――「オイ、あんた!!! ここで何をしている!? どうやって壁を越えて来た!?」
「あ、あなた達こそ壁の外で何を……まさか……戦っているのか?」
「はぁ……? 見ればわかるだろう? 我々は調査兵団だ」
「調査……兵団?」
「あんた……知らないのか?」
「あ……あぁ……」
「とにかく乗れ。話は壁の中でしてもらう」
本当かウソか。彼は何故壁の外にいるのか覚えていなかった。記憶を一切無くしていたのだ。グリシャ・イェーガーという…名前以外。
――「無許可で巨人領域に足を踏み入れた罪とはね……俺の知る限りこの法が適用されるのは初めてだぜ。だってまさか壁の外をうろつくバカ野郎がお前ら調査兵団以外にいるわけねぇのによ」
「……勤務中に酒をやるバカ野郎を牢の中にぶち込む法は無いか? ハンネス?」
「はっ、そう言ってくれるな。彼も哀れな酒の被害者だ。自分の家から出生まで一切合切記憶が吹っ飛んだ挙げ句、気付けば壁の外だってんだから恐ろしいぜ。まったく酒ってやつぁぁ」
「彼はウソをついてないと? 借金塗れの自殺志願者が戸籍を偽る算段を思い付いたのやもしれんぞ」
「知るかよ。めんどクセェ〜なぁ〜被害者がいるわけでもねぇし。上への報告は無しだ。いいな?」
「……あぁ」
彼の記憶が無い以上このまま帰る家もあてもない男を街にやるわけにはいかない、迷っていた矢先に姿を見せたのは他の誰でもないあの男だった。
――「オイ、キース。壁外に居た人間ってのは何処のどいつだ?」
「カイト、お前は関係ないだろ」
「いや、ハンネスから聞いてよ。どんな奴かと思ってな。ツラ拝みに来たんだが…そうか、お前か。普通の人間じゃねぇかよ」
グリシャは当時副団長だったカイトを見るなり何か黙り込んでただその目を見ていた。それから、カイトが俺が面倒を見てやると名乗りを上げたのだ。事なかれ主義の男が珍しく人助けか、そういえばあの男は屈託のない笑みを浮かべた。
「コイツは俺の家でもてなしてやるよ。シガンシナ区に来いよ、悪い話じゃねぇ……」と。その足で俺達はシガンシナ区の行きつけの、その店の看板娘として気立ても腕っぷしもいいと評判のカルラが女中として働いている酒場で酒を飲んでいた。
「それで? グリシャ・イェーガー。これからは出生記録にも無い名前を名乗るんだろ?」
「名前以外にも覚えていることがある。私は医者だ。病院を紹介してくれ。できる仕事があるはずだ」
「……ほう……?」
「そして……私に教えてくれないか? この世界のことや……調査兵団……あなた達のことを……カイト、君とはうまくやれそうだ」
「は、そうかい。そりゃあ嬉しいね、人助けはいい事だからな。俺の嫁さんもきっと褒めてくれるぞ」
「お前勝手に面倒事抱えて蹴り飛ばされるぞ」
「ははは、大丈夫だって、蹴る脚がねぇから……」
「足が無いだと?」
「あぁ、巨人に食われたんだよ。ちょうど娘妊娠してた時で……全く本当に焦ったぜ、」
「そうか……貴方にはお嬢さんが居るんだな……壁の中に……大事な家族がいる。それなら私が何かできるかもしれない」
「あんた……頭よさそうだしな…頼むな」
不思議な男だった。隣にいる、突然調査兵団に入れてくれと現れたこの男と同じように。彼は本当に何も知らなかった。この壁の歴史や成り立ち、地域の名や貨幣の価値に至るまで。酒の影響かは疑わしいが、記憶の何らかの障害があったことは本当らしい。そしてしきりに。人々の暮らしぶりを気にしていた。
――「……そうか、貧富の差こそあれど、この壁の中は平和なんだな……。少なくとも巨人に怯えて生きているわけではない……よかった」
「……「よかった」か。あんたもそう思うのか……」
「え?」
「この狭い壁の中で、飯と酒にありつけばそれで満足な部類の人間らしい。あんた達は……。世界がどれだけ広いかなんて考えたこともないだろ? だから幸せでいられる。私は違うがな」
「……あなたが壁の外に出て行く理由はそれか? それが、調査兵団?」
