、みんなにはウミが必要なの…いつもみんなを見守るその目がね……、みんな、好きなの」

 ケニー・アッカーマン、もうどこにも居ない彼の存在が、ウミは彼が最後まで自分の身を案じてくれていたのだと知り言葉に出来なかった。そこまでしなくてもいいのに、自分の意志で自ら収入の為。そう、あの時は生きる為にその手を汚したというのに。
 許されざる罪を犯したのに、それは紛れもない事実なのに。ヒストリアの骨が軋むほど彼女を抱き締めながらウミは咽び泣いた。ケニーはウミがいつかその罪の意識に苛まれて苦しむことを、ようやく手にする幸せの前にいつかその幸せを自ら放棄して罪人の道を選ぶことを理解していたのだろうか。そして、いつかこうして剣と銃を交える事も、理解していたのかもしれない。

「……ウミ。病気が発見された以上兵士は引退だよ。ここ(城)で治療に専念しよう。このままじっと安静にさえすれば、きっとこの先症状が急激に悪化することは無いって、お医者様が言ってたから。大丈夫だって。それに、リヴァイ兵長もウミが逮捕されてからほとんど眠れてないみたいなの……。奪還作戦の準備も順調に進んでる。恐らく……もう数日以内に準備が整うよ」

 その言葉を聞き、ウミはゆっくりと伏せていた顔を上げた。久方ぶりに聞いた懐かしの故郷。母が待つその先、父の生まれ育った世界がある。準備が整うという事は、それはつまり。全ての人類の悲願であるその大地シガンシナ区で人類と巨人の領土生き残りをかけた最後の決戦がいよいよ始まるという事になる。

「奪還作戦が始まるまでは……。どうか、兵長の傍に居てあげて……リヴァイ兵長にはウミが居ないと…駄目なんだよ。兵長が羽を休める場所は……私たちやエレンやリヴァイ班のみんなやハンジさんでも団長じゃない、誰にも……ウミじゃなきゃ……。それで、ウミの為に王都でも指折りの腕のいいお医者さんを用意したから……だから……」

 ウミが犯した罪は不起訴となった。愕然としながらもウミはその言葉をただ受け入れた。
 どちらにせよ不起訴となった理由も今なら理解出来る。自分の身体なら自分が一番、よく理解しているから。そもそも、もう自分は今のこの壁内の医学の力でも脳の中にある血の塊を取り除くことなど出来ない、もう手の施しようがないので、逆に牢屋から出されていただろう。
 どちらにせよ、自分は裁かれる前に自らこの命を、生涯を終えるのだ。脳への衝撃をこれまで何度受けて来ただろう。確かに戦いの中で生きてきた半生だった。この病気にかかった者は大半はもう助からない。

――「実は……脳の検査でウミさんの身体に……脳動脈瘤……。大きな血の塊が見つかりまして……重度の状態です。その……最近ウミさんに頭痛などの自覚症状などはありませんでしたか……?」
「リヴァイ兵長、ただ、まだ完全にそうだと決まった訳ではありませんのでお二人の将来の為にも……リヴァイ兵長?大丈夫ですか?」

「あなたに残された余命は、恐らく残り1年もないでしょう」

 そうして診断を終え現れた医師から提示された命の刻限は思った以上に短かった事をウミは噛み締めていた。一年以内に死ぬかもしれない。この脳の中にあるこの動脈瘤がもし破裂すれば脳内へのダメージは深刻だ。脳が死ねば人間は生きていけない。この壁の世界の医学では脳に対する医術はまだまだ発展途上の為、どうすることも出来ないらしい。万が一、運良く生き長らえたとしても、もうこれまでみたいに戦場を駆けることはもう出来ないだろう。脳のダメージがどれだけ大きいか。

「勿論、我々も今女王陛下の名の元に受け持つ全ての知識を結集しあなたを救うために最大限尽力いたします。なので、どうかくれぐれも安静にしていて欲しいのです」
「それは……大丈夫です。自分の身体は自分がいちばんよく分かっていますので」

 しかし、それでも過ぎるは五年前に離れたきりの故郷、今も生き埋めのままの母。そして、この壁の向こうにあるまだ見ぬ父親の生まれた世界がある。そのすべてを、この目で見たいと思う気持ちに嘘をつくことは出来ない、例え、命を無くしても…。

