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箱庭の流れ星だってわたしの奇跡


 小さく欠伸が漏れてしまうくらいには、心地の良い陽気であったと思う。ヒトがこのぬくさをどう感じているのかは分からないけれど、少なくとも虎くんは微睡んでいた。
 庭では時折桜が舞った。今が丁度見頃なのだと、ここでの生活の中で僕は知った。

「五虎退」

 あるじ様の、自分の名を呼ぶ声が好きだった。くっきりとした形をしているのに、柔らかな音がする。耳によく馴染む、というのは、きっとこういうことを言うのだ。

「頼みがあるの」

 あるじ様はいつも通りの声をしていたけれど、瞳の中には拭いきれないものが残っていた。僕が、いつものように「もちろん」と応えるのを少しだけ、ほんの一瞬だけでも躊躇うくらいには。

「五虎退、貴方にね、最期を任せたい」
「さいご」

 情けなく、震えた声が出るのでは、と自分でも思ったのに、僕の声ははっきりとしていた。あるじ様が、柔く微笑んで、そうして僅かに首を引く。頷きにも満たないその動作はどこか満足気に映った。

「私の病は人に移るそうなの。人間にね。……だから、私はもう、自分の居た場所には決して帰れはしません。だから」

 さいごは、貴方に任せたいの。
 この本丸に最後に残ったのはもう、僕だけだ。あるじ様にここを運営することはもう不可能だと判断されて、一振り一振り、それぞれの意思で、刀解されるか、あるいは他の審神者の元へ向かった。刀剣達の行く先を決めたのはあるじ様だ。自らの親交深い審神者に任せたいと、病に倒れすぐに連絡を取っていたけれど、僕には、最期まで寄り添うのは貴方しか居ないと、そう。そう言ってくれたのだ。
 その言葉の意味を、僕は、きちんと分かっていた。他の、刀剣達だって。

「あるじ様」

 布団の上に力なくあった手を取って握る。

「おまかせください、僕に」

 あるじ様が、目を細めて、じっと僕を見ていた。握り返す力はもう残っていないだろうに、僅かに震えたあるじ様の指先はどこか力強く感じる。

「痛かったら、言ってください」

 心は凪いでいた。安心したように、あるじ様が声を漏らして笑う。もしかすれば、気のせいなのかもしれない。それくらいに小さな声だったけれど、それでも確かに、表情は柔らかく、平生のこの方の、優しい微笑みに他ならなかった。

「ありがとう、五虎退」

 くっきりとして、柔らかな、その音を。
 痛みなんて、感じなくていい。瞬きの間に、眠りにつくように。
 真白の布団に、赤が滲んでいく。
 血に濡れた刀を握りしめながら、ただ、あるじ様の瞳を見ていた。どこまでも優しい、人。僕に一度だって謝らないで、いつものように微笑んでくれた。
 穏やかに笑んだままのその顔、安らかに、あるじ様は眠っている。そろりと、僕もゆっくりと身体を横たえた。

「やっぱり、あるじ様のお膝のうえが、一番、好きです」

 あたたかな日、庭が見える部屋、大好きな人の、お膝のうえ。いつも通りの、微睡みだった。



△△△



 先輩はその部屋を見ても表情一つ変えなかった。

「っつ、……こ、これ……」

 情けなくその部屋の前で立ち止まったのは俺だけで、先輩はただ淡々と「始めるぞ」なんて言う。部屋には、血まみれの布団と、そこに横たわる審神者、そしてその身体の上に一振りの短刀があるだけだった。

「あの、これ、報告とか……」
「必要ない。俺達の仕事は、審神者が生きていたら殺して火葬することだ。仕事が減ったと思えばいい」
「でも、明らかに刀傷だし」
「関係ない。焼くまでが仕事だ。……審神者が亡くなってるからって防護服脱ぐなよ、感染の可能性はある」

 ああ、やっぱりこんな仕事断れば良かった。そんな出来もしないことを考えながら、遺体に手を合わせ、丁寧に短刀を拾い上げた先輩に続く。本当なら、審神者は薬で苦しまず、眠ってもらうように死ぬ筈だったのに、こんなに血まみれの光景を見ることになるなんて思わなかった。

「言っておくけど、別に珍しい話じゃない」

 余程俺の顔色が悪かったらしい。先輩が、気の毒そうな色を滲ませてそう零した。

「……数日後に死ななきゃならないのが分かってるなら、俺らみたいな政府の下っ端よりも、愛した刀に任せたいだろうよ。俺らが迎えに来るより前に、っていうのは多いよ」

 俺にはどうしても、分からない気がした。審神者も自分の処遇には納得しているという話だったし、それなら、自分だったら薬で楽に眠りたい。
 考えていることが分かったのか、先輩が「俺には気持ちが分かるよ」と呟いて、審神者の遺体を新しく引っ張り出してきた布団に横たえさせる。短刀も傍に置いた。

「最後に見る景色は、愛したものだけが満たしてた方がいい」
「そういう、ものですか」
「俺はな」

 綺麗な庭だなあ、と先輩が呟いた。桜が咲いて、ひらひらと舞っている。

「政府だって、これまで戦い抜いた審神者に、敬意はもちろんあるだろ。最期くらい自由にと、こういう場合も傍の刀と弔うように言われてる」

 ちゃんと覚えろよ、仕事。そう締めくくって、また先輩が黙々と動き始めた。
 それまで血に慄いてよく見ていなかったが、綺麗な布団に横たわる審神者はあまりにも穏やかな表情をしていた。きっと苦しまずに逝けたのだろう。それなら、いい。そうだといい。
 汚れ仕事ばかりの俺が、言うのはなんだけど。




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