「そうだ。それが調査兵団だ。王政の指し示す壁外不干渉の方針には疑問を唱える民衆がいる。その不満を解消するために作られた組織と言えよう。もっとも現在となっては人類が忘れていた巨人の恐怖を思い起こさせただけだった。さながら私達は……王の正当性を示すための見せしめ。どうだ? 馬鹿みたいか?」
「そんなわけないだろ。あなた達はこの壁の誰よりも賢く勇気がある。調査兵団の存在は人間の想像力や魂が自由であることを示す証拠であり、人間の誇り。そのものだ」
「……誇り……? 我々が……?」
「あぁ」
特別な存在、選ばれし者。そんなことを言われたのは初めてだった。確かに壁の中は…。私はには狭すぎた。壁の中に自分の居場所を感じたことなどなかった。
――「またしても大損害か……」
「毎度毎度、死傷者ばかりこしらえて」
「壁外拠点はいつできる?」
「そろそろ犬死には止めにして真面目に働く気は無いのか?」
「その人生を使って借金を返すためにな」
ほざいていろ凡人共。私が団長にさえなれば成果は出せる。自分がネズミの巣で暮らしていることにさえ気付けない哀れな小動物よ。凡人共の微量な脳ミソでも理解できるほどの偉業を突きつければ……やがて皆が私を認める。
――「グリシャ! カルラも例の伝染病だ。何とかならないか!?」
当時、シガンシナ区では謎の伝染病が蔓延していた。特効薬もなく治療の甲斐虚しく次々と人々は命を落としていた。それによりグリシャが開業した診療所内のベッドは既に多くの患者によって埋め尽くされていた。カルラもその家族もその病に侵されていた。
――「イェ−ガー先生。私の……両親の方が……危険です……どうか……」
「大丈夫! みんな助かるよ!」
「イェ−ガ−先生!! 家内が起き上がりました!!」
「よかった! これで何とかなりそうだ! キース! 対処法がわかったぞ! この薬を大至急手配してくれ!」
「わかった!」
「――先生、本当にありがとうございます」
グリシャが見つけた抗体により感染者数が増えるにつれ急増していた死亡者は急激に減少し、やがて病は終息した。
――「団長がやられた!! 撤退しろおぉ!」
――「次の団長はキースだ。頼んだぜ」
――「キース団長の誕生だな」
――「キース団長。父と母がお世話になっております……私、娘のウミ。です……っ、この度は調査兵団へ入団させて頂くことになりまして、そのご挨拶に参りました」
――「キース・シャーディス団長。あなたが、初めまして。私は新兵のハンジ・ゾエと申します。ずっとあなたの活躍は聞いていました。お会いできて光栄です」
――「結婚おめでとう! イェーガー先生」
――「くそ!!拠点が……」
「ここはもう無理です! 撤退しましょう!! 団長!!!」
「団長……副団長が……奇行種の群れに遭遇し、死亡しました……!!」
力だ……もっと戦力があれ……特別な……選ばれし者……。
――「戦わないだと……?」
「はい。巨人との戦闘を避けることで我々の活動範囲を広げます。これを長距離索敵陣形と名付けました…。是非これを次の壁外調査で――……」
「ダメだ、自分が団長になったらやってみろ」
新たな有能な若き命の台頭。エルヴィン・スミス…。とっくに自分の引き際を薄々感じていたのに…それでも自分は選ばれた特別な人間だという、グリシャの残した呪いが今も目を覗かせ苦しむことになる。
――「何でこうも同じことを繰り返すんだろうね……シャーディス団長は突撃するしか能が無いって話だ。そのくせ自分だけは生き延びちまうもんだからタチが悪いよ」
「それに引き換えエルヴィンの分隊はまだ死人を出してないんだって」
「へぇ……さっさと団長代えちまえばいいのにねぇ」
「オイ……聞こえるぞ」
特別な……選ばれし者……。
――「キースさん?」
「カルラ……この子は……」
「エレン……。男の子です。やっぱり便りは届いてなかったんですね」
「……あぁ。忙しくてな……すまない」
「夫も連絡が取れないと、心配してました」
「……あぁ」