「ウミさん、ウミさん……!」
「あ、はい、……っ」
「失礼ですが、まだ公にはされていませんがリヴァイ兵長とご結婚されていると女王陛下よりお聞きしました」

 未だ夫婦となる届も出していない筈なのに、ここでもその噂でもちきりか。彼は一人で生きて欲しくない。どうか明るい未来の為に彼には自分ではない健康で戦いとは無縁の世界で生きている女性と結ばれて欲しいと思っていた。だから自分との結婚の話等叶うならなかったままにして彼の名誉に傷をつけたくなかったのに。初婚が死別など、そんなの……。

「もし、万が一、今後……リヴァイ兵長とのお子を妊娠されたとして、その……妊娠しますと通常よりも胎児に栄養を与える為に母体はどうしても血流が多くなるんです。そこで今はゆっくり進んでいる脳動脈瘤が突然その血流に耐えきれずに悪化して万が一の大出血が起きるリスクが高くなるのです。もしかしたら……母体が危険な状態に陥れば胎児もそのまま助からない可能性があります」

 こそこそと、耳打ちする様に医者が告げた言葉を受け入れながらウミはそっと、もう二度と叶う事のない願いを確かめるように、医師に告げた。

「……いいえ。その話なら結構です。どうせ今授かったところで……母親の居ない子がどれだけ今後辛い思いをするか……それに余命が間もないとわかってて十月十日を過ごすなんてこと、出来ませんよ……そもそも、私はもう子共を産める身体ではありませんので」

 しかし、生きるという力がこの病気には大事なのだという。これ以上の無理をせずに安静に過ごせば子供を宿すことも可能だと医師は前向きな発言でウミを励まそうとしても、今のウミにはもうすべてが聞き入れられなかった。

「ウミさん。どうか……希望を捨てては行けません。リヴァイ兵長にもどうか話されることを……「いいえ、もう。結構です……! 私は、平気です。大丈夫です。どちらにせよ私は遥か昔にこの心臓は人類へ捧げている兵士です。今更死ぬことなど恐れてはいません。それに……どうせ死ぬのなら……せめて人類の役に立って、ウォール・マリア奪還作戦の為に、この身を……心臓を捧げてから華々しく散ります」

 全て聞かれていたのか。背後から聞こえたドアが開かれた音に振り向けば、そこに居たのはリヴァイだった。彼は愕然と肩を落とす彼女にリヴァイは静かに歩み寄った。何時から聞いていたのだろうか。気まずそうな顔をする医師にウミは医師がリヴァイにはもうすべて経緯を話していたのだと気付いていた。 

「リヴァイは……気付いていたんだね……」
「あぁ……」
「いつから?」
「……お前がエレンを奪い返して帰ってきてからだ」
「もう結構前から知ってたんだね……」

 ウミは涙を流したまま、ゆっくりと首を横に振った。それを見たヒストリアは気遣う様に医師を連れ部屋を退出する。涙を拭いながら彼女はゆっくりとドアを閉め、宛がわれた部屋にはウミとリヴァイの2人だけが残った。

「嘘つきだね、リヴァイ。私……自分で何となく、気付いていたの。リヴァイがそうやって悲しそうに私を見る目が辛かった…どうにかしてこの手で……リヴァイを……幸せにしてあげたかった。お母さんもケニーさんも、イザベルもファーランも旧リヴァイ班の……みんな、リヴァイの周りを取り囲む大切な人たちがみんな奪われて……だから、せめて私だけは、リヴァイを看取るって決めていたのに。それなのに……自分でもね、もう、1年……長く持たないような気がするの。あの地下街でリヴァイに命を救われてから……沢山抱き締めてもらえて、愛してもらえて…リヴァイに出会えて、私の身勝手であなたから離れたのに……ずっと私を思い続けてくれたこと、また会えたこと、こうして抱き合えたことも……今まで生きてきた中でどうしようもないくらいに。この瞬間の為に生きて来たんだと知れて……私、本当に幸せだった。リヴァイから数えきれない沢山のね、一生分の愛をもらったの……。リヴァイと、もっとずっと一緒にいたかった……でも、ごめん、なさい……」

