THE LAST BALLAD | ナノ
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テーマ「推しとの恋」
- ナノ -

#84 確かに愛されていた証

――「私は……今……死ぬわけにはいかないんだ…どうか、許してくれ…」

――「勘弁してくれよ……分からねぇのか? 名前は?」

――「愛してる……ケニー……ねぇ、お願いよ……どこにもいかないって約束してちょうだい……」

――「だから俺はどんな仕事もこなしていける……お前は、違うのか?」

――「構いませんよ、全ては無意味です」

――「どうしておじさんは私を助けてくれたの?」

――「アッカーマン隊長!!」

――「馬鹿! 来るな!!」

 命からがらロッド・レイス巨人によって崩落した礼拝堂地下から抜け出したケニーの頭部の半分はロッド巨人から放たれた蒸気に当てられたのか酷い大やけどで歩くのもやっとの、生きているのも奇跡的な状態だった。
 頭髪も焼け焦げすっかり抜け落ち、特に先ほどリヴァイに渾身の力で引き裂かれた腹部からの出血が今も続き、生きているのも奇跡のような状態だった。全身から血を流した男はふらふらとそれでも身体を引きずりある場所を目指して歩いていた。
 男はその記憶の中で昨晩の礼拝堂地下で会話したウミとのやり取りを思い返していた。思えばあれが最後の会合、会話だったのだろう、自分はもう長くは無いのは考えなくても考える事ももう満足にできないこの身体では理解していた。

「(何で、だろうな……全然、っ……お前ぇに、似てねぇのに……)」

 かつて愛した唯一の女。しかし、自らの夢の前に彼女は身を引き、他の素性もよく知れない男と結ばれた。その面影を残した今は亡き最愛の女が遺した少女、ウミ。
 彼女を守ろうと自分はとっさに動き、この身体に流れる本能は攫った。あの女の娘を安全な場所へせめてやろうとしたのは…かつて愛した女を自分の夢の代償と共に幸せにしてやれなかったせめてもの償い、罪滅ぼしなのだろうか。

――「ねぇケニー。私はアンタの望みを叶えるために身を引いたし……もう、アンタと私は何の繋がりもないけれど……。でも、忘れないでもらいたいのよ。アンタの妹を助けたのは……誰、か、し、ら??」

 どんな時もシャンと背筋を伸ばし、嫌味ったらしく長い脚を組んで気の強そうな外見から想像もつかない甘えた様に首を傾げる姿に心底うんざりしたように。だいぶいい年した女が何してんだと呆れたように思わず噴き出した。

「はぁ……?? 全く……お前ぇは……いったいこんなストヘス区まで呼び出しやがって調査兵団の兵士長様よぉ! 何が目的だ!? そんで、俺の弱みに付け込んだつもりか!?」
「そう、」
「ああっ、クソ……クソ、まったく、ホントにお前ぇは恩着せがましい女だな……ったく。結婚して少しは丸くなったかと思ったのによ」
「残念ながら出産してようがなかろうが私は変わらないわよ。とにかく……お願いがあるの」
「その性格が生まれてくるガキに似ねぇことを末永く、願うぜ。そんで俺の人生に関わる事もないようにな」

 そうして、彼女が頼み込んで来たのは…金をよこせ。か、それとも他の何か。かと思えば至極シンプルな内容だった。

「もし、もしもよ、この先、私とあの人のどちらかが死んだら……。あの子の面倒を見て……、この世界で生きていけるように、顔までは出さなくていい、どうかあの子が困ったら守ってほしいの」

 懐かしい記憶の中、数年後が過ぎてその言葉を受けて、そうして念願かなって対面した少女。
 さぞやこの女の遺伝子を色濃く残したのかと思えば何と言う事か、彼女はアッカーマンの血を引き継がない父親に完全に酷似した柔らかな雰囲気を残したあどけない容姿をしていた。