「……キースさん……このまま……死ぬまで続けるつもりですか? もう、こんなこと……「なぜ凡人は何もせず……死ぬまで生きていられるかわかるか!? まず想像力に乏しいからだ……!! その結果、死ぬまで自分の命以上の価値を見出すことに失敗する。それ故クソを垂らしただけの人生を恥じることもない。偉業とは並大抵の範疇に収まる者には決して成し遂げられることではないだろう!! また理解することすら不可能だろう、そのわずかな切れ端すら手当たり次第男に愛想を振りまき酒を注いで回るしか取り柄の無い者なんぞには……決して……!!」
そう、凡人は何も成し遂げなかった。
――「団長……突然の申し出を許してくださり、ありがとうございます。調査兵団を退団させてください……。父が亡くなり、母親は歩けません。父の命を奪った巨人は憎い……。ですが、母を残してこの先、私が死ぬわけにはいかないのです」
「エルヴィン……。団長をやってくれるか?」
特別な人間は、いる。ただそれが、自分ではなかったというだけのこと。たったそれだけのことに……気付くのに大勢の仲間を殺してしまった。どうして気付けなかったのか。
――「私はこのまま王都へ報告に向かう。それが最後の任務になる」
――「今までにない規模の超大型の巨人が……ウォール・マリアが破られた!! シガンシナ区が壊滅したらしい。このトロスト区も危ないぞ!!!!」
大きな流れにただ翻弄されるだけの私がなぜ。あんな勘違いをしてしまったのか
――「キース!!!」
あぁ……思い出した。お前だったな。
――「エレン……、起きろ……エレン、母さんは一緒じゃないのか?」
「う……父さん……母さんが……巨人に……食われた……」
エレンが告げた言葉に顔色を変えたグリシャ。カルラが死んだ……。その言葉だけが焼き付いて離れない。その傍らでガクッと肩を落とした。
「エレン……。母さんの仇を……討て……。お前にはできる」
「行くぞ」
「オイ……待てグリシャ……どこへ行く?」
「ついてこないでくれ」
「待て……。その子に託すつもりか? お前が討てばいいだろ。カルラの仇を、何せお前は特別だからな。私と違って……、その子も違うんじゃないのか? 選ばれし者じゃないかもしれないぞ。なぁ? また人に……呪いをかけるのか? どうするんだ? お前の期待通りの人間じゃなかったら」
「この子はあんたとは違う。私の子だ……。どうか頼む……、私たちに関わらないでくれ」
グリシャはまだ幼い、母親を亡くしたばかりのエレンを連れ俺にそう言い残し…。そして、その姿を消した。ただその光景を見ていた…。しばらくして森の奥でまるで雷のような閃光が迸った後。
「雷……?」
見えたその光のもとへ駆け寄ると、そこにはエレンが一人倒れていた。グリシャの姿は何処にも無い。そして私は……気絶していたお前を……避難所の寝床に戻した。それが私の知るすべてだ。
▼
キースの話を受けた後、暫くの間は誰も口を開かなかった。キース・シャーディスが零した言葉一つ一つを噛み締めるように。彼のこれまでの調査兵団団長以前のもっと遠く過去に歩んできた半生とそして、ひとしきり語り終えた後、重たい沈黙が教官室を支配した。
五年前に起きた惨劇の中で失意に暮れていたエレンが記憶を無くした欠片の断片を握っているかもしれないその可能性に賭けてみたのだが…。
エレンが巨人能力を継承するその際に失った忌まわしき記憶。両親を同時に失ったあの日の忌まわしき悪夢が。グリシャが持つ巨人の力を継承したその日。エレンの燃ゆる牙が憎悪と怒りを剥き出しにしてすべての巨人を皆殺しにしろと吠えた。
閉ざされた過去の話に耳を傾けていたが、キース・シャーディスが目にし、そしてグリシャとの出会いからカルラとへの思い、団長としてではなく彼は一人の人間としての本心をそれ以上言及することは無かった。彼はもう今まで自分が見聞きしてきた事を話し終えたと言葉を止めてしまった。
これまで誰にも知られなかった彼が胸に封印してきた過去が明かされた。しかし、その会話の内容にエレン達が求めていた答えは返ってこなかった。あの時何が起きたのか、そして彼は何を見たのか。
あの時の事を彼が知っていればと思ったが、その期待は裏切られる形となった。キースを見つめるハンジの表情には疲れが残り、そして尊敬していた彼の本心を知り失望したような、普段の明るい顔は消えて。