 ウミの悲しそうな目を直視できずにリヴァイは静かに項垂れるように抱き締めていたウミを同じように何倍もの力で抱き返していた。いつもの明るい冗談でもない、当の本人が悟っている。ウミはもう自分の死期をとうに悟っている。

「……シガンシナ区が巨人の領域になって……お前が死んだと聞かされてもお前をずっと探していた……。俺はお前の事を忘れたことは一度もない。やっとまた会えたのに、今度は…探しても2度と会えねぇ場所に……間違いなく今度こそ俺は本当にウミを永遠に失っちまうって事か」

 この再会は一体何だったというのだ。ウミを看取るための…。束の間の期間だというのか。

「ウミ……言った筈だ、俺以外に殺されるのは……承知しねぇ筈だと、例え不治の病でも」
「でも……、リヴァイ、どうしたの? いつもみたいに冷静になってよ…無理なんだよ、出来ないの……。この世界の医療じゃ私の病気は治せない。もし、万が一この先技術が発展したところで……それまで生き抜ける事も……出来ない。それに、頭の手術をしても、もう元の私には戻れない、重い障害が残るかもしれない、自分で食事も何も出来なくなる……、自分が自分じゃなくなる、そんな姿をあなたに晒すくらいなら……。こんな形で……本当に、ごめん、なさい……」

 何度もウミが謝罪を口にするうちにリヴァイはますます離れ行くウミが遠くに感じて、たまらず、涙が溢れて視界が滲んで何も見えない中で手繰り寄せるようにウミを強く抱き締め…。リヴァイはあまりの悲しみに上手く泣けないままその場に泣き崩れ嗚咽を漏らした。深い悲しみに支配されて、言葉が上手く出てこない。

「お前の幸せ、それだけが……、俺の望みだった。お前の故郷を取り戻すと誓った。もう2度と離れない……お前とただ、傍に居たい……それが、俺の望みで…ただ、ひとつの願いだった……。それなのに、なぜ、お前だけが……苦しむ……?? お前の最期が……こんな結末が……あって……たまるか……ウミ…いつも、……どうして……苦しむのが……お前なんだ」
「リヴァイ…泣かないで……」
「俺は……お前をどんな巨人からも人間からも守りたい……もう二度とこの手は離さねぇと……この指輪に誓った。それなのに……これが、末路か……だから、俺が持つこんな力なんか……何の意味もねぇ……ってことか……」

 リヴァイは嗚咽を漏らしながら静かに泣き続けた。その背には人類最強の面影は一切ない。空気を読み医師と部屋を退出したヒストリアもドア越しから聞こえた嗚咽と二人で抱き合うその姿に。肩を震わせて、静かに瞳を閉じて嘆き悲しむリヴァイが見せた弱々しいその姿。あまりにも痛ましく…膝から崩れ落ち、美しい瞳から涙を流し始めた。
 人類最強と呼ばれていた男の見せた涙、それは何処にでも居る愛する人の平和を願うただ一人の男だった。
 今のリヴァイに出来ること。それは余命幾ばくもないウミの願いを叶えてやるただそれだけだった。
 彼女は巨人に奪われたあの故郷に帰りたがっている。5年も帰れていない故郷。叶うなら連れて行ってやりたい。危険な場所だと承知で、それでも彼女の最期の願いなら自分は何でもかなえてやりたいと今ならそう強く思う。
 周囲の批判を受けながらもウミと残り僅かな命なら、どこにも行かせたくない、閉じ込めて自分だけのウミとして生きながらえて欲しい。
 しかし、ウミはそれを拒むだろう。悲しげに求めるその瞳に自分は何が出来るというのだ。
 人は誰かの為には生きられない。人は生まれてから死ぬまで、自分の命にしか責任を持てないのだ。

「リヴァイ……どうせ、死ぬなら……お願い」
「あぁ、」
「私を最後、シガンシナ区に……どう……か……連れて行って欲しいの」

 最後の願いを叶えてやりたい。それが二人の願い、これまで歩んだ最後の礎に。

「お前の約束は俺が叶えてやる……。俺は最後までお前の傍に居る。もう二度と離れねぇ……だから、約束だ。ウミ、俺達はずっとこれからも、一緒に居る」

To be continue…

2020.05.21
――誰も一人では生きていけない。
それなのに、この世界はこんなにも孤独だ。
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