「あなたは誰ですか……?」
「オイオイオイオイ……何だ物騒なモン突きつけやがってお嬢ちゃん」
「私は、「お嬢ちゃん」では……ありません」

 しかし、想像した彼女の娘は、見た目も全然違う。女も子供も残して死んだはずのあの優男の笑みが蘇る。決してその笑みは目の前の車いす生活の彼女似ではなかった。しかし、親譲りの戦闘力は健在なのか、背後から刃物を突き付けるような可憐な見た目に反して物騒な少女に成長していた。
 その事には心底驚いた。それでも母親の客人だと言えば少女は微かに警戒を緩めて表情を緩ませたが、警戒心の強い彼女が自分に微笑みかけることは無かった。
 あの男が死んで、そして母娘二人きりでの生活は苦しいものがあっただろう。耳にしてから彼は何度も母娘の家に通い詰め、そして警戒心の強いウミもケニーが母の古い友人であると理解してからは少しずつだが、心を開き、笑みを見せるようになっていた。
 ウミの母親である女と自分は決して結ばれることはないまま別れた。その中で、今こうしてその女の遺伝子を受け継いだ娘と交わした交流は今も褪せずに続いていた。過去の因縁がこう巡り巡ってまた違う形で自分を癒していた。そして、あの日拾った今にも死にかけのリヴァイでさえも、彼の成長を見届けるなり、自分のような散々今まで憲兵を殺しまっ喰った自分には、やはり人の親にはなれないと。そう決め離れたケニーにとってウミの存在はかつて血気盛んで若かりし頃は確かに愛した筈の女と別れの道を選び、残せなかった男にはささやかな楽しみで、そしてひと時の癒しでもあった。
 彼女は自分の死期を察知していたのだろうか。ウォール・マリアが陥落する数日前。女は自分を求めてきた。両脚を失い、夫を亡くし、孤独に不自由な暮らしを強いられながらも、いつもどんな時も気丈に振舞っていた彼女が見せた弱さ。その足で自由に走ったり働くことも出来ず生活も貧窮していた母娘にケニーは迷わず彼女を支援し続けてきた。不安ならば大丈夫だと言葉をかけ、時に安心させるように抱き合った。しかし、それだけだった。
 あの男の絵と、まして自分達がただの知り合いではない、母は父親以外の男と夜な夜な密会しているのではないか、と疑うウミの手前にとてもじゃないが彼女の求める声に応じることは出来なかった。ましてもう数十年も前にとっくに終わった関係だ。もういい歳もとっくに超えて、今更肌を重ねる関係ではない。だから黙ってその肩を抱いた。何も言わずに、こうしてただ寄り添うだけでよかった。それだけであの頃の若かりし昔の2人に戻れたような気がしていた。
 しかし、どれだけ願っても、もうあの頃の2人には戻れないのだ。振り返るにはもう、思い出せないくらいにお互いに良くも悪くも歳を重ね落ち着いた。
 結ばれることは叶わなかった、しかし、まるで本当の意味で自分達は離れていても、違う誰かを愛しても、時にウミに服や流行りの物を与えれば娘であるウミも次第に自分に心を開いて、小さな少女との交流が延々と続くようになっていった。
 そして……。あの悪夢が到来したその日。最愛の女が命を落としたと耳にしたのは自分がレイス家の番人として仕事を終えた時だった。
 巨人に食われたあの足ではとてもじゃないが、娘を逃がせてもウォール・ローゼまで逃げてくることは不可能だろう。まるで死期を悟っていたかのように女は自分に頬を寄せて微笑んでいた。
 そんな女の子した宝物である少女と、そして妹が遺した自分から去った地下に残してきた忘れ形見。その二人がどんな業か。奇妙な境遇で出会い、そして愛し合っていた。女は信じるなと説いてきたのに、それでも彼は成長し、やがてひとりの女を愛するようになった。
 どうやって愛し合うまでに至ったのかは知らないが、あの地下で二人は巡り会い、そうして結ばれ。
 今もどんな境遇でも互いに離れないようにと強く結び合っていた。しかし、この世界ではどんなに願っても二人が幸せになる事は確実に約束されたものじゃなかった。こうして過酷な世界で息をする2人。離れまいと引き裂こうとした手はより強固に結ばれて。
 しかし、かつて自分を慕ってくれていたウミと今は敵同士になり命を賭けてこの壁の平和を争う中で、ウミが部下の凶弾に狙われたその時、とっさに飛び出しその銃弾を弾いていたのは紛れもなく自分だった。