憧れの元団長の明かした本心にひどく幻滅していたようで厳しい言葉が容赦なく飛び出した。
「……それだけ……ですか? 他には何も……」
「……あなたほどの経験豊富な調査兵がこの訓練所に退いた本当の理由がわかりました。成果を上げられずに死んでいった部下への贖罪……ではなく……他の者に対する負い目や劣等感、自分が特別じゃないとか、どうとかいった……。そんな幼稚な理由で現実から逃げてここにいる」
「……よせ、ハンジ」
ハンジがどれだけキース・シャーディスに憧れていたか。その思いを知るからこそショックを受け失意に暮れるハンジの憧れる元団長ではなく彼をグリシャへのちっぽけな劣等感で兵団の関係者でもないカルラに八つ当たりするようなあまりにも情けない本性だと、一個人の人間として呆れて言葉もないと軽蔑する中でリヴァイが制止する。しかし、ハンジの言葉は止むことは無い。
「この情報が役に立つか立たないかをあんたが決めなくていいんだ……! あんたのそんなくだらない劣等感なんかと比べるなよ。「個を捨て公に心臓を捧げる」とはそういうことだろ!?」
「やめて下さい、ハンジさん。良いんです。教官の言う通り……オレは特別でもなんでもなかった。ただ……特別な父親の息子だった。オレが巨人の力を託された理由はやっぱりそれだけだったんです。それがはっきりわかってよかった……」
エレンはやはり自分は特別ではない何でもない、ただグリシャがどういった経緯で壁外からここに辿り着いたのかは分からないが、ウミの父親と同じ壁外から来た人間だったことが分かった。
――「オイオイオーイ、エレン。ダメダメよ、これからは大人の時間? な、お前のパパ居るか? 大事なお話があるんだよ」
「まぁ、カイトさん。いらっしゃい、ミナミさんは大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ、酒飲んで寝てるからよ」
だから二人こんな隣近所にそれぞれ所帯を持ち、家を構え、そして夜な夜な飲みがてらグリシャの地下で語らっていたのかもしれない。壁外から来た者同士の語らい。
運命の出会いではなかった。
「とにかく……」
偉大な力を持ちそれを自分はたまたまこの世界に生まれたから引き継いだだけで自分は何もしていないただの人間なのだと打ちひしがれていた。
「お前の母さんは……カルラはこう言っていた」
――「特別じゃなきゃいけないんですか? 絶対に人から認められなければダメですか? 私はそうは思ってませんよ。少なくともこの子は…偉大になんてならなくてもいい。人より優れていなくたって……だって……見て下さいよ。こんなにかわいい。だからこの子はもう偉いんです。この世界に……生まれて来てくれたんだから」
エレンはやはり自分は特別ではない何でもない、ただグリシャがどういった経緯で壁外から。しかし、キース・シャーディスが最後に残した今は亡き母の遺言。この世界に生まれてきた事が特別なのだと、どうか理解してほしい。生まれてこなければよかった人間など、この世にはいない。カルラの言葉はリヴァイの胸にも優しく染み込んだ。
キース・シャーディスはゆっくりとエレンの強い意志を宿したエメラルドグリーンの瞳を見つめていた。
「(あの目だ――……。お前は父親が願ったように、自らの命を燃やし壁の外で燃え尽きるのだろう。母親の想いも知らずに。お前の居場所はここではない。本当の自分に従って生きろ。私は何も……何一つ……変える事は出来ない。ただの傍観者だ。ウミ。お前もそうだった。お前は私によく似ている。だからこそ、私はお前といて少し心癒やされた瞬間があったのかもしれない。同じ思いを抱えているからこそ……)」
「シャーディス団長……。さっき見た光景は……あの……、これから……。どうする……おつもりなんですか……?」
「お前とて例外ではない、このことは他言無用だ。私とお前だけの……。いいな。絶対に喋るな」
「はい……。(――エレン……ごめんね)」
