※猿比古短編のこれを読んでからの閲覧をお勧めします(名前変換別)





あの日、端末が不在着信を示すランプを点滅させていることに気付いたのは、深夜だった。八田くんから。こんな時間になんのようだと寝ぼけ眼を擦りながら残されたメッセージを確認しようと操作すると、聞き慣れた声が、静かな部屋に響いたのを覚えている 。

『なまえ、寝てんのか。……迷ったけど、お前には言っとくべきって決めたからよ』

草薙さん達には、明日言う。でもお前だけは。

一瞬訳がわからなかったが、続けられた言葉の意味を理解した瞬間、起き上げた上半身に冷水を浴びるような感覚を覚えて、わたしは飛び上がった。自分でも驚くようなスピードで寝間着を脱ぎ捨てる。洋服を拾い上げながら端末を弄ろうとした手が、ふと止まった。視界に入ったのは、自らに刻まれた赤の所有印。

『猿が、吠舞羅を裏切った』、なんて。

あのときのわたしは、そんなこと、信じられなかったのだ。


まさか通じるとは思わなかったが、数回のコールで通話に応じた彼の第一声は、いつもの舌打ちだった。あまりに慣れた……、慣れてしまった反応に、わたしは安堵の息をつきかける。が、「なんだ、もう美咲に聞いたのか」。続いた言葉に、わたしは前が見えなくなりそうで、ただ一言だけ伝えたのだ。

「公園に、出てこられる、かな」

八田くんとわたし、それから彼で何度か訪れたことのある、ちっぽけな公園。真夜中のここは人気もなくて、うすら寒い。塗装の剥げかけたベンチに座って手を擦り合わせていたところに、その人はやってきた。

「猿比古、くん」

少し猫背で辺りを見回した彼は、わたしの姿を視認すると同時にゆったりとこちらへ歩いてくる。わたしは思わず立ち上がって、彼のもとへ走った。

「猿比古くん、あの、」
「チッ、こんな時間に呼び出しやがって」

それはわたしも無茶苦茶なお願いだと分かっていた。だから、謝ろうと、口を開いたのに。

「まあいい。全部、予想の範疇だし」

どういうこと。言葉を飲み込んで目だけで訴えるわたしの意思は通じたのか、レンズ越しの猿比古くんの瞳と視線があった。ぱちり、ぱちり。わたしたちのすぐ傍に立つ電灯が心許なく点滅しているなかでも、瞬間、彼の面倒そうな表情がほんの少し愉悦の色を混ぜこんだことに気付ける。じいじいと羽虫が灯りにつられて飛ぶ音が耳障りで、わたしは耳を塞いでしまいたかった。でも、手が動かない。猿比古くんがこの後何を言うのか、気になって仕方ない。猿比古くんはわたしの全てをお見通しのようだ。暑くもないのにわたしの額に汗が滲むのを感じたとき、彼はやっと口を開いた。

「さっきも言ったろ、もう美咲から聞いたのかって。そしたら何も答えなかったのを、肯定以外にどう取んだよ」
「……やっぱり、あれは本当なの? ね、ねえ、どうして? 猿比古くん、裏切ったなんて嘘だよね、吠舞羅からいなくなるなんて冗談だよね?」

皮膚はじんわりと湿っているのとは反対に、渇いた唇をそれでも開けると、詰まっていた言葉が溢れだした。手が震えてくる。わたしは自分の胸元をぎゅうと掴んで、視線だけは逸らさないようにと耐えた。しかし猿比古くんはわたしの動揺っぷりにも全く動じない。
乱暴にシャツの襟口を引っ張って、彼は笑ったのだ。


「なら、証拠、見せてやろうか」





「……さるひこ、くん」
「なんだよ」
「ねえ、あれ、みせて」

遠い過去のように思える記憶を手繰り寄せたわたしは、乾いた声帯を震わせて、ベッドの上、隣に寝転ぶ猿比古くんに手を伸ばした。腕に力が入らなくて、伸ばす、というよりは、シーツの上を這ったという方が近いけれど。金属同士が擦れる音がして、わたしの手は白いシャツの袖を掴んだ。すると彼はゆっくりと身体を反転させて、わたしの瞳を覗き込んだ。どういう魂胆なのか、見極めようとしているらしい。特に意味なんてない。ましてや隙を狙って逃げ出そうだなんて。ただ、あのときの猿比古くんと、今の猿比古くんは、未だに別人なんじゃないかなんて、心のどこかで疑っているから。

「……別にいいけど」

閉めたカーテンの隙間から漏れる月の光に照らされながら、彼はあのときのようにシャツを引いた。露わになる鎖骨、の先に、黒ずんだ、赤い痕。「……で?」なんて言葉が降ってくるけど、わたしはその痕にそっと指を添えた。もう、ここに閉じ込められてどのくらい経つんだろうか。たまにこうして彼の所有印を見せてもらうたび、苦痛とかなしさで泣きそうになる。

「痛くなかったの、こんなことして」
「別に。これで美咲は俺のことをあの憎しみの目で見るようになったし、なまえの絶望する顔を存分に楽しめて、ずっと傍に置けるし。対価としちゃ、安い方だ。ああ、そうだ。この間美咲に会ったんだ。アイツ、今まで以上に俺を憎んでるんだよなぁ。仲のいい仲間一人を盗まれて、そりゃもうご立腹」
「……それ以上言ったら、許さないよ」
「へえ、許さなかったら、どうするんだよ。もうとっくに俺のこと、許してねえくせになあ?」

わたしは言葉をなくす。
この人には、勝てないのだ。あのときからずうっと、読まれている。両手両足を拘束する枷が更に重みを増したような気がして、わたしは猿比古くんの身体に寄り添うように蹲った。許さない、か。……そういえば、こんなことされて、猿比古くんの思惑通り絶望は何度もしたけれど、猿比古くんのこと、憎んだことなどあったっけ。どうして、憎めないの。
わたしは丸くなるふりをして、彼の所有印に額を寄せた。髪を梳く手つきに、わたしは目を閉じて眠りに落ちようとする。

「おやすみ、なまえ」

そういえば、いつからだろう。
自分に刻まれたはずの所有印を見ることが、こわくなっていた。


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