「待って、ケニーさん! 離して! リヴァイが! みんなが!!」

 自分は妹の子であり実の甥でもあるすっかり成長した男との死闘に興じた。かつて自分はまだ何も知らない幼い彼にこれまで自分が培ってきた戦いの全てを仕込んでいた。その教えの通りに彼は生き延び、生きて地下を出て、そして。
 今や調査兵団の英雄として生きている。そんな彼が誇らしくもあり、甥との戦いがいつまでも続けばいいと。心のどこかでは願っていた。
 しかし、いつの間にか年老いた自分の身体はもう昔の時のように自由自在には動くことは出来なかった。自分を師として今まで身体に叩き込んで来た処世術を行使して調査兵団兵士長にまで上り詰めた彼に実力などとっくに追い抜かされていた。機転を利かせた歳若いリヴァイは様々な死地を乗り越え凄まじい強さを誇る最強の名に恥じない兵士だった。
 ケニーの誇り、リヴァイの実力には適わず、そのまま立体機動装置を駆使して猛攻を仕掛けてきたリヴァイにより腹を斬り裂かれた。
 巨人のうなじをそぎ落とす殺傷能力を持つ超硬質ブレ―ドにより深く斬り裂かれた傷口。このままでは自分の夢が叶う前にここで力尽きて死ぬ。腹心の部下であるカーフェンがリヴァイの仲間を討った事で勝負は相打ちとなり、その隙にどうにか逃れることは出来た。
 重傷を負いながらも彼女を引き連れ安全であるはずの世界へ向かう。最愛の彼女へ果たせないままの夢の続きを見せたかった「俺の夢の立会人」として代わりに連れて来た大事なゲスト。それがウミ。

「ケニーさん! 血が出ています……リヴァイにやられた傷ですよね?? 早く治療をしないと……!」
「はっ……お前ぇ……、今俺達は敵同士なのにまだ俺の心配でもすんのかよ」
「当たり前です……。ケニーおじさんは、ケニーおじさんですっ……」

 かつて愛した女、もう二度と会う事は叶わない。だが、今も彼女の思いは消える事無く娘の魂に確かに宿っていた。彼女越しにかつて愛した女が見えた。
 愛を知った女の顔だ。いつの間に、本当に……。肉体が朽ちて、命も果てて、それでも人間の魂は肉体を離れこの世を去っても消えることは無い。愛の形は違えど果たされなかった愛はきちんと途切れることなく紡いで受け継がれていた。

「ケニーさんは私のお母さんの何だったの??」
「あ? どういう意味だぁ??」

 娘は泣きながら自分に尋ねてきた。ずっと疑い、子供ながらに自分達の事を思い不安で居たのだろう。だからこそ。
 自分達は決して不貞を通わせるような存在ではなかった、それは違う、そう告げた。しかし、彼女が危惧していたのはそれではなく、それにはもっと深い意味が込められていたのだ。

「私と……あなたは血が繋がっているんでしょう? 私はあなたとお母さんの子供なんで、しょう?? それなら……リヴァイは……あなたの子供。だから、……リヴァイと私は兄妹になるって、事なんでしょう???」
「……は、お前ぇ……そりゃあ……笑えねぇ……話だな……くっ、くくっ……本当にお前ぇって奴はよ……おっもしれぇ女だな、ウミ」

 その言葉にケニーは思わず吹き出していた。大きな手でたまらずその何時までも小さな変わらないまんまるの頭を撫でていた。マトモに自分が人の親になれるはずもないし、まして、その親になろうとも思わなかった。大いなる力に溺れ、全ての生涯をレイス家が持つその大いなる「始祖の巨人」の力を得るために捧げていたようなものなのに……。
 自分はレイス家に代々引き継がれるあの力をどうにか手に入れたくて、虎視眈々と狙い定め、そしてその為にレイス家の番人として暗躍していたのだ。
「全ては大いなる夢の為に……」だからこそこんな自分が遺すものなど何もない。