誰しもがこの世界では特別な人間である。この世に生まれたから、生まれた事を知らせるために狭い胎内の中を苦しい思いで通り抜け、あらゆる圧に押し潰されそうになりながらも生まれて初めて人間が命を宿したその時胎児の中で最後に完成されるすべてのあらゆる呼吸を司る器官であるその肺から呼吸を始め、大きな声で産声を上げたのだ。そうして人は苦しみながら母なる母体から生まれる。産み落とした母のその御胸に抱かれて。
ウォール・マリア奪還作戦が迫る中、エレン達は再びトロスト区へ馬を走らせて帰路に立つ。手ごたえの無い成果を手にして。
やはりあの時のエレンが失ってしまった事実を知るのはもうグリシャだけしかいない。しかし、その彼はもうこの世にはいない。エレンに全てを託してエレンが捕食したのだ、彼は今も恐らくはこうして自分の中で生きている。
「やっぱり……どうしても。地下室を目指す必要がある……」
遺された真実、そして手段はグリシャが生前から誰も立ち入る事の出来なかった地下室。
▼
自分が牢の中で南へ無意識に思い馳せ、その気持ちを向けていた事を知る由もない。そう、彼女が目覚めた世界はあまりにも急激な変化を迎えていた…。
「あなた方は……一体どういう、つもりですか……?」
「突然だが、罪人の移送を明日に行う事になってな。申し訳ないが今晩はここで過ごしてくれって頼まれたんだよ」
「あんた、元々調査兵団の人間なんだな」
牢屋という場所にはつくづく本当に縁が無いと思う。我ながら自嘲した。明日裁きを受ける中で自分はもうこの罪を否定することは無いし、安息を確定されたのは何もかもが過ぎ去りし過去の事。約束された永久に幽閉される収容所での暮らしか。もはや未来を知るのは明日の自分のみである。生きているのか死んでいるのかもわからない世界で。ただ自分は生きながらえそれでも息をしていた。
牢屋から牢屋への移送。トロスト区から王都ミットラスの審議所まで連れてこられたが、明日の審議の為に連れ出されたのは同じように幽閉されていた罪を重ねたあの時根城で制圧した中央憲兵の残党達だった。審議所の地下牢の数に対して人数が合わないからと、どうして自分のような女が二カ月以上に渡す幽閉生活ですっかり飢え切った欲望剥き出しの男達と同じ牢屋で一晩過ごす羽目になるのか。自分が元調査兵団に長く身を置いて鍛え抜かれた兵士だとしても、本気の男の力には敵わないと、あの地下で身を持って嫌って程噛み締めて味わっているのに。
「見間違う筈がねぇ……あの時俺達の足を斬り裂いた魔女の娘だ」
ここに移送されるその瞬間。それまではそれぞれその腕には錠をつけられていた筈なのに。奴らはいつの間にか忍ばせていたナイフを光らせ目ざとく同じ牢内にぶち込まれた自分を取り囲んでいた。
「ああ、……足ね……」
形勢逆転だとほくそ笑む男たち。大声で助けを呼んでも、求めても、罪人の助けなどに誰も耳を貸さないだろう。ただでさえ二か月に渡る長い長い幽閉生活で心身共に弱り切り、調査兵団に舞い戻ってからどうにかこうにか訓練と実戦で五年間のブランクを取り戻してまたブランクが付いてしまったというのに……。
「オイ、このクソ女……死ね!!!」
ぼんやりしていた矢先。ガン!!と突然背後からいきなり鈍器で殴られたような衝撃が走る。パタパタと音を立てて冷たい床に落ちたそれは紛れもなく自分の血液だと気付いた時には緩やかな髪をぐっしょりと何かが濡れたように伝う何か。
それは紛れもなく自身の身体から流れた血。だった。
「オイ! いきなりそれはまずいぞ!!」
「やりすぎだ!」
あまりにも突然の衝撃にたまらず踏ん張ろうとしたが、足から一気に力が抜けた。そのままウミは顔面から崩れ落ちるように倒れ込み、広がる赤いじゅうたんのように広がる血の海。遠のく意識の中で確かに最愛の、唯一の心残りの声を聞いた。
これは夢だろうか。それとも、自分はもう既に死んでいて、これは楽園が見せた幻だろうか。罪を重ねた自分が彼と同じ、楽園に行けるはずもないのに。
「(リ、ヴァイ……)」
2020.05.21
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