「ンな訳、ねぇだろうが……」

 全てを察した。あの時かつて自分の術を託した男との数十年ぶりの再会、彼の噂は自分の耳にも入っていた。彼は自分の言葉通りに本当に自分の力で地上へと這い上がってきて、そして、自分とは異なる道を進み続け、そしてかつての幼き無力だった幼子は今や調査兵団の兵士長としてその名を馳せていたのだ。

「英雄」として。

 その英雄とこの目の前のいつまでもあどけないこの少女は愛を通わせていたのだと。
 人の目も届かぬ地下で、誰の眼にも触れぬ場所で、そして密やかに二人の間には確かに一途なほどの愛が存在していた。
 「人類最強」と呼ばれる彼に処世術を施した自分。遥か昔、そんな自分と確かに愛しあっていた女が産み落とした子供がどういった経緯で知り合ったのかは知らない、これも因果応報というのだろうか、それならばこの人生は…少しでも何かを遺せていたのだと知る。
 自分の行いはいずれ我が身に還ると言うが、こうして業が巡り巡るとは思わずにいたのだった。そして、男は知る。

「安心しろよ……泣くんじゃねぇよ……お前とリヴァイが兄妹とはとんだジョークだな……俺とお前、リヴァイもお前と全然似てねぇじゃねぇか…自分の顔鏡で見て見ろよ。明らかにてめぇの親父似、じゃねぇか……あっさり攫って行ったあのうさんくせぇ優男の……顔に……だから、泣くんじゃねぇ……安心して結婚でもガキ孕むまで……せっせと夜な夜な仕込めばいい。何でもすればいい、」

 母を失い、故郷を失い、同じように故郷を奪われたまだ幼い三人を抱えたウミの生活を支援すべく接触した時、彼女は三人を守る為に昼間も夜も休まず働いていた。
 それほど食べ盛りで親を亡くした三人にこれ以上わびしい思いをさせまいと歯を食いしばって生きていた。そんな彼女に支援を申し出たが、彼女はそれを突っぱね自分の力で三人を見守ると言う強い、確固たる意志の元で動いていた。
 いつの間にか頼りないと思っていたウミの小さな背中は母親のように背筋もしゃんとして、そして大きな愛で全てを包みこんなにも頼もしく成長していた。いつまでもあどけない少女、誰かに守ってもらわないとあっさり殺されてしまうのではないかと思う程非力に感じていたのに。
 だからこそ、自分はせめて金になるのならとある事を提案した。全ては力の為だと、力に固執して生きてきた男にとってウミは力ではなく愛が彼女を突き動かし、そして生きていたのだ。全てを包み込むように。そうしてその愛を他人にも同じように分け与えて来たのだと知るのだった。そして彼女は、中央憲兵の元に降る形で監視者となっていた。



「起きて、」

 確かに声が聞こえた気がしたのだ。

「リヴァイ兵長!!」

 レイス卿領地。ロッド・レイス巨人討伐後の後処理にそれぞれ対応に追われる中でリヴァイは猟銃を手に夕日が射しこむ雄大な景色へと変貌を遂げたレイス家地下洞窟が剥き出しとなった土地で昨晩交戦したばかりのケニー率いる対人制圧部隊の生き残りが居ないかを警戒しつつ周囲の様子を窺っていた。

「何だ、クソ漏らしそうな顔しやがって」
「ケニー・アッカーマンを、発見しました」

 その言葉にリヴァイの片方の柳眉がピクリと持ち上がる。崩落に巻き込まれて彼の部下は全員生き埋めになり見るも無残な肉片と化した中で、それでも彼の遺体だけが見つからずにリヴァイは探し求めていた。やはりケニーは生きていたのだ。

「ケニー」

 部下に案内されて辿り着いた大木の根元。そこに凭れ、明らかに重傷を負い座り込んでいるケニーの姿があった。立体機動装置の装備を外し、血ベトを吐きながらもその声に顔を上げるかつての師と仰いだ男に猟銃を手にしたリヴァイと、彼へ両銃を突き付ける部下が歩み寄る。
 リヴァイの低い声がゆっくりとかつての師の名を呼ぶ。肩で息をし、血を流し苦し気に肩で息をして。今にもそのまま力尽きてしまいそうだ。恐らくはもう彼は助からない。命からがらあの崩落から抜け出したのだろう。リヴァイが見ても明らかに重症だった。

「は……何だ……お前かよ……」
「俺達と戦ってたあんたの仲間はみんな潰れちまってるぞ。残ったのはあんただけか?」
「……みてぇだな」

 痛々しいその姿を見てリヴァイの顔が悲痛に歪む。歩み寄るリヴァイの姿にケニーは力なく笑っていた。ケニーのその外傷。トレードマークである帽子も無く、見るからにもう虫の息の彼に部下も静かにリヴァイに囁いた。

「……兵長……彼も……」
「報告だ。ここは俺だけでいい。後、近くにウミが居たら今すぐ来いと伝えてくれ」
「了解しました」

 リヴァイ兵長は部下を報告に行かせ、自分はようやくお互いの対立する理由がない環境でケニーと二人きりになった。風が吹き抜け、美しい夕焼けが二人を包み込む。

「大やけどにその出血。あんたはもう……助からねぇな」
「……いいや? どうかな……」

 しかし、リヴァイの言葉にケニーはニヤリといつものように不敵に微笑んだ。彼はまだ何か奥の手を隠し持っているのか。瀕死状態のケニーはいつの間に手に入れたのか、どこで手に入れたかは知らないが、ロッド・レイスがヒストリアを巨人化させたものと同じ長方形型の小箱の箱を開く。
 なんと、その中には昨晩ロッドが使っていた「巨人化」出来る薬が入った注射器とその薬液の入った小瓶と注射器に装着する注射針の三点セットがその姿を現したのだ…!驚いたように口を開くリヴァイにケニーは説明した。

「ロッドの鞄から……ひとつくすねといたヤツだ。……どうも……こいつを打って……巨人になる、らしいな…。アホな巨人には…なっちまうが……ひとまずは……延命……できる……はずだ……」
「それを打つ時間も体力も…今よりかはあったはずだ。なぜやらなかった?」
「……ああ……何……だろうな……。ちゃんとお注射打たねぇと……あいつみてぇな出来損ないに……なっちまいそうだしなぁ……」
「……あんたが座して死を待つわけがねぇよ。もっとマシな言い訳はなかったのか?」
「あぁ……俺は……死にたくねぇし……力が……欲しかった……でも…そうか…今なら奴の……やったこと……わかる……気がする……」

 遠のく意識の中でケニーはかつてウーリ・レイスと対峙した時の事を思い返いしていた。自分が投げつけたナイフを腕で受け止めて、そのまま頭を垂れたウーリの姿が今のこの沈みゆく赤い夕陽と重なる。ぼんやりとした口調でそう告げるケニーだが、その当時の事を知らないリヴァイからすれば何の話だ。

「は?」
「ククク……ッフフフフッ……俺が……見てきた奴ら……みんなそうだった……。酒だったり……女だったり……神様だったりもする……一族……王様……夢……子供……力……男……みんな何かに酔っ払ってねぇと……やってられなかったんだな……みん……な…何かの奴隷だった……。あいつでさえも……」

 酒場で酒を飲む奴ら、ヒストリアの母親であるアルマの膝に顔を埋めるロッド。ウォール教を信じて集まる者達、自分の祖父、王の力に崇拝する若かりし頃のサネス。そして、自分と同じ、この空虚な世界に少しでも生きていく意味を求め自分の部下として最期まで着いて来てくれた部下たち。
 生まれた幼いリヴァイを抱きしめ涙を流すクシェルの神々しい姿、ナイフを手に憲兵の首を書き切りあらゆる障害を振り払ってきた自分、そして、そんな自分に縋るような女の顔。
 そして、死に際に対話した最後に交わしたウーリ・レイスの空虚な目。高笑いを上げながら、瀕死の状態で喋ったことで無理がたたってケニーはリヴァイの前で激しく血吐した。もう彼は喋るのも限界だと言うのにそれでもリヴァイに語りかけるのをケニーは止めない。まるでこれが最後の対話であるかのように。

「お……お前は何だ!? 英雄か!? それとも……ウミか……?」

 ウミの名前がケニーの口から零れたことで、リヴァイは今にも命の灯を絶やしそうなケニーを引き戻そうと、たまらず肩を掴むその手に力が籠った。

「ケニー……! 知っていることをすべて話せ! 初代王は、なぜ人類の存続を望まない!?」
「……知らねぇよ……だが……、俺らアッカーマンが……対立した理由は……そ、それだ……」

 ケニーの吐血したそれが頬にその血を浴びながらもリヴァイはケニーへ今まで抱えていた全ての疑問をぶつけるように問いかける。

「ウミから聞いたが、俺の姓もアッカーマンらしいな。あんた…本当は…母さんの何だ? ウミ・アッカーマンはお前の娘で…俺とあいつは血を分けた兄妹か?? 血族結婚は重罪だ。だからあの女は俺達を引き合わせないために俺とウミの子供を殺したのか?」

 血族同士の結婚は禁忌であり、濃い血はよりその遺伝がより強く働く。アッカーマン同士なら尚更だ。
 両親が互いに血に秘められた力を持つアッカーマン同士ならその生まれた子供は……動物だって同じ、純血種に特定の疾患が起きやすいのは、誓い血筋の人間だから。リヴァイの必死な顔にケニーは血を吐き出し、乾いた咳をしながら残り僅かの力を、声を振り絞り、そして答えた。

「ハッ……バカが……ただの……兄貴だ……。ガキなんざ……女も抱いたのあ何時で最後だ……妹に誓って作った覚えもねぇ……よ。お前は……ウミと、なんの関係もねぇに決まってんだろ……お前ぇには勿体ねぇ……あいつは本当に……いい女に成長したな……ありゃあ、他の男も放っておかねぇだろう……もし、奪われたくねぇのなら……さっさと……孕ませて、そんで、嫁に、しちまえ……」

 ケニーは吐血しながら彼女の姿を思い描いていた。ウミの笑みが蘇る様だ。
 ここにはいない、あの女とはまた違う、愛くるしい笑顔を。
 伸ばした手を掴むように、その思いにこたえるようにリヴァイは真摯に真っすぐすぎるほど揺るぎない強い意志を込めた眼差しでケニーの問いに答えた。

「言われなくてもそうした……あいつは……とっくに俺の番だ」
「は……そうかよ……チビガキが一丁前に……カッコつけやがって……」
「……なら……やはり、奴の遺言はあっていたんだな。ケニー、俺には腹違いの弟がいるらしいな……クライス・アルフォード……ヤツが、そうか……腹違いの俺の弟、だろう」
「は、あの女顔の……ああ、そうだ…」
「……知ってたんだな」
「あぁ……妹を捨てた報復も兼ねてな……あいつ、俺の顔を見るなり察していたのか観念してたぜ……クシェルを幸せにしてやれなかっただの、俺にはクシェルを身請けする勇気がないだの……死の間際まで……」
「殺したのか……クライスの父親を」
「俺の唯一の、肉親を奪った……」

 その言葉にリヴァイは驚くことなく、冷静に事実を受け入れていた。やはり、自身の母の相手はクライスの父親だったのだ。どういった経緯でクライスの父親が娼館で働いていた母・クシェルと通じたのかはわからない。二人が結ばれずに引き離され、その中で別の女と結婚して生まれたのが…あの男だった。あの男は全てを知っていて、そして自分に近づいてきたと言うのか。

――「あぁ、思ったより小せぇな……ンー? てめぇがリヴァイだな? 俺等の分隊長に手を出すとは前代未聞の事を……お前が初だぞ。てめぇのその勇気を称えて命知らずの調査兵団はお前を歓迎してやるぞ。あぁ、俺はクライスだ。クライス・アルフォード。まぁ、よろしく」

 今は亡き彼のあの憎たらしい人を馬鹿にしたような笑顔を思い出していた。やはり、そうだったか。巨人に半身を喰われ変わり果てた姿、その中でそれでも肌身離さず持っていたあの遺言は自分へ遺した文だった。

――「この手紙を読む者がどうか、望んだ人間であると信じて託す。俺の意志を引き継いで欲しい」
――「なぁ、お前、楽しいか? ……ウミに振られた憂さ晴らしか?」
――「よく見ると女みてぇな顔しやがって、」
――「お前、友達みんな死んでウミにも振られて……やってらんねぇ気持ちだよな……ま、この通り俺は女に振られた事がねぇからお前の気持ちがわからねえが……まぁ、酒の相手なら付き合ってやるよ」
――「女の傷は女で……そうじゃねぇのな……お前。そうか……お前レベルなら女なんて選り取りみどりなのにな……他の女じゃ気も紛れねぇか。ダメか、本当にウミが好きだったんだな……」
――「俺はな……お前をよーく知ってるぞ、誰よりも」
――「資金繰りの女の相手なら俺に回せ。マダムの相手なら俺一人で十分だ」
――「遺書だぁ? バ−カ、んなもんいらねぇよ。それにな、そう簡単に俺は死なねぇよ。良い男は死ぬ時はいい女と腹上死って決まってっからな、はっはっはっはっは」

 彼は知っていた、地下街で自分と対話したあの時から。自分が腹違いの兄だと。そして探していた。
 噛み締めるようにリヴァイは悲し気に、今にも泣きそうな顔で瞳を閉じる。事実を知った時にはもうすべては手遅れで、彼は、腹違いの弟はもう既に楽園へと旅立った後だった。
 調査兵団が資金繰りの為に貴族達と夜な夜な繰り広げてた夜会でどんなことをしてスポンサーを得てきたのか。その苦労をわかるからこそ、自分の全財産を調査兵団へ寄付すると言う遺言を残して。確かに何かと彼は1人になった自分にやたらと絡んで突っかかってきていた記憶がよみがえる。
 たが、それが不思議と嫌ではなくて、ウミと離れ、その離れた理由も分からず孤独に荒んで行く日々の中で自分の傍に居たのは誰よりも彼だった。
 リヴァイは絞り出すような声でケニーに問いかけた。

「ケニー……あの時……何で……俺から去って行った? 俺が……出来損ないだったからか??」

 それはずっとあの時から抱えていた疑問だった。力が全てだと教え込まれ、その通りにナイフを振るってきた自分。しかし、その最後の時まで見届ける事無く気付いた時には共に暮らしたケニーの姿は無く、自分は呆然とその場に取り残されただけ。
 あの時どうして……気がかりだった言葉にケニーは笑っていた。

「俺ぁ……人の……親にはなれねぇよ……」

 幼い頃の自分の問いかけに返ってきたケニーの言葉は、自分が今まで抱いていたものではなかった。あの頃の自分はケニーに認めてもらいたい、その一心だった。その思いでナイフを手に必死に強くなろうとしていたのだ。自分の父親かもしれない男に認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて必死だった。あの時の自分への答え。
 時を超えて。ケニーが最後の力を振り絞りそして託したのは、

――ドン

 鈍い音がして、やたらと重量を感じるその重み、手元に持っていた小箱を最後の力でケニーがリヴァイの胸へ預けるように、まるで自分の夢を託すかのように強く叩きつけたのだった。ケニーが自分自身に使おうとしていた小箱。しかし、結局使わないまま。それが自分の「あの時俺から去ったのは俺が不出来だったからだと」長年のトラウマに支配されていたリヴァイの疑問に対するケニーからの答えだった。
 リヴァイの幼少期からの満たされない思い……それはウミでもなく、ケニーのこの答えでようやく満たされたのだった。

「ケニー……さん、」

 その時、背後から聞こえた声は紛れもなくウミだった。死の淵に居る恩人の姿にたまらず駆け寄りウミはケニーから溢れたおびただしい量の血で服が汚れるのも構わずに揺り起こすようにケニーを抱き留めるが重量のあるその体躯を支えるのは無理だ、とっさにウミの後ろからリヴァイも腕を伸ばした。

「ケニーおじ、さん……ケニーおじさん、ねぇ! ダメ、目を開けて!! おじさん! ケニーさん!!!」
「ったく……うるせぇな……ウミ……そんなにきゃんきゃん騒ぐな……耳が、痛ってぇじゃねぇか……馬鹿野郎が……」
「ケニーおじ、さん……」

 自分を励ますようにまだ逝ってはいけないと気をしっかり持ってと告げ、何度も揺さぶるウミの優しい声に耳を傾けながら、もうほとんど動けない身体で目線だけを向ける。
 が、彼の瞼は微かに震え、安らかな笑みを浮かべている、もう意識はほとんどない。このまま救援を待って彼の傷を手当てしたとしても、この彼の状態ではとてもじゃないが間に合わない。そのままその瞳は今にも安らかに閉じてしまいそうになっていた。

「ああ……、そうだな……。悪かったよ……最後まで、俺の…」
「……ケニーさ、」
「愛してた……」
「え?」
「今行く、ミ……ナミ……」

 そっと、振り絞る様に掠れた声が漏れる。ウミではなくウミ越しに他の誰かを重ねるようだった。困惑の眼差しでケニーを見やるウミとリヴァイ。いったい彼が最後に求めたものは何だったのだろう。
 ウミの柔らかな頬を撫で、その手にべったり付着した血がウミの頬を汚した。それでもかまわない、ウミは大粒の涙を浮かべて悟るもそれでもケニーの手を握り返していた。ウミの頬を撫でていた手がそのままズルリと垂れ、ぱたりと地面に落ちて。

「あ……ああっ……ケ、ケニー……おじ……さん……」

 それきり、ケニーは断末魔の声を上げる事無く静かに目を開けたまま既にこと切れていた。長きにわたる激動の力に溺れた生涯。しかし、追い求めた壮大な夢はただの夢物語で終幕した。
 彼は最後まで幸せだったのだろうか…。人生を終えたケニーの姿は静かに暮れなずむ空の下で佇んでいた…。耳を裂くような痛い位の静寂の中でウミの瞳から溢れた涙、そしてすすり泣く声が響く。リヴァイは目を開けたまま絶命した彼へ眼を向け、そして今も泣き続けるウミを背後から抱き寄せていた。
 リヴァイも堪らずウミの背中に顔を埋めながら震えていた。幼少の頃、少し共に過ごした。その時間は今ここまで生きてきた人生の中でそんなに長くはなかったが、それでも彼へ今まで抱いていた消えぬ後悔、それが最後に解消された事で長年の積もっていた疑問が昇華されてゆく。

「リヴァイ……、リヴァイ……」
「振り返るんじゃねぇ……」

 寒くもないのに震えが止まない。

「見るな……俺を、今だけは……頼む……から……」

 死んだ母の傍でこのまま自分も朽ちていくのだと。そう思っていた何も出来なかった幼き自分を拾い、そして最後まで育ててくれた。そしてそんな自分にナイフを与えて生き抜く術を叩き込まれ、そして生き長らえた先で出会ったウミが居た。唯一の光を辿るようにリヴァイは噛み締める。
 彼はもしかしたら自分の父親ではないか、しかし、彼は自分を産み落とした母親の兄貴だった。死に際にケニーから託された注射器の箱ごとウミを抱き寄せて静かに噛み締める。
 二人は日が暮れるまで抱き合い、その場を動くことが出来なかった。彼が泣いたのはイザベルとファーランが死んだあの日。それ以降彼は涙を見せることは無いが、きっとその肩の震えが寒さではないと、濡れる服にウミもリヴァイの逞しい腕の中に包まれ理解していた。
 リヴァイの手へ受け継がれたケニーの夢の残存。その小箱は宝物ではない、これからの重大な場面で使われる事になる開けたら最後、パンドラの箱である。
 その箱が再び開かれる時、今こうして抱き合い確かめ合うように寄り添う今後の2人の未来への行く先を引き裂き、大きく変えてしまう事になるとは知らない。

――「ウミ……お前ら……自分たちが何をやっているのか……分かっているのか……?」
その箱を巡って同じ志を持つ仲間同士で繰り広げられる争いなど……、知らないままで居られればよかったのに。

――ケニー・アッカーマン
ロッド・レイス巨人化による礼拝堂崩落に巻き込まれ熱傷と出血多量により死亡。

To be continue…

2020.05.02

足音も無く静かに迫る白